第1話 ハンド・オブ・オーダー
「いつもの、串一つ頼む」
太陽の灯りに照らされた壁の標語が、ひび割れた塗料で俺のことを見下ろしている。
――秩序こそ、自由より尊し。
オルビス評議会の決まり文句だ。この街では、どこの施設にも必ず貼られてやがる。通称、ハンド・オブ・オーダー……秩序の手ほどき。
そんな標語の前を通り過ぎる人々の動きは、誰の目から見ても分かるくらいに薄暗かった。
誰も彼もが互いの顔を見合わせることもなく、ただ無言で前を向き足早に通り過ぎていく。
標語の横に鎮座する掲示板には、ろくな仕事なんかない。舌打ちしながら腹の音を聞く。今日の稼ぎはゼロ、夜を越すための寝床代すら痛ましい。
俺は市場の片隅にある、いつも串焼きとスープを売っている屋台で飯の注文していた。
「あいよ、お待たせっ」
銅貨五枚を渡す。串を頼めば、スープが一杯ついてくる。
受け取った串を一瞥しただけで、俺はかじりもせずに屋台の裏路地へ向かった。そこには大体、腹をすかせた浮浪児が数人たむろしているからだ。
「一本、四枚だ。要るか?」
少年のひとりが目を輝かせて差し出す。銅貨四枚。俺は串を放り投げ、代わりに小銭を受け取った。
(串は資産に、スープは利益となる……単に肉を食うやつは馬鹿だな)
余った一枚で、近くの露店から黒パンを買う。
結果、俺の手元には熱いスープと硬いパン、さらに銅貨一枚が残っていた。
――今日も、勝ちだ。
路地に腰を下ろし、スープを啜りながらパンをちぎる。俺の碗には黄金色の脂が浮かび上がり、胃をじんわりと温めていく。
「人生なんて結局は算盤の弾き方次第だからな」
銀徽章の連中は、正価を払って肉を頬張り、スープも飲み干せる。
俺は逆に、肉を捨ててスープを手元に残す。惨めながら、肉の幻影を食うのも、慣れたもんさ。そんな思案をしていると、背中にたどたどしい気配を感じた。
「なんだい? その不格好な鉄屑は? 柄ばかりが無駄に長く、刃に重心が偏りすぎてやしないか。コケ脅しには便利そうだが、実戦的じゃないぜ?」
俺の食事の邪魔をするかのように、若い兵士が嘲笑いながら、威嚇するように自身の鞘の先端で、俺の剣の柄尻を小突こうとした。
「……」
俺はスープの碗を持ったまま、柄に添えていた左手の親指を、ほんの数ミリだけ押し込んだ。
カァンッ!
乾いた音が俺の耳に響く。
「痛ッ!?」
「……貴様、今何をした! 」
若い兵士が激昂し、剣の柄に手をかけた瞬間。
「やめろ、馬鹿野郎!!」
ずっと黙っていた顔に傷のある古参風の兵士が、血相を変えて若手の腕を掴み、強引に引き下がらせた。
「先輩!? なぜ止めるんですか、こんなガラ――」
「静かにしろ。いいか、あの剣を持つ者には手を出すな……」
「剣?」
若手がいぶかしげに俺の腰の長柄を見下ろしている。 だが古参は額に冷や汗をにじませ、俺には、剣から目を離さないまま、恐怖に引き攣った顔をしていたように見えた。
「……あんた、どこかで会ったことあったか?」
俺は古参風の兵士に向かって友好的に声をかけた。まぁ、あっちがどう受け取ったかは分からないが。
「あ、いや、俺は」
沈黙。得も言われぬ時間がほんの数秒流れた。
「……行くぞ。俺たちの管轄外だ」
古参の兵士は逃げるように若手を促し、足早に路地の奥へと消えていった。
「……ふん」
俺は鼻を鳴らしながら冷めたスープを飲み干し、評判の悪い相棒のことを撫でた。
「……あれが、ガランの生き残りかよ」
鼻白むような一縷の温かみもない笑い声が、路地裏に残った。
栄光から転げ落ちた、底辺の傭兵。あいつらにとって今の俺はそんな評価、なんだろう。血の匂いのついた剣を持つ、使い捨ての人間。
ああいう俺を良く知らない若い手合いにとって、俺みたいな人間は便利な汚れ役でしかない。
そのとき、視界をオルビスの制服がかすめた。銀の徽章が胸に光る。銀、か。位階持ちとは言えないが、こんな街では権力の象徴だ。
ちょっと路地を抜けると、同じ街なのに空気が変わる。市場の通りには陽の光が降り注ぎ、果物は鮮やかに笑っている。
銅徽章の労働者は黙々と荷を運び、銀徽章の客にだけ丁寧に品を勧める。
胸の色が違えば、扱いも違う。銀は見下ろす側、銅は見下される側、そして徽章なしは……歩道の隅で物として数えられるだけだ。
――それが、オルビス評議会のお膝下の街、ここニューカイロスでの日常。
市場を抜け、錆びた鉄骨の橋桁下へ降りるとそこは別世界だ。
寂れた市街には、腐れた布切れが散乱し、夜露に濡れた敷物は滑るように輝く。奴らは表立って言わねえが、ここに住む連中を蔑んでいるのは知っている。
銅徽章すらない奴らは、生きるだけで余計なコストがかかる厄介者と判断してやがる。
兵士は一瞬、俺を見た。いや、確認して即座に視線を逸らした。眉間に浅い皺に吊り上がった口元。呼吸を止めるような、冷たい間。
そして、すれ違いざまに肩を引く。およそ、汚れに触れたくないとでも言いたげに。その仕草ひとつで分かる。
俺の噂は、もうずっと前から……街中に染みついている。
――ガラン部隊の生き残り。
――すると、標語の横、掲示板の前。
お疲れ様です、作者のふーじ。です。
「刻限のセレスティア」第一話をお読みいただき、本当にありがとうございます!
本当は長いタイトルよりも以前に考えていたタイトルが「刻限のセレスティア」なのです。
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