蟲
まるで訳が分からない。
パージェの検査をひと通り終え、ハリー・ソロスコ教授は首を傾げた。彼女は運び込まれてからずっと眠っている。暖炉と火鉢で部屋を暖め、体を毛布で幾重にも包んでいるのに、なかなか体温が上がらない。
最初は軽い気持ちで点滴を打って済ませようとしたハリー教授だったが、全く容体が改善しないため、本腰を入れて検査することにしたのである。しかし手当たり次第に取りつけた検査機器は、納得しかねる結果ばかりを出力し続けていた。
「セール、すまんがもう一度いいか。パージェ様は一体どういう状況で倒れていらっしゃったんだ?」
「もー、一体何回説明したと思ってんだよ、この莫迦オヤジ!! オレの話ちゃんと聞ーてたのかよー!?」
セール・ソロスコは苛立たしく足を踏み鳴らした。慌ててクーイが執り成し、友人に代わって答えた。
「残念ながら私達はパージェ様がお倒れになった瞬間は目撃していないんです。ただ裏庭に倒れていらっしゃるのを見つけただけで。……先生、パージェ様のご容体、何かお分かりになりましたでしょうか?」
「それが、さっぱりだよ」
ハリー教授は溜め息で答えた。
「計測位置が少しずれただけで脈の強さも速さも違う。腹腔内の温度も場所によって差がある。体は冬眠状態に近いが、正反対の反応を示す場所も少なくない。同じ部位なのに結果がここまで食い違うなんておかし過ぎる。更に、パージェ様の血液から生命維持に必要とされている成分が幾つか見つからない。なのに、幾ら調べても検査機器には異常が無い。……一体如何なっているのか、私が教えて貰いたいくらいだ」
教授はもう一度呻くと、カルテと患者とを見比べた。
パージェは小さくて、痛々しいほど痩せていて、十二・三歳の筈なのに七歳前後にしか見えない。腹部だけがふっくらと丸みを帯びている。四肢は歪み、所々に不自然な傷跡が残っている。白目はほんのり緑がかり、髪はバサバサしていて色合いが妙に浅い。干からびて見える膚は磁器よりも蒼白く、鳥肌様のイボに埋め尽くされている。咬筋も衰え、長らく食事をしていないであろうことは容易に推測がつく。
これで検査結果が推測通りなら、何の問題も無いのだが……。
「ねえハリー先生。今ふと気付いたんですけれど、他とは違う結果が出るポイントって、ゆっくりと移動していませんか?」
検査結果をじっと見比べていたクーイが、不意に顔を上げた。
「ほら、腹腔内温度の推移を御覧下さい。最初はAポイントが平均温度より二度低いですね。次の結果ではEポイント、その次はSポイント。今お見せしたポイントは検出された場所が違うだけで、全て平均温度より二度低いと言う点で共通しています。つまり低温ポイントそのものがパージェ様の体内を移動しているとは考えられませんか?」
「内臓が姫さんの腹ン中を行ったり来たりしてるってーのかよ? んなワケねーだろ、クー……!?」
クーイの言葉に肩を竦め、セール・ソロスコは何気なく体内透視鏡を覗いた。次の瞬間、凄い悲鳴があがった。
「オ、オヤジッ! マ、マ、マジうごいてるっ、動いてるーっ!!」
腰が抜けたのか、逃げ出す途中で大きく転倒し、床に這いつくばる。
「どうした、セール?」
「ひ……姫さんの内臓が、ヘ、ヘヘヘ、ヘビみてーに……うっ、うわああああ!!」
教授は体内透視鏡に駆け寄り、ぎょっと足を止めた。パージェの腸が生き物のように蠢き、その姿をみるみる変えていったのだ。気が付くと消化器官だけが全て消え失せ、腹腔に蛇のような影がとぐろを巻いていた。その蛇も霧に溶けるように徐々に姿を消してゆく。
にゅるにゅるにゅるにゅる。蛇の影が無くなるにつれ、音もなく彼女の皮膚から白く細い毛が生え始めた。やがてそれは幾房かに分かれ、互いに絡み合って糸となり、紐となり、生々しく蠢く鞭へと変化していた。
「ひ……ぃ……ぃ……」
ソロスコは声にならない悲鳴をあげ続け、やがて泡を吹いて卒倒した。その足にしゅるりと蟲が絡みつく。
「いかん、セール!!」
ハリー教授は息子に手を伸ばそうとするが、一瞬早く別の蟲に襲われ、床に激しく叩きつけられた。辛うじて翼で勢いを殺し、何とか受け身を取る。再び襲ってきた蟲をまたも危うく躱し、空中へ逃れる。
「先生、早く廊下へ逃げて!」
ガチャン、と金属音がした。ふと見るとクーイが実験用の鳥籠を開け、逆様にして振り回している。驚いた小鳥達は続々と籠を飛び出し、部屋中を逃げ惑った。
鼻先を掠めて飛ぶ小鳥に、蟲の注意がそれた。
「今だ!」
隙を見てハリー教授は息子を抱えあげ、扉へ飛んだ。クーイは続いて実験用小動物を檻から解き放ち、廊下へと向かった。白い鞭は人間には目もくれず、逃げ惑う生き物たちを次々と仕留めては、ジュルジュルと音を立ててひたすら貪り喰っている。
教授は廊下へ転げ出ると、音高く扉を閉め、震える両手で戸を押さえた。そして息子に怪我が無いことを確認し、漸く息をついた。扉一枚を隔て、生々しい地獄の音が漏れ聞こえて来る。今の今まであの中に居たのだと思うと、ぞっとする。
「あの蟲、相当お腹が空いていたんですね」
だがすぐ横でクーイが扉を僅かに開け、平然と中を覗いていた。
「蟲って言うくらいだから、獲物を生きたまま喰い荒らしちゃうのかと思っていたんですけど、一旦殺してから食べるんですねえ。うわ、首千切っちゃった。蛇みたいになったり網みたいになったり、刃物状に変化したり、あの蟲、実はかなり知性的な生き物なんじゃ……」
「危ないから止しなさい!」
ハリー教授は慌てて扉を閉めた。
「このお屋敷に来た時、何故パージェ様に近付くことを禁じられたか、これで良く分かっただろう! あれは人じゃ無い、バケモノだ! クーイ、パージェ様には二度と関わってはならん!!」
感情につき動かされるまま、強い口調で教授は続けた。
「いいか、この術医学施設に関わる者は全て、ソーレル様のお金で生活し、研究し、教育を受けている。だがこれは決して施しでは無い。我々の知識、我々の技術、それこそがソーレル様にとって重要だからだ! だからこそこうして我々に投資を続けて下さる。我々は『人財』なのだ。お前ならこの意味が分かるだろう? 君子危うきに近寄らず、だ!」
きょとんとした顔でクーイは教授の顔を見つめた。教授が話を終え、息を吸い込んだ時、彼は突然にっこりと微笑んだ。あどけない顔で事も無げに言い放つ。
「では、あのバケモノを元の場所に捨てて参りますね」
「バ……っ!?」
冷水を浴びせられたように我に返り、ハリー教授は猛烈に狼狽えた。
「い、いや、バケモノと言うのは……つまりその、パージェ様では無く、あの蟲のことで……と、とにかく、すまない、私としたことが、何という失言を。どうか忘れてくれ」
しどろもどろに謝り、咳払いをして何とか息を整えようとする。だが動揺はなかなか鎮まらない。如何せん声が震えてしまう。
「さ……流石にそういう訳にもいかん……よ。パージェ様は仮にも荘園主ラアニ様の姪御様なのだから……」
「それもそうですね。先生の仰る通りです」
全く表情を変えずにクーイは頷いた。
「パージェ様をお預かり出来るお部屋となると、先生のお部屋の向かいしか空いておりませんよ。あ、一応四~五階も丸々空いていますね。でもハリー先生がパージェ様をお世話されるのでしたら、先生のお部屋に近い方が何かと便利ですし……」
「わ、私が……あの方のお世話を!?」
ハリー教授は目を剥いた。こわごわ扉を見やると、殺戮の音がまだ微かに聞こえてくる。部屋の中がどんなことになっているか、想像に難くない。見えない手に心臓を鷲掴みにされ、教授は顔を強張らせた。
「い……いや、残念だが私には無理だ。責任者としての仕事もあるし、学生達の面倒も見なくてはならんし、他にも色々と仕事がある……」
震える声を必死に抑え、教授は逃げを打った。
「でしたら、私がお手伝い致しましょうか?」
クーイは自らの胸を指した。
「パージェ様のお世話くらいでしたら私にも出来ると思います。その代わり、先生にはあの蟲についてお調べ頂きたいのです」
「な……」
「ハリー先生はもうお気付きでしょう? ほんの少し検査する位置をずらしただけで、結果があんなに変動した理由を――パージェ様がお体を別の生物と共有なさっているってことを」
蟲と聞いて後じさった教授に、クーイは間断なく畳み掛けた。
「パージェ様の臓器が蟲に変貌する瞬間、透視鏡で御覧になりましたよね。あの蟲は形や強度を自由自在に変えることが出来る生物のようです。だとすると、普段は恐らく彼女の『一部』として体組織に同化しているのではないでしょうか。だから蟲が蟲本来の姿に戻った時、パージェ様の腹腔が空っぽになったのだと私は思います。ただ……」
「ただ?」
「……果たして、こんなに特殊な寄生虫――この場合は共生虫と呼ぶべきでしょうか――が自然界に存在するものなのか、先生にお調べ頂きたいんです。あの蟲がどういうものか詳しく分かれば感染防止も出来ますし、いざという時にパージェ様に蟲を使えなくさせる方法だって見つけられるでしょう?」
「ううむ……」
「私達、あと五か月近くここに居るんですよ。備えあれば憂い無し、と先生も良く仰っているじゃないですか」
「むう……」
ハリー教授は何度も呻き、そして漸く心を決めた。
「……分かった、調べてみよう。但しくれぐれも事故の無いようにな」
「ありがとうございます。では後程お屋敷の方にお願いして、パージェ様の着替え等をお借りして参りますね」
クーイは丁寧に頭を下げると、嬉しそうな表情を浮かべた。とその時、突然足元から凄い悲鳴が上がった。教授はぎょっとして思わずその場から飛びすさった。
「うわっあああ………ぎゃひいぃぃぃぃぃっ!!」
悲鳴をあげていたのはソロスコであった。
「あああ………ゆ、夢かぁ……良かったぁ~。オレもうどーなっちまうかと思ったよー」
彼は勢い良く身を起こし、きょろきょろと周囲を見回すと、ほっと息をついて泣き出した。クーイは彼に駆け寄り、その背中を擦った。
「ソロスコ、大丈夫? 一体どんな夢を見たの?」
「すっっげぇ怖ぇー夢だった……姫さんの体が蛇みてーになっちまってさ、そいつが襲ってくんの。思い返してもゾッとしちまうよー!! オレ、アレ思い出しちまって、きっともう一生麺類食えねー気がする……」
「………」
思わず教授とクーイは顔を見合わせた。その視線が自然と扉へ向かう。扉の向こうからはまだ微かに残酷な音が聞こえ続けていた。
「ん? どーしたんだよオヤジ? クーイまで……そー言やどーしてオレ達、廊下に居んだろ? ここ寒みーよ、早く中に入ろーぜっ」
「あっ、ソロスコ、まだ開けちゃダ……」
クーイの言葉も聞かず、ソロスコはさっさと扉を開けて覗き込んだ。
「……メだって言おうとしたのに~」
どさり。彼は再び床に崩れ落ちた。




