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第2話 効率と信頼

 串を買った少年が一人、依頼書の束を見上げていた。やせ細った腕で、さっきの犬に串の肉を与えながら、かばうように抱きかかえている。


 ……橋下から来た子どもだな。子どもの顔には、もうすっかり諦めの色が落ちていた。もうずいぶん誰かに声をかけては断られる、その繰り返しだったのだろう。そう、俺には関係のないことだ。


 ――しかし。

「報酬次第だ」


 声をかけてやると、この子どもの肩がわずかに跳ねた。

「断っておくが、同情や信用なんざ役に立たない。腹の足しにもならん」


 俺の問いには答えてこない。代わりに犬の背を撫でる手だけが、かすかに震えていた。

 子どもの視線は、暗く、沈んでいる。腹に抱えている本音は、余程のことなのか。


「お金なんて……」

 犬の耳がぴくりと動いた。ソレに呼応するかのように、子どもが顔を上げる。

 その目には怒りでも哀願のような眼差しでもなく――ただ、値踏みするような光が宿っていた。


 俺は歯を見せながら同時に、目を配らせる。掲示板に張られた依頼書の紙片が、風に揺れていた。

 そこに書かれているのは――犬の処分。理由は無用故、ただそれだけ。


「ふーん……特筆なし、か。確かに、きな臭いかも知れんな」


「じ、実は……」


 俺は言葉を遮る様に、手をかざしながら答えた。

「信用できるのは、これだけだ」


 俺は指先で金貨を弾き、見せびらかすように掲げる。乾いた音が、静かな路地に響いた。

「金貨の音が一番安心する。人間の言葉より……よっぽどな」


「……でも、それを得るためには……危険なことを、するんでしょ?」

 間髪入れずに続けた子どもの声は細く、震えていた。その震えが、犬の背にまで伝わっているのが理解できた。


 子どもは犬を抱きしめたまま、うつむく。

 その目の奥に、言葉にできない悲しみと憎しみが入り混じっているのが見える。


「……飼い犬か?」

 子どもが小さくうなずく。声にはならないが、唇が訴えている……助けて、と。犬もまた、声を出さずに俺を見ていた。


「あなたが……アルデリオ=シグマ……さん?」


 子どもから不意に出たその言葉は、俺の動きを一瞬止めて虚空を睨みつけさせるには十分だった。

 ほら……こんな橋下のガキでも俺を知っている。


 ◇◆◇


 瞼の奥――過去の自分の眼前に、赤黒い残像が広がる。爆炎、崩れた陣形、血を吐いて倒れる仲間。

 あの夜、俺が戦った結果、残ったのは血と絶叫、そして『ガランの生き残り』という汚名だけだった。


「アルデリオ! 伏せろ、罠だ――!」


 その声を聞いた瞬間、爆炎がすべてを呑み込んだ。耳が割れ、光が消え、世界がひっくり返った。


 ◇◆◇


「……ついてこい。話だけは聞いてやる」


 俺は不安や焦燥を握りつぶす様に、いや、気取られない様に歩き出した。たといそれが、精一杯の痩せ我慢だったとしても。


 これは却って都合の良い話かも、知れないんだ。

 精査してからにはなるが、この依頼はオルビス内部への潜入の糸口になるんじゃないか?

 そして、あの夜の真実に辿り着くための、近道に。


 俺はかねてから真実を知るために、オルビスの中枢に辿り着くことが出来ればなんて夢見ていた。だが……あの組織のシステム上、金と位階という確固たる手土産を受け取るのが最低条件だ。

 そのためならば利用できるものは、すべて利用する。この犬も、このガキも――例外じゃない。


 俺は無言のまま、ガキと犬を引き連れて路地を後にした。犬の足取りは重く、ガキの肩越しに小さな影が伸びていく。


 暗がりに腰かけた白髪交じりの老人が、じっとこちらを見ている。

 ――覚えている……。


 たしかこの前の依頼で、助けてやった爺さんか。そんなことを考えていた矢先、老人が微かで、小さな声を出したのを、俺は聞き逃すことが出来なかった。


「人を――信じるってのはな……。捨てたもんじゃねえからな」


 その一言だけで、老人は顔も見せずに暗闇へと消える。俺はピクリと肩を跳ねさせ、いつの間にか握りしめていた拳の血の匂いを確かめるように指先を舐めた。ふっと眉をひそめて鼻先で軽く笑い、内心で呟いた。


 ――信じる?……は、笑わせんな……!

「信じた結果が、()()なんだろうがッ!」


 一秒前まで予期もしていなかった怒りが、現実の声として喉を突き破る。

「……ち」


 馬鹿馬鹿しい、何を卑屈になってやがる……アルデリオ。振り返りもせず、ガキの肩を軽く叩いて前へ押しやる。

 犬は低く唸り、俺の足音を追って静かに歩を合わせる。路地の出口に向かって影が伸びていく中、あの声だけがまだ背後で揺れていた。


 ――捨てたもんじゃねぇ、か。俺は、その言葉の真意を図りかねていた。信じるかどうか何て、そんな下らないことが大切なワケねぇだろう。


 そうさ……あの赤黒い爆炎の戦場から……俺の人生は一変した。人生の価値は、金貨の多寡で決まるんだ。物質にしか値打ちはなく、信頼なんて非効率極まりない。利用する人間と、利用される人間。どちらを目指した方が良いかなんて、明白だ……。


「――で? 結局どうしたいって……?」

 

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