キスに思いを込めて 7
むっつりなセシルさんが見たくない方は、スルー推奨。
書いてる間、ずっとセシルさんは笑顔の裏で色んなこと考えてるんだろうなと、妄想していた結果がこれです。
セシルさん好きな方、すみませんでした。
~腕と首へは欲望~
無知なわたしは、ティアに言われるまで何一つ考えてなかった。
ただ漠然と、今日という日を迎えるためだけに努力していた。立ち振る舞いから、食事の作法から、結婚式のしきたりの細部まで。だから唐突に『今日、この後さ』とティアに話題を出されたとき、呆然とした。
え、この後……。結婚式の、後?
ぽかんとしたわたしを見て、ティアは天を仰いだ。呆れた、とその口が動く。
「グレイス、一応聞いておこうと思うのだけれど。――あなた、どこまで知ってるの?」
「え?」
「だから」
ティアが声を潜めた。聞かれたら不味いというように、動きにくい花嫁衣裳のわたしを引っ張ってセシルから離す。
セシルは少しだけこちらを見たが、ティアの顔を見て引き止めるのを止めたようだった。ティアの顔が怖い。
「マザー・アグネスはあなたに一体どこまで教えたの?!」
「えっと、何を?」
「何をって!」
マザー・アグネスが教えてくれたことなら山ほどある。だから教えてもらったことって何か聞けば、すぐ思い出すと思うんだけど。マザーはわたしに、生きるために必要なことは大抵教えてくれていると思うし。
それなのに、ティアは怖い顔をしたまま何も言わず、ただ呆れたように息をついてからこそこそと耳元で小さく呟いた。その途端、お互い顔が熱くなった。
「だから……えっと、初夜に起こること、とか」
「えぇっ?!」
ばふっと手袋で覆われた手がわたしの口を覆う。しかし、彼女の配慮なのか顔を触ることはなく、化粧云々を気にすることはなかった。
それより、しーと口元に人差し指を近づけられたので、思わず黙る。しかし、ティアの口から出た単語がっ。
「ティ、ティアっ」
「黙りなさい、とりあえず黙れ」
可憐に響くと言われる王女の声が低くなり、瞬く間に王代行の声に変わった。びくりと肩を震わせれば、また耳元に口を寄せられ、彼女にしては少々焦ったような声が聞こえた。
「王族は大抵、教えられるものなのよ! 結婚が早いからっ。なのに、なのにマザー・アグネスはっ」
一切何も教えてないというの?! 冗談でしょ。いまどきそんな過保護がどこに存在するっていうの?! こんなことなら、城にいるうちに全て叩き込んでおくんだった!! 等々。
ティアは混乱したように耳元で小さく叫んだ。それからふぅと息をついて、すぐに優雅な王女へと戻る。
顔を元の位置に戻したときには、さっきと何ら変わらぬ、美しく微笑む姫君がそこへいた。その代わり身の速さは一体なんなんだろうね、ティア。
「えっと、まぁ、大丈夫よ。うん、セシルだものね。女性の扱いには慣れているんじゃないかしら」
慣れてる、の? それって、わたし以外の人の……。
「え? あ、扱いに慣れてるっていうのはほら、貴族だからね。エスコートの仕方とかも色々習うのよ。アレクもよ。憎たらしいくらいに二人とも完璧だから。グレイスは何もしないでいいのよ。多分ね」
ティアが取り繕うように言ってから、あちらへいるセシルとアレクさんを見た。
二人並べば、配色は違えど兄弟だと疑いようもないほどよく似ている。セシルの方が、少しだけ優しそうだけど。アレクさんはきりっとしていて隙がない感じ。
「ティアは、その。知ってるの?」
「へっ、わっ、わたしは! 王女ですもの!!」
ティアの顔がほのかに紅くなった。彼女もまた、わたしと変わらぬ年の少女なのだとやっと安心した。
よかった。これで顔色一つ変えられなかったら、わたしどうしたんだろう。多分すごく混乱したんだろうなぁ。そんなことを思っているうちに式が始まった。
ガチガチに固まったグレイスは、ベッドの上でちょこんと座っていた。それはもう、つけている意味があるのか、というくらい薄い下着姿で白いシーツの上に固まっている。
目も合わせてくれない。何というか、だ。少し寂しい。ティアから聞いてはいたが、まさかここまでとは。アドバイスをくれた友人に感謝するしかないだろう。
『とても、あの……無垢だわ』
違うよ、ティア。無知、なんだよ。
「グレイス?」
「はっ、はひっ」
噛んだ、今絶対に噛んだ。
緊張しすぎてこちらを見ない。ひたすら視線を合わせないように、自分の膝を見ていた。ふぅ、と息を吐いてから彼女と目を合わせようと床に膝をつく。
下を見ていた彼女と、ばちりと視線が合った。その途端、彼女は今まで見たこともない顔をした。恐れている、んだろう、多分。
しかもこれからの行為じゃなくて、俺自身を。
その事実が僅かに痛い。
「嫌なら、何もしないよ? こういうのは、慣例だから何とでもなるし」
優しく話しかけると、彼女の瞳が揺れた。今にも泣きそうになっている。
あー、言葉の選び方を間違えたか? それでも、他に言葉など浮かばず、恐る恐る彼女に手を伸ばした。
彼女がびくりと肩を震わせるので、抱き寄せるのではなく頭を撫でるだけにした。
「あの、セシルは、その」
何とか言葉を吐き出そうとする彼女の声を聞くため、隣に座る。
ベッドが一人分の重さ沈んだ。広いベッド。多分、寄り添わなくても十分寝れるんだろうな。さすがにくっつかれると我慢がなぁ。
男なんてこんなものなのか、と一人で物思いにふける。
「セシルは慣れてるからっ、わたし……」
言葉が途切れて、顔を窺うと今度こそ涙を零していた。
何で、泣いてるの? 俺が慣れてたらどうなんだ? そりゃ、慣れるだろ。長男として跡継ぎを作ることが最優先とさえ言われる、この社会で生きてるんだから。
アレクだって一緒だろ。あいつはあいつで、黒髪の人間としての役割があるんだし。奴がただ一人以外にまるで興味がないのは知っているつもりだけど。
「グレイス? どうしたの?」
「つまらなかったらどうしようかと思って!」
グレイスが一気に言い切ってからベッドへ逃げた。
え、ちょっと待って。言い逃げなの?!
「ちょっと、グレイス!」
「ごめんなさい! 無理!! ティアみたいに美人じゃないし!」
同じ顔しといてそれ言うの?! しかも、若干幼い造りの彼女より君の方が絶対に大人でしょ。凹凸的な意味でも。
聞かれたら絶対にティアに殴られるなぁと思いながら、そう思う。ドレスを着ると顕著に分かるよねぇ。
いや、ティアは色々デザインで誤魔化してるけどさ。あれは絶対に、幼いだろ。それならグレイスの方がよっぽど大人っぽいと思うんだけど。
「えっと、グレイスは、俺が――君をつまらないと思うと?」
「だ、だって。な、何も知らない、から」
誰だ。花嫁修業を散々させといて、何も教えなかったのは。
ティアを思い浮かべ、我が母を思い浮かべ、グレイスの育ての親を思い浮かべ。誰も教えそうにないことに気がついた。
そうか、誰も教えてないのか。ティアが言うとおり、全然。
それで、つまらないと思うとでも?
大声で言わせていただきたい。全くの逆だ、と。
「えー、まずシーツから出てきて。つまらないと思わないのは確かだから」
まず彼女をシーツから出す。髪が僅かに乱れていて、それを直すふりをして彼女に近づく。さらさらの金髪を指で梳きつつ、彼女と目を合わせる。
真っ赤な彼女はぎゅっと下着の裾を握りしめている。その様子を見て、キレイなレースがついているそれを誰が選んだのか気になった。
「で、君は初めてなのを気にしてるんだよね」
「う、ん」
するり、と下着の裾を強く握り締めていた彼女の手を取る。そのまま指を絡めると、少しだけ握り返してくれた。
世の中の初夜はこうやって始まるものなのか、とても疑問に思いながら。俺たちらしいのかなぁ。
「俺は別に、グレイス独占できるしいいなぁとか思ってるんだけど、どう?」
剥き出しの二の腕にキスを落とすと、彼女の顔がより一層赤く染まった。返事をすることさえ忘れているらしい。
可愛い。とても可愛い。流れる金糸にキスを落とし、その生え際にもキスをする。少しだけ彼女が、くすぐったそうに身じろいだ。
「セシル、今、楽しんでる?」
唐突な問いに、何も考えず『うん』と返す。事実、楽しい。
どっかの誰かさんと違ってこっちには余裕があって、目の前にはすでに妻になった少女がいる。そりゃ、少しくらい待ってもいいかなっていう余裕がありますよ。
もう焦らなくても、彼女は誰のものにもならないから。ずっと、一生自分の隣にいると彼女が信じる神に誓ったんだから。
このときばかりは信仰心のない自分でも感謝した。
「呆れて、ない?」
「まさか。花嫁さんの可愛さに見惚れてますよ」
「何か、その言い方ヤダ」
可愛いその言い方に、額に落としかけていた唇をそのまま彼女の唇に重ねた。
こんなに、色んなところにキスができるんだって知ったのは君のおかげ。そこかしこにキスを落として、君が小さく声を上げるのが楽しいなんて、立派な変態だろう。
「わたし、本当に、何も知らないんだけど」
「全部教えてあげる、とか言うと何か犯罪くさいな」
ティアが聞いたら、間違いなくドン引きされるだろう。彼女と同じ顔で気持ち悪いと言われると、少し傷つくから止めて欲しいのだけど。
それでも、よく見たら彼女とグレイスは余り似てない気がした。
瞳はグレイスの方が優しげで、口元はグレイスの方がすっきりとした造りをしている。頬はグレイスの方がふっくらしていて血色もいい。
雪のようだと評されるティアの肌は、若干不健康そうなのだ。それならグレイスの少し日に焼けている肌の方が元気そうだし、可愛いと思う。
アレクとケンカになりそうだな。
「グレイスが嫌なら、何もしないよ。本当に。君に嫌われる方が、堪えるからね」
目の前でお預け食らうよりも、だよ。
本当に、グレイスは自分の魅力とかそういうものをもっと知った方がいいと思う。たとえばこちらがどれだけ我慢してこの日を待っていたのか、とか。
可愛くて可愛くて、弟に若干引かれながらこの日を迎えたこととか。
わが母上と大喧嘩をした末、グレイスを迎えたこととか。いや、最後のはグレイスが気に病みそうだから別に知らなくてもいいけど。
とりあえず、そう。
グレイスはこちらの我慢とか欲とか、そういうものをもっと知るべきだ。目の前に純白のシーツに囲まれた、なかなかに露出の高い格好をしてここへいる君から、目が離せないんだって。
ティアから散々『焦らないでゆっくりね、本当にね。あの子、真面目に逃げ帰ってくるかもしれないから。ゆっくり、なるべくゆっくりしてあげて。怖がらせないように』と念を押されたのに、早くもその約束を守れなさそうなんだから!
ティアは男の気持ちが分からないからあんなことが言えるんだ。そうに決まってる。
「えっと、あの、セシルが……」
グレイスの言葉が止まり、ちらりとこちらを上目遣いで見てくる。
あー、明日アレクに自慢しようかなぁ。こんなにうちの嫁は可愛いんだよと。お前も早く結婚してしまえばいいよと。
弟に本気で喧嘩を売るつもりなんてないけど。
「セシルがしたいように、して。わたし、セシルの、お嫁さんだから」
ちょっと、誰か俺を止めて。もうこのまま彼女をどうにかしてしまいたい。
ティアとの約束なんて破って、このまま彼女をベッドに押し倒すくらいしても許されると思う。彼女が可愛すぎるから!
「グレイス、おいで」
それでも、逃げられたり嫌われたりするのなんて避けたいから、彼女に向かって手を伸ばした。彼女は何の疑いもなくこちらの手を取り、ふわりと抱きついてくる。
柔らかくて温かい彼女を抱きしめて、息をつく。こちらを疑わない、多分俺が何を考えてるのか知らないグレイスが、何だか気の毒になった。
多分彼女は、こちらが考えているようなこと一切知らないんだろう。
「グレイス、好きだよ。んー、違うね。愛してる、だよね」
ちゅ、と彼女の首に吸い付く。さすがに跡は残さない。
それはもう少し先のお楽しみに取っておくことにしよう。焦らなくったって、彼女はちゃんと自分の妻だという自覚があるし、逃がすつもりもない。
うん、大丈夫。
それから彼女と向き合って、額に頬に、鼻の頭に、唇に。考えられるところ全てにキスを落とす。
おずおずと、彼女も慣れないながらそれを返してきて、胸が一杯になった。絡める指先に力を込めれば、同じ分だけ返される。
それが幸せだと思った。
「えっと、痛い?」
「どーだろうね」
まさか、すごく痛いとか死ぬほど痛いとか、そんなこと……言えないから。
逃げ腰になるようなことを、そもそも教えるわけがない。いや、分かんないし! もしかしたら、痛くないかもしれないし!!
体験したことないから何も言えない。
「ティアが、死ぬほど痛いって……」
「ティアは」
お前は経験ないだろ! ティア!! それとも何か、うちの弟と、もうそこまでの仲なのか、違うだろ。だったら、人の妻にいらないこと吹き込まないでくれ!
何なの、あの王女様。初夜ぶち壊したいの? だからあんなにいらない助言ばっか与えるわけ? いつ嫌われた。
「あの! でも大丈夫だよ! うん、頑張る」
「俺も頑張るよ」
情けない、雰囲気もない、多分色気だってなくって、人から見たら笑われる。それでも、君を大切にしたいんだ。
とりあえず、明日朝一番に王宮の姫君に文句を言うことを固く誓い、とりあえずグレイスの目を見て笑った。
そう、何はともあれ、幸せなのだ。