5話
高校二年生の春。あたしたちは特別校外授業で、東京の国立世界遺産センターを訪れた。ここは、日本中の有形・無形文化遺産・自然遺産・複合遺産の全てをHMDを介して見ることができる、大型体験型施設だ。能楽などの芸能から小笠原諸島の海中まで、四季の気温や香りと一緒に体験ができる、人気の観光施設だ。
別館もあって、そっちには存滅の文化財の一部や日本遺産がまとめられていた。あたし的には、鬼とか神様といった架空の存在が、お祭りなどで更に人間の想像で実体化させているものが面白かった。でも、時間が限られていたから全部は見られなかったし、古いものを後世に遺す理由を知るには時間が足りなかった。
帰りのバスではみんな、芸能人を見たかったとか、東京の何処に住みたいとか見学に関係ないことを話していたけど、あたしたち三人は真面目に見学の感想を言い合っていた。
「私、神社って初詣くらいにしか行かないけど、近代的な建物とのミスマッチさとか、形を変えずに現代まで残せてるとか凄いって、改めて思ったよ」
恋愛話とイケメンが大好きなカナンちゃんでも、今日の見学は心の琴線に触れたみたいでとても感動している様子だった。
「本当だね。富士山が信仰の対象だってことも知らなかったし。日本の象徴ってくらいにしか思ってなかったから、これから見方が変わりそう」
「今日の見学だけじゃ物足りないなぁ」
「どうしたのカナンちゃん。行く前は興味なさそうだったのに」
「だって、ただの古いものだと思ってたんだもん」
行きのバスの中でのカナンちゃんは、先生に見つからないようにスマホでこっそりアイドルの動画を観ていた。そのくらい期待していなかったのに、一体何が彼女の心を動かしたんだろう。
「でも、また東京まで行くのもなぁ……諌薙にそういう施設ってあったっけ?」
「お寺や神社くらいはあるけどねぇ」
美術館で近代文化と融合した伝統の展示会はあるけど、シビリロジーで発展した諌薙市には本当に古いものに触れられる施設はない。日本各地には保存されているものはあるだろうけど。
カナンちゃんが、スマホで諌薙市近隣に施設を探し始めたのを見たあたしは、ふと提案した。
「それなら、うちに来る?」
「コウカちゃんちの研究所?」
「お母さんが昔から日本の伝統に精通してる人で、書道とか茶道をやってるんだ」
「そう言えば。中二の時に行った時、お花が飾られてたよね。あれ造花だと思ってたけど、博士の作品なの?」
「オリジナルの流派だけどね。世界遺産とかじゃないけど、それでよければ見に来る?」
「いいの?じゃあ行きたい。今度の土曜日でもいい?」
「わかった。じゃあ、お母さんに言っておくね」
そういう訳で、お母さん自作の作品を見せることになった。帰って経緯と合わせてそれを言うとお母さんは快諾してくれて、休日を返上して対応すると言ってくれた。
そして土曜日。カナンちゃんと、改めて作品を見たいと言ったミヤちゃんが、久しぶりに研究所を訪れた。あの時はお母さんを「おばさん」と呼んだカナンちゃんだけど、「お久し振りです、博士」と会釈をして、今回は礼儀正しい挨拶をした。
「いらっしゃい。どうぞ」
研究所の玄関の両脇のキキョウ生け花を横目に、二人は応接室に案内された。
来客の際には必ず通される部屋には、お母さんの自信作がインテリアとして飾られている。玄関に置かれているものよりは小さい生け花と、最近始めた陶芸の器。それだけじゃなく、部屋の一角には4.5畳の小上がりもあり、床の間には掛け軸と生け花が飾られている。応接室なのに、完全にお母さんの趣味の部屋になっている。
「すごーい。ここにあるものは全部博士が?」
「ええ。仕事の傍ら、少しずつね」
「これ、畳ですか?」
「い草の香りを付けた偽物だけどね。そう言えば。コウカは、畳の上で大きくなったのよ」
「そうなの?」
「そうだったね。研究室の端っこに敷かれた畳の上で、お母さんに手足の動かし方を教えてもらったよね」
あたしには、生まれた瞬間からの記憶がはっきりと残っている。お母さんは、あたしの膨大なデータ解析やプログラム修正をアルヴィンたちに任せて、赤ん坊のあたしにほぼ付きっきりだった。仕事熱心なのか、母性が目覚めたのかはわからないけど、今思い返せば、お母さんは最初からあたしを人間としても見てくれていた気がする。
二人にひと通り見てもらったあと、あたしたちはソファーに落ち着いた。
「博士は今、日本の伝統文化にどのくらい精通してるんですか?」
「精通なんて程、大した知識はないけどね。書道に、茶道に、華道。陶芸もまだまだ続けるし、日本舞踊もやってみたいと思ってるわ」
「お忙しいのに、凄いですね」ミヤちゃんが感嘆した。
「お母さんの場合、やるだけじゃないんだよ。本格的な茶道がしたいって言って、この前とうとう研究所の庭に茶室まで建てちゃったんだから」
「だって、ずっと夢だったんだもの」
「だからって、仕事を疎かにしないでよ?」
仕事の手を抜くお母さんじゃないから、勿論そこはわかってる。建てるって言い出した時は周りから反対されたけど、月イチでお茶会が開かれたりして、今じゃ研究員同士のコミュニケーションの場にもなっていて評判もいい。
「博士はなんで近代的な方法じゃなくて、古典的な方法で始めたんですか?」
カナンちゃんが素朴な質問をした。
「研究詰めの毎日に飽き飽きして、リフレッシュできる方法を探していたのがきっかけね。最初は現代の主流に倣っていたんだけど、それだとしっくり来なくて。だけど昔ながらの作法でやってみたら、これだって思ったのよね」
「ストレス発散だったんですか」
「現代とは違う形が、非日常感に浸れてリフレッシュできたわ。でもね、歳を重ねる毎に違う感じ方をしてきているの」
「リフレッシュできなくなったんですか?」
「そうじゃないわ。原型に込められた“思い”って言うのかしら。日本人の心の核みたいなものを感じるようになってきたの」
「心の核……」
そう聞いたカナンちゃんとミヤちゃんは、ピンときていないようだった。“心”そのものを理解できていないあたしもよくわからなくて、二人と一緒にぽかんとした。
「今の形も悪くはないんだけど、時代に合わせて形を変えてきたからなのか、その核の形が陽炎のように薄ぼんやりしてしまって儚く感じるの。だから私は、核に触れられる古典的な方法に倣ってる。その方が、不思議と身体に馴染むのよね。自分の心に付いていた余分なものが削ぎ落とされて、すっきりするの」
「じゃあ博士は、これ以上日本の伝統が現代に飲み込まれるのは、否定的なんですか?」
「否定はしないわ。遺さなければならないから、形を変えてでもそうしているんだもの。その形が現代人の価値観に合っているのなら、進化もまた、伝統継承の方法なのよ」
最後に見せてもらった庭の茶室をカナンちゃんが何枚も写真に撮って、見学は終わった。あたしは二人を送る為に、トラムの駅まで一緒に歩いた。その道すがら、カナンちゃんはあたしたちに打ち明けた。
「私、ずっと進路悩んでたんだけど、日本の伝統に携わってみたいかもしれない」
「受け継ぐ人になるの?」
「それはまだわからない。だから、国内留学する!」
「国内?」
「うちの学校、何処に留学するかは自由でしょ?私は日本の伝統について知りたいから、国内を周って勉強したい」
世界遺産センターを見学して一週間も経っていないうちに決意するその決断力に、あたしとミヤちゃんは感心するばかりだった。カナンちゃんはその時から、もう興味を惹かれるものしか見えなくなっていて、将来への道を探し当てる為の行動も早かった。




