表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第四章 元亀争乱編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/72

1 越前へ侵攻



 冬の間は岐阜(ぎふ)にこもり、永禄(えいろく)十三年の年が明けた二月、信長はまた上洛(じょうらく)する。将軍へあいさつをし、二条城(にじょうじょう)建築の進行具合を見物する。



「はっけよーい、のこった!」


 その後は安土(あずち)相撲(すもう)大会だ。名のある相撲取りを呼びよせ勝負を楽しむ。

 三好三人衆が大人しかったおかげで、イベントを(もよお)したり名物の茶器を集めたりもできた。


「この畿内(きない)がここまで平穏(へいおん)になるとは。全て上様の御威光(ごいこう)ですな」

「ふふ、二条城も一通りは完成しそうじゃ。この世はワシによって新しく生まれ変わるであろう」


 新将軍上洛にともない改元(かいげん)も決定された。永禄改め、元亀(げんき)へと元号が変わろうとしている。



 信長に、他国へ攻めこむ余裕ができたのだ。




 しかし後の人間から見たら、攻めこむ必要はあったのだろうか?

 他国を侵略して領土を広げるより、足元の畿内を(かた)めるべきではなかったのか。



 おそらくあったのだ。

 当時の都の状態を見れば。

 権力の頂点、都がある畿内では古来(こらい)から権力争いが続けられてきた。


 もうドロッドロに。


 なぜか? 由緒(ゆいしょ)正しい勢力として寺社があるせいで、武士の勢力がのびなかったのだ。



 その昔、京都に拠点(きょてん)を置いた平氏は貴族化し、東から来る源氏によって(ほろ)ぼされる。

 天下の権力をとった源頼朝と北条氏は拠点を鎌倉に置き続け、武力を保持(ほじ)した。


 しかし室町(むろまち)幕府は京都の室町に御殿(ごてん)を築いたのだ。

 弱体化(じゃくたいか)するのはあっという間だった。


 畿内には将軍家と有力寺社という中規模(きぼ)の権力者が乱立する。武士勢力など小勢(こぜい)ばかり。

 信長はそれらを全部統制(とうせい)しなければ、畿内を平定(へいてい)したとは言えなかった。


 そして、多数の勢力を黙らせるには軍事力を見せつけるしかない。

 それには多くの小勢を一つ一つたたくより、大勢力を一つつぶす方が効率は良かった。



 本来であれば攻めるべきは三好三人衆だ。


(しかし奴らの拠点は四国。遠いわ)


 岐阜からは遠く海を渡らなければならないのはリスクが大きすぎる。



 信長はもっと近くに敵を作ることにした。



 正月、信長は全国の大名に上洛を要請(ようせい)していた。

 まあ遠くの大名が直接来ないことは念頭(ねんとう)に入れて。


 大名たちの反応としては本人が上洛したり使者だけですませたり無反応だったりと色々。

 で、無反応組の中で一番攻めやすそうな位置にいたのが越前(えちぜん)の朝倉氏である。



(予想通りじゃ)


 信長も朝倉は来ないと思っていた。


 なぜか。答え、朝倉は最近まで将軍を擁立(ようりつ)していた立場だから。

 信長の将軍を連れての上洛は目からウロコだっただろう。

 損得(そんとく)で考えれば、軍を率いての上洛など正気の沙汰(さた)ではない。

 六角(ろっかく)や三好の様に、拠点が京の近くではないのだ。


 しかし信長は行った。

 天下を()るためには、名実(めいじつ)両方必要なのだ。

 多額(たがく)出費(しゅっぴ)を覚悟してでも信長は畿内平定と言う『名』を(ほっ)した。


 その効果をまざまざと見せつけられた朝倉家は、後悔するがもう遅い。

 つまり、信長の上洛によって1番プライドを傷つけられたのが朝倉家なのだ。


 さらにプラスして、織田家の出自(しゅつじ)は越前の国の神官である。

 朝倉家としては自家(じけ)よりも格下(かくした)に見ていた。頭など下げるわけない。



 そして朝倉の治める越前の国は信長が攻めるのにちょうど良い場所だった。



 越前とは信長の領土である美濃(みの)と国境を接している。同盟関係もないので気兼(きが)ねしなくて()むし、(たお)せば目立つ大勢力だし。


 そして朝倉家は猛将(もうしょう)の朝倉宗滴(そうてき)が亡くなった後、特に天才武将の情報を聞かない。

 代わりに伝わるのは内部分裂のうわさ。

 大きなカモがネギと白菜と白滝(しらたき)をしょって(なべ)まで引きずっていた。




(浅井と組めば簡単に倒せる)


 信長は美人で自慢(じまん)の妹を浅井長政に(とつ)がせていた。

 長政は軍才(ぐんさい)にあふれた青年で、父親から家督(かとく)を奪い六角氏の支配を(だっ)し東近江(おうみ)に勢力を広げている。

 気の強さも信長は気に入っていた。


「我らは琵琶湖の西から若狭(わかさ)に入り越前を攻める。そちはぜひ南から朝倉をたたいてくれ」

「承知いたした」


 書状(しょじょう)で作戦を確認する。

 朝倉の勢力はいまだ大きいが、はさみうちには()えられまい。


 出陣(しゅつじん)の理由づけは若狭の武藤氏成敗(せいばい)だ。三万の軍勢を率いて都から北上(ほくじょう)する。

 若狭の武藤氏は大軍にすぐ降伏(こうふく)した。

 その後朝倉に言いがかりをつけて、進軍の向きを変える。

 若狭からすぐ敦賀(つるが)に向かい手筒山(てづつやま)金ケ崎城(かながさきじょう)を立て続けに落とした。



 そう、ここまでは本当に順調(じゅんちょう)だったのだ。


 まさか浅井長政が裏切(うらぎ)るとは。


 力による支配を嫌う方もいるでしょうが、小勢力が小競り合いしまくっている場合は有効なのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ