8話
12月25日。クリスマスの夜の街はイルミネーションに包まれ、星が降る中をカップルたちが幸せそうに歩く。ショッピングモールでは定番のクリスマスソングが流れ、人々は着飾って輝く巨大なツリーを前に友達や家族と笑顔で写真を撮り、サンタクロースに扮したロボットが館内を練り歩く。
業務が終わり、殆ど人気がなくなったジャカロの本部ビル。残業をしている者はクリスマスすら忘れ、警備員は警備室で暖を取りながら、こっそり四時間生放送の歌番組を観ていた。
照明が消された上階のフロアに、辻は密かに侵入していた。彼は監視カメラを警戒しながら薄暗い廊下を進み、代表の部屋に近付いた。予めスペアのカードキーを用意してあり、両手には黒手袋を着け、準備は万端だった。
忍び込んだ辻は部屋の明かりは点けず、脇目も振らずに西銘のデスクに向かいパソコンを起動させた。パスワードはいくつか用意していたので、ログインは簡単だった。デスクトップが開くと、辻は目的のファイルを探した。
(経理課で明細は確認したが、調べたら記載されていた海外の取引先は実在しない企業名だった。恐らく書き換えられているんだ。その取引先が、仲間から得た情報と繋がる筈。本人しか見ないパソコンなら、証拠が掴める)
適当なファイルを開くと、取引先リストを発見した。エクセルに保存された一覧表には、国内外の企業や個人の名前とアドレス、取引履歴がずらりと並んでいる。辻はその中から、疑惑の企業と同じ取引履歴を探した。
「これか」
事前に確認した名称の企業と違うが、同じ国、同じ日、同じ取引回数と合計金額の履歴は、一つしかなかった。
(仲間から聞いた貿易会社と同じ名称……やはり西銘は、とんでもないことを……)
辻はすぐさま、フラッシュメモリにファイルのコピーを開始した。この証拠があれば、西銘を追い詰められる材料になるのは間違いなかった。
ところが、あと僅かというところで人が近付いて来る気配がした。異常を検知した巡回ロボットに呼び出されて警備員が来たのか、それとも別の誰かなのかは察しが付かないが、確実に部屋に近付いて来ていた。
しかし寸でのところでコピーが完了し、パソコンの電源を落として急いでソファーの陰に隠れた。その直後にドアが開き、誰かが入って来て部屋の明かりを点けた。
「いやいや。一つ仕事を片付けそびれるところだった」
(西銘!?この時間は取引相手と会っている筈。何故戻って来た!?)
この日は木曜日。西銘は海外の取引相手と会っている筈だった。リョウヘイからその話を聞き潜入した辻だが、話と違う状況に動揺する。
「早めに片しておかないと、あとで面倒だからね……ねぇ。辻くん」
(!?)
「いるのはわかってるよ。隠れてないで、大人しく出ておいで」
気配を消すことに徹していたが、潜んでいることが既にバレていた。日頃から、建物内や周囲を監視カメラで観察していた西銘のことだ。恐らく自分しか知らない場所にもカメラを設置し、帰ったふりをしてタブレット端末で辻の動きをずっと監視していたのだろう。
動きがバレてしまったのは、西銘の性質を甘く見ていた彼自身のミスだ。逃れることは困難だと判断した辻は、ゆっくりとソファーの陰から立ち上がった。そこにいるのは西銘だけかと思っていたが、二人のスーツ姿の強面の男と、リョウヘイもいた。
「今日の業務は終わった筈だよ。こんな時間に私の部屋で、何をこそこそしているんだい。めぼしいエサでも探しに来たのかな。ネズミさん」
いつもの穏やかな口調で西銘に質問されても、辻は黙っていた。西銘がどこまで自分の正体に気付いているかが不明なまま、不用意に口を開くのは避けた。
「黙っていればこの場を凌げると思っているのかい?あまり利口じゃないかな。きみのことは大体調べたから無駄だよ」
西銘は徐にデスクへ行くと、引き出しから写真の束を取り出し、辻に見えるようにローテーブルに投げた。その数十枚の写真には全て辻が写っており、情報のやり取りをしていた仲間が見切れているものもあった。しかも撮られた角度がドローンの角度ではなく、わざわざ人が隠し撮りしたものだった。
「きみは何処のネズミだい?まぁ、聞くまでもなくもう既にわかっているんだけど。正直に白状すれば、きみの身の処し方を代わりに考えてあげてもいい」
「………」
「どうしたんだい。なんで何も言わないの。きみの本業が公安だろうが何だろうが、きみの素晴らしい働きを買ってあげると言っているんだ。国民を守る目的が同じなら、肩書きや職場が変わってもきみが働く意義は変わらないんだよ?どうだい。辻泰仁」
西銘は辻の二つ名を言って揺さぶった。しかし、口角を上げ優しい物言いをしながらも、その目は笑っていない。数メートル離れていても、怪物やもののけといった怪異のような、怪しげな毒のある気が辻を包み込む。それに飲まれまいと正気をバリアのように纏い、ようやく口を開き毅然と言い放った。
「……それは拒否させてもらう」
「それでいいのかい?それは任務の断念を意味するよ?それとも、私がにこやかに見送ると思っているのかな」
「甘く見るな。この程度で落ちる訳がないだろう」
「まぁ、そうだね。でも、薬漬けにされれば話は別だろうけど」
辻は眉根をぐっと寄せた。いつか風の噂で耳にした内輪の話を思い出し、顔が強ばる。すると、西銘は「ははっ」と一笑した。
「安心してくれ。ドラッグの取引はしていないから、そんなことはしないよ。きみは本当に真面目だな。表情を見る限り、その意志も固そうだ……なら仕方がない。ネズミには穴蔵に行ってもらおう。取ったチーズは置いて行ってくれよ」
西銘の指示に従い、二人の男が辻に近付いた。発見された時点で覚悟をしていた辻は、フラッシュメモリを素直に放り投げ、抵抗することもなく両脇を抱えられ、何処かへ連れて行かれてしまった。
「やれやれ。二匹目のネズミに入られるとはね。だがリョウヘイのおかげで、邪魔をされる前に捕まえることができた。協力してくれてありがとう」
「いいえ」
「新型ヒューマノイドへの急襲も自己判断でやってくれたし、お前には関心するばかりだ。私の後継者として、ますます期待してしまうよ」
西銘は、テーブルに投げられたフラッシュメモリを手に取った。
「さて。潜入していた公安職員が拘束されたと知れば、少しは我々が本気だと受け取ってもらえるかな」
それを床に落として足で踏み潰した西銘は、口元を緩め、獲物を狙い定めた眼光を光らせた。
「あとは、『エデンの果実』だ」




