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EP 2

最大の敵は「国民」なり

「『近衛新総理、軟弱外交か!』『帝國の生命線・満州に更なる派兵を!』……か。相変わらず、どこの時代のマスコミも威勢がいいことだ」

首相官邸の執務室。

幸隆は、各紙の朝刊をデスクに放り投げ、チェリーの煙をふうっと吐き出した。

二・二六事件を鮮やかに鎮圧し、東條英機や吉田茂といった「猟犬」たちを要職に据えた近衛内閣の発足は、当初こそ国民から熱狂的に支持された。

だが、それも束の間。軍部の急進派を一掃したことで「中国大陸への進出(武力侵略)」が停滞すると感じたマスメディアが、こぞって新内閣を叩き始めたのだ。

「総理……申し訳ありません。内務省を通じて各紙に報道規制(検閲)を敷くよう手配いたしましょうか?」

秘書官の結城が、青ざめた顔で進言する。

当時の日本国民は、日清・日露戦争で多大な血を流して獲得した「満州」という権益に強烈な執着を持っていた。新聞社は部数を伸ばすため、そのナショナリズムを煽りに煽る。「もっと攻めろ」「弱腰外交は国賊だ」と。

史実の政治家や軍人たちも、結局はこの『世論の熱狂』に逆らえきれず、泥沼の戦争へと引きずり込まれていったのだ。

だが、幸隆は結城の提案に鼻で笑った。

「馬鹿言え。言論統制なんて三流のやることだ。臭いものに蓋をすれば、世論ガスは内側で爆発する。……結城、お前は『大衆』というものをわかっていない」

「大衆、ですか……?」

「ああ。国民はな、本気で戦争がしたいわけじゃない。戦争に勝って『自分たちが偉くなった気分』になりたいだけだ。そして何より、カネが欲しいんだよ」

幸隆は、デスクの引き出しから分厚い封筒を取り出した。

それは、現代の与党幹事長時代から幸隆が息をするように行ってきた、極めて冷酷で効果的なメソッドの準備だった。

「大手新聞三社の論説委員と、ラジオ局のトップを、今夜、料亭に極秘で集めろ。……『オフレコ懇談会』をやる」

   ◆

その夜。赤坂の最高級料亭の奥座敷。

集められたメディアの重鎮たちは、訝しげな顔で新総理を待っていた。彼らは皆、ペンと電波で国を動かしているという強烈な自負を持った男たちだ。

「お集まりいただき、感謝する」

ふすまが開き、幸隆が悠然と姿を現す。

酒が振る舞われ、場が少し温まったところで、幸隆はスッと目を細め、彼らに向かって「毒」を放った。

「諸君。単刀直入に言おう。我が内閣は、中国大陸への新たな武力侵略を一切行わない」

「なっ……! 総理! それでは帝國の威信が!」

大手新聞の論説委員が顔を真っ赤にして立ち上がろうとする。だが、幸隆は手でそれを制し、ニヤリと悪魔のように笑った。

「早とちりするな。武力で奪うのは『二流』だと言っているんだ。……俺は、満州と中国大陸を『経済カネ』で完全に支配する」

「け、経済で……?」

「そうだ」

幸隆は、懐から取り出した極秘資料を卓上に広げた。

「我が内閣は、満州にアメリカの巨大資本ロックフェラーやフォードを誘致し、日米合弁の超巨大インフラ企業を設立する。満州の資源をアメリカの金で掘らせ、莫大な利益を日本国民に還元する」

メディアの重鎮たちが、息を呑む。

「武力で土地を奪えば、反発を生み、終わりのないゲリラ戦で我が将兵の血が流れるだけだ。だが、経済で依存させればどうなる? 中国の民衆は日本のインフラなしでは生活できなくなり、アメリカの資本家どもは、自らの利益を守るために日本(我々)の満州支配を全力で肯定せざるを得なくなる」

幸隆の低く、自信に満ちた声が、座敷を支配していく。

「一発の銃弾も撃たず、白人の巨大資本に我が大日本帝國のために働かせ、アジアの実権を完全に握る。……これこそが、真の『大東亜共栄圏』だ」

「白人に、帝國のために働かせる……!」

その言葉の響きは、マスコミの男たちの「ナショナリズム」と「虚栄心」を、見事なまでに直撃した。

泥臭いドンパチよりも、遥かにスマートで、格上で、圧倒的な勝利の図。

「明日の朝刊のトップはこれで頼む。『近衛新総理、欧米資本を服従させる! 経済による無血開城』……とな」

幸隆は、彼らに分厚い封筒(情報提供料という名の正規の取材協力費)を静かに滑らせた。

「諸君のペンで、国民に真の勝利の形を教えてやってくれ。……頼んだぞ」

翌朝。

日本のすべての新聞が、見出しを180度転換させた。

『近衛外交の大勝利! 米国資本、帝國の軍門に降る!』

『血を流さぬ領土拡大! 真の大東亜共栄圏、ここに始まる!』

ラジオも新聞も、手のひらを返したように新内閣の「経済支配」を熱狂的に報じ始めた。

戦争を煽っていた国民も、「白人が我々のためにカネを出す」というわかりやすい勝利のパッケージに酔いしれ、歓喜の声を上げた。

荻外荘の書斎で朝刊を読みながら、幸隆は満足げにブラックコーヒーをすすった。

「ちょろいもんだ。世論バカとハサミは使いようってな」

最大の敵であった「国民の熱狂」すらも、血を流すことなく完全に飼い慣らした。

最強の政治家による、歴史の完全な書き換えが、いよいよ国境を越えようとしていた。

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