表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫と騎士  作者: いつき
番外編
126/127

愛し方なんて分からない

『 愛し方なんて分からない』


 この人が安心する愛し方なんて、わたしは知らない。

だって誰も教えてくれなかった。その行為に関わる知識なら、教師たちが『いずれ役に立つ時が来るのです』と教えてくれたが、『愛し方』は誰も教えてなどくれなかった。

 この人が一時いっときたりとも不安を持たぬように、常にわたしがあなたを大切にしているのだと伝わるように、そんな術など、誰も教えてくれなかった。

 帰るなり力いっぱいこちらを抱きしめたアレクは、やがて手を離して『ただいま』と呟いてからわたしの頭を柔らかく撫でた。

「何かあったの?」

「そうだね、あった。でもティアには話したくないんだ、ごめんね?」

 素直にそう言いおいて、アレクは騎士隊の制服のボタンを外す。きっちりと着られていたそこから、白い首元が見えて落ち着かなくなる。

 重い上着を脱げばその下はシャツで、騎士らしくついた筋肉がそれからうっすらと見える気がする。それは、わたしがその下を見たことがあるからだろうか。

 そんな邪な考えが脳裏にちらつき、少しだけ罪悪感を持った。それでも目を逸らせずに、怪しく視線をアレクの顔に集中させた。その漆黒の瞳とばっちり目が合い、そこでもまた罪悪感のような気まずさを持つ。

「どうかした??」

「いえ……、何も」

 あなたがどうしてわたしを抱きしめたかなんて、そんなこと無理に聞き出せるわけもなかった。彼が一度、こうと決めたらなかなか翻さないことをよく知っていたから。

 それでも彼の意思を覆せるのはわたしだけだと、心で考える。他人ならば頑として譲らない彼も、わたしならば、と変な自意識が持ち上がった。

 それに背中を押されて、少しだけ恐れるように彼の背中に手を当てた。

「ねえ、アレク」

 どう声をかけたらよいか分からない。どう言えば彼を不快にしないのか知らない。それでもついそのままにしておけず、彼の背中を撫でるように手を動かした。

 安心させるようにか、それともわたしが単純に手持ち無沙汰なだけか。

「わたし、どうしたらあなたを安心させられるか、分からないの。どんなふうにしたら」

 どんな言葉で伝えれば、どんな行動をとれば、あなたの心から不安を取り除けるのかしら。

 それとも、わたしの行動や言葉では、あなたの不安や心配なんて拭えないのかしら。そうだとしたら、不甲斐ないわね。

 何でもできる、不可能なことなどないと言われたわたしが、たった一人の心さえどうにもできないなんて。

 どうしたらいいか、分からないなんて。

「わたしは、何も知らないの。何も、習ってないもの。――必要ないと、思ってたもの」

 わたしに必要なのは情熱的な恋などではなく、尊敬から生まれる『愛』だと思っていた。

 寒い北国に嫁ぎ、その王に尽くし、子をなし、国の基盤を作る。その国へ光国の血を入れる。浸透させる。寒国あちらを内側から光国こちら側にするために。

 それに必要なのは相手を不安にさせないようにする話術でも、仕草でもなかった。磨き抜かれた、笑ってしまうくらい薄っぺらい『美しさ』と、臣下を従わせ操るだけの頭脳、それから王妃としてふさわしい立ち振る舞いに、王を満足させるだけの言動。

 そんなものだけだった。わたしに必要とされ、教師たちが詰め込んだのは。

 それらはアレクの前では何の役にも立たないのだと知ったのは、もう随分と前だろうか。いや、初めから分かっていたのかもしれない。

 アレクの前でそんな作り物の言葉たちは効力をなくすし、意味を持たない。欠片の重要性も見いだせない。

「大丈夫だよ、君はいろんなことを知ってる。君の持っているもので、必要ないものなんて何もない」

 大丈夫、俺なら大丈夫。ちゃんと理解してるから、分かってるから。君がどれだけ大切に思っているか、そんなこと、もうちゃんと分かってるんだ。

 だから、大丈夫、君が悪いわけじゃない。

 アレクが繰り返し繰り返し、そう呟く。それはあまりにも小さくて、わたしに言っているというより自分に言い聞かせて納得させようとしているようだった。

 自分の中の感情を抑え込んで、無理やり押し殺そうとしているような。

「ねぇ、教えて? どうしたらいい? どうしたら、アレクを」

 どうやって伝えたらいい? あなたに一番想いが通じる方法って何?

 どうやって伝えたら、あなたは一片の疑いもなくわたしの心を信じてくれる? どんな方法をとれば、あなたが感じる不安を取り除けるの? 

「違うっ。信じて、ないわけじゃない」

「でも」

「信じてないわけじゃないんだっ」

 君を疑ったことなんてない。王女だったときも、女王だったときも、どんなときも君を信じていた。君が正しいと、いっそ馬鹿らしいくらいに信じていた。

 きっとこれからだってそうだ。疑うなんて、考えたこともなかったし、きっとこれからも君を疑うなんてありえない。

 いつも君は正しい、いつだって正しい、俺よりずっと正しい。

 アレクが叫ぶように言って、それからこちらを無理やりに抱きしめる。ぎりっと腕がきしんで、それでもそれを顔に出すことはしなかった。

 今痛みを顔に出せば、彼は離れてしまう。また恐れるように手を引いて、こちらの体に触れてこなくなる。だから意地でも顔に出さない、痛いなんて表情を押し込める。声も出さない。私の口元に浮かぶのは笑みだ。

 笑うんだ。たおやかに声を出すんだ。誰よりも淑女然として、いつもどおりに、みんなが望むとおりに。

「やめてくれ」

「え?」

「それ、止めて。頼むから」

 またぎゅっと彼の手に力がこもった。びくりと体が勝手に震える。痛いわけじゃない、その冷たい声に体が勝手に反応したのだ。ひんやりと体をなぞるその冷たさに、言いようもない不安が押し寄せる。

 間違ったわけじゃないはずなのに、わたしは。

「王女の顔をするな。そんな、顔で笑うな。そんな声で、俺を慰めるな」

 ふわりと体が浮いて、悲鳴さえ上がらない。軽々とわたしを抱き上げたアレクは厳しい表情をしたまま脚を動かした。

 優雅に歩く彼が、今日はその姿勢を崩す。何かに追い立てられたように音を立て、廊下を歩く。何かを蹴るように、乱暴に。

 それはわたしが見たこともない姿で、ここまで感情をあらわにした彼も本当に久しぶりだった。彼はいつも冷静だ。何を見ても心を揺れ動かさない。

 部下の失敗も、各地の反乱も、まるで書類の誤字を見つけたとき同様に素早く確実に処理する。まるで何でもないみたいに。それが今日はその仮面さえも捨てているようだった。

「俺は」

 アレクがそれでも激情を押さえつけ、少しだけ落ち着いた声を出した。それでもわたしを抱き上げる腕は相変わらず強くて、逃がさないとでもいうようにわたしの体を締め付ける。

 その手はいつも以上に熱くて、わたしはまた『間違った』のだろうかと不安になる。

 正しく愛したかったのに、正しく彼を想いたかったのに。正しく、この想いを伝えたかったのに。

 なのにどうして、わたしは毎回上手くいかないんだろう。上手く想えず、上手く触れられず、上手く伝えられない。

 誰か、わたしに正しい愛し方を教えてくれればよかったのに。そうすればこんなに困ることなんてなかったのに。

 教えてくれさえすれば、わたしはそれをきちんと習得したはずなのに。そしてそれを正しく使えたはずなのに。

「俺は君に、『正しく』想われたいわけじゃない」

 そもそもこの関係は世間一般では間違ってるんだ。ありえないんだ。だから俺たちには最初から、正しい『想い方』なんて存在するわけがない。

 だってこの関係性がそもそも間違いだらけなんだから。正しいことなんて初めからないから、俺たちの間に『正しい』想い方なんて存在するわけがない。

 そう言われて思わず彼の手を掴んだ。許せなかったのだ。

 いくら彼でも、そんなことを口に出すことが。せめて自分たちだけでも、間違っているなどと口に出さないようにしようと思ったのに。

 誰かに肯定してもらえない分、自分たちだけはせめて否定しないようにと。お互いの育ってきた環境が肯定を許さないならばせめて、否定だけはしないようにと。

「ティアが言っているのはそれと同じことだよ」

 さらりと言われて、次いでベッドに引き倒された。抱き上げられていたはずの体がベッドに沈み込み、起き上がろうとした矢先に彼が四つん這いになってわたしに覆いかぶさってくる。

 とっさに彼に背を向ければ、彼はその長い指をそっとこちらの背中に当ててきた。武骨に見えないながらもしっかりとした造りの指先が、何かを探るように背筋を滑る。

「正しいとか、正しくないとか……そんなこと関係ないのに」

 いつだって俺は俺として君を想ってきたつもりだよ。何度も間違ってるって思っても、それでも想い続けてきたよ。

 それは誰かに習うことでもないし、教えを乞うものでもないはずだ。たとえ誰かにこうすればいいと言われたところで、俺はそうしないはずだ。

 アレクが背中越しにそんなことを言ってくる。それでも、と出した声は掠れていた。

 あぁ、嫌だ。

 彼の近くで過ごすと、わたしは弱くなっていく。こんなにも簡単に涙があふれそうで、今にも嗚咽が漏れだしそうだった。

 あれだけ被っていた女王の仮面をもう一度被ることなんて造作もないはずなのに、それが今はできそうになかった。

「君は誰かに教えてもらわないと、俺を愛せないとでもいうの?」

 ふわりと背中に暖かい感触が降ってきて、すぐにそれが唇であることを知った。びくりと反応したのは単純に彼の言葉に否定を返そうとしたからだ。

 違う、と声を大きくして伝えたかった。教えてもらわないと愛せないわけじゃない。そうじゃない、けど。

 違うの、教えてほしかったの、上手にあなたを愛せる方法を、正しい愛し方を。

 わたしのあり方が間違ってる分、アレクを正しく大切に想いたかった。自分たちの関係が否定される以上に、正しい愛し方で、想い方で、彼を『大事に』したかったんだ。

「教えてっ、ほしかった!! アレクが傷つかないやり方を知りたかった。皆が普通に愛する方法で、あなたをっ」

 普通の女の子が好きな人に接するように、女の子なら誰もがするようなやり方であなたを想いたかった。王女や王族のやり方じゃなくて、『女の子』の方法で。

「普通って、君は普通の女の子じゃないのに? 特別なのに?」

「ちがっ」

「特別だよ、俺にとって君はいつだって特別。普通なんかじゃない。普通だったら、こんなにほしいと思わない」

 びくっとまた体が震えた。

 特別なことと、特殊なことは違う。わたしの存在は特別だけど、特殊でもある。むしろ奇異な存在だ。

 誰よりも国のことを知っていると自負していた女王の時代も、誰より国と民を愛すると思っていた王族時代も、自分の存在は普通の女の子とは大きく違っていた。

 それが嫌なわけでも、正しくないわけでもなかった。それが普通だったし、それが望まれていたから。

 だけど今は違う。そんなこと、ここでは誰も望まないし、わたしだって望んでないのだ。それなのに、上手くは振る舞えなかった。

 いつでもわたしの行動には、王族としての残り香がある。消そうとしても残る、それは厄介なもの。年頃の少女がまとえばたちどころに奇異の視線にさらされるような、そんな振る舞い方。貴族の淑女方は考えもしないようなもの。

 それが正しくないと、どうして言える? 誰もが普通にできることができないわたしは、『間違い』でしょう?

「君がどんな方法で愛そうと、君が俺を大切にしてくれることには変わりない。その事実が大切なんだよ。やり方なんてこれからいくらでも変わっていくだろうし、正解なんて存在するわけがない」

 誰かのやり方で俺を愛そうなんて思わないで。俺は自分のやり方で君を大切に想ってきたんだから、君も君のやり方で大切にして。

 それが俺にとって『正し』ければ、君は満足?

「アレクは、嫌じゃないの?」

「どうして嫌がる必要があるの?」

 俺が不安になるのはいつものことだよ、これはもう病気みたいなものだから放っておけばいいんだ。

 アレクが呟いてまた背中から抱きしめる。背中に埋められた顔がするりと滑った。湿った息が肌をなぞり、額から零れる黒髪が背中に落ちてきた。

 もしかしたら、彼もこんな感じの不安を抱いているのだろうか。繰り返し押し寄せてくる、どうしようもない不安。

 振り払っても、解決しても、それはふとした瞬間に忍び寄ってきてはわたしを苛む。本当にこれでよかったのか、それで誰かが救われるのか。アレクは本当に幸せか。

 わたしは……わたしはちゃんと彼を愛しているのか。

「俺が不安になるのは、君が悪いわけじゃない。君の行動とは無関係に不安になるんだ。もう仕方ないんだよ。君は、特別すぎるんだよ。普通の女の子の訳ないだろう。他の誰でもない、君だけなんだから」

 俺をどん底まで突き落すのは、君だけだよ。

 でもね。

「俺をすくい上げるのだって、君だけなんだよ」

 耳元でそう言われて、泣き笑いのような表情を作る。彼には見えないだろうけど、それでも肩を震わせたまま笑ってみせた。

 シーツの上で緩く握られていた手に、自分の手のひらを重ねてみる。暖かくて、やっぱり大きくて、わたしの手で覆えるはずもなかった。それでも彼の手を握りしめて、自らの手で全てを包んでしまおうとした。

 わたしはずっと、彼を守りたかったんだった。

「君は分かってないんだね。不安だろうとなんだろうと、俺はもう他に選択肢がないんだよ。不安だから君を手放すなんてこともできず、かといって全てを手に入れたと思えるほど自惚れることもできない。だからこうやって、君を抱きしめてその間だけ安心するんだ」

 アレクが優しく言葉を吐き出していて、それだけでとても愛しくなった。

「いいんだよ、この間だけで。君に触れている時間だけ、安心できるんだから」

「相変わらず、欲がないのね」

「いや、欲だらけだよ」

 アレクが少しだけ笑ったようで、背中を滑る吐息がわずかに大きくなった。

「何度でもいうけど、俺はこれ以上にないくらい欲深いよ」

「あなたが手に入れたものと言えば、元王女の少女一人よ」

「十分だよ。むしろ大きすぎるくらいだ」

 愛し方なんて分からない。知らないし、多分これからも『正しく』て、『普通』の愛し方なんてできない。

 アレクを不安にさせないなんてこともできなくて、アレクを守ることもきっとできない。それでもわたしは彼の手を離さないようにしようと決めた。

 否定しないように、自分のやり方で彼を守れるように。それがわたしの愛し方だと言ったら、アレクはまた少しだけ笑って『頼もしいね』と言って手を握り返してくれる。


 あなたが望むなら、やり方が分からないままもがこうか。

 せめてあなたの手を取って、すくい上げれるように。


 すごく久しぶりに更新しました。途中何が言いたいのか分からなくなりつつ。ティアは私が思う以上に『普通の女の子』に拘っているのかなぁと。

 ティアなら何でもいいアレクを見せてあげたいです。


 いつかティアが王族に戻ってしまうかもしれない、という不安に溺れるアレクを掬うのも、不安に押しつぶされないように常に気を張っているアレクを救うのもティアちゃんであってほしいな、と思ってます。


 ……次回は早めにあげたいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ