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姫と騎士  作者: いつき
番外編
113/127

間幕 その剣は誰がために

 パロディー的な位置で見ていただけたら。

 もう一つの、もしかしたらあったかもしれない、グレイスがらみの事件。当初はこんなのイメージしてました。

「こっち!」

 わたしの手を引っ張って、彼は言う。いまいち状況が掴めず、彼の手に従った。ぐんぐん力任せに引っ張られ、足がもつれる。

 こけそうになったところで、体を支えられた。

「グレイス、もう少しだから頑張れ」

 腰を掬いとられ、声が出る。情けないその声に、今日の彼は笑わなかった。

 すごく思い詰めた表情で、いつもよりずっと怖い。寄せられた眉も、引き結ばれた唇も、この状況が普通ではないことを私に知らしめていた。

「セシル?」

 走りすぎて苦しい肺。

 胸が妙に熱くて、喉が苦しかった。

 それでも止まることを許されず、ただひたすら足を動かす。乾いた咳がたて続くに出ていく。走ろうと出す足もバランスを失い、つまずくことが多くなった。

「グレイスっ、あとほんの少しだから」

 苛立つような声に足を出し、それでも苦しくて涙が滲んだ。そのとき、頬を何かが掠め、ちりっと熱くなった。

 何気なく頬に手を当てれば、暖かい液体が指を伝う。

 恐る恐る指先を確かめる。何故かもう走っておらず、目の前に険しい顔をしたセシルがいた。

「血……」

 呆然と呟く。何故か頬から血が流れていた。何が頬を掠めたの?

「傷つけるつもりはなかったんだが」

 まぁ、命はあるからいいか。

 どこからかそんな声がして、体が震える。ただでさえ走った後で息が上がっているのに、整える暇もなかった。

 使いすぎた足は限界など遠にすぎていて、ガタガタと震え始めていた。そして、その震えを大きくするように、目の前に男が出てきた。

 紺色の、闇に隠れる衣装は、薄紅の日の下で見ると溶け入るように自然だった。顔も満足に見えない距離なのに、声だけはしっかり聞こえた。

 そして、その距離を知って大きく体が揺らいだ。その距離から、人の肌を傷つけるようなものをこちらに寄越したのか。

 ちらりと視線をやれば、ほどなく離れたところに短刀が転がっていた。それでなおさらはっきりした。あれを、離れたところから投げたのだ。

 よほど自分の腕に自信があるのか、傷がついてもいいと思ったのか。どちらにしろ、少しでもそれていたら、と考えると言い知れぬ恐ろしさが胸をついた。

「侯爵殿、その姫君を渡していただけませんか? 失礼ながら、あなたの元では、彼女の真価は発揮されない。宝の持ち腐れだ」

「お前に渡すくらいなら、持ち腐れで結構。お引き取り願おうか」

 セシルが唸るように声を出した。

 食い縛った歯の間から、絞り出すような低い声が聞こえた。威嚇するような声に、男は笑い声をあげた。

「将来、公爵家をつぐ侯爵殿が、一体何を本気になっているんですか? 一人の少女の手くらい、離せるでしょう?」

 『ボールウィン公爵』は、彼のお父さんの称号。将来彼が継ぐかもしれない名。『アイヴァント侯爵』は彼が既に持っている位だ。

 男はわざわざそれを呼び分けた。その意図は分からなかったが、セシルにはしっかりと伝わったらしい。わずかな怒りが一気に爆発した。

「彼女から手を引けっ」

「それはこっちの台詞だ、侯爵殿。さっさと姫君をこちらへ渡せ」

 丁寧だった言葉が急に荒々しくなる。しかし、あくまで声の中の余裕は失われていなかった。

 悠然と構えていて、逆に寒々しい。恐れが体を支配して、震えが止まらなくなる。

「彼女を、平気で傷つけるのに?」

「関係ないな。必要なのは、その血だ。美しい顔も大層価値がありそうだが、あいにく雇い主も俺も『本物』の王族の方が好みでね」

 近づいてくる気配がして、じりじりと後ろに下がろうとする。しかし、動かない足を急に上げようとしてバランスを崩した。

 ざっと砂を蹴る足音がして、バランスを失った体が浮いた。とっさに安堵したあと、目の前に男がいて震えた。

「俺が支えようとしたのに。侯爵殿にお株を取られてしまった」

「彼女に触れるな、指一本でもだ。勝手にティアのとこにでも行けばいい」

 にやり、と笑った男に、セシルが唸った。体を包む腕に力が入って、少し痛かった。それだけ、セシルにも余裕がないということだろう。

 いつもこちらを見る、暖かな視線など感じさせない鋭い視線がそこにはあった。

「雇い主も俺も、『本物』が好みだとは言ったが、役に立つとは言ってない。……必要なのは、残念ながらそっちの姫君だ」

 どうせなら、本物を拝みたいと思うし、どさくさに紛れて担ぎたいとは思うがな。

「不敬な」

「これでも、王女を愛してるが? 国民として。不敬なんて、滅相もない」

 冗談なのか、男は笑顔を絶やさない。しかし、その笑顔に少しずつ、何かの色が混ざって歪んでいく。笑顔を生む感情でないことは確かだ。

「まあ、無駄口はいい。さっさと渡せ。怪我、したくないだろ、侯爵殿。さすがに、当主候補が外で問題を起こすと不味いんじゃないか?」

「何をっ」

「弟に、『公爵』の座を取られるぞ?」

 にやりとまた男が笑った。口の端だけをつり上げた、不気味な顔。

 目は笑っていないのに、顔の部位だけは笑顔の形になっていて、不気味さを増していた。笑顔と形容してはいけない顔の形だった。

「挑発、してるつもりか……?」

「事実だろ? 侯爵殿。ああ、この『侯爵』は、弟殿が持ってもおかしくなかったとか」

 『アイヴァント侯爵』の称号は、ボールウィン家が持つ、もう一つの爵位だ。代々ボールウィン公爵の正当なる後継者が受け継ぐことになっている。

 つまり、『アイヴァント侯爵』の名を継ぐ者が、公爵を継ぐ有力な候補者ということになる。

 人々はこれを知っているので、セシルを正式に呼ぶときは『アイヴァント侯爵』、パーティーなど少々碎けた場では『ボールウィン侯爵』と呼ぶ。

 それがそのまま、彼を跡継ぎとして認めていることになるのだ。

「アレク殿でしたな、漆黒の髪と瞳を持ち、それが表現するとおりの弟君(おとうとぎみ)は」

 かしゃんと男が腰に下げていた剣を抜く。にび色の剣は夕日を淡く照らし返し、まるで血がかかっているように見えた。

 その恐ろしさに、思わず息を飲んでセシルの上着を掴んだ。助けを求めるようにしがみついたわたしに、セシルは手を握ってくれる。

 いつもはそれだけで薄れる不安も、今は拭いきれないものとなっていた。どいしようもない胸騒ぎが、心を占める。

「でき損ないの兄が、何を守れるか、試してみるのも一興」

 口角を上げ、目を見開き、すぐ近くまで来た男をなんと表現しよう。少なくとも、人ではなかった。人がこんなに禍々しいわけがない。

「矜持の証明を持たぬ当主候補」

 何か言い返してやりたいのに、目の前にちらつく剣への恐怖で声はでない。なんとか絞り出そうとして、喉から小さな唸り声が出た。

 情けないことに、これが精一杯なのだ。

「その腰に佩いたそれは、飾りか? 侯爵殿」

 わざとらしいその呼び方に、セシルの腕が再び強くわたしを抱き締めた。その手を手のひらで包めば、力を入れすぎて血が通わず、真っ白で冷たかった。

「剣を抜いて、戦うとしようか。そこの姫君をかけて」

「グレイスは、賭けの対象じゃない」

 セシルの腕が力を失い、わたしの体を離した。重力移動ができず、あっけやく倒れたわたし。

 地面に膝と手のひらをついて、何とかバランスを取った。慌てて振り向けば、二人は少し行ったところで向かい合っていた。

「そうだな。今日の目的は姫君を奪還するだけだ」

「奪還? 言葉、間違ってるんじゃないか。誘拐だろ」

「姫君には、いるべき場所へ帰っていただくだけだ。本来の場所へ」

 男が剣を構え、セシルに向かって助走し始める。その素早い動きに眉をしかめ、セシルは腰に佩いた剣を抜く。

 抜き身のそれは、セシルが持っていても禍々しいとしか感じられない。剣は本来、人を傷つけるためのものだ。

 少なくとも、十八年間そんなものとは無関係で育ってきたわたしは、そう思う。

 こればかりは、変えられそうになかった。まして今見ているのは、まさにその状況だ。それ以外に考えられない。

「ふざけるなっ」

 ぎりっと剣が凌ぎを削る。セシルは相手の勢いを残したまま、剣をずらして攻撃を避けた。男がニヤリと笑って、続けざまに薙ぐ。

「技術は上々。体力・持久力は中の下。そんなところか」

 鋭い金属音が繰り返されて、その分だけ剣が当たっているんだと思うと、心が冷えた。一回一回の音がすごく重くて、そのたびに握りしめる手が痛かった。

「ま、こんなことだろうとは思っていたが」

 弟君と比べられなくて、残念だ。

「本当は騎士を任された彼と手合わせ願いたかったが」

「ティアに刃を向ければすぐ相手してくれると思うが?」

「冗談を。敬愛する王女に、どうしてそんなことができよう」

 笑う男に、セシルが防御一転、素早く剣を切り返し、横に凪いだ。

 その剣は男の顔をそれ、頬にうっすらと傷を残した。面白いものを見つけたように、男の笑みが深くなる。

「やってくれる。久々に楽しめそうだっ」

 男が剣を振り上げて、セシルに襲い掛かった。ガツンと一際大きな音がして、ついに目を逸らしてしまう。彼が傷ついたらどうしよう。どうすればいいんだ。

 大人しく、ついていけばいいのか、わたしが。

「このっ、馬鹿力が!!」

「それだけが取り得なものでね」

 男が嬉しそうに言う。歌うようなその声は、明らかにこの行為を楽しんでいた。異常だ。命をやり取りしているとは思えないほど軽く、まるで冗談でも言っているみたいだった。

「殺したくはない。それが目的ではないからな。こちらの目的はただ一つ、姫君をこちらへお連れすること」

「大人しく手放すくらいなら、この身をかけた方がマシだ」

 恐ろしくて目が向けられない。その間も剣は音を立ててぶつかり合っていた。重い音があたりに響いて、わたしにはどうすることもできない。

 声を出すことすらできなかった。ただ一言、『わたしが行く』とそれだけを言えばいいのに。それだけを、言えばいいのにそれなのに。

「グレイス、余計なことを考えなくていい」

 口を開こうとして、それでもできなくて。セシルに申し訳なくなって、俯いていた。今戦っている彼にも視線をやれない。申し訳なさ過ぎて、何も言えなかった。

 そんなわたしを見越したかのように、彼はわたしに言った。

「余計なことは考えるな。君は、俺が守るとそう約束したはずだっ」

「ほう。生意気なことを」

 男がにやりと笑った気配がした。

 と、そのときだった。遠くの方から、高い笛の音が鳴る。遠くまで響くような、高く澄んだ音だった。いっそ清々しいほどで、この場にそぐわない。

 その美しい音色に、男は小さな舌打ちをする。

「ちっ。失敗したか」

「何を」

「残念だが、姫君の出迎えが今日ではなくなった。ふさわしい日でないらしい」

 男が剣を引き、すっとセシルの攻撃を避ける。セシルが眉をしかめると、男がこちらを向いて礼をした。

「では、姫君。次の機会に」

「待て!!」

 セシルの声もむなしく、男はあっという間に薄暗闇に紛れてしまう。呆然と座っていれば、セシルがよろよろとこちらへ近寄ってきた。

「セシル」

「さすがに、生きた心地がしなかったよ。剣で対峙して、本気になったのは後にも先にも今日だけだ。

……そう祈るよ。今日限りで命のやり取りをしなくて済むように」

 そう言って、こちらに手を伸ばす。先程まで剣を握っていたその手は、わたしの頬を包み、一度二度と優しく滑った。

「君が近くにいてくれたから、剣を抜けた」

 俺自身の手で守れて、本当によかった。

「ありがとう、グレイス。強くしてくれて」

 笑った顔は、いつも通り優しくて、彼の剣だけは怖くないと思った。

「君が、近くにいてくれたからだ。もし君が、奴について行く何て言ったら、どうしようかと思ったよ」

 その声に誘われるように、彼の首へ手を伸ばした。ぎゅっと引き寄せてくれる腕を背中に感じ、何故だが嗚咽が零れた。

「ごめん……。何も、言えなかった」

「言えなくてよかった」

「守るって、言ったのに」

「君は傍にいるだけで、俺を守ってくれてるよ? 分からない??」

 違う。そうじゃない。もっと本質的に、もっとしっかりと、セシルを守りたかった。慣れていない剣を抜くなんて、彼には大きな恐怖だっただろう。

 彼は軍人ではない。普段から剣を持って戦うことを日常としていない。彼の日常は書類と向き合う、ただの文官だ。それなのに、彼は今剣を手に握っている。

 禍々しい、人を傷つけることしか知らないものを。

「グレイス、君にどう見えているか分からないけれど……。騎士の剣は人を傷つけるものじゃないんだよ」

 セシルが笑った。騎士でもない、彼なのに。

「騎士の剣は、大切な主君を守る盾でもある。多くの命を“すくう”杯でもある。人を貫くだけじゃないんだ。この剣は、君を守るために存在する」

 目の前に差し出された剣は、いつも身につけている儀礼用のものではなかった。しっかりとした柄に、刀身がついている。まるっきり実用的なもので、思わず目を疑った。

 これは、アレクさんが持っているものと変わらないではないか。

「アレクがね、これくらい扱えなくて守れるんですかって。『口で言うなら、王宮に上がったばかりの子供でもできます』って」

 あいつ、ティアに出会った頃から『守る』って言ってるんだもん。

 セシルが少しだけ悔しそうに笑った。

「グレイス。君にとって、剣は忌むべきものだろう。だけど覚えておいて」

 俺はこの剣で。

「この剣で、君を守るよ」

 その強い瞳に、何も言えなくなって再び抱きついた。息もつけないくらい強く抱きしめて、それから二人で笑った。



 その剣は誰がために。


 ――答えは一つ。ただ一人、愛しい人のため。その人を守るためだけに、それは存在する。

 ただたんにセシルに剣を持たせたかっただけだということがばれてしまう代物。でも剣の腕前はエイル≧アレク>プルー>セシル≧ティアみたいな感じですかね。

 技術だけなら、ティアちゃんはアレクとも張れるくらいという設定。

 お転婆姫は伊達じゃない。


 もっと臨場感溢れる描写にならないものか。

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