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5話

 図書館に続く銀杏並木の小道に等間隔に並ぶベンチがあって、男性は私をそこに誘った。

 夕方、透と出会ういつもの場所だ。

 奇しくも、昨日、透が腰掛けていたベンチに、男性はトレイを置いて座り込んだ。

 透が現れるのは決まって夕方だったから、こんな早朝から出くわす事はないと思うが、一応、キョロキョロと周囲を見回してみる。

 透どころか、早朝の図書館は人もまばらだった。

 先に座ってしまった男性の横に、私は恐る恐る腰を掛けた。

 ホットコーヒーに口をつけながら、男性は私にトレイを差し出すと、さっきよりは愛想の良くなった顔で自己紹介を始めた。


「取り合えず、初めまして。あ、俺、高村翔たかむらしょうって言います」

「……間宮由梨絵です」

「急に誘っちゃって悪かった? もしかして他に用事とかあった?」

「いえ、それは別に……ないです」

 

 私もカフェラテに口をつけながら、正面を向いたまま歯切れの悪い返事をした。


「用事なんか何にもないです。することがないから図書館に来てるの」

「へえ、学校とか、仕事とかしてないの? 家事手伝い?」

「学校は行ってません。仕事もしてないので、肩書は家事手伝いですけど、特に家事も手伝ってません」

「じゃ、いつも何してるの?」

「……何も。だって、ニートですから」


 ざっくばらんな彼の質問が、私の胸にグサグサと突き刺さる。

 悪気がないのが分かるだけに、これが働いてない人間に対する一般的な反応なのかと思い知らされた。

 そう言えば、家族以外の人とこんな風に話をしたのは何年振りだろう?

 人と会わないから、こんな風に自己紹介したこともなかったのだ。

 高村と名乗った男性は至って普通の表情をキープしたまま、同じテンションで話し続けた。


「でも、その若さで好きでニートしてるわけでもないだろ? なんか理由があるの? 病気とか?」

「いえ……、きっかけはよくある話ですけど、中学校の時のいじめでした。高校で不登校になってから退学しちゃって、それから母が再婚したりしてバタバタしている内にいつの間にか月日が経ってた。それだけです」


 私が返事をする度、困惑を隠せない彼は視線を泳がせながらも話を続けようと、必死に次の質問を考えている。

 彼の気遣いが目に見えて分かるだけに、申し訳ない気持ちになった。

 こんな面倒くさい女の子誘っちゃったことを、きっと後悔してる。

 透が『運命の人』だとか、変な事言うから、私も変な期待しちゃったんだ。

 真に受けた私がバカだけど。

 この人は、今、何とかして私から離れようと算段を立てているだろう。

 しばらく考えた後、彼は取り繕うかのような笑みを浮かべて、再び質問を始めた。


「でも、家にいても暇ならバイトでもしてみたらいいんじゃない? 何もしないのは精神的にも良くないよ、多分」

「何をしていいのか分からないのよ。何かを始めるのがもう怖いの。だって……」


 私は思い切って左腕のシャツの袖をグイと捲った。

 青白い不健康な細腕に、カッターで付けた引っ掻き傷が一面についている。

 それを見た彼の笑みが一瞬で消えて、表情が固まった。


「おかしいでしょ? 私、暇になると死ぬことばっかり考えちゃうの。心療内科にも通ったけど治らないの。鬱病なんだって」

「それで自傷行為を?」

「バカみたいよね。本当に死ぬ勇気もないくせに。でも、生きる元気もないの。鬱病って言われてるけど、別に病気じゃないわ。ただ、何もかもが嫌なの。死んで、生まれ変わって、全部やり直したいのよ」


 こんなものを見せられて、どう返事をしていいのか分からないのだろう。

 彼は神妙な顔で、私の顔と腕を見比べている。

 私は急に恥ずかしくなって、慌てて袖を引っ張り下ろした。

 衝動的に見せてしまったけど、同情を買いたい訳ではなかった。

 私が怠け者だからニートを続けていると、彼には思って欲しくなかったのだ。


「ご、ごめんなさい。初めて会った人に変な話しちゃって。こんなの見せられても困っちゃうよね」

「いや、こっちこそ変な事聞いてごめん」


 彼は穏やかな声でそう言った。

 私の話にドン引きしている訳でもなく、ただ、事実を淡々と受け止めてくれたように見えた。


「君、もしかしたら、家庭に問題があるんじゃない? 家族の中で上手くいってないとか」

「母は私が中学の時に再婚して、今はその再婚相手と、それから生まれた弟と一緒に住んでます。でも、私なんか多分いない方がいいの。母は新しい家族との生活が大切だし、こんなに年取った連れ子がいたら迷惑なのよ」

「そんな事はないと思うけど、要するに、君は居場所がなくて寂しいんだね」

「………」


「寂しい」と泣いて訴えれば、母は再婚相手と別れて、また私と二人で暮らしてくれるだろうか?

 今更、もう無理だ。

 私の我儘で、せっかく母が掴んだ幸せを奪うようなことはしたくない。

 かわいいとは思えないが、あの腹違いの弟も、私が原因で両親が離婚したらさすがに可哀想だ。

 そもそも出て行くべきは、この歳になって何もせずに自宅にしがみついている私なのだ。

 それは重々分かっているのだけど、一人で生きていく勇気も自信もなかった。


 しばらく沈黙が続いた後、男性は私の頭をポンポンと叩いた。


「いいもの見せてあげようか?」


 彼はそう言うと、いきなり自分の左腕のシャツの袖をグイと捲った。

 私は思わず「あっ!」と小さく叫んでしまった。

 彼の左腕には、私と同じような引っ掻き傷が一面に広がっていたのだ。

 経験者の私には、それが何なのかすぐに分かった。

 そして、『あんたと同じ、左腕が傷だらけの男を探してくれ』と言った、透の声が頭の中で響いた。

 

「わ、私と同じ……」

「そう。俺も元常習犯。でも、もう昔の話だけどね」


 彼はそう言って、首を竦めた。


「俺の家も親が再婚カップルなんだよ。ある日、母親がいきなり見知らぬオヤジ連れてきて、ドラマみたいに『今日からあなたのパパよ』なんて言い出したんだから。君と境遇が似過ぎてて、俺のことかと思って怖くなったよ」


 彼は傷だらけの左腕をもう隠そうともしないで、右腕のシャツも捲り上げると、猫みたいな目を細くして大笑いした。

 でも、その左腕を見て、私はただ茫然としていた。

 彼の家庭環境が私と似ている事より、昨日、透が言った『運命の人』の最終条件に、この男性が当て嵌まった事が何より重要な問題だった。

 私の驚きの理由も知らずに、彼は昔話をするように遠い目をして続けた。


「あの頃はまだガキだったから、俺にはそれがショックでさ。色々、反抗的な事やって困らせたよ。母親がどうやったらあのオヤジと別れてくれるのか、毎日必死で考えてた。この傷だって、結局、親の気を引きたくて始めたパフォーマンスだよ。構ってくれアピールだな。今思えば恥ずかしいけど」

「あ、でも、分かります。私も多分……」


 多分、彼と同じなのだ。

 彼が、長年の鬱積した気持ちの全てを代弁してくれた気がした。

 今まで私のものだった母が、妻という役割になって他の家庭を持っている。

 それが許せなくて、でも、そう言ったら母が私からもっと離れてしまう気がして、私は自分に気が付いてくれるよう、自殺を仄めかす真似をすることで存在をアピールするしかなかったのだ。

 彼は、優しそうな笑顔になって頷いた。


「君の気持ちは分かるよ。でも、多分、君が意固地になって引き籠る程に、お母さんはどうしていいのか分からなくなって離れていくと思う。うちもそうだったからな。これは俺の経験だけど、お母さんを繋ぎ止めたかったら、敢えて離れて自立した方がいい。自分の居場所は自分で作ればいいんだ」

「自分の居場所……」


 目から鱗とはこの事だった。

 私の目に急に光が差し込んできたかのように、一瞬、周りがパアッと明るくなった気がした。

 そうだ。

 母に依存する必要はどこにもない。

 母が自分の家庭を持ったならば、私は一人で自分の場所を作ればいいのだ。


「高村さんはそうやって乗り越えたんですか?」

「いや、実を言えば、自分で悟りを開いた訳じゃない。兄貴にそう言われてぶん殴られたんだよ。いつまでもママにくっついてんじゃねえって怒鳴られてさ」


 彼は眠った猫みたいに目を細めて笑うと、柔らかそうな茶髪をクシャクシャ掻いた。

 

「俺は兄貴がいたから完全に孤独じゃなかった。もし、一人だったら今でも甘えて引き籠ってたかもしれない。だから、君は一人できっと寂しいよね」

「……うん」


 高村さんは少しの間、コーヒーを啜って目を伏せた。

 私は既に縋るような気持ちになっていた。

 高村さんが『運命の人』でなくてもいい。

 今の私にはこの人の存在が、一縷の希望の光に思われた。

 やがて、彼は私に向き直ると、生真面目な顔でこう言った。

 

「君、あ、間宮さんだっけ? 同じ境遇だった二人が偶然こんな出会いするなんて、何かの縁だと思わない?」

「は、はい」

「これも神の思し召しならさ、俺達、付き合ってもいいよな?」

「はい!?」


 私のひっくり返った声に、彼は顔をクシャクシャにして笑った。

 

「取り合えずは友達から、一週間お試しでどう? 返品は可能だからさ」


 

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