7話
ーーー二年後
「ユラ、これ頼むよ」
「はーい」
頼まれた皿二つを盆にのせ、お客のもとへ持って行く。今はまだ朝だから仕事がてら朝食を摂りにくる人が多い。
私が義母にはめられて、黒装束のクラスメートに助けられ。あの出来事から早くも二年が経過した。
18歳になった私は宿屋兼食堂を経営しているこの家の娘として手伝いをして、他には週に三日教師として私も通った学校で働くという生活を送っている。
「この家の娘」というように、私は晴れてあの女と縁を切り、この家の経営者の夫婦と養子縁組みをしてもらった。後継者に困っていたわけでもなんでもないのに私を引き取ってくれたのは、すべて公爵様さまのおかげだ。
というのも、これが私の公爵様に頼んだ「お願い」のひとつだ。公爵様に斡旋して頂いた夫婦もとい現両親は、血のつながりのない私でも気兼ねすることなく接してくれる良い方たちで、公爵様とは父の方が以前隠密に所属していたときの縁だという。
私には兄弟ができた。
兄が二人と、女の子が一人。
同い年の女の子とは同じ学校の同じ教室で過ごしていたにも関わらず、まったくもって接点のない関係だった。それなのに、私が突然家にやってきて「これから家族になる」なんてむちゃな紹介をされても、
「女の子の兄弟って憧れてたの!あらためて、これからよろしくね」
といって握手を求めてくれるとっても優しい子だった。お兄さん二人も、本当の妹とわけ隔てなく仲良くしてくれた。詳しくは知らないけど、どちらも時間のあるときは公爵様の隠密に協力したりしているらしい。
私は今まで人と関わりを持とうとしなかったこれまでの人生を心底後悔した。
世の中にはいい人がいっぱいいるのに。
二年前、公爵様の家を出発したその足で私は学校へ登校した。憲兵さんの馬で、いつもと違う立派な白のワンピースで、髪も結んでない、私が誰かもわかってもらえるかわからない格好だったけど、意を決して教室に入った。
教室内にいた人たちの視線が一気に刺さって、空気が止まった気がした。動けずに固まっていると、女の子たちのグループがわっと寄って来て、口々に、
「お母さんに貴族に売られたってほんと!?来て大丈夫なの!?」とか「助けてもらってよかったね!」とか言ってくれて、目元がじんわり滲むのがわかった。
なんだかんだでいろいろ緊張してたんだろうけど、私だってわかってもらえたとか、心配してもらえてたとか、帰ってこれてよかったとか、今まででいちばん心に沁みた。でも終始頭の中から「中年貴族きもかった」っていうのだけは思いついたそのときから全然消えてくれなかった。こんなときまで居座るなっつーの!
こうしてみんなに話が伝わっているのも、公爵様のおかげだ。もうひとつの「お願い」を叶えてくれたのだろう。
私は「義母を悪者にした噂を流すこと」を公爵様に頼んだ。
おかげで、そこまで大きくないこの町でこの噂は大きな影響をもたらし、元の家には憲兵たちが事情を聞きに押しかけているという。先日捕まったばかりの疑惑の貴族と縁談を持ったということは、この貴族と協力関係にある可能性があるという判断かららしい。
私としてはどうせならこじつけでもなんでも一度捕まって、もう一生出てこなければいいのにと思うほどなのだが、別に捕まらなくてもここまで話が大きくなれば十分だ。この町でここまで話が浸透していれば、なんのわだかまりもなく、これからこの町で生活していくことはほぼ不可能だ。まあ伝手はそれなりにあるだろうから、そのうち姿も見えなくなるだろう。
隠密のみんなとは別館を出発したあの日以来、二年間一度も会っていない。ハルトも私が学校に復帰したときには既に退学していた。理由は「家の事情」。いちばん平民が首を突っ込みたくない理由だ。さすが公爵様。
私は新しい生活を始めるようになってからは、よりいろんなことに今まで以上に一生懸命取り組むようになった。学校の勉強もだけれど、例えば友達。例えば家の手伝い。
そうして翌年の春に無事に卒業した。
16歳が最高学年のこの学校は、次代の教師を卒業生から数人選ぶ。卒業するとき成績の良かった私はそれに選ばれ、週3日の非常勤で働いている。
毎日通わないのは家の手伝いをするためだ。
二年間、返しきれないほどのご恩と愛を頂いた。それを私にできることで返したいのだ。
こうして、私の日々は前は予想もつかなかったほどに充実したものとなっている。
ーーそんな日々の変化は、唐突に訪れた。
****************
「ユラ、ちょっと買い出しに行ってきてくんないか?今日、お客の中に誕生日の子供がいるらしくてさ。宿側からのサプライズでケーキ用意しようかって話になってるんだ」
学校から帰ると、上の兄に突然買い出しを頼まれた。私が学校で働いた日は「疲れてるだろうから」といって、店を手伝わなくていいように言われているのだが、家族のほうからこういう頼みごとをされるのは初めてかもしれない。
「学校終わりで疲れてるのに悪いな」
「いや、それは別に大丈夫なんだけど。でも今から?もう夕食の時間まで全然残ってないけど」
「誕生日だってことわかったのがついさっきなんだ。だから時間は食後までに伸ばしてなんとかするよ。 とりあえず今はこれを頼む」といって手早く店の制服に着替えた私にメモをもたせてきた。
ーーという会話を経て、無事にメモの買い物を済ましたまではいいのだが……。
ぬかった。
少しでも急ごうと脇道に逸れたのがまずかったのだろうか。こういう仕事をしている人にとっては脇道は公道、常識だ。
半袖から伸びる私の腕。をつかむ、余すところなく真っ黒の彼の手。
幻覚だと思い込んでいいかな。
整った顔立ちは相変わらずだけど、怒った顔は壮絶に怖い。黒髪が揺れて、藍色の目にかかった。目線が少し高くなった気がする。
よくもまあこの一瞬で私だと判断して腕を伸ばせたものだ。しかも例のごとく黒装束。完全に仕事中ではないか。
とりあえず捕まれた腕が痛い。引っ張ってみるが、抜けない。
「なんで逃げる?逃げなきゃいけない理由でもあるのか?」
二年ぶりの声色。
ちょっといらいらしてる。
「私、急いでるんでー…」
また引っぱる。やはり抜けない。
「俺の質問より大事な用事とは何だ?」
「じゃ、じゃあそちらはお仕事中でしょう!?早く行った方がいいのでは!?」
「悪いが帰り道だ。全く問題ない」
口調も声もつめたい。二年ぶりなのにすごい威圧感だ。目って語るよなあ。
とりあえず急いでるのは口実でもなんでもないので釈明する。
「……お店のお客さんのお子さんが、今日誕生日なんです。ケーキを作ってあげないといけ」
「敬語」
くっ…こんな時まで細かいっ……
「だからケーキ作ってあげなきゃないの!今すぐ帰らないと食堂閉まっちゃうの!」
手を離す様子はない。仕方ないので引きずってでも行こうとすると、大人しくついてきたのでそのままにしといた。
近道をするために脇道に入ったのだから家はもうすぐだ。
「待ってたぞ!あとはトッピングだけだ」
裏口から入ると、待ってましたとばかりに私の買ってきたものをバッと取ってそのまま奥にいってしまった。私の後ろについてきた真っ黒いのにも絶対気づいてたはずなのに、驚きのスルースキル。感服します。
ふと、後ろからため息が聞こえた。
「なんだ、ユラがつくるんじゃないのか…」
なんだか知らないが、少し落胆しているようだった。
「作るわけないでしょ。私はホールスタッフよ、服見てわかんないの?この服、意外と人気あるんだからー」
今の私の服は黒のワンピースに白エプロン。袖は半袖でスカート丈は太ももほど。この服、シンプルなかわいさで意外とお客さんに人気なのだ。主に女の子に。おかげでアルバイトに事欠くことはない。スカートの裾を手で持ってポーズをとって見せたりしてみる。
さらにこの服を着れる特権という謎の自信をもって胸をそらしてみると、ハルトに脚を捕まれた。具体的に言うと太もも。突然の感触にびっくりしてとっさに逃げようとしたが、体を引こうとしたらしゃがまれた。反則だ!
「な、なにしてんの!?変態なの!?立ってよ、ちょっと!」
「人気なのは服だって?本当に?実はこの脚じゃないのか、人気なのは」
「な、なにいってんのよ人気なのは女の子によ!あんたの考えと一緒にしないで!」
叫びながら手ではたくと、今度こそ避けられる。くっそうう。