54 自覚した想い
夜が深まるに連れて子連れのお客様は少しずつ帰宅した。
眠そうにしていたジェレミーも、執事のヴィクトルに連れられて部屋へと下がったが、まだまだ宴は続く。
「少し喉が乾きませんか?」
「そうだな。……あ、ちょっとキミ」
側を通りかかった給仕係を呼び止め、旦那様は赤ワインを、私はオレンジ色のドリンクをそれぞれ受け取った。
ゴクゴクと飲み干せば、よく冷えたドリンクが心地良く喉を潤してくれる。
柑橘系の爽やかな香りだが、思ったよりも甘みが強い。
「あ、おいミシェル! それは───」
ディオン兄が何か言いながら近付いて来たのをキョトンと見詰めると、彼は「あぁ、遅かったか」と呟き額に手を当てた。
「そんなに慌ててどうなさったのです?」
「今ミシェルが飲んだ柑橘系の飲み物は、結構強めのカクテルなんだよ」
私の手の中にある空のグラスを指先で弾いたディオン兄は、溜息混じりにそう言った。
そう言えばなんとなくフワフワしている気がする。
「そうなのれすか?」
ヤバい。既に呂律が若干怪しい。
「ミシェルは酒に弱いのか?」
旦那様が心配そうに私の顔を覗き込んだ。
(青い瞳がシャンデリアの灯りでキラキラして綺麗ね)
思考能力が低下した私がボンヤリと旦那様の目を見詰めていたら、その顔が徐々に赤くなって、フイッと視線が逸らされてしまう。
残念。もうちょっと見ていたかったのに。
「ミシェルはアルコールは飲めない事も無いみたいですが、夜会が始まってから今迄、既に四杯は飲んでいましたから、度数の高い酒を一気に飲んだのは失敗でしたね」
ボーッとしている私に代わって、ディオン兄がそう言った。
「………随分よく見てるな」
「過保護だって自覚ならありますよ。
先に部屋で休ませた方が良いかもしれませんね。どうせ後一、二時間でお開きになるでしょうから」
「そうだな。
ミシェル、部屋まで送って行こう」
旦那様とディオン兄が、私の意見も聞かず勝手にどんどん話を進めてしまう。
「らいじょーぶれす」
「全く大丈夫じゃ無さそうだ」
怪訝な顔で見られた。
酔っているせいか頬が熱い。体もポカポカしているので、部屋に戻るよりも風に当たりたい気分だ。
私は旦那様の袖をツンツンと引っ張って、上目遣いで見上げる。
「……大丈夫、ですが、少し外の空気を吸いたいです」
今度は噛まない様に気を付けてゆっくりと言葉を発した私を、旦那様は目を丸くして凝視していた。
「ダメ、ですか?」
「う゛……、分かった。
じゃあ、バルコニーに出て少し休もう」
願いを聞いてくれた旦那様に満面の笑みを返すと、何故かまた目を逸らされた。
旦那様にエスコートしてもらってバルコニーに出ると、冷んやりとした夜風が心地良く熱った頬を撫でた。
片隅に設置されたベンチに並んで腰を下ろし、夜空を見上げる。
「大丈夫か?」
「ええ。風が気持ち良いですね。
そんなに強いお酒だったなんて、全く気付きませんでした」
「アルコールを飲み慣れていないと、フルーツの香りや甘さに誤魔化されてしまって気付かないのかも知れないな。
今度から、私が近くにいる時は毒見をしてから君にグラスを渡そう。
一人の時には果実水だけにしておきなさい」
「ふふっ」
「どうした?」
「だって、毒見だなんて仰るのですもの……。
旦那様も過保護だなって思って。お義兄様の事を言えませんよね」
ディオン兄の名を出すと、旦那様はほんの少しだけ顔を顰めた。
「君達兄妹は、本当に仲が良いな。距離感も妙に近いし。
……ディオン殿は……その、君の事が好きなんじゃないか?」
「はい? それって恋愛的な意味でですか?」
的外れな指摘に驚いて確認すると、旦那様はコクリと小さく頷く。
不機嫌そうなその横顔を眺めていたら、思わず笑いが込み上げて来た。
「ふっ……あははっ。深刻そうなお顔をして何を言い出すのかと思えば……。
もう、イヤだわ。それは有り得ません」
「だが……」
尚も言葉を重ねようとする旦那様の口元に、手の平を翳して黙らせた。
「ディオン兄は、子供の頃に妹の様に可愛がっていた幼馴染の女の子を亡くしているのです。
だから私の事も、昔から必要以上に心配なさるのですよ。
それに、スキンシップが過剰なのは多分お義母様の影響だと思います。この家の人達は、皆んなそうですから。
私もジェレミーに対して、ちょっとそういう所があるのは、旦那様もご存知でしょう?」
「まあ、そうか……」
納得したのか、してないのか。旦那様は相変わらず眉間に皺を寄せている。
「もしかして……嫉妬しましたか?」
「…………悪いか?」
空気を和らげたくて冗談めかして言った私に、旦那様は拗ねた様にポツリと答えた。
まさかすんなりと肯定されるとは思わなかったので、少々面食らってしまう。
「だって、家族ですよ?」
「家族と言っても、血の繋がりは無いだろう」
「それを言ったら、私とジェレミーだって有りませんよ?」
「そう言われると、そうなのだが……」
図体の大きな成人男性が拗ねている姿なんて、普通ならば面倒臭いと思う所だろうけれど、それが旦那様だとなんだか可愛らしく思えてしまう。
それと同時に、胸の奥がソワソワする様な不思議な感覚を覚えていた。
(なんだろう……。ちょっと嬉しい、かも)
そう、この気持ちは、きっと『喜び』だ。
私は旦那様の悋気が嬉しいと感じているのだ。
そんな風に感じる理由なんて、一つしかない。
(ほら、やっぱり好きになってしまったじゃないの)
そもそも、恋愛初心者の私が素敵な男性に毎日優しくされているのだから、落ちない訳が無いのだ。




