キスに思いを込めて 2
ずっと書きたかった親御さんたちのお話。
シルドさんは男前だよ、と言い続けていたのはこういう妄想をしてたから。
~額にするは友情~
旧王都というのはどうにも好きになれない。
その理由ははっきりとしていて、旧王都の人間が新王都の人間を好いていないからだ。自分は新王都の生まれで、育ちも生粋の新王都だ。言葉だってそうなっているし、立ち振る舞いもそちらに準じている。
しかしここでは違う。旧王都では全てが違うのだ。もう廃れ、力もない旧王族たちが未だ自らの権力を誇示していた。
馬鹿らしい。
お前達はもうとっくに新王都では必要なくなっているんだ。どんなに古の血を振りかざそうとも、新王都を揺るがすような力はもう持っていないはずだ。
それでもこちらの様子を窺いに来るのは、やはり旧王都の人間が悪巧みなどしないようにという牽制だ。わが友人である新王が定期的に視察を頼んでくるのだ。
もっとも、視察だけが目的じゃないようだが。
「おや、ボールウィン家の若狸ではあるまいか」
上からそんな声がして、ついでがさりと頭上の木々が揺れた。言うまでもなく、新王がこちらへ自分を飛ばすもう一つの理由のお出ましだった。
木の枝に乗った人間がふわりと笑う。柔らかな金糸が目に美しい、笑顔の可憐な少女が顔を出した。
「ク……いえ、次期王妃様、こちらへいらっしゃったのですか」
「クラリスでよい。前はそう呼んでいた」
次期王妃――クラリスはこちらで知り合った少女だった。
旧王家の血を引く、正当な旧王族だ。力のない実家にすがり付こうともせず、王族らしくない性格でこちらを翻弄するのはお手の物。
ついにはわが友人である国王も陥落させた。美人とは恐ろしい。
「言っておくぞ、シルド。わらわは王妃になっても、そなたを友と呼ぶ。大体、あの王よりそなたとの付き合いの方が長いんだ。どちらが好きかと聞かれたら、迷うべくもなくそちを選ぶ」
あの王は好かん。わらわを美しいというが、奴はそう思っているように見えん。
クラリスが不満そうに鼻を鳴らした。色ボケしてしまった友人に変わり訂正するべきかと思ったが、どうでもいいことなので黙っておく。
それに友人と呼ばれたのは少しだけ嬉しくて、ついつい顔に笑顔を滲ませた。ここにいる旧王族は苦手だが、感情を包み隠さず見栄を張らない彼女との会話は心地いい。
「そう言うな。お前だって嫁き遅れるのは嫌だろう?」
「嫌だが……、今更奴のところへと嫁ぐことに自信がなくなった」
珍しいことも起きるものだ。
その可憐な見た目に惹かれて求婚する若者達が、彼女の奔放な振る舞いに振り回された挙句に退いていくのを楽しそうに見ていたはずの彼女が、自信がなくなったとは。
花嫁は大抵同じ悩みを持つというが、なるほどこの少女も例に漏れずそれくらいの緊張はするらしい。
何せ嫁ぎ先は彼女の両親が何より嫌う新王都だ。友人もいないから不安だろう。
「ユリアスは、間違いなくお前を愛するだろう。色恋が絡まなければ優秀な男だ。お前が心配することなど何もない。
今の王族だって、旧王族とのつながりは欲しい。お前が蔑ろにされることなんて、まずありえない」
木の枝から足を伸ばし、ふらふらと足を上下に揺らす彼女はまだ幼い。ドレスが捲れ上がっていることにさえ気付かないのだから、この年の少女にしてみたら格段に未発達なのだろう。
それも当然か。新たに生まれた旧王都の人間も、今は王都で働く方が多い。この年になってここから出たことがないというのは、かなり過保護に守られていた証拠だ。
少女の両親は一体、何を考えて彼女を閉じ込めていたのだろうか。
全てを知らせず、お前は王族だと叩き込み、次の代にこの血を続けろと言い聞かせ。馬鹿らしい。そんなもののために、彼女はここへ縛り付けられている。
「なぁ、シルド。わらわは、この国の王妃になるのだな」
「そうだ。ユリアスとともに、お前はこの国の親となるんだ」
クラリスが笑った。端正な顔立ちは、それだけで芸術品のようだった。
あぁ、旧王都で好きなものが一つだけあった。彼らの作る芸術的なまでの家具や装飾品だ。決して豪華でなく、目立つことなく、しかし華やかさを失うことはない。
優美で、繊細で、彼女の腕や耳といった肌を飾りつける。
美しいと、素直に賞賛できるほどだ。
「シルド」
「何だ」
「シルド」
「どうした、クラリス」
「やっと呼んだな」
ふふ、と彼女が笑って木から落ちてきた。そう、降りてきたではなく、落ちてきた。
慌てて受け止めて、その衝撃に耐え切れずに尻餅をついた。『情けないことだの』とクラリスは他人事のように笑う。
こいつ、自分のことを棚に上げて。
「なぁ、そなたが婚約者にならなくてよかったと思っておったのだ」
「それはどういう意味か聞いておこうか、次期王妃殿」
彼女が笑ってこちらの顔を掴んだ。え、と声を出す間もなく、額に唇を押し当てられる。
ここにユリアスがいなくてよかったなと、心の底から思った。いたら生きてはいないだろう。俺もあいつを裏切るつもりなどない。
あいつはこの国に必要な王だから。
「あなたが誰よりも大切な友人だからよ、私の大切な友人」
「お前の新王都語は違和感があるな」
「何と、練習したのに」
拙い言葉に笑いながら、口付けられた額を押さえる。驚いた顔を一切見せず、動揺は心の奥底に隠した。
彼女にも友人にもばれないように、ずっとずっと奥深く。一生この動揺を表に出さないようにと願いながら。
「お前は今のままでいいんだよ。ユリアスも、そっちの方が嬉しいだろうからな」
「そなた、奴が本当に好きなんじゃな」
なぁ、クラリス。俺たちが婚約者候補で出会ってからもう一年以上経つよ。
お互いを友人としてしか見てなかったけど、俺はお前のことを結構気に入ってたんだ。ユリアスとの結婚が決まって、それを喜ぶくらいには。
大切な友人が、大切な友人と結ばれると聞いて、喜ばないわけがないだろう?
その幸せを、自分が守れるんだと思って、嬉しくないわけがないだろう?
「先ほどの口付けは、友情の証じゃ。そなたがわらわを裏切らぬように、わらわもそなたを裏切らない」
あぁ、でもな、クラリス。
今更になって、本当に少しだけ考えてしまうことがある。お前をユリアスに『俺の婚約者だ』と紹介していたら、何か変わっていたのかと。
この口付けの場所が、変わっているわけじゃないだろうに。
「夫は裏切るからな。でも友は裏切らぬ。絶対に、な。だからそなたとは友人としていたい。絶対に、裏切られたくない」
きらりと新緑の瞳がこちらを射抜いた。木々の間から零れた光がキラキラと彼女を多い尽くす。
彼女にはここが似合っている。無理に王都へなど行かせる必要ないのかもしれない。森の緑が深い、人の少ないここで伸び伸びと暮らせた方がいいのだろうか。
そんなことを考えながら、自分もまた彼女の額にキスを一つ。生まれて初めて、これだけの緊張をした気がする。
「何だか、照れるの。こういうの」
「お前が先にやってきたんだろうが。お前が照れてどうする」
自分が思うより早く、額を押さえて彼女が俯いた。そんな彼女の前髪を梳き、そっとその髪の先にもキスを落とす。
そうだ、自分はきっと彼女を裏切らないし、裏切ることなんてできないだろう。初めて守りたいと思った友人だから。
一緒に馬鹿をする友とも、ともに夢を見た友とも違う。何の見返りもなく、守り、支えたいと思った友人。
だからきっと、これは……。
「クラリス、覚悟しとけよ。真面目なユリアスは男でさえ惚れるらしいぞ」
「そうか、楽しみじゃな」
そなたがそこまで惚れこむ男じゃ。わらわたちは好みが似ているから、きっと好きになれる。
その言葉が妙に胸に痛かったなどと、そんなこと言えるわけもない。だから笑う。お前達の幸せを願う。
大切な、愛しい友人達が共に歩く道を助けよう。それが俺の役目なら、喜んでその使命を果たそう。俺とお前は、無二の親友だから。