EP 3
満州防衛線・現代の「合弁会社」スキーム
昭和11年3月下旬。
東京・霞が関の外務大臣執務室からは、今日も豪快な笑い声と、高級葉巻の香りが漏れ出していた。
「ガハハハッ! 金の亡者どもめ! 結局、正義だの人道だのと言っても、目の前に積まれた札束の山には勝てんということだ!」
外務大臣に就任した吉田茂は、革張りのソファに深々と身を沈め、受話器をガチャンと置いた。
その顔には、獲物を仕留めた猟師のような、獰猛な笑みが張り付いている。
「総理、朗報ですぞ。アメリカの『スタンダード・オイル(ロックフェラー系)』と『フォード・モーター』の極東代表部が、釣れました」
吉田の視線の先には、わざわざ外務省まで足を運んでいた幸隆が、チェリーを吹かしながら座っていた。
「ほう。早かったな、吉田」
「ええ。彼らは最初こそ『満州国などという傀儡国家に投資はできん』と渋っておりましたがね。私が『ふむ、ではこの巨大な未開発市場の独占権は、ドイツの財閥にくれてやることにしますかな』とカマをかけてやったら、顔色を変えて食いついてきましたよ」
吉田は葉巻の灰をコンコンと落とす。
「契約の草案は、総理の描いたシナリオ通りに進めております。『日米満産業開発公社』……。資本比率は日本が51%、米国が49%。経営権は日本が握るが、利益の半分はアメリカの資本家に流れる」
「上出来だ」
幸隆はニヤリと笑った。
同席していた大蔵省の木崎局長が、恐る恐る口を開く。
「しかし、総理……。満州の権益を半分もアメリカに渡してしまうなど、軍部や右翼が黙っていないのでは? 『売国奴』と批判される恐れがあります」
当時の感覚では、血で購った満州の権益を外国に切り売りするなど、あってはならないことだった。
だが、幸隆は冷たく言い放つ。
「木崎。お前はまだ『政治』がわかっていない」
「は……?」
「いいか。これはただの投資話じゃない。……『人質』を取るんだよ」
幸隆は、執務室の世界地図の前に立ち、満州の部分を指差した。
「近いうちに、世界はブロック経済化する。アメリカは日本への石油輸出を止め、経済制裁(ABCD包囲網)で我々を干し殺そうとしてくるはずだ。史実(歴史)の通りになればな」
幸隆の脳裏には、石油の一滴を求めて無謀な戦争へ突入し、焼け野原になった日本の未来が焼き付いている。
「だが、もし満州の油田や鉱山、鉄道の半分が『ロックフェラーやフォードの持ち物』だったらどうなる?」
木崎がハッとして目を見開く。
「アメリカ政府(ルーズベルト大統領)が日本への石油輸出を止めようとすれば、アメリカの財界が猛烈に反対する。『我々の資産である満州の産業を殺す気か!』とな」
「その通りだ」
幸隆は不敵に笑う。
「さらに、北のソ連も手を出せなくなる。もしソ連軍が満州に攻め込めば、それは日本の権益だけでなく、アメリカの巨大資本を爆撃することになるからだ。……そんなことをすれば、アメリカという眠れる巨人が黙っちゃいない」
「な、なるほど……!!」
木崎は震えた。
満州にアメリカ資本を引き込むこと自体が、最強の『防波堤』になる。
軍隊を駐留させるよりも遥かに強固な、カネと欲望による『安全保障条約』。
「これが現代(俺)流の『毒まんじゅう』だ。アメリカにはたっぷりと甘い汁を吸わせてやる。その代わり、彼らは日本という国を絶対に殺せなくなる」
「クックック……。まったく、総理の性根の悪さには惚れ惚れしますな」
吉田茂が愉快そうに膝を叩く。
「軍部が『精神論』で国を守ろうとしている間に、我々は『強欲』で国を守る。……痛快極まりない!」
「さて、仕上げだ」
幸隆は立ち上がり、襟を正した。
「次は、アメリカ合衆国大使、ジョセフ・グルーとの会談だ。財界の話はまとまった。あとは外交官(政治)のメンツをどう立ててやるか……。吉田、通訳はいらん。俺が直接ねじ込んでやる」
「御意。……お手並み拝見といきましょう」
昭和11年、春。
歴史の歯車は、幸隆の仕掛けた巨大な「経済の罠」によって、日米開戦という破滅のルートから大きく外れようとしていた。
最強の幹事長と、最強の外交官。
二人の怪物が、ついにアメリカという巨象を狩りに行く。




