蟲と病気と
「ああっクーイ、丁度いートコに来てくれたっ!! 頼むからあの念仏オバケをどーにかしてくれよー! オヤジの野郎が朝から晩までブツブツ言ーやがっから、オレ、ここんトコすっげー夢見悪りーんだよ~……」
翌朝、ワゴンを先に回収してから、クーイはハリー教授の部屋を訪ねた。扉を開けた途端、いきなり寝間着姿のソロスコに泣きつかれる。
「今日だってさー、折角かーちゃんがチョコレートケーキ作ってくれたのに、食べようとしたらケーキがいきなりオヤジの声で念仏唱えだして、フォークとスプーンが姫さんのムシになって襲って来たんだぜ! それでオレ、かーちゃんに助けてって叫んだんだけど、かーちゃん、この算数の問題を解いてみろって言いやがって、ちっとも助けてくれねーの。……な、ひでー夢だろ。オレ、思わず泣きそーになっちまったよ~!」
「そ……それは大変な夢だったね。相当、おかあさんに会いたいんだね……」
目が覚めて間もないのか、ソロスコは完全に興奮していた。友人を宥めながらクーイは彼の父親を探した。衝立の向こうからボソボソと念仏が聞こえて来る。
「『原因も対処法も不明』……『遺伝性の難病』……『分泌系の混乱に始まり、やがて全身の細胞が植物化する』……『発見者の名を冠しフレトベルゲージュ氏病と呼ばれ』……ううむ」
「な、な、不気味だろー!? オレもーこんな生活やだよー!」
「うん……これが一日中続いているのは、確かに少し不気味だね……」
両耳を塞いだソロスコに、クーイは素直に頷いてみせた。
「ところでソロスコ、もう朝御飯の時間過ぎてるよ。僕はとっくに済ませて来たけど、早くしないと君の分下げられちゃうよ?」
「えっ!! うわっ、もーそんな時間かよ!? 莫っ迦ゃろー、ちゃんと起こせってゆっといたじゃねーかっ、くそオヤジ~!!」
ソロスコは慌てて着替えを始めた。有翼人用に仕立てられた上着は後身頃全体に大きくスリットが入っていて、そこに翼を通し、裾を両面ベルトで留める構造になっている。クーイはソロスコの翼に引っ掛かって捲れ上がった後身頃を両面ベルトの中に押し込んでやった。
だが息子の声が全く耳に入らないのか、衝立の向こうから再び念仏が聞こえ始める。
「……『全身の色素が薄くなる、白目部分が薄い青または緑色を帯びて濁る、発育が遅れる、などが主だった特徴』……『知能障害なども時に見られる』……『生後間もなく発病、五年以内にほぼ十割が死亡に至る。一番長く生きた記録は六歳三か月』……むむむ……」
「くぉらオヤジっ!! オレ、ひとりで行っちめーかんなっ!! メシ無くなったって知んねーぞっ!!」
ソロスコは衝立に向かって拳を振り回すと、バターンと扉を音高く閉めて行ってしまった。残されたクーイは暫く様子を見ていたが、漸く念仏が止まったので衝立越しに声を掛けた。
「お早うございます、ハリー先生。私、クーイですけれど、この先に入らせて頂いても差支えございませんでしょうか?」
返事の代わりに、バサバサッと大量の紙が零れ落ちる音がした。続いてハリー教授の喚き声が飛んで来る。
「器換蟲か!? 器換蟲のせいか!?……だがもしそうだとしても、フレトベルゲージュ氏病が殆ど進行していないのはどういう訳だ?……いや、それ以前の問題だ。器換蟲の性質上、こんなことはあり得ない!」
「せ……先生?」
クーイは慌てて衝立を覗き込み、大きな声で教授を呼んだ。
「あー……ああ、来ていたのか、クーイ。早いな」
頭を掻きむしるべく両手を髪に差し込んだままの姿勢で、ハリー教授はクーイを見た。いつもきちんと整えられている髪は見事にほつれ、前髪が数房だらしなく額に垂れていた。
パージェは極めて珍しい遺伝病に罹っている。分泌系を乱して徐々に全身の細胞を植物化してゆき、やがて死に至るという病気で、原因も対処法も全く分からず、死の病と言われているものだ。だが彼女の体は、この病気の発病率・進行速度から考えれば異様とも思えるほど、正常なのである。植物化の兆候はまるで認められず、病気によって引き起こされる筈の数々の症状も無い。分泌系には確かに異常が見られるものの、そこからの影響も何故か皆無である。
加えて彼女は曰くつきの群体寄生虫に感染していた。白い蟲の正体は器換蟲――生物暗器として開発されたものの、取り扱うにも危険過ぎて結局十五年前に完全に撲滅された生物だったのだ。器換蟲は取りついた宿主の体内を喰い荒らしながら増殖するのだが、喰った臓器や体組織を機能すら完全に模倣して隠蔽するため、宿主の死の瞬間まで全く看破出来ないと言う特徴がある。器換蟲に感染してから死に至るまでの期間は、およそ半年ほどだ。
以上がハリー教授の調査で分かったことなのだが……。
「凄いです、たったの二日間でそこまで分かってしまわれるなんて。だけど確かに謎だらけですねえ」
クーイは素直に感想を口にすると、床に散乱したままの資料を拾った。揃えるついでに一通り目を通す。
「実際に血液が変質しているのに、何処にも全く影響が無いって言うのは本当に不思議です。これってつまり器換蟲がフレトベルゲージュ氏病を抑制していると言うことでしょうか?」
「あり得る話だ。だがそれよりも気になる点がある」
教授は手鏡を取ると、ぼさぼさになった髪に櫛を入れた。
「器換蟲は自分が喰ったものをそのままコピーする。……つまり、現在分泌異常以外には全くフレトベルゲージュ氏病の片鱗が見られないと言うことは、器換蟲がパージェ様を喰った時点では、まだ彼女は病気では無かったと言うことになってしまうのだ! だがフレトベルゲージュ氏病は先天的な病気だ。こんなことはあり得ない!」
「……或いは、フレトベルゲージュ氏病によって分泌された何らかの物質が、器換蟲の記憶を書き替えてしまったか、ですよね」
ハリー教授が徐々に興奮して櫛を振り回し始めたので、クーイはわざと落ち着いた声で返答した。教授ははっと我に返って咳払いをすると、櫛でもう一度髪を撫でつけた。
「ねえ先生、一度器換蟲が撲滅されていると言うことは、有効な駆虫薬などが分かっているということですか?」
クーイは読み終えた書類をきちんと揃え直し、教授に返した。
「いや、感染を見抜く術も治療法も未だに分かっとらんよ。器換蟲に関わった者と彼等に接触した者を全員集めて、一年間隔離したんだそうだ」
ハリー教授は溜め息をついた。「なるほど」とクーイは頷いた。
「それともう一つ質問なんですけど、宿主が器換蟲を意志で操ることって出来ると思いますか?」
「流石にそれは無理だろう。あの時だって蟲は本能のままに動いていただけに過ぎんよ。大体、器換蟲は宿主に知られぬまま殖えてゆく生物ゆえ、本来は体外に出ることなど無いのではあるまいか」
その返答にクーイは少し考え込んだ。だが、パージェが自分の意志で蟲を操ることが出来るのは確かだ。実際に首を締められた時のことを思い出してみる。あの時、蟲はまるで彼女の手足の如く従順に動いていた。だが先日の件は明らかに違う。宿主の意識は無く、蟲は手当たり次第に動くものを捕らえては貪っていた。
「本能……やっぱり蟲はお腹が空いていたんでしょうか」
すると教授は「本当にそうかも知れん」と真顔で頷いた。
「どうもパージェ様は普段から余り食事をされていない――いや、正確には、口から食べ物を摂取されていないようなのだ。食べ物を噛んだり飲み下す時に使う筋肉が、こぞって弱く未発達でいらっしゃる。かなり嫌な想像ではあるが、パージェ様の内臓に成り代わった蟲が直接養分を摂取して、宿主を維持していると考える他無いだろう」
「確かにお屋敷の方も仰っていました……パージェ様は日に一度、少量しか召し上がらないって」
不意にクーイは電気のようなものを感じた。
「そうか、食事だ!」
「食事?」
ハリー教授は驚いた顔を向けた。クーイは思わず早口で答えた。
「ええ、パージェ様にきちんと食事をして頂くんです。蟲が宿主の内臓に成り代わる、つまり内臓として機能すると言うことは、消化にかかる時間も通常と同じだけかかるってことでしょう? 先日の講義で食べ物が胃を通過するのに三~六時間くらい、小腸が四~五時間、大腸が九~十六時間くらいかかると教わりましたから、規則正しく食事をすれば、少なくとも蟲の出現を減らすことが出来るのでは無いでしょうか」
「そうだな。それに、パージェ様のお体にとっても良いことだと思う。あの年であれ程痩せてしまわれているのも如何にかせんとな……」
クーイの話にハリー教授は何度も頷いた。
「ただ、お屋敷の噂でパージェ様が蟲を自由に操っておられるということも聞いております。噂ではありますが一応調べておきたいので、先日のパージェ様の検査結果をお貸し頂けませんか?」
「構わんよ。持っていなさい」
「ありがとうございます」
思っていたよりもあっさりと教授はファイルを渡してくれた。クーイは礼儀正しく頭を下げて受け取った。後はパージェが目覚めるのを待って蟲を操らせ、その瞬間のデータを取ればいい。蟲を操る仕組みについて、手掛かりくらいは見つかるだろう。
コンコン。突然ノックが響いた。扉の向こうから教員の声がする。
「お早うございます、ソロスコ先生、起きていらっしゃいますか? そろそろ講義の時間ですよ」
「あ……しまった、もうそんな時間か。今行きます!」
教授は飛び上がると、授業開始を知らせて回るための小鐘を掴んだ。
「いかんいかん、すっかり朝御飯を食べ損ねてしまった。セールの言った通りになってしまったな」
ハリー教授は苦笑いを浮かべて慌てて支度をした。初めてくるりと背を向けられ、クーイも思わず苦笑してしまう。上着の背部が翼に引っ掛かって見事に捲れ上がっていたのだ。
「やっぱり親子だなぁ……」
クーイはこっそり口の中で呟くと、教授の服を直してやった。




