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姫と騎士  作者: いつき
番外編
120/127

キスに思いを込めて 4

~唇には愛情~


 幼い頃、思っていたことがある。それはこっそり侍女たちの目を盗んで町へ下り、本を買って読んでいるときとかに。

 その頃はすでに自分の立ち位置というものがおぼろげながらに分かっていて、自分は『王女』だと自覚していた。しかしその責務の重さも、大切さも何も分かっていなかった。

 ただ特別なのだということは知っていた。だけどその特別がどんな意味を持っているかなど、全く考えたこともなく、普通の人がどんな本を読んでいるのか興味があった。特に、少女達が読むような本に。

 その本は遥か昔の騎士と姫の物語だった。

 城の中で地位の低い姫が、たった一人忠実な騎士だけを味方に生きていく話。その騎士の髪は漆黒で、瞳も闇色。全身を黒で塗り固めたかのような格好をしてた。

 そして姫は光り輝く金の髪で、碧の瞳を持っていた。その二人の物語は、とても切なく甘い恋の物語。幼いわたしはぼんやりと思ったのだ。

 騎士に恋する姫君に、未来などあるのかと。

 その問いが、今更になって自分の胸に迫る。騎士に恋する姫君に、未来などない。二人の先に、道などあるはずもない。

 それなのに引けない、手放せない。

 あぁ、物語の姫同様、わたしも愚か者だ。

「ティア? どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 執務室で二人。広い部屋で、たった二人っきり。

 それなのにわたし達の間には、見えない溝がある。それをわたしは、体全体で感じている。たとえここで手を伸ばしても、アレクは素知らぬ顔で逃げるのだろう。

 わたしが避けられたと自覚しないほど、自然にわたしの手から逃れるのだろう。卑怯なほど、優しい騎士だから。

 その身に宿るのは、古くから流れる貴族の血。王族にかしずき、いついかなるときも王の片割れにいること。他のどの勢力にも屈することなく、ただひたすら王の近くにだけ鎮座する。

 王以外の命には従わず、決して(たが)えることのない忠誠。それがどれだけ得がたいものか。わたしにももう分かる。

 絶対に裏切らない人間を手に入れるのが、どれだけ困難か。そんなこと知ってる。

 知っているが、それを欲しいなどと思ったことはない。漆黒をその身全体で表す彼から、絶対の忠誠など望まなかった。

 ほしかったのは、忠誠などではない。破られることのない約束が欲しかった。忠誠心だけで、ここにいるのではないという約束が。

 それがどれだけ愚かな我がままか、知っているつもりだけど。手にした書類に目を通すふりをして、口元を歪めた。

 自分の性格が、これほど恨めしいと感じたことはない。

 王族を辞めるなどと言ってはみても、結局わたしは逃げられない。今だって自分が退位した後の予定を立てている。

 全国各地へ兵を敷き、反乱する動きを僅かにでも見せれば片付ける準備をする。弟の治世に僅かな不安も残さぬよう。

 自分が撒いた種くらい、きちんと回収できるように。

 用心深く、予定を立てる。

 書類を扱う手はすべらかとは言いがたい。刺繍も知らぬ、芸術も嗜まぬ自分の手は、少女の手ではなかった。

 王の手だ。来る日も来る日も書類を捲り、判を押し、論議中に机を叩いて大臣達を黙らせる手。刺繍針を持ち、恋しい相手へ送るハンカチなど縫ったこともない人間だ。

 同様に、必要最低限の知識しか持ち合わせず、娯楽で詩を読む趣味もない。

 こんなにも、わたしは人として足りない。少女として足りない。

 王族を辞めて、それからわたしは何の役に立つのだろう。普通の少女になど、戻れるはずもないのに。

 普通の少女の姿など、遠くからしか見たこともないのに。

「アレク、そこの書類。全部こっちへ持ってきてくれる? あぁ、あとそっちの書類はすぐ来る大臣に渡してしまって」

 それから、と言いかけて、言葉をとめた。

 ふわりと落ちてきた彼の顔に、瞬きもできずに体が硬直してしまう。抵抗もできず、彼がするままになった。

 書類を持つ手を掴まれて、頬を捕らえられて、ただ彼の求めるままに口を開いた。かっと頭に血が上る。

「なっ、何っ。なん」

「ティア、動揺しすぎ」

 ふわっと彼が楽しそうに笑った。優しい、笑顔だった。

 瞳を細められ、滅多に上がることのない口角を上げ、その鉄面皮が崩れる。仕事中は表情を全く出さない彼が、笑みを作るだけで部屋が明るくなった気がした。

 わたしの欲している、彼の姿だ。手から書類が零れ落ちて、床に散らばった。あぁ、重要な書類なのにと目で追うこともできず、彼に頭を抱え込まれより一層ことに熱中する。

 深く、思考さえ飲み込まれてしまう。頭を抱え込まれ、頬に手を添えられ、彼のなすがままに吐息を漏らす。

 広い執務室に、吐息だけが響いた。静かな部屋に、わたしの声だけが落ちる。

 外に漏れるという意識さえなく、ただ彼が翻弄するままに従った。やっと解放されたと思った頃には、すでに息は上がっていて、視界はぼんやりと掠れていた。

 目の前の顔が、僅かな愉悦に染まる。

 この瞬間を、わたしは知っていた。彼はいつも、こんな顔をする。わたしの意識が途切れ途切れで、息さえまともにできない状況になるといつも、同じような表情でわたしを見つめるのだ。

 わたしが、どんな顔をしているのか知らないけれど。

「どう? 考え事は吹き飛んだ?」

「え?」

「気難しい顔して、また必要のないことを考えていたのかと思って」

 さらりとわたしの思考を読んで、彼はわたしから離れた。ちらりと彼の顔を見ると、もうすでにいつもどおりの顔をしていた。

 寒月の君、などと侍女たちに呼ばれる鉄面皮。思考を一切滲ませず、その整った顔に無表情だけ載せたいつもの彼。

 先ほど嬉しそうに笑った顔も、愉悦に満ちた顔も、キスしたあとに見せたわずかに光る瞳も、全て一瞬にして隠していた。

 それなのに声だけは優しくて、顔と声の違いに目をしばたかせる。

 そうか、読まれていたのかとやっとのことで悟る。自分はまだ、情けない顔をしているのであろう。滲む視界に気付いて袖で目を拭った。

 それから紅くなっているであろう頬に手を当てて、冷やす。息をゆっくりと整えて、いつもの王女に戻ろうとする。

 この国の民が求める、強くて賢い姫君に。

「不意打ちは、卑怯だと思うわ」

「予告すればいいという話?」

 違うわ、と言い返して、ではどうすればいいのだろうと自分の言い分に首を捻る。それから慌てて首を振り、アレクに再度言った。

「ここで、その、不謹慎なことしないで! ひ、人がっ、人が」

 言葉が続かず、つけたはずの仮面はボロボロに崩れた。

 違う、こんなのリシティアじゃない。それなのになかなか元には戻らず、幼いティアであるわたしは途方にくれる。

 強いリシティアは、冷静な王女は、いつでも正しい女王はどこへ行った。

「何度でも言うけど」

 アレクがこちらを向いた。全くの無表情。その口から零れる言葉だけが唯一、彼の心情を表す。

「俺が愛したのは、君の全てだ。王女であり、女王であり、王族であり……ティアの全てだよ」

 だからどうしたのだ、とわたしは言い返せない。強く、何かを言うことができない。ただ何か言うことがあるとすれば。

「だからと言って、ああいうことはしないでほしいの」

「キス嫌いなの?」

 さらっと言われた、わたしが言わないようにしていた単語に顔を上げる。散らばった書類を全て正しく並べ終えたアレクは涼しい顔をして再度問うてきた。

 『キスは嫌い?』と。

 その問いに何と答えたらいいか分からず、とりあえず叱責するために口を開いた。その瞬間再び口をふさがれ、彼の思い通りに翻弄される。

 抵抗する手も絡め取られ、イスに押し付けられ、ただひたすら咥内を確かめるように塞がれた。悔しいことに、抵抗する力を奪われて、最後に『嫌いじゃないよね』と笑われた。

 箍の外れたアレクはとてもいい性格をしてらっしゃるような気がします。

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