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レティシア・ノーズフィーリアは平凡でいたい  作者: 睦月始
第三章:かつて、少女が少女だったころ
12/27

1

 

 ―――ふ、とレティシアは目を覚ました。

 朝日に透けて、埃が雪のように舞っている。微かな陽の匂いと、古びた本の匂いが鼻を掠めた。

 むくり、と起き上がる。そこはいつもと同じ、何の変哲もない狭い部屋だった。自身が寝ていたベッドと呼ぶにはかなり貧相な寝床しかない、誰もいない部屋。

 カーテンのない窓から差し込む陽光が、ひび割れた床をほんのり照らしている。しんとした、埃の舞う音すら響きそうな静寂が部屋を支配していた。


 二、三度瞬いて、まだ半分寝ぼけた頭で現実を理解する―――なんだか随分、優しい夢を見ていたような気がした。

 娼館を出て、早一ケ月。ここは、レティシアが住まいと定めた主を失くした元古書店だ。元々いた店主は老衰の果てに神の元へ旅立ってしまい、後を継ぐ者もおらず、かと言って取り壊したりするには金が掛かる。持て余したそれを管理してくれるなら、と無償で貸し出してもらった。

 整備の甘い北区で、様々な―――例えば川の水を綺麗にしてほしいだとか、壊れた荷車を直してほしいだとか、はたまた病床の母を何とかしてほしいだとか―――依頼をこなし、一人でも生活できる確信がようやっとできたところだ。


 ―――そう、レティシアは今、()()()だ。


 優しかった母は死んだ。母がいないのならば、娼館は自身がいるべき場所でもない。幸か不幸か、レティシアには一人でも生きていける魔術(ちから)がある。

 だから、この道を選んだのだ。


 そこまで考えて、レティシアは改めて部屋を見る―――そう、ここが、自分のすべてだ。


「……そろそろまた綺麗にした方が、いいかなぁ」


 小さく呟いて、レティシアは簡素なベッドから降りた。

 寝間着代わりのくたびれたワンピースから、似たような色の質素なワンピースに着替える。適当に髪をくしけずり、報酬とは別に礼だと貰った紺色の細いリボンで一つにくくった。


 今日も今日とて、町へ出て用聞きをし本日の食事を確保せねばならない。

 食材があったところでそれをどうこう出来る場所がないので、その日の食事は都度調達する必要があった。

 無駄な感傷に浸っている暇など、レティシアにはない。


 ―――ひとりで生きて往く、というのはそういうことだ。


 身支度を済ませたレティシアは、小さなその部屋から出て古書店の出入り口へと向かい、軋む扉を開けて町へと繰り出した。



 *    *    *



 ふと目を開けると、羊皮紙が乱雑に散らばった綺麗な床が目に入った。

 寝苦しい夜に耐え切れず、夜中に開けた窓から涼やかな風が入り込んできている。机の上に置いておいたはずが、その風に負けて床へ散らばったらしかった。

 起き上がってくあああ、とあくびを一つ。何か妙な音がするなと目をやれば、なぜかリオネルが床に転がってぐーすか寝ていた。この黒竜は威厳というものを一体どこに置いてきたのだろうか。

 くすりと小さく笑うと、寝ているリオネルはそのままに散らばった紙をかき集め、窓を閉めた。時計を見ると朝食の時間には少々早い。ゆっくり支度して丁度いいくらいだろう。


 随分と懐かしい夢を見たなぁ、とレティシアは思う。リオネルに会う一年程前、まだ母を亡くしたばかりの頃の記憶。今頃そんな夢を見た理由が、レティシアには見当たらなかった―――或いは、何かの戒めだろうか。


 あの頃のレティシアは、そんな季節でもないのにずっと寒いような、光の無い洞窟にでもいるような感覚を持て余していた。その"感覚"は"感情"であることも、その名前も、レティシアは知らなかった。

 その感情の名を、教えてもらうまでは。


「んんぅあ…………あ?」


 素っ頓狂な声がして、レティシアは耽っていた思考から浮上した。亀のようにひっくり返ってじたばたしているリオネルを持ち上げて、おはよう、と挨拶する。黒竜はぱたぱたと数回翼を動かした後いい朝だな!と元気よく返事した。

 抱えたリオネルを机の上に降ろしてやり、レティシアは身支度を始める。だいぶ着慣れた王立学院の制服に袖を通す―――すっかり暑い季節になった今、ケープからはほっそりとした白い腕が伸びていた。


 レティシアが王立学院に来て、早くも四つの月が過ぎ去ろうとしていた。麗らかだった空気は最近、ゆであがりそうな程の熱気を宿しつつある。この時期、王都はこの国で一、二を争う程毎年暑い。だいぶ汗ばむ陽気だが、今はまだ序の口でこれからもっと暑くなる。

 唯一の救いは、暑くなり始めるのが早い分それが過ぎるのも早いところだろうか。月を二つ過ぎれば、雪が降るまではとても過ごしやすくなる。


 ちなみに、ドレスを着ていても過ごしやすいその時期になると王都では社交シーズンになる。国中の貴族たちが王都に集結し連夜あちこちで宴が開かれるが、伯爵相当の地位を持つ国家魔術師と言えど領地のないレティシアには無縁の話だ。


 鏡の前で胸元のリボンを結んでいると、リオネルが口に咥えたリボンで器用に髪を結ってくれた。レティシアは不器用ではないはずだが、どうにも髪を結ぶのが苦手だった。

 古書店で一人過ごしていた頃は、その日最初の依頼主が毎回直してくれていた。まっすぐ結んだはずが、動いている内になぜか曲がってしまうらしかった。


「ありがとう、リオネル」

「おうよ!さてさて、今日の朝飯は何かな~」


 ご機嫌に歌い出しそうなリオネルと共に部屋を出ると、殆ど同時に隣の部屋の扉も開いた。

 廊下の窓から差し込む朝日より眩しいウィリアスタが、レティシアを認めて輝かしい笑顔を向けてきた。


「おはよう、レティ。いい朝だね」

「……おはよう、ウィル」


 眩しすぎて目が潰れそう、と内心思ったがそれだけに留めた。相変わらずこの王子様は煌びやかだ。

 その後すぐ、今度はアレクセイの部屋の扉が開いた。都合よく三人連れ立って食堂へ赴き、朝食を頼んだところで―――レティシアは食べる気がしなかったのでお茶だけにしようとしたがウィリアスタに阻止された―――レティシアはウィリアスタから思いがけないことを耳にした。


「校外学習?」

「そう。あれ、レティ……入学要項に書いてあったはずだけど。ちゃんと読んだの?」

「うっ……読んだような、読んでないような………」

「読んでないぞ。ご主人ってば行きたくなさすぎて渡された書類放り投げて放置してた」

「こ、こら、リオネル!」

「まったく、君って子は……まあ、いいとしよう。毎年夏期休暇前に校外学習がある。主に魔術、乗馬、剣術、狩りと言った実技面での総まとめと言ったところだ。王立学院所有の寄宿舎に現地集合して、七日間程そこに滞在し、授業を行う」


 もぐもぐとパンを頬張りながら暴露したリオネルに、レティシアは狼狽えた。ちらりとウィリアスタを伺うと、呆れた視線を向けられながらも水に流す事にしたのか説明を続けた。


「去年も行ったが、山間で涼しかったのは良かったが授業内容はそこそこハードだったなぁ」

「朝は早く夜も遅い。のほほんと育てられた貴族の子供たちへの鞭も兼ねているというわけだ」

「へぇ……意外」


 王立学院に通う生徒たちは、階級の高低はあれど全員貴族の子女たちだ。親に甘やかされ育った者もいるため、そういった子供たちにそれ相応の教育をすることもこの学院の目的の一つだった。将来、国政の一端を担うかもしれない者が甘ったれでは困るからだ。


「校外学習最終日の夜はささやかな夜会が開かれる。これを楽しみに頑張る奴も多い。ご褒美だから無礼講、好きに飲んで食べて踊って良し。今年は最終学年だから酒も出る。要するに飴だな」

「ドレスではなく全員制服での参加だけどね。そこはまあ学院の行事だから」


 フェストール王国では十七を過ぎれば酒が飲める。故に最終学年では酒が出るのだろう。

 二人の説明にふうんと返しながら持て余したパンをフォークで突いていると、見かねたウィリアスタが食べてくれた。君はもう少し食べる努力をしなさい、とお説教付きだったが。ふにふにと二の腕を摘むのはやめてほしい。レティシアとしてはそんなに心配されるような痩せ具合ではないつもりなのだが、ウィリアスタは昔から何かしらと食べさせようとしてくる。

 二人の戯れを無言で眺めていたアレクセイが、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「夜会はだれと踊ってもいいことになっているからな。毎年ウィルは長蛇の列だぞ―――まあ誰とも踊らないんだが」

「一人と踊ったら全員と踊らないといけないだろう。そんな体力はない」

「別にそんなこともないと思うけど……王太子というのは大変だねぇ」

「俺としてはお前がどうして揉め事起こさないか、不思議だよ」


 アレクセイのことだ、器用にうまく立ち回っているのだろう。ウィリアスタは品行方正の表面(猫かぶり)があるから、なかなかそうもいかないようだ。

 校外学習について反芻していたレティシアは、はた、と気が付く。

 ―――記憶が正しければ、先程ウィリアスタは「乗馬」と言わなかっただろうか。


「ウィル。…………さっき、乗馬って言っていた?」

「言ったね」


 にっこりときらきらした笑顔を向けられて、レティシアはいらっとした。この顔は絶対分かっている―――というか、ウィリアスタが知らない訳がない。


「……(リオネル)じゃだめ?」

「ダメに決まっているだろう」


 そんな聞き分けのない子供でも見るような目で見ないでほしい。


 この国では、貴族は男女共に乗馬は必須項目だ。その技量が高ければ高い程、貴族としての能力が高いと見做される。

 当然、王立学院に通う生徒たちは多少なりとも馬に乗れるものだ。


 レティシアは元々、出自が貴族ではない。が、アレクセイの父に拾われた後、彼の元で魔術だけではなく様々な教育を受けさせられた。優秀な頭脳はそれらを容易に吸収していったのだが、その中で唯一苦手―――というか、結局物にできなかったものがある。


 それが、乗馬だ。


 レティシアは運動神経が無い訳ではない。むしろ剣術や体術はそこそこ腕が立つくらい身軽な方だ。だがどうしても、乗馬だけは出来るようにならなかった。

 レティシアの高過ぎる魔力に、大抵の動物は恐れをなしてしまい動かなくなってしまうからだ。これだけは、どう試行錯誤してもどうしようもなかった。


()()()()()()()、俺の前に乗る?」

「……勘弁して」


 ウィリアスタの冗談と現実の厳しさに、レティシアは頭を抱えた。

 すぐそこで呑気に林檎を丸かじりしているリオネルに、馬になってと言ったら怒るかなぁ、と思いながら。


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