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異世界には娯楽が少ない。  作者: 紅くらげ


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005 外出 (敷地内)



「外に出るのも悪くないなぁ」


 俺は今、訓練場の外周をランニングしている。


 青い空、白い雲、排気ガスのない透き通った空気。

 運動不足で弱った肺いっぱいに新鮮な酸素が充満する。


 木々が風に揺られざわざわと音を鳴らし、どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 ああ、なんて爽やかな朝なのだろう。

 ああ、なんて爽やかな夏なのだろう。

 日本特有のじめじめとした湿気もなく、肌をまとうドロっとしたあの不快感もなく。外へ出ないことがもったいない、そんなふうにも思えてくる。



 なんだかんだ十年近く研究という名の引き籠り生活を送ってきたが、別段運動が嫌いというわけではない。

 なんなら体を動かすことは好きな方だ。

 前世はバリバリのスポーツマン。

 小学校でサッカー、中学でバスケ、高校では野球とほとんどのスポーツを修めてきた。

 こう見えても魂の方では結構アウトドア派というわけだ。



「それにしても、この体は弱いなあ」


 準備運動として訓練場の周りを軽く走っているのだが、一周もしないうちに呼吸が乱れ、体がSOSを上げ始めていた。

 視界がだんだんと白色に染まり、手足の間隔がなくなっていく。はなから筋肉などないため体中から筋肉痛にも似た痛みを感じるのだが、どこか多幸感をもおぼえている。これが俗にいうランナーズハイというものなのだろうか。


 真相は定かではないが、ふわふわとした意識の中ここらでアップは切り上げた方が良いということだけは分かった。このままだとアップだけでは済まされなくなるからだ。

 倒れてしまっては、それはもうアップではない。

 軽いランニングといっても軽くはなくなる。


 激しく鳴る鼓動を鎮めるため、残り半周を歩くことに決めたのだった。




 **************




 Q . 冒険者にとって一番大切なことは何か。


 この問いを冒険者千人に投げかければ、千人ともが異なる回答を返すだろう。


 魔物にも劣らない屈強な身体。

 不測の事態に対応できる十分な装備。

 負けそうになろうと折れない不屈の心。


 十人十色。千人千色。

 肉体的なものから精神論に至るまで。


 まあそれも仕方のないことだろう。

 この問いに答えなど、はなから無いのだから。



 冒険者にはそれぞれ己のスタイルがある。

 剣なのか魔法なのか、男なのか女なのか、団体(パーティー)なのか一人(ソロ)なのか。

 一人一人が異なる独自の戦い方があるというのにどうして重んじるものが同じだといえよう。

 どれだけムキムキになるまで鍛えようと魔法の腕が上がることはなく、どれだけ必死に勉強しようと腕は細いままなのだ。



 そこで俺も考えてみた。

 この問題は冒険者の根幹に関わるものでもある、これから目指す職業なのだから他人事と放っておく訳にもいかない。

 それに今後の指針にもなる。早めに決めて損することでもないだろう。


 考えて。考えて。

 まじめなセリアが手遊びをするくらいにはしっかりと考えて。

 そして考え抜いた先に俺が導き出した答えがこれだ。



 A. 健康な体。


 ……まあまあまあ、落ち着きたまえ。

 ああ、わかる。諸君らの言いたいことは十分にわかるとも。


 “そんなことでいいのか?” ……だろ??

 健康な体なんてものは、『体操服とお弁当、あとは夜更かしなんかしないで元気な身体で登校してくださいね!!』と遠足の前日に先生から言われるくらいには必要不可欠で当たり前のことなのである。


 お前本当に真剣に考えたのかよと、白い目で訝しまれても仕方がない。

 だって俺だってそう思うもん。お前ふざけてんのかよ、と。


 だが聞いてほしい。

 俺は誓ってふざけているわけではないのだ。

 やる気のない顔に見えるかもしれないが、俺はいたって真面目なのである。




 食堂には『真実の鏡』という大きな鏡がある。

 大きな鏡といっても姿見程度のものなのだが、素朴な食堂には似合わない派手な装飾を施された鏡がある。


 どうしてこんなものが運ばれてきたのかは引きこもりの俺に聞かれても詳しくは知らないが、話によるとあの魔道具好きの辺境伯から送られてきたものらしい。

 曰く、とても貴重で高価なものらしいが誰一人として欲しがる者はいなかったのだとか。


 それもそのはず、とにかく見た目が酷いのだ。

 ガラスはこれといって普通だが、額縁の見た目が本当に酷い。

 歪に曲がった形をしていることは百歩譲って、とにかく全てが眩しいほどの黄金でできているのだ。

 黄金以外に宝石などが使われていないだけに、逆に清々しさまで感じる。


 まあ、はっきり言ってセンスが悪い。魔道具に囲まれた生活を送っていると美的センスまで腐ってしまうらしい。


 だが大人の事情というものは難しいようで、センスがいくら悪かろうが、魔道具かどうかさえ判明していない謎に包まれたものであろうが、辺境伯と子爵には覆ることのない大きな身分の差があることは周知の事実であり、いくら気味の悪い贈り物だろうともおいそれと送り返すわけにはいかない。


 その結果、回りに回って誰にも迷惑が掛からない食堂の隅っこに設置されたというわけだ。



 話を戻そう。


 俺はなんとなく食後にその鏡の前に立ってみた。

 真実の鏡というくらいだ。もし仮にこれが本当の魔道具なら俺のありのままの姿が映し出されることだろう。

 ムキムキのマッチョマンが映る可能性だってあるかもしれない。

 そもそも魔道具では無いと結論付けられこの屋敷に送られてきたのだが、俺はそのわずかな可能性に賭け少しの期待とともにその鏡の前に立ってみた。


 俺のありのままの姿が気味の悪い鏡に映し出される。


 そこに映し出されたのは、筋骨隆々で黒光りしているマッチョマンの俺。……ではなかった。


 細い腕に白い肌。筋肉などどこにも見当たらず、成長期の子供とは思えないほど体は細く痩せこけていた。目の下の隈は消えているが顔は青白くやつれている。


 これのどこが“健康な身体”と言えようか。


 鏡を見たときにまずこう思った。

『俺は、スタートラインにすら立てていない』 と。


 遠足にすらいけないのだ。冒険ならなおのこと。

 それだけならまだしも、このまま不健康な生活を続けていれば魔物にやられる前に病気で死ぬことだってあり得る。なんならそっちのほうこそ可能性が高い。とても笑えない冗談だ。


 前世はゲームのやりすぎで死んだのだ。同じ轍は二度も踏みたくはないというのもまた事実。

 俺は重い腰を上げ、運動をしようと。……せめて筋肉くらいはつけようと決意したというわけである。



 幸いグラテロル家の近くにはいつでも訓練ができるよう野球場ほどの大きな訓練場があった。辺境の地は土地が広いという些細なメリットがある。


 思い立ったが吉日。いつまでたってもリズの姿が見えないので、とりあえずのセリアをお供に訓練場へと足を運んだ。


 訓練といっても人によって様々だ。これといってお決まりがあるわけでもない。

 遠くの方で兵士たちが対人形式の模擬戦をしているが、それを横目に眺めストレッチを始める。

 いっそのこと兵士たちの訓練に混ざろうかという考えもよぎったが、外出一日目の俺にはまだ早いし、こんなに体もガチガチでは打ち合っているうちにどこかの腱が切れてしまうだろう。セリアが後ろからせっせと押してくれているが指が足に届きそうもない。


 それに剣も振れるかどうかさえ怪しい。挑むにしても一般人程度の筋力がついてからだろう。


 魔法の研究ばかりする極度の引き籠り野郎とはいえ前世の記憶がある分、そんじょそこらの引き籠りとはわけが違う。今は剣も振れないガリガリだが、”筋肉あるねー”と女子に褒められた輝かしい時代はあるのだ。いくら過去の栄光、前世の栄光だとしてもトレーニングの仕方ぐらいは把握している。

 とりあえず野球部時代の練習を思い出し、ストレッチ→ランニング→筋トレの順にメニューをこなしていく。ランニングといっても外周3周、筋トレといっても腕立て、腹筋、スクワットを各10回程度のものだ。


 まあ皆さんお分かりだろうが、要するに軽いアップというわけである。


 ガチガチの筋肉をお気持ち程度にほぐし、途中で怪我しないよう色々な筋を伸ばした後、軽い足取りで訓練場の外周へと飛び出していった……。




 ……その結果がこうだ。


 俺は今、汗を流す健全な訓練場にて、年下の新人メイドに膝枕をされている。


 カヒュー、カヒューと口から乾いた息が漏れる。

 遠くから真面目に訓練する兵士たちの冷たい視線が突き刺さり、限界を迎えた体に追い打ちをかけるように真夏の太陽がジリジリと俺を照らす。


 もちろん今すぐここから退きたいのだが、体が全くもって動かない。

 脳からの伝達機能が全くといっていいほど機能していない。


 正直、俺が一番自分のことをなめていた。

 アップくらいはいけるだろうとたかをくくっていたのだ。

 俺が思っていた以上にこの体は貧弱で脆かったというわけだ。


 これではしばらく動けそうもない。

 せめて体の自由を取り戻すまでは置かれているこの酷い状況を考えまいと、セリアの太ももに顔を埋め膝枕を堪能するのだった。




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