幻想郷ー侵攻ー
薄暗く、明かりはおろか。
微かな光さえ見当たらない。
ここはとあるマンションの一室。
照明もなければ、なにもない。
その中で唯一ある家具が机一つ。
当然のようにそれが目立っている。
机の上にはなにやら時代を感じさせる端末がある。
そう携帯である。
先ほどから不思議な通知音を放っている。
机の下には、それの持ち主と思われる青年が眠っていた。
「うう…ん」
さも不愉快そうに起き上がり、机上へと手を伸ばす。
細身で、小枝のような五指が端末を手に取る。
手早く操作を済ませて耳に当てた。
『継、依頼だ…』
電話の向こう側からは、到底お友達とは思えないような渋い声がする。
四十歳過ぎの男だ。
その声に反応するかのように、青年は目を大きく見開いた。
同時に、寝起きとは思えないような明るさで言い放つ。
「おおっ、今回はどんな依頼だ?」
『……今回はある領地の奪取だ』
「奪取?」
『そうだ。名は【幻想郷】、キミの生まれた場所だ』
「―⁉知らないぞ、そんな…」
男の言った一つの言葉に、青年は大きく動揺した。
また、男は繰り返す。
『無理もない。そこは現世とは隔離されているゆえ、キミの力でさえその存在を認識していなければ知りえることはないだろう』
男は淡々と語った。
耳を傾けていた青年も難しそうな顔で考え始める。
しばらく俯いていたのも、じきにこう嘯く。
「幻想郷……ここか」
『早いな、なら後は頼んだ』
「りょーかい」
その会話を最後に、通信はプツリと途切れた。
後に残った沈黙の端末を青年は机上に放つ。
青年の名は幽夢継。
この日、この夜。
現世とは隔絶された世界、【幻想郷】への侵入を試みる者である。
――幻想郷、博麗神社
「うぎゃあー‼」
庭園の裏側から誰かの甲高い声が響いてくる。
赤の巫女装束に身を包み、頭にはやや大きめのリボンが目立っている少女。
この少女こそ、博麗の巫女。霊夢と呼ばれる娘だ。
「なんだ、なんだ⁉」
庭に直結している襖から、もう一人の少女が顔を出してくる。
彼女もまたこの幻想郷の住民である。
霧雨魔理沙、この世界では珍しい人間だ。
「魔理沙ァーッ‼今度はなにをしでかしたのよッ‼」
「えぇ、ワタシぃ⁉」
鬼気迫る勢いで接近する霊夢に対し、魔理沙は今だ理解できていないこの状況に動揺している。
それは彼女の不可解な表情が物語っている。
しかしその疑問も霊夢の怒鳴り声で一蹴された。
「アンタ以外にこんなことするのなんて、そういないわよ…!」
「…つってもわかんねえよ」
魔理沙はさも面倒くさそうに答える。
「これを見てもおんなじことが言えるわけ?」
霊夢は魔理沙の腕を強引に引っ張りこんで連れていく。
二人が裏庭へと足を運ぶと、そこには謎の靄がかかった穴があった。
「なんだこれ…」
「アンタがやったんでしょ?」
「これをか?」
「違うの?」
「違うという以前に、こんなものは見たこともないぜ?」
「うそ…じゃあこれは?」
「魔法輪だとは思うが、こんなでたらめなものは…」
「魔理沙、これを知ってるの?」
「知らないさ」
「なにそれ、アンタ魔法使いなのに無能ね」
「はあ⁉」
「ちょっと、急に大きな声を出さないでくれる?」
「…すまん」
「にしても厄介ね。こんな近くに変なものを放置するのもあれだし…」
「…だな。じゃあワタシは紅魔館んとこにでも行くかな」
「どうしてよ?」
「あそこにゃ、ヴワル魔法図書館があるだろ?パチュリーにでも聞いてくるよ」
「…確かにそうね」
「じゃあ行ってくる」
片時の短い会話だけ済ませて、魔理沙は自身の箒にまたがった。
それからすぐに涼しい風に乗って空高くへと舞って行った。
後に残された霊夢はその後ろ姿を眺め、呟く。
「これも…新たな異変の兆しなのかしら」
彼女の顔には曇った怪しさがある。
段々曇り始める空に木の葉が飛んで行った。
――幻想郷、紅魔館
明るく良い日差しと大っぴらに広げられた日傘の下、ある少女は優雅に紅茶を飲んでいた。
垣根がいくつも連なる庭園。
西洋のそれによく似ているが、隣には紅く不気味にそびえたつ館の姿があった。
【紅魔館】
その名にふさわしい威厳と迫力を有している。
そして先ほどから複数回紅茶に口をつけては放すことを繰り返してる少女こそ、この城の主であるレミリア・スカーレットだ。
薄い紫色のショートヘアにとがった紅い眼。
彼女が身にまとっているのは、ピンクや薄い赤を基調としたフリル多めのドレス。
いわゆる典型的なロリータ衣装である。
おまけに背中からは二対の小さな羽が生えている。
その姿からは到底一館の主とは思えない恰好だ。
それなのに、この身から放たれている圧倒的な気配だけは、どうにもそれらを否定しきれない力があった。
さらに彼女のすぐそばには、メイド服に袖を通した女性が一人立っている。
ややレミリアのことを気にかけている様子で、ずっとそわそわしている。
「…レミリアお嬢様、どうかなさいましたか?先ほどから上の空で紅茶が減ってはおりませんよ」
メイドはようやくその口を開いた。
その表情からは心配性な性格が見て取れる。
「咲夜は気づいていないのかしら」
レミリアは片手に備えた紅茶を置き、横目でメイドを見つめる。
しかしメイドの反応はあまりスッキリとしないものだった。
「申し訳ありません、なんのことか…」
「まあそうね、まだ反応は弱い…けれど、何かがこちら側に侵入してくる気配がしているの」
「それは…⁉」
「ええ、侵入者だと思うわ」
レミリアの目つきが鋭くなる。
自然と空気は凍てついた。
メイドの額にも冷や汗が滴る。
このメイドは十六夜咲夜。
紅魔館の主、レミリアに仕えるメイド長である。
二人は以前、空を見上げたままで固まったままだ。
そこへ三人目の人影の正体が近づいてきた。
その際、金髪のサイドテールが左右に揺れている。
「お姉さまー!」
元気よく放たれた大声に、レミリアは少し不愉快そうな顔をする。
二人のところへ駆け寄ってきたのは、これまた珍妙な恰好をした女の子であった。
頭にはレミリアと同じようなナイトキャップをかぶり、背中から宝石のような美しい翼をはやした少女。
これもまた、紅魔館の住民なのだ。
というより、彼女はレミリアの妹である。
フランドール・スカーレット、フランの愛称で呼ばれる、奇天烈なお嬢様だ。
レミリアの表情には目もくれないで、話を始めた。
「お姉さま、どこかへおでかけするの?」
小椅子に腰かけるレミリアの服を引っ張りながら上目遣いをかけてくる。
その様子には、誰であっても心が締め付けられることだろう。
生粋の妹属性であるフランの手にかかれば、こんなことも容易いのである。
「ちょっとフラン、いきなり来てなんなの?」
「お姉さま、咲夜と面白そうなお話してた!」
「してないわよ、ねえ咲夜?」
「えぇ⁉…あ、ええはいもちろんです」
フランを目の前に、二人は冷や汗を浮かべる。
「それでどこへ行くの?お姉さま」
「だからどこにもいかないっていってるでしょ?」
「ふーん…じゃあ私は一人で行っちゃおうかな~?」
「ええっ⁉いったいどこによ」
「それはもちろん侵入者のところだよ」
「どうしてそれを」
「お姉さまの話なんて丸聞こえなのよ」
「でも今は太陽が出ているのよ、どうやって行くっていうのよ」
「パチュリーのお薬があるもーん」
そう言い残し、フランは紅魔館内へと駆けていった。
レミリアと咲夜は互いに顔を見合わせる。
同時に実に残念そうに溜息をついて肩を下した。
「はあぁ、一体これからどうしようかしら…」
「ですね、妹様とはあとで詳しく話しましょう」
「その前にいなくならなきゃいいけど…」
再びレミリアは空を気にする。
そしてその時、空は不気味にも曇り始めていた。
―‐幻想郷、守矢神社
「おやおや、早苗。なんだか妙なものが近づいてきているみたいだよ」
神社の境内でひときわ目立った帽子をかぶった少女の声がする。
いかにも余裕と好奇心が混ざった口調で、遠くを覗き込むかっこうをとっていた。
そこにもう一人、彼女の話し相手と思われる者が現れる。
きめ細かい緑髪を携え、風になびかせている。
その両手では一般的な箒を抱えていた。
「どうかなさいましたか?諏訪子様」
「…クスクス、見たこともない気配だね、あれは。早苗、私の後ろに隠れている?それとも、現人神としての腕試し、やってみるかい?」
奇妙な帽子の少女は内心面白そうに答える。
「もう、諏訪子様!こんな時におもしろがらないでください」
一方相手のほうは、生真面目なツコッミとともに楽しんでいる帽子の少女への返答をした。
しかし緑髪の少女はこう続ける。
「…でも、確かに見たこともない不気味な気配ですね。後ろに隠れているなんて、現人神の名が廃れます。私の奇跡の力、あの得体のしれないものに見せつけてあげますから、そこで見ていて下さいね!」
そうして、緑髪の少女が前に進み出る。
対する帽子の少女はじっと観察する仕草のままでいる。
長く続く広い草原。
視界はよく通り、奥で育つ森林までもが鮮明に浮かび上がる。
二人は目をこらす。
まだ姿を現さない相手への警戒を最大限に払っているのだ。
数秒経ち、真っ黒な人影がでてくる。
まだ太陽が照っている時間帯故に、その影は実に異様だった。
しかし、それははっきりとしたシルエットを持っていた。
人型。
それも、人間の青年に近い恰好をしている。
「……っ!早苗、冗談はやめだ。今すぐここを離れなさい‼」
帽子の少女の反応は明らかに異常だった。
その焦りようはすさまじく、右手がかすかに震えている。
「えっ……⁉す、諏訪子様、何をそんなに顔色をかえて……」
「…聞こえないのかい⁉逃げろって言ってるんだよ!あれは『得体が知れない』なんて生易しいもんじゃない。『理屈が通じない化け物』だ。一種の神かもしれん、とにかく、私の加護を全部あんたに回すから、後ろを振り返らずに全力で走りな‼」
「でも、私が逃げたら、諏訪子様はどうなるんですか⁉一緒に戦えば、きっと奇跡だって……‼」
「馬鹿いうな!私ら神が死ぬのは信仰を失った時だけだ。だがおまえが今ここで死ねば終わりなんだぞ!…いいから行きなさい、私が時間を稼ぐ‼」
先程までクスクスと笑みを浮かべていたものとは豹変した態度で叫ぶ。
まさしく恐怖に近い感情が彼女らの中を巡っているのだ。
その間に、黒い影は急接近してくる。
「マズイ…!早苗。ぼさっとするな、行けッ!」
「諏訪子様…!」
次の瞬間、帽子の少女と黒い影は衝突する。
その衝撃に負けて緑髪の少女は明日の方向へと吹き飛ばされる。
同時に黒い影が晴れ、その正体が明らかになる。
「こやつ、人間か⁉」
帽子の少女が驚きの声をあげる。
影だったものは、人間の青年だったのだ。
そして、先ほどの爆風に合わせてもう一人の女性が出てきた。
「待たせたな、諏訪子!早苗は?」
「神奈子か。早苗は衝撃で飛ばされたようだな。あいつのことだから心配はいらんが…」
「それで、こいつは何だい」
「わからん。神のような、人間のような…」
「そんなことはどうでもいい、我が社の聖域を荒らす不届きものは許すわけにはいかん。覚悟はできているんだろうな‼」
そう言った直後には青年の目の前に大きな柱が突き刺さっていた。
「うわっ、危なっ!いきなり柱が降ってくるとか、どんな挨拶だよ」
「ぬかせ、この外道が‼」
「神奈子、気をつけな!そいつはヤバいよ!」
「ねえ、キミら人を化け物みたいに言ってくれるよね…僕になにか恨みでもあるの?」
「ないが、お前のような危険な存在を野放しにもできんのだ。神としてはな」
「神…?あー、キミらが噂の…」
「噂だって?いったいどこからの」
「諏訪子、こいつの言葉に耳を傾けるな!」
再び重たい衝撃が走り、巨大な柱が二本、三本と突き刺さっていく。
それらすべてを軽くかわしながら、青年はすらすらと言葉を綴る。
「物騒だなー、さすがは【軍神】だけども…」
「…は?なぜそのようなことを知っている!貴様何者だ!」
「あ、自己紹介が遅れたね。俺はしがないフリーランスだよ。ちょっと上の方から依頼を受けてさ。悪いけど、ここ幻想郷を侵略しにきたんだ。よろしくね!」
「…侵略だと?その明るいツラでこの楽園を侵略しに来たと言うのか?」
「まあ仕事だからね。僕としてはあんたたちとも仲良く酒でも飲みたいけどね。あ、僕未成年だった!アハハ」
「…ッふざけやがって!」
「まて神奈子、なにかおかしい!」
憤怒した女性の間に、帽子の少女が割って入る。
その様子に笑みを浮かべた青年は喋る。
「…ご名答」
短くそういったと思えば、次の瞬間にはもう帽子の少女の姿はなかった。
「…⁉諏訪子⁉」
女性の額に多量の汗があふれている。
「惜しいなあ、僕的にはあの子は残しておきたかったんだけど…」
「貴様、なにを…」
「知らない?スペルカードって」
「当たり前だ。あれは殺しを避けるために作られたもの。貴様がさっき使ったのもは芸術性のかけらもない、殺しの道具だ!」
「ずいぶんな言いぐさだね…まあ、確かにその通りなんだけど。一つだけ訂正すると、あれはスペルカードで間違いないよ」
「何だと…⁉」
「もともとスペルカード自体、殺しの道具だったんだよ。へんな制約かなんかで効果が改変されちゃってるけど、れっきとした凶器さ」
「…たわけ!」
「証明してあげる。よーく見ててよ」
青年が後方に下がり、平原に大きく構えた。
その手には札ような紙切れが握られている。
やがてその札は光を放ち、あるものを形づくった。
風がうなる中、青年は呟く。
「スペルカード、『戯固霊幽』、カスタム『夢想封印・永劫』だ。キミはもう、動くことも考えることも、心臓を動かすこともない。もちろん、僕が死ぬまでね…」
「……」
不適に笑む青年を前に、女性は沈黙してしまった―――
ー第一章ー
幻想入り『幽夢継』。
結果、
諏訪子、神奈子ともに戦闘不能。
早苗、行方不明。




