― 死んだらどうなるの? ―
夕暮れだった。
空は紫とオレンジが混ざりあい、世界が少しずつ夜に溶けていく時間。
女の子と猫は、小高い丘の上に座っていた。
遠くには町の灯りが、ぽつぽつと星みたいに輝いている。
旅も、もう終わりに近づいていた。
女の子は静かに言った。
「ねえ、猫さん」
「なあに?」
「死んだらどうなるの?」
猫はすぐには答えなかった。
風が草を揺らす音だけが、さらさらと流れる。
「難しい質問だね」
「うん」
「たぶん、人類かなり長いこと悩んでるやつだ」
「そんなに?」
「だって誰も確実には帰って教えてくれないからね」
「それはそうだね」
女の子は少し笑った。
でも、その目は真剣だった。
「死んだら全部終わりなのかな」
「そう考える人もいるね」
猫は空を見上げた。
「世界にはいろんな説がある」
「たとえば?」
「まず一つ目。天国に行く説」
「天国」
「いいことをした人は天国、悪いことをした人は地獄、みたいな考え方だね」
「わかりやすい」
「うん。でも結構こわい」
「どうして?」
「だって、人間は間違える生き物だから」
女の子は黙った。
「完璧な人なんてほとんどいない」
「うん」
「なのに、最後に二択だけだと苦しくなることもある」
「天国か地獄か」
「そう。やり直しがないって思うとね」
女の子は少し考え込んだ。
「たしかに苦しいかも」
「二つ目は、死んだら無になる説」
「何もない?」
「うん。意識もなくなって、全部終わる」
「……それはちょっと寂しい」
「そう感じる人も多いね」
猫はしっぽをゆらした。
「でもこの考え方には、ある意味自由もある」
「自由?」
「死んだら何も残らないなら、“今をどう生きるか”に集中できるから」
「なるほど」
「ただし、時々ね」
猫は少しだけ真面目な声になる。
「何も残らないなら、何をしても同じだって極端に考える人もいる」
「……」
「そうなると、自分を成長させる方向を見失うこともあるかもしれない」
女の子は小さくうなずいた。
「三つ目は?」
「生まれ変わる説」
猫はにこっと笑った。
「これは結構いろいろ派生が多い」
「派生?」
「今世でよい行いをしたら、次はよりよい環境に生まれるとか」
「うん」
「逆に悪いことをしたら、苦しい環境になるとか」
「なんだかテストみたい」
「まあ人生を長期スパンで見る感じかな」
女の子は空を見上げた。
「でも、それだと苦しい環境の人は前世で悪いことしたみたいに聞こえる」
「そこは単純じゃない」
猫は静かに言った。
「そうじゃない考え方もある」
「え?」
「高い精神性を持つ存在が、あえて苦しみの中に生まれるという考え方」
「わざと?」
「うん」
「なんで?」
「苦しみを知り、乗り越える姿そのものが誰かの希望になるから」
女の子は目を丸くした。
「そんな生き方もあるんだ」
「あるんだよ」
猫は空の一番星を見つめた。
「だから、苦しい場所にいるからって、その人の価値が低いわけじゃない」
「……」
「むしろ、とても難しい課題に挑戦してるのかもしれない」
女の子は胸に手を当てた。
今までの自分の痛みや悲しみが、少しだけ違うものに見えた。
「じゃあ結局、どれが本当なの?」
猫は少しだけ笑った。
「それは誰にもわからない」
「ええ」
「残念ながらね」
「じゃあ考えても意味ない?」
「いや、意味はあるよ」
猫はまっすぐ女の子を見た。
「大事なのは“どれが絶対に正しいか”よりも」
「うん」
「どの考え方が、自分をよりよく生きさせてくれるかなんだ」
女の子は息を止めた。
「よりよく生きさせる?」
「そう」
「どういうこと?」
「たとえば」
猫は指先で地面に丸を描いた。
「死後があると思うことで、人に優しくなれるなら、それは意味がある」
「うん」
「死後がないと思うことで、“今この瞬間を大切にしよう”と思えるなら、それも意味がある」
「なるほど」
「生まれ変わりを信じることで、今の人生を丁寧に生きようと思えるなら、それもいい」
女の子は静かに聞いていた。
「つまり」
猫は立ち上がった。
「死後そのものより、今の生き方のほうがずっと大事なんだ」
「今の生き方」
「うん」
「今をどう生きるかで、自分の人生は変わる」
「……」
「そして、死の意味も変わる」
女の子は少しだけこわごわ聞いた。
「死って、やっぱり怖いよ」
「そりゃそうだ」
猫はあっさり言った。
「未知だし、大切なものを失う感じがするしね」
「うん」
「でも」
猫はやわらかく続けた。
「よりよく生きた先には、よりよい死が待ってるんじゃないかな」
「よりよい死」
「うん」
「いい人生だったな」
「……」
「ちゃんと生きたな」
「……」
「ありがとうって思いながら終われるなら」
猫は空を見上げる。
「それは案外、悪くない終わり方だと思う」
女の子の目に、少し涙が浮かんだ。
「死ぬのが怖くなくなるかな」
「完全にはなくならないかもね」
「そっか」
「でも」
猫はにっこり笑った。
「怖いからこそ、生きる時間が大切になる」
風が吹く。
草が揺れる。
夜空に星が増えていく。
「生きるって、死ぬまでの暇つぶしじゃないんだね」
「ずいぶん哲学的なこと言うね」
「旅してきたから」
「それは失礼しました」
女の子は笑った。
少しだけ泣きそうな笑顔だった。
「ねえ、猫さん」
「なあに?」
「この旅、終わっちゃうの?」
猫は少しだけ考えた。
「終わるというより」
「うん」
「ここからは君が一人で歩く番かな」
「一人」
「でも、一人じゃないよ」
「どっち?」
「難しいね」
猫は笑った。
「思い出も経験も、出会ったもの全部が君の中に残るから」
「……うん」
「それは消えない財産だ」
女の子は静かにうなずいた。
ここまで歩いてきた道を思い出した。
嫉妬も、不安も、愛も、たくさん悩んだ。
でも全部、自分の一部になっていた。
「ありがとう」
女の子が言う。
「こちらこそ」
猫が答える。
「最後にひとつだけ」
「なに?」
猫は月を見上げて言った。
「死を考えることは、生を深く考えることなんだよ」
女の子は空を見上げた。
満天の星。
どこまでも広い夜。
少し怖くて、でも少しだけ美しい。
「じゃあ私、ちゃんと生きる」
「うん」
「よりよく死ぬために」
猫は満足そうに目を細めた。
「それでいいと思う」
夜風の中、ふたりはしばらく黙って星を見ていた。
やがて女の子が振り向くと――
そこに猫はいなかった。
「……あれ?」
でも、不思議と寂しくなかった。
胸の中に、あたたかなものが残っていたから。
女の子は一人で歩き出した。
まだ知らない明日へ。
いつか訪れる終わりの日まで。
自分らしく生きるために。
おしまい




