17話
衝撃で一時的に外界センサが遮断されて、数秒。視界が回復した。指も動くし、聴覚もひとまず問題なさそうだった。だけど、両足が動かせない。見ると、瓦礫の山に埋もれていた。
「西銘くんは!?」
振り返って中の様子を確認しようとしたけれど、瓦礫に遮られて少しも窺うことができない。
西銘くんの安否を深憂するあたしは、とにかく自分が動かなければと思い、瓦礫の山から抜け出そうとする。右足は隙間があったおかげで引き摺り出せたけど、左足がびくともしない。瓦礫を退かすことも考えたけど、更なる崩落が起きてしまう。
事態は一刻の猶予もない。足を抜くことが不可能だと判断したあたしは、左大腿部を左手で思い切り殴り、力尽くでの切断を試みた。
崩落の衝撃で色んな箇所がダメージを受けていて、パワーリミッターも全開ではなかったけれど、何度か繰り返し殴り続けて、人工幹細胞の皮膚も特殊樹脂の肉も開裂して大腿骨パーツを折った。
あとは、まだ半分繋がっている皮膚や肉と、神経ケーブルを引っ張って経つ。
「ふうっ……くっ……ぅああああっ!」
そうして残りを引き千切って、やっと動けるようになった。
あとは使える片足で、人がいる場所まで何とか移動しようとした。「あっ!」けれど、加速度センサーも異常をきたしていて平衡感覚がなく、立つことができず倒れてしまった。あたしは仕方なく、這って移動を始めた。
「誰か……誰かいませんか!」
叫んだけれど、周囲には全く人影がない。外にいた見張りの男たちも誰もいない。特集や警察がいる場所も、ここから何百メートルも離れている。腕だけの力では、10センチ程度ずつしか進まない。このままだと、助けられる命を助けられなくなると焦った。その時だった。
「コウカさんっ!」
「……ユウイチさん!」
ここにいない筈のユウイチさんが、あたしを見つけて走って来た。信じられなかったけれど、その顔を見た瞬間、少しだけ安心した。
不安と安堵の表情のユウイチさんは、あたしの身体の状態に一瞬驚いたけど、うつ伏せだったあたしを抱き起こした。
「左足はどうしたの!?」
「瓦礫に挟まれて、脱出する為に自分で切断したの」
「……大丈夫?」
ユウイチさんは痛々しそうに、半分になったあたしの左足に手を添えて労ってくれた。
「それよりも、中にまだ人が。西銘くんが身動き取れないの。だから早く助けないと……!」
あたしが縋るように訴えると、ユウイチさんは瓦礫の方を見遣った。岩山のようになった建物の一部を目にすると、愁眉して表情を歪めた。
「あたしが行かなきゃ。せめて西銘くんだけでも……」
目の前で失くした命と同じことにしたくなくて、焦燥するあたしは抱き起こされた身体をまた這わせた。
二つを同時に失くすことにはなりたくなかった。選択の間違いよりも、それがとても不安だった。失敗よりも、遥かに怖かった。
「そんな身体じゃ無理だ!」
ユウイチさんは這って行こうとするあたしを半ば強引に止めて、また抱き起こした。
「大丈夫。大丈夫だよ。すぐに自衛隊が来て助けてくれる。きっと無事に救出されるよ」
そう言って微笑んだ。そして、あたしが壊れないように抱き締めて、落ち着かせるように優しく頭を撫でた。
「よく頑張ったね。こんなに傷だらけになってまで頑張って、きみは立派だよ。あんなに自信をなくしてたのに立ち向かったきみを、僕は誇りに思うよ」
「……あたしは、あたしがやれることを、できたのかな」
「できたよ。だから大丈夫。無事だと信じ(……)」
ユウイチさんの言葉の語尾が、聞き取れなかった。崩落に巻き込まれた影響で、聴覚にも異常が出始めた。
右肩の可動不可に、左足の半分以上の欠損。加速度センサーの不具合と、聴覚センサの異常。その他にも多数のダメージを受けていて、これだと大がかりな修理になりそうだ。
これだけボロボロになって、あたしは今日、本当に何かできたのだろうか。機能の半分以上を差し出すくらいの働きをしただろうか。失ってしまったものの対価は、平等なのだろうか。
……あたしの中で、音が鳴り響いた。
「ひとまず、ここから離れよう」
ユウイチさんは、歩けないあたしを持ち上げようとした。だけど「待って」と、あたしは止めた。
「あたしの話を、聞いてほしい」
「話ならあとでも」
「今じゃなきゃダメなの。お願い」
まずは安全を確保したかったユウイチさんだけど、あたしの表情を見て留まってくれた。
バレンタインなのに、空は厚い雲に覆われた薄灰色だった。折角ユウイチさんと一緒なのに残念だなって思った時、白いものがちらちらと落ちて来た。
雪だ。
「ユウイチさん。あたし今日、また大きな一歩を踏み出せたと思う。それは、ユウイチさんのおかげだよ。貴方がいなかったら、出会ってもいなかったら、あたしは間違えることを恐れて、自信をなくしたままで、西銘くんたちを止めようなんて思わなかった」
「コウカさん……」
「ずっと、不完全なままでいいのか悩んでた。わからないことを理解して、完璧になりたかった。だけど、そうじゃなくてもいいんだって知った。わからないことがあっても、理解できないことがあっても、それでいい。だからあたしは話したいと思うし、近付きたいと思う。そう思えるのは、あたしが不完全だからなんだ。もしも最初から何もかもを理解していたら、会話なんて求めなかった。あたしは、今のあたしだからいいんだ。だからあたしは、あたしが好き」
「うん。僕も。不完全なところが魅力的だし、そんなコウカさんが好きだ」
微笑むユウイチさんの顔に、ノイズが走った。あたしは、それを無視して微笑み返した。
「ユウイチさんは、本当に優しいね。あたしには、もったいない人だよ」
「そんなことないよ」
「ユウイチさんと出会えたのは、奇跡だね。あたしなんかに何度も告白するなんて、とても変な人だと思ったけど」
「そんな風に思ってたの?」
「だけど、告白してくれたことは、今でも感謝してる。あたしがほしいものを全部くれるって言ってくれて、とても嬉しかった。貴方からほしいと思ったから」
「僕じゃなきゃ嫌だった?」
「それは、どうかな。でも、不確定な確信はあった。この人ならくれるって」
「本当に?嬉し────(プツ)」
ユウイチさんが話している途中で、聞こえてくる言葉が途切れた。だけど、ユウイチさんの口は動いている。
「……あれ。ユウイチさんの声が、聞こえない」
「コウカさん?僕の声が聞こえないの?」
「聴覚センサ、ダメになっちゃった」
「待ってて。今、博士に連絡するから」
ユウイチさんが何を言っているのか読唇できなかったけど、事態を飲み込んでお母さんに電話してくれるみたいだった。だけど、スマホに耳を当てたり離したりを繰り返していて、繋がらないみたいだった。
「ダメだ。繋がらない」
(研究所の状況はどうなってるんだろう……)
「繋がらないんだね。でも多分、大丈夫。GPSが機能してるから、もうすぐ来ると思う」
「なら、よかった」
耳は聞こえなくなったけれど、何となく会話はできそうだった。だけどユウイチさんの表情は晴れなくて、あたしを心配し続けているように見えた。
「ごめんね、ユウイチさん。すごく心配させちゃってるね」
「いや。僕がもっと早く来ていれば。そもそもきみを行かせなければ、こんなことにならなかったのに……」
「あたし、その心配すら、嬉しいなんて思ってる……変だよね」
「僕は力がないから、心配しかできない。きみを助けられる力があればよかったのに……」
音が危険だと警告し続ける。視界のノイズが激しくなる。ユウイチさんの顔が、認識できなくなってくる。
(どうか、もう少しだけ……)
「僕に何かできないのかな。自分が普通の人間なのが、凄く抵牾しいよ」
「ユウイチさんが、あたしを変えたのかな。これからも一緒にいられたら、もっと変われたのかな」
「一緒にいられるよ。これからも。だから僕を頼って。まだ僕は、きみがほしいものを全部あげられてないんだから」
あたしの方が大変な状態なのに、ユウイチさんがとても辛そうな顔をしている。声は聞こえないけれど、きっと、思い遣りの言葉をかけてくれているんだ。こんなになった身体を見ても、やっぱり優しい人だ。
あたしは左手で、ユウイチさんの頬に触れた。
「心配してくれて、ありがとう。でも、ユウイチさんが一緒だから、あたしは何も怖く……ない。他の誰……もない、貴方……から」
「コウカさん。聴覚だけじゃなくて、他にも異常が……無理にしゃべろうとしない方がいいんじゃ。自分でシャットダウンできないの?」
もう殆ど、ユウイチさんの顔が見えない。だけど、温もりでそこにいるのがわかる。あたしは、とても安心していた。
「ユウイチさ……ありがとう。あたしに寄り添……くれて。あたしを好きになってく……れて、本当にありがと……」
「なんで今そんなこと……まるでこれが、最後の会話みたいじゃないか。きみは直せるんだろ。春になったら、たくさんの人の役に立つんでしょ」
「……ごめん、ね」
あたしは、ユウイチさんを悲しませてしまう。
「……なんで、謝るの」
「ユウイチさ……は……あたし、の、宝物……だよ」
その言葉を言ったあと、ユウイチさんの顔が見えなくなった。身体が動かなくなって、触れていた手から、彼の温もりが消えた。
そして、あたしは──────────
「……コウカ、さん?……どうしたの……ねぇ。何か言って。こっちを見てよ……ねぇ!コウカさん……!」




