意外な構え
靴を履きかえ、ヤル気満々で対峙する蹴速とアベル…
そんな2人の間の空気はギシギシと軋み、今にも割れそうなガラスの様に危うい。
ところが…そんな張り詰めた場面に酷く間の抜けた声が響いた。
「あのよぅ…組技はあり?無し?どうすんねや?ルールがザックリし過ぎとるんちゃうか?」
声の主である駿河をギロリと見やった老人…
「アホゥ!ザックリたぁ何ちゅう言い草じゃいっ!!ワシがルールブックじゃぞいっ!何かあったらその都度ワシが判断するわいっ!!」
「いや…それをザックリって言うんやろぅよ…先に決めりゃええやんけ…」
「まぁだ言うかコノォ~…」
まだまだ続きそうなこのヤリ取りを、強制終了に持ち込む為にアベルが口を開く。
「エエゾィ…ワシャ カマワンゾィ… ナンデモ スキナ コトヲ スレバ エエ……デキルナラ…ナ」
ぬらぬらと刃物を抜く様に言葉を吐いたアベル。
それを受けた蹴速も言葉の刃を抜いて返す…
「その言葉、そのままお前にも返しとくぜ…アベルよ?」
ニヤリと嗤った2人が構えに入る…
こうなるともう他人の入り込む余地は無い。
駿河も高柳も黙って2人の動きに注視している。
レフリーでありジャッジであるはずの老人ですら、腕組みしたまま〝はじめ!〟の声すらも掛けはしない。
そうである…皆、もう始まっている事を理解しているのだ。
左を前にした極端な程の半身の構え…
前後に大きく跳ねながら時折り変則的なステップを踏むアベル。
それに対し、蹴速の構えは大人しかった。
アベルと同じく深い半身の構えではあるが、小刻みに身体を揺らしているのみ…
ステップも両足の爪先は動かさず、踵だけで小さく跳ねている。
そして高柳は気付いた…
蹴速が見せた構え…その違和感の正体に…
右利きの蹴速が右手右足を前に構えているのだ。
通常 右利きの人間ならば、利き腕利き足の力を最大限に使えるよう、右を後方に配置した構えとなる。
つまり蹴速の構えは、セオリーから大きく外れた物だと言える。
〝アイツ…何を考えとるんや?〟
高柳は爪を噛んでいた…
彼にそんな癖や習慣は無いのに。
無意識に驚きと焦りを隠そうとしたのだろうか?
その瞬間である…やはりと言うべきか、先に動いたのはアベルであった。
大きなステップからフリッカー気味のジャブを3発!
グローブを着用していない為、凄まじい速度に見える!
しかし小刻みに上体を振る蹴速にコレは当たらなかった。
だが…かわし切って動きの止まった蹴速へと、今度は左のサイドキックが放たれた!
軌道は顔面!
サイドキックはサバットで最も多用される技の1つと言える。
攻撃にも迎撃にも使えるその利便性は、ムエタイの前蹴りに近い物がある…
しかしムエタイに無いトリッキーなその動きは、多くのムエタイ戦士に苦汁を舐めさせた歴史を持つ。
ところが!
これに対して想像だにしなかった動きで対処した蹴速!
跳ね上がって来るアベルの左足を右手で外側に弾き、その右手をそのままアベルの顔面に叩き込んだのだ!
その流れを見た高柳…
〝防御から転じて即攻撃…この動き…まさか?〟
だが気付いていたのは高柳だけでは無かった…
「ソウカヨ…ソウイウ コトカヨ…」
当のアベルである。
決まったと思われた蹴速のパンチだったが、ヒットの瞬間に辛うじて自らの掌を捩じ込み、その衝撃を和らげていたのだ。
とはいえ和らげただけで完全に封殺出来た訳では無い。
後方に跳ね、一旦間合いを保ったアベル。
ペッ!と吐き捨てた唾には赤いものが混じっている。
それを一瞥してから蹴速に視線を移すと、アベルはボソリと呟いた…
「オメェ…ソレ…ジークンドー ジャロ?」




