お蔵入り 『オヒメサマの夢』 ~自分のために~
兄弟が仲良く話している姿って、あまり書いた記憶がないので。
でも気持ち悪い。(笑)
絶望感に打ちひしがれている場合じゃない。なのに、何もする気になれずにその場に膝をついた。
信じているつもりはなかった。助けを求めるつもりも。だけど、本当のところそんなことはなくって、心の底ではずっと、一番深いところでは今まで、彼女を信じていたんだ。
どんなに口で言おうと、どんなに思い込もうと。
「俺は、君を信じてた」
グレイスのために、彼女は動くと。だけど『グレイスのため』じゃないんだ。
『彼女の思う、グレイスのため』にしか彼女は動かないんだ。それはどこまでも自分勝手で、いっそ尊敬するくらいに傲慢な考え方だ。
王族らしいのだろう。自分が考えていることが、全て正しいとでも彼女は思っているんだろうか。そして、その周りも。
「王様は、間違ったんだ」
そうに決まってる。
「君も、間違ったんだ。ティア」
全ては十八年前のあの日から、間違ってたんだ。王族が。
グレイスの父上は何も悪くなかった。調べた限り、そんな証拠は一つも出てこなかったのだから。謀反に与した証拠なんて、何一つ。
「そしてまた、間違いを繰り返そうとしてるんだ」
有罪の証拠もない。だけど無罪だという証拠もまたない。
なら、やるべきことは一つだろう?
「証拠、見つけなきゃ」
そうだ。彼女を救うにはそれしかない。しかしそれは、王族の間違いを大々的に知らしめるということ以外の何ものでもない。
大臣家の長男が、王の間違いを暴露する。そんなこと、許されるんだろうか。
「許されなくてもやるんだ」
自分はもう、この地位に執着する必要なんてないんだから。彼女さえ無事ならそれでいいと、思ったんだから。
「やらなきゃ」
そう思った瞬間、荒々しく扉が開かれた。外から転がるように入ってきたのは、いつも無表情な弟だった。
「無事ですかっ?! 兄さん」
きちんと整えられているはずの髪は、相当走ったせいで乱れている。息も上がり、肩が上下に激しく動いていた。
そして何より、いつも涼しげに着こなされている騎士の制服の前が肌蹴ていて、中のシャツが見えていた。
「アレク」
「グレイスさんは?! ティアはっ」
勢い込んで話して僅かに咳き込む。
どんなときでも冷静さを失わないと思っていたのに、今回ばかりはそんなこともないらしい。その姿に若干安心して、逆に自分が落ち着けた。そうだ、今は無闇に動くときじゃない。
「連れてかれたよ。よくて王様のところ、悪かったら地下だね」
「止めてください、冗談じゃない。すぐに追いかけます」
制服を脱ぎ捨てて、急いで着替えようとする。代わりに出したのは、騎士の制服ではなくて少し驚いた。
「アレク、何するつもりだい? 君は、騎士だろう?」
「ええ、でもそれと同時にボールウィン家の次男でもあります。そして、当主を継ぐべき『正当性』を持っています。……ということは、そこそこの我侭は通るということです」
にやり、と笑った彼は、いつもどおりだった。しかしその顔は僅かに強張っていて、余裕がないことを知らしめる。
彼にもそんなことってあるんだ、と当然のことなのに酷く驚いてしまった。
「俺は、ティアに辛い選択はさせたくないんです」
あぁ、それと、と突然思い出したようにアレクは脱いだ制服の上着から、数枚の資料を取り出してこちらへ差し出してきた。
「有罪の証拠にはなりません。しかし、ちょっとした疑いにはなりますよ」
開けばそこに、何事か書かれている。よくよく読めば、十八年前エインワーズ家に仕えていたメイドが、謀反を起こしたとして処罰されていた家の遠縁だった。
「これ」
「ええ、これが偶然かどうかは分かりません。しかし、そのメイドが数度、謀反を起こした家に出入りしていたという情報も得ました。
それが単純に遠縁の家に行っていたのか、はたまた情報を仲介していたのか」
そこまでは分かりませんが。
「でも、恨む理由がない。エインワーズ家の当主に、王様を恨むような」
逸る気持ちが抑えられない。どうにかして無実を証明したいのに、自分の生まれがそうはさせてくれなかった。
貴族間ではよくあることだ。どれほど遠縁かは分からないが、アレクが調べるのにこれほどの時間を要したのだから、相当手が込んでいる。
わざわざ隠していたということは、それが無関係ではないということだろう。
「今更、どうしてこんなものを……」
「言ったでしょう? ティアは結局こういうことを調べるんですよ」
自分が知っていればいいと言った。たとえ王の間違いが露呈しても、その思いは変わらないのだろう。
公表するかどうかは別として、彼女は彼女なりに事実を知りたかったんだ。たとえその結果、誰かが傷ついたとしても。
「さて、兄さんの無事も確認したところです。一緒に行きますか?」
「どこへ? ……と、いうより、俺を連れ出したことがばれたら、物理的に首が飛ぶかもよ?」
冗談で言っているわけではない。彼女は規律違反には酷く厳しい。
その違反がいずれ大きな事件を呼び起こすと思っているようで、命令違反などはことさら厳しく罰せられる。彼女の騎士も例外ではない。
「今更ですよ」
「うちの弟は、もう少し真面目だと思ってたんだけどなぁ」
にやり、と弟が笑う。それにつられて、不謹慎ながら自分も笑った。
まだ大丈夫だ。まだ自分は笑えてる。完全に冷静さを失ったわけじゃないんだ。それなら、まだ平気。彼女を救う突破口を、きっと見つけられる。
「何で君はティアの味方なのに、俺を助け出そうとするの?」
「ティアに辛い選択をさせたくない、と言ったでしょう? まぁ、あとは」
グレイスさんの目に絆されたっていうのもありますか。
「あげないよ?」
「いりませんよ、ティア以外。誰一人必要としてない」
自信ありげに、キッパリと言われた。心配してたわけじゃないんだけど、あえて聞いてみたくなったのだ。
「俺は、グレイスさんがとても気に入ってるんです。ティアも、ああいうあり方が可能だったのかもしれないと思える」
生まれが違えば、育て方が違えば、彼女も今のようにはならなかったんじゃないだろうか。
アレクはそう言って苦く眉を寄せた。隠し切れない愛しさが、溢れて止まらなくなる。たった一人のために、家を捨てる彼を愚かだとはもう言えなかった。
自分もまさに、今そうしようとしているから。やっぱり彼のほうが気付くのが早かったのだ。
家より必要とする女性がこの世の中にはいるのだと。家を犠牲にしてもよいと思える女性が、ちゃんといるんだと。
「一歩違えば、ティアがそうなっていたのかもしれないと思う。だから、傷つかないように守ってあげたいと思います」
うちの一族は、あの容姿に弱いんですよ、兄さん。
「確かに。弱いよねぇ」
「弱すぎですよ」
二人で笑いあって、扉を開ける。
そこにいた数人の騎士がざわりとざわめいて、アレクの前に立ちふさがった。黒い制服を着た騎士たちは先ほどとは違い、マントに白いラインが入っていない。
精鋭を一人も入れてない。しかし、黒に蒼、赤に果ては白まで。色は各種揃えているらしかった。
「アレク殿、どういうことか。これはリシティアさまのご命令ですぞ。騎士として、その命令を無視するおつもりか。忠誠を誓った、自らの主へ。
この部屋へ篭っていていただこう」
「私は、騎士であると同時にボールウィン家の当主候補でもあります。たとえ王族であっても、その当主候補を無闇に殺すことなどできはしない。それがたとえ、王代行であっても。
退いてもらおうか? 私は今、ボールウィン家の次男としてここにいます」
強い目だった。思わず息を呑むような、そんな目だった。
いつだって羨ましかった、あの目がそこにはある。決して王族以外に膝を屈しない、誇り高き一族の頂点に立つ者。
嫉妬する気になれないのは、自分にはないと知っているからだ。
「それでも、私と兄をこの部屋に留めておきたいなら、それ相応の実力行使が必要です」
アレクが腰に佩いた剣を一つこちらへと投げる。彼と違って、自分はあくまで事務方なのだが、そんなことも言っていられない。
久々に持つ実践用のそれは、相応の重さがあって、確かにこれくらいだったか? と首を傾げた。
長らく使っていないので、勘が鈍っていなければいいと思う。せめて、アレクの足を引っ張らない程度には。
「兄も俺も、一応ティアと一緒に訓練を受けた身だ。手加減していたら一瞬ですよ?」
分かりやすい挑発は、その場にいた騎士たちを怒らせた。それこそが彼の狙いだと、どうして気付かないんだろう。
冷静さを失ってしまったこの人たちに、アレクが負けるわけがない。これくらいだったら、まともに戦えるかな。
数は、意外に多い。質より量か、ティア。それとも、アレクが裏切らないと思ってのことなんだろうか。
「俺は参加しなくていいかな? アレク。あいにく苦手なんだ」
「十人以上いる騎士の相手を、弟に全て任せるつもりですか」
一番初めに剣を振り上げた騎士の胸を、アレクは容赦なく蹴った。ドンと嫌な音がして、その体が床に転がる。
痛そうだな、と思いつつこちらに来た剣を半歩ずれてかわす。冷静さを失った分、当たればひとたまりもないはずだ。
できれば傷つかずにグレイスを迎えに行きたい。彼女は、きっと自分を責めてしまうから。
どう言えば伝えられるんだろう。俺のために、自分を犠牲にして欲しくないんだと。君のためなら、どんな傷でも愛しいんだと。
「アレク、もう少し計画性を持ってやったほうがいいと思うよ、俺は」
「兄さんみたいに計画倒れにするなら、いっそ実行した方がマシです。意外に何とかなるものですよ」
アレクが鞘のついたままだった剣を軽やかに振っていく。さすがに一身上の都合で抜き身の剣を振るう気はないらしい。
彼らしいといえば彼らしかった。それに倣って、こちらも鞘のついたまま応戦する。首の後ろを殴って混沌させるのが、一番の得策か。
向かってくる剣を払い、体を使って攻撃を仕掛ける。なるべく効率よく、相手を地面に倒れさせる。それが最優先なので、手加減はしない。
がっと勢い余って相手のあごを蹴り上げたところで、少しやりすぎたかも、と焦った。
「これ、公務執行妨害?」
「完全に」
「グレイスの命には換えられないか」
アレクと背中合わせになって、小さく笑いが零れた。ここまで動いたのは何年ぶりだ。
しかも、アレクと違ってこちらは優等生として過ごしてきた。こんな問題、登城し始めてから初めてだ。父に何て言おう。
「勘は鈍ってませんね」
「これでも、あの姫君にしごかれたからね」
思いっきり振り上げられた剣を受けて、身が軋んだ。確かに勘は鈍っていなくても、使っていない体は確実に衰えているのだ。
グレイスを守ると言ったわりに、その体たらくで少し落ち込む。
そのまま受け続けるのも面倒で、流した勢いでそのまま相手の胸を突いた。後ろのアレクもそろそろ怪我をさせまいと努力するのが面倒なようで、容赦なく叩きのめしていた。
処分が重いのも困るんだけど、グレイスそういうことに敏感だし。
「意外に早かったですね」
「そうだね。俺はもうこりごりだよ」
数人になった騎士たちは、苦々しげに眉を寄せていた。たった二人に、曲がりなりにも騎士が負けているんだから当然だろう。
「のいてもらおうか。あいにく、手加減できるほど余裕がない」
「なっ」
「忠告は聞いておくべきだ。俺は無駄なことが嫌いだし、こう見えて結構焦ってる。あの人に、あまりひどいことをさせて後で傷ついて欲しくないんだ。
彼女は、それ相応の決意をもって行動する。だけどその覚悟は」
彼女が背負うには重すぎることが多い。
寂しげな瞳でそう言ってから、アレクは笑った。
「ここで、立ち止まるわけにはいかないんだ。俺自身のために」
そうだな、と思った。彼女を助けたいけど、それは自分勝手な思いでしかない。彼女はそんなこと望んではいないのだろう。だけど、それでも彼女を救おうと進むしかない。
それは、自分のためだ。どこまでも、自分のためだけの行為だ。
「見守るだけなら、彼女を泣かせる道を選ぶ」
彼女を守るためなら、彼女を泣かせても構わない。そう思った。
次はやっと山場中の山場になるって信じてる。