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腥風

「圭!」

「…やし、ろ……あ、わた、し…そっか」



 最初に瞳に映ったのは、迫力のある白い竹群。赤、黄、茶と色が変わる不思議な土の中、奥深く潜っていたはずなのにどうしてと疑問を抱いた。次に名を叫ばれて、顔をそちらに向ける。やしろがいた。小さな姿の九尾の妖狐もいた。つたもいた。みんなを認識したら、圭の意識が浮上した。視線は九尾の妖狐に留まる。


「九尾の妖狐。意識も幼児化しているの?」

「っああ、そうみたいだな」

「…怒ってる?」

「わかり切っている事を言うな」

「…友達になるには深く話し合う事が一番」

「で。その友達はなんだって?」

「この先に行きたいって。妖怪は行けないって言ってた」

「やしろ。圭の言う事は本当だ。急に止まった圭を不審に思って調べようとして」


 白い竹群を指差す圭を援護したつた。ひどい火傷を負った右手をやしろに見せた。

 ひくひくと器用に動いていたやしろの眉は急停止した。


「僅かに触れたらこのざまだ」

「………」


 文句は言い足りなかったが仕方ない。最後に圭を一睨みして、やしろは白い竹群に手をかざした。


「なにも感じない、が」

「なにも感じない事が異様だな」

「ああ」


 最低限、生なら生の、死なら死の気配はわかるもの。自国も他国も生物なら関係なく。しかし、眼前の竹は生きているか死んでいるかわからない。

 見えているだけ。


 得体の知れないこの白竹は戦争時の遺物か。だとしたら妖精国のものか人間国のものか。もしくは、術だと感知さえさせない力の強い妖怪の仕業。つたさえわからないほどの。

 必然か、偶然の産物か。必然だとすれば、この先には、隠さなければならないなにかがあると考えられる。


「私は触ってみたけど平気だった」

「すまない。止められなかった」


 見張り役として任を全うできていないとのつたの謝罪に、なにも言えず小さく頭を振って応えた後、やしろは圭を見据えた。圭はやしろに向かい合った。


「…圭。おまえに訊く。本当に行く気か?」

「行く」

「俺たちは行けない。おまえを助けてやれない。それでもか?」

「行く」

「死んでも構わないか?」

「死ぬ気はない」

「おまえは!」


 静かに、冷静にと、努めていた心が悲鳴を上げて、決壊した。



 自分がついて行けるのなら、どんな我儘でも聴こうとは思っていた。

 自分が定めた時間までは、どんな我儘でも。

 だが、この先からは行けない。自分ばかりではなくつたもついては行けないのだ。

 しかもこの先になにがあるのか、皆目見当が付かないのだ。許せるわけがない。

 許せるわけがないのだ。



「おまえは!おまえはやる事があるんだろそれを!おまえは捨てるのか!」

「捨てない。死なない」

「違う!捨てるし!死ぬんだ!この先に進めばおまえは!っどうなるかわかんねえんだぞ!」

「わかる。待っているの。迎えに行かなくちゃいけない」

「圭!」


(ごめん)


 やしろの金切り声に、胸が痛む。が。動揺はない。

 行かなくてはいけないのだ。

 マンドレイクの為に。自分の為に。想いは一緒。引きずられているわけではない。


「約束する。帰ってくるって。私が死んだら世界が滅んじゃうんだもんね。死ねないよ」

「っ」


 届かない。届いた。気持ちが大きく揺さぶられる。


(違うだろっ。違うだろうが!おまえは!)


 おまえが死ねない理由に、俺が関わっている事はない。

 おまえが。おまえが、死ねないとしたらそれは、人間国にいる誰かを想っての事だ。


 それがひどく、とてつもなく、悔しい。



 真実を一つも与えてくれないおまえが、ひどく恨めしい。



「そう、だよ莫迦たれ!おまえは九尾の妖狐の相棒なんだろ!力の強いこいつの相棒のおまえが死んだら世界は崩れるんだ!現に!おまえの力が弱ってるから、こいつは今、こんな姿なんだろ誤魔化すなよ!」


 たった一つでいい。一つだけで構わない。一つ。真実を言ってくれ。


「もう誤魔化すな!」

「つ「俺から目を逸らすな!」


 つたに視線を向けようとする瞬間を、やしろに止められた圭。やおらやしろへとまた視線を戻して、口を開いた。


「やしろ。今は先に行かせてとしか言えない」

「だめだ」

「帰ってくるって言ってるのに信じてくれないの?」

「ああ、信じられないね。おまえの言う事は信じられない」

「やしろだって言ったでしょ。私にはやる事がある。今、死ぬわけにはいかないの。行かなきゃいけないの」

「だったらさっさと行けばいいだろ。俺なんか無視して行けばいい」


 ふっと、冷笑を吹き出す。


「行かないだろおまえ。行きたくないんだろ。見送ってほしいんだろ。頑張れって。戻ってくるって信じてるって。背中見守られてなきゃ行けないんだろ。本当は怖いんだろ行きたくないんだよ!」

「やしろ」


 圭は声を荒げなかった。荒げず、静かに、強く、確かに言葉を届けようとした。

 嘘をつくなと心配してくれる友に、応えたかった。



 今だけでも、



「そうだよ。怖いよ。だから見送ってほしいんだよ。大丈夫だって。おまえは無事に帰ってくるんだって、保証が欲しかったんだよ。でも、もう無理みたいだから、やしろの言うように無視して行く」

「圭!」

「うるさい!」


 口を噤んでくれるとばかり思っていただけに、堪え切れず、返してしまった。

 失敗した。圭は声を荒げた瞬間は確かにそう思ったが、そうする事で思いもよらぬ効果が生まれた。鬱々とした気持ちが、一掃されたのだ。


「うるさくしてんだ!惑わせてんだ!おまえが行かないならいくらだって喚いてやる!」

「やしろ!」

「なんだ!」

「大声出したら元気出た!ありがとう!」

「おま!」


 思わぬ切り返しに言葉が紡げないやしろ。緊張、厳粛、悲哀はどこへやら。柔らかい空気を感じてしまえば、吹き出すつたも視界に入れてしまえば、頭に上った血も下りてくるというもの。


「おまえほんと莫迦。莫迦たれ。死んだらこんな莫迦がいましたって話を作って子々孫々伝承させてやる。妖怪の寿命の長さは知ってるよな。しつこさも。誇張させて伝説を作ってやる」

「いやそれは本当に嫌」

「嫌か」

「嫌」

「ならわかっているな」

「うん。散々私言ってるんだけどね。やしろが聞き分け悪いだけだけどね」

「おまえが、」


 億劫になった口を軽く閉じて、一休みさせてから、やおら開く。


「おまえが真実を言ってくれないのが悪い」

「……嘘は言ってない」

「そうだな。知っている。本音だよな……別に俺は、秘密を暴きたいんじゃない。ただ、おまえが抱えるもんで、おまえが、世界になんか、影響を与えるのは、俺が許さないだけだ」

「…うん。私にそんな力はないよ。毎回否定しているけど。九尾の妖狐がそうなったのだって、私には全然関係ないし」



 圭は腕を伸ばして、手を広げ、九尾の妖狐を抱かせてほしいと、やしろに言った。やしろは今のおまえには無理だろうが、触るだけで我慢しろとぶっきらぼうに告げながら、圭が触りやすいように九尾の妖狐を近づけた。圭はそうだったと苦笑し、九尾の妖狐の柔らかそうな金色の髪の毛を撫でた。残念ながら、かさかさと枯れた木の葉のような感触しかなかった。ふくれっ面は継続中ではあるが、九尾の妖狐は不気味なほどにおとなしく撫でられ続けている。



(影響、あるの、かな)


「まったく。色々変化するのはお家芸だろうけど、過去を遡らなくたっていいのにね」

「……おまえは、怖くないんだな」


 最強であるが故に惹きつけられるものもいるが、遠ざかるものも確かにいる。

 孤高の存在。

 九尾の妖狐を癒せる存在がいるとすればそれは圭だと、ふと思った事はある。

 相棒だから当然だろうが、気に喰わない。


「おまえらはなにで繋がってんだろうな」


 答えを求めてはいなかった。ただ、問いかけたかった。無言か。答えたとしても秘密だと率直に告げるか、誤魔化すか。やしろの予想は当たらずも遠からずであった。


「油揚げ」

「…は?」

「油揚げ。九尾の妖狐が大豆と菜の花とお塩と花の蜜とか、油揚げに必要な材料を育てたり精製したり集めたりして人間国に持ってくるの。私たちがそれを預かって油揚げにして返すの。だからなにで繋がっているかって言えば、油揚げ」

「……」



(本気で言っているのか。それとも天然か。まあ。事実だが)



 やしろが物心つく頃にはもう、九尾の妖狐は大豆や菜の花を育て、海に行っては海水を狐火で蒸発させて塩をこさえ、野生の花から蜜を集めて、人間国へと持って行き、油揚げを作ってもらっていた。ちまちませっせとよくやるものだと、変わりものの妖怪を呆れて見ていた。

 年中実る鬼灯や杉の酒、秋に実るきのこや栗だけで満足できないのかと。

 圭にもらったとまとを食べた時点でその考えは瞬時に覆ったが。




「やっぱおまえなら大丈夫だよな」


 どんな状況であれ最後にはどうしたって脱力してしまう。誤魔化されているのだろうが、今は甘んじて受け入れてやろうと思える。

 時間がない事に変わりはないのだ。さんざん時間を潰した自分が言えた科白ではないが。


(力が戻ったのはお互い様だしな)


「見送るのはこれで最後だ。三度目はないぞ」

「うん」


 圭は後方にいるつたに身体を向けた。つたの表情は険しかった。


「つたさん。あとどれくらいですか?」

「二時間半だ。圭。おまえの意思が変わらないのはわかっている。それでも、敢えて問う。本当に行くのか?」

「はい」

「ならばもう止めはしないが、時間を捉えられまい。どうする?」

「ええ、まあ。そこはもう数えて行くしかないですね。なにかしてた方が意識を保ちやすいですし」

「ここに戻ってこい。秘密基地に来いと言ってはいたが、恐らく、あの妖怪も時間が来たらここに来るだろう」

「ですね……つたさん。ありがとうございます」


 圭は深々と頭を下げた。つたは小さく頷き、小さく咳を出した。


「私の好物は秋に実るまだらきのこだ」

「はい!集めるのを手伝います!」

「ああ」


 じゃあ行ってきますと、圭は一度だけ手を振って、躊躇なく白い竹群へと姿を消していった。






「おい。二時間半ってなんだ?あの妖怪ってなんだ?」


 質問を我慢していたやしろはつたに詰め寄った。落ち着け。つたは言った。

 圭を見送った時の晴れやかさはどこへやら。雷雨が激しく降り注いでいるように、態度を急降下させたやしろに、笑えたものではないと気分を暗くしながらも、つたは説明をするからと念を押したうえで、九尾の妖狐がいない事を指摘した。



「ああ。あいつは圭について行ったんだろう。相棒だからな。のらりくらりしていても、いざ顔を合わせたら手を組むんだろうよ」



(本当に圭について行っているのなら、頼もしい、の、か)



 忽然と姿を消した九尾の妖狐の行方。

 やしろは圭について行っていると確信しているが果たして実際はどうなのか。仮にそうであったとしても、今の状態であれ普段通りであれ、どうにも一抹の不安を抱いてしまうような。

 少しは安心だと告げるやしろを不安にさせまいと、懐疑心を胸に仕舞ながら、別れてからの出来事を説明しようとして、はたと、つたの胸の内に別の疑問が浮上した。自然、顔が険しくなる。も。今は深く掘り下げるべきではないと判断し、説明を再開させた。



 もし己の考えが正しかったとしてもそれは、こごめと名乗る妖怪の力が、もしかしたら九尾の妖狐に匹敵するかもしれない、という考えに至るだけ。それだけの話。

 のばらがいつから巡術で全体を見ていたのか。

 それがこごめと名乗る妖怪が現れる以前からなのか、それより後なのか。

 後なら問題ではない。しかし以前であったのなら。のばらはやしろに説明をしているはず。

 だが、やしろは知らなかった。

 つまりは、のばらにはこごめが見えていなかった。



 こごめはのばらを欺けるほどの力の持ち主という事になる。



 だがそれがどうした。と、つたは思ったのだ。それがどうした。やるべき事は変わらない。故に、のばらに問いかける事もしない。

 利用をさせてもらうだけ。ただそれだけなのだ。

























 名前は。


 尋ねられて、名を返す。そして願いを言う。


 あなたは言う。


 名前を告げてもいい。だが、条件がある。


 時期が来たらおまえは真実を告げよ。


 おまえが守りたい者に。


 残酷な真実を。


 それでもおまえは俺の名を欲するか。


 違う。名前が欲しいわけじゃない。そう思ったけれど、表には出さなかった。


 名を受ける事が願いを聞き入れる条件なのだろう。そう悟ったから。


 欲しい。


 簡潔に言えば、九尾の妖狐は笑った。形容できない笑い。知らない感情を刷いた笑みだった。


 そうか。ならば、願いは叶えよう。


 おまえの願いは結界を、




























『赦すまじ赦すまじ赦すまじ!妖どもめ!』


『我が妻の命を奪うばかりか肉体までもを、』


『肉体までをも喰らうとは!』


『九尾の化物め!』






















(2019.6.30)





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