嘘と埋葬
主人不在の館は妙に閑散とした印象だった。無数に連なる部屋は薄暗がりの中に置き去られ、きらびやかな装飾が寂しげに陰を纏っている。それでも屋敷中に敷き詰められた絨毯はブラシをかけたばかりのように滑らかで、使う者も無い調度品を使用人達がせっせと磨き続けている。まだ平穏とは言い難いこの時世には珍しいくらいゆき届いたお屋敷だ――そんな感想を胸に隠し、クーイは目の前の侍女を見上げた。
「ちょっとボク、離れの医学生でしょう? こんなところへ来ちゃ駄目じゃない。ここは遊び場じゃ無いんだからねっ」
その侍女は体を半ば屈め、クーイと目線を同じ高さにして、噛んで含めるように諭した。十五~六歳くらいの若い侍女だ。新米らしく、身のこなしも言葉遣いも町娘の印象を引きずっている。子供好きでまだ屋敷のしきたりに染まり切っていない侍女。クーイは彼女を標的に決めた。
「御免なさい。お仕事の邪魔をするつもりじゃ無かったんだ。だけど僕、どうしてもここに来なくちゃいけなくって……」
あどけなさの残る声と小柄な体躯、そして表情次第で内気そうに見える顔立ちを利用して、クーイは子供っぽくふるまった。モデルになりそうな内気な学友を数人思い浮かべる。教員に問い詰められた時、彼等は確か……おずおずとやや上目遣いに相手を見あげて、そして何か物言いたげに口を開きかけては噤んでみせるんだ。
「どうしたの? 良かったらわたしに話してくれないかしら? もしかしたら、ボクのことを助けてあげられるかも知れないわ」
「ウン……」
曖昧に言葉を濁し、クーイは俯いて視線を泳がせた。気付かれないようにちらりとミリイを窺う。子供好きと言う印象は正しかったようだ。心配そうな瞳でじっとこちらの反応を待っている。
「実は僕、パージェ様のお部屋に行きたいんだけど……」
「パー……!?」
新米侍女――ミリイが驚いて息を吸い込んだ瞬間、クーイは素早く自分の唇に指を立てた。
「しーっ、静かに。パージェ様に、おうちの人には内緒にしてって頼まれてるんだ。僕達ホントはパージェ様とは遊んじゃいけないことになってるんだから……」
ミリイは口を押さえて出かかった声を飲み込むと、やっと息を整えた。
「ご、御免ね。ちょっとびっくりしちゃっただけ、もう大丈夫よ。絶対に誰にも言わないって約束するから、もっと良く教えてくれる?」
急に声を落とし、真剣な表情でミリイは囁いた。これは上手くすると楽に手を借りられるかも知れない。クーイは改めて新米侍女と目を合わせた。さり気なく彼女の視線と瞳孔の動きを観察する。
「パージェ様は今、僕達と一緒に離れに居るんです。ひとりになるのは寂しいから、こっちには戻りたくないんだって。それで僕、パージェ様に頼まれて着替えを取りに来たんです。だけど何処のお部屋へ行けばいいのか分からなくなっちゃって……」
新米侍女の微かな変化に気付いて、クーイはふと言葉を切った。
「レアンだわ……レアン、あなたって本当に凄いわよ。本当に、本当にパージェ様を動かしちゃうなんて」
ミリイは自分の胸を押さえて震えていた。瞳が潤い、顔中に笑みが広がってゆく。彼女は震えながら大きく息を吸い、そしてクーイにすがるように尋ねた。
「ねえボク、レアンも離れに居るのね、そうでしょう?」
「えっ……」
思いがけない反応にクーイは戸惑った。レアンと言う名の者は知らない。だが彼は敢えて顔には出さず、きょとんとした表情を保った。
「侍従のレアンよ。変性で、髪が青くて肩くらいまであって、優しそうな顔をしていて、言葉がちょっぴり訛っていて、自分のことをあたしって言う子。パージェ様に離れの子達と遊ぶよう勧めたの、彼なんだもの。今、離れで働いているんでしょう? 急に姿を見なくなっちゃったから一体どうしたのかと思ってたの……」
ぽろぽろと涙を零しながらミリイは笑った。クーイは表情を変えないまま、彼女が自然に落ち着くのを待った。
やがてミリイは前掛けで顔を拭うと、自分の胸を勢い良く叩いて見せた。
「そういうことならわたしに任せて。お食事は流石に持って行けないけれど、パージェ様は日に一度ほんの少ししか召し上がらないから、大丈夫でしょう? 着替えだけ、明日の朝までに離れの第二玄関にワゴンに積んで置いておくわね。ちゃーんと日が昇る前に取りに来るのよ。でないと煩いおばさんに見つかっちゃうからね」
「わあ、いいんですか? ありがとうございます!」
クーイは嬉しそうな笑顔を浮かべると、ぺこりと頭を下げた。
屋敷から出た途端、クーイの顔にいつもの大人びた表情が戻っていた。彼は暫くの間真っ白く濁った冬空を見上げていたが、ついと爪先を北へと向けた。
葉が落ちて立ち枯れたように見える木々を透かし、鉛色の建物が近付いて来る。やがて視界が開け、広々とした墓地が姿を現した。クーイはパージェの母と、パージェ本人の名が刻まれたあの墓銘碑の前で足を止めた。やはり日付は十年前――パージェの父の処刑から半年後だ。簡単にお参りを済ませ、彼はすぐに立ち上がった。鉛色の建物を背にして墓地を抜ければ、以前ソロスコに邪魔されて探索を諦めた処刑場がある。
「……変性で、髪が青くて肩くらいまであって……」
日の当たらない剥き出しの土は、朝に降りた霜柱を未だ抱えている。それをざくざくと踏みしめ、クーイは死体捨て場へ近付いた。墓地の外れに掘られた大きな縦穴の中には、怪我や老衰で死んだ家畜が無造作に投げ込まれていた。
「優しそうな顔の……」
ぴたりとクーイの靴が止まった。
「……あなたもパージェ様を心配して下さったんですね、レアンさん。ありがとうございます。だけどもっと早くに知り合えていたら、あなたをこんな目に遭わせずに済んだかも知れないと思うと……残念です」
――レアンは空を見ていた。首から下を失った姿のまま、白く濁った冬空を眩しげに眺めていた。クーイは縦穴に身を乗り出し、レアンの青い髪を手に捕らえた。髪に降りた霜が少年の手の温もりに触れて溶けてゆく。クーイは慎重にレアンの頭を手繰り寄せ、縦穴から救い出すと、開いたまま凍り付いている瞼をゆっくり温めて閉じてやった。
「私にはこんなことしか出来なくて、本当に御免なさい」
クーイは一旦スコップを取りに戻ると、墓地縁に小さくて深い穴を掘り、そこにレアンの首を埋葬した。




