第一話 死霊の森に置き去りにされる。俺はもうこりごりだ。
▍ぼろをまとった少年
「急げ、こっちだ!」
遠くから声がする。いや、もうかなり近い。馬の蹄の音がドドドと迫ってくる。森の一本道。逃げ切れるわけがない。
くそっ!どうしてはぐれてしまったんだ。
少年は生きた心地がしない様子で必死に走っていたが、意を決して森の草木の中に飛び込んだ。自分の背丈よりも茂っている。体中に枝や何かが突き刺さるようだが構っている場合ではない。両腕で顔だけ覆って木立と茂みの中を進んだ。
「いたぞ!そこから森に入った!」
どうやら一歩遅かったようだ。森に入ったところを見られてしまっていた。馬では森の中までは追いかけてこられないだろうが、赤騎士と森で追いかけっこして分があるだろうか?
しかし選択肢はない。とにかく逃げてうまい具合に隠れるか、向こうが見失うのを期待するしかない。
なんてことだ!こんなところで絶対に死なないぞ!
くそっ、くそっ、くそっ!
このリュウともあろうものが、こんなところで死ぬわけがないんだ!
追いかける方は屈強な赤騎士の二人、逃げる少年リュウの方は華奢で小柄。やがて追いつかれるであろうということはリュウにも分かったが立ち止まるわけにはいかなかった。
進んで行くと森の中で少しだけ開けた場所に出た。身を隠すものがなくなるとリュウの鼓動はうるさいほど鳴り響いた。
が、リュウの目は地面の上に釘付けになった。
正確には地面の上に横たわっているもの、はじめそれはぼろきれのように見えた。しかし、手足が出ている。
ぼろきれのようなものをまとった人間?
何かこの状況を変えてくれるきっかけになるだろうか?
リュウが一瞬逡巡していると、それは地面に手を突きながらゆっくりと上体を起こした。
リュウと同じくらいの年の少年だ。これでは助けは期待できそうにない。
ぼろをまとった少年の顔がこちらを向いてリュウをじっと見つめている。表情はない。
こんなところで一体何をしているんだろう。いや、そんな場合じゃない。
「逃げろ。赤騎士が来るぞ!」
リュウの口をついて出たのはそんな言葉だったが、言葉が通じないのだろうか。反応はない。
不思議な状況ではあるが今はこの少年に構っている場合ではないようだ。追いつかれる前に茂みの中に身を隠さないと、と思う一方、追い詰められたこの状況で何かの糸口をつかみたい思いがリュウの足を止めていた。
「君は誰なんだ?こんなところで何をしている?言葉がわからない?」思わず矢継ぎ早に質問がでた。
するとようやく少年が声を発した。
「うぅー。うーん。」
しゃべれないのか?どうしたものか。
「俺はリュウだ。早く逃げないとすぐ赤騎士が来るぞ。」
リュウは険しい顔で重ねて警告するが、この謎めいた少年は変わらず無表情だ。
その刹那!リュウの体に衝撃が走った。後ろから腕をつかまれたのだ。茂みから赤騎士が出てくる。追いつかれてしまったのだ。
「おい、やはり子供だぞ。」
続けてもう一人の赤騎士が出てくる。
「なんとな。命令なんだ。悪く思うなよ。」
そういうと赤騎士は腰に差している剣を抜いた。
リュウの心臓はけたたましく鳴り響いた。体中の力が抜けるような血液が引いていくような感覚がリュウに最期の抵抗を促している。
「おいっ。まじかよ!待ってくれよ!殺すことないだろ!」
ここが最期か。何を言っても無駄かもしれないが生き残る努力はなんでもするしかない。ありったけの力を振り絞ってリュウは本能から来る精一杯の抵抗をした。腕がもげても構わないという勢いだ。
「くそっ!離せ!くそっ!」
しかしリュウくらいの子供では死に際のあがきも赤騎士には通じないようだ。
「じゃあな」
と赤騎士が剣を振り上げた。
その時、誰もぼろをまとったもう一人の少年に注意を払っていなかった。少年は恐るべき跳躍力で空中に舞い上がると飛び蹴り一撃、剣を振り上げた赤騎士の顔面を強襲した。赤騎士は二ゲールほども後ろに吹き飛び木立の中に倒れた。
残った方の赤騎士と、それにリュウは何が起こったのか理解できなかった。リュウは赤騎士の力が抜けたその隙を見逃さず掴まれていた腕を振りほどいた。
「お、おい、お前何を…」
残された赤騎士が倒れた同僚の方に一歩二歩と近づこうとする。
少年はさきほどの衝撃で地面に落ちた剣を拾うと、何のためらいもなく残った方の赤騎士めがけて突き刺した。
いかなる手練れか。その剣はしっかりと赤い胸当ての隙間から胴体に達し、赤騎士は膝を地面に付いて、そして手を地面に付いてほんの少しの時間は耐えたがやがて体ごと地面に突っ伏した。
そして血の滴る剣を持ってぼろをまとった少年が今度はリュウの方に歩み寄ってくる。リュウは不思議と怖いとは思わなかった。
「あり…がとう…。君は…、君は一体?なんでここに?どこから来たんだ?」
すると、さきほどとは様子が変わって少年が口を開いた。
「俺はワゲだ、君はオド?」
「えっ?いや、俺はリュウ」
しかし、安心して話している場合ではなかった。遠くの方からまた蹄の音が近づいてくる。リュウはその謎めいた少年ワゲの手を掴むと森の奥へと進んで行った。
▍夜営
「さっきのはすごかったね。何かの武術?」
リュウは時々ワゲに話しかけながら歩いたがワゲの方は「あぁ」とか「うん」とかいうくらいでほとんど言葉らしい言葉を発しなかった。
森の道は歩きにくく、リュウは何度も転んだ。それに木の枝やら何かのとげやらで二人ともひっかき傷だらけだ。もう大分森の中を歩いている。赤騎士の気配も感じられない。
しかし…、
「どうしよう。夜が来る。」
リュウが心配するとワゲが不思議そうにリュウを見つめた。
「知らないの?この森には夜な夜な死霊がでるんだ。こんなところで過ごしたら死んじまうよ。」とリュウは説明するがワゲは「あぁ」とだけ答えるので理解したのかどうかはわからない。
「まいったなぁ…。火を起こすと見つかっちゃうかな…」
そうしている間にもどんどん薄暗くなっていく。
リュウが決断できないでいると、珍しくワゲが話し出した。
「死霊に喰われたくなければ火を起こす他はない。」
それでリュウの心も決まった。二人は手ごろな岩場を背にして座り、リュウが手際よく焚火を作った。
「俺はね。こういうのは得意なんだ。腕っぷしの方はからっきしなんだけどね。」
うまい具合に後ろの岩場が焚火を隠してくれているといいんだけど。
「あぁ、生き延びた。」
少し落ち着いてみるとリュウは自分がひどい空腹であることに気が付いた。
「少しだけど木の実を持っているよ。食べる?」
懐から取り出した布袋を逆さにして乾燥した木の実を取り出すと半分をワゲに渡した。ワゲは不思議そうに木の実の一つを指でつまんで眺めている。
リュウは木の実の殻を割って中の実を口に放り込んだ。それを見てワゲも木の実を一つ口に放り込んだ。しかしワゲは殻を割らずに放り込んだのだ。
「わっ、ちょっと待てよ。殻ごとなんて無理だって。殻を割って中身を食べるんだよ。ほら、こうすんだ。」
リュウが器用に爪と歯を使って殻を割って見せると、ワゲは口から取り出して同じように殻を割って食べ始めた。
「これ食べたことがないのか?変わってるなぁ。よっぽど遠くから来たのか?それとも貴族のお坊ちゃん?まぁそんなぼろを着て貴族なわけがないか。」
▍死霊の森の一夜
束の間。この束の間だけは焚火の前に並んで座って、粗末で量が少ないものではあったが二人で食事をして、休息の時間を過ごした。
辺りはもうすっかり暗い。焚火があるせいで周りの闇は一層深く、すぐ近くに何者かが潜んでいても気が付きそうにない。
大変な一日だったけどとにかく今だけは少し休もう。まだ全然安全じゃないけど。
リュウは背中の岩と謎めいた道連れのワゲを頼もしく感じていた。
一方、ワゲはさきほど赤騎士が落とした剣をずっと持ってきていて、すぐに手の届くところに置いている。あまり気を抜いていないようだ。
「オドっていう人を探してたのか?」
聞きたいことはいろいろあって、実際聞いてみるのだけれどもワゲがほとんど話さないので会話はすぐになくなった。
風の音と、焚火で木がはぜる音、それから虫の声。焚火の周り以外が真っ暗闇なので虫の声の広がりが余計に暗闇の先に広がっている空間を感じさせる。
ボーー、ボーーという低音はきっと何かの鳥の声だろう。
リュウはうつらうつら、もう半分以上眠りながらぼんやりとした頭でそんなことを思っていた。
静寂---
こんな状況でも疲れ切ったリュウの若い肉体は、リュウを健康な眠りに誘った。
………
…………
ぱきっ。
すぐ近くで枝が割れる音がした。
ぱきっ。
リュウは眠りから覚め、音がした方を凝視する。辺りはまだ暗い。どのくらい寝てしまっていたのだろう。
ズサッ
ズサッ
何かが一歩一歩こちらに近づいてきている。
ワゲは眠っていなかったのだろうか、剣を握って片膝立ちになり、何が来ても斬りつけようという構えだ。
暗闇の向こうから、ゆっくりと低い音で話しかける声がした。
「おー……こまいのぉ………。わらしが。こんなところ。何さする。」
力のないしわがれた声。老人のようだ。
良かった。まだその姿は見えないが死霊や赤騎士ではないみたいだ。
「俺・・」とリュウが返事をしかけると、ワゲが手をあげて制止した。ワゲの目は鋭く声のする方を睨んでいる。
リュウの額に汗がにじむ。
暗闇から続けて声がした。
「こっちに…こーい」
ズサッ
リュウは急に全身から冷や汗がどっとでてくるのを感じた。
「こっちに…こーい」
ズサッ
焚火の向こうに人物のシルエットが見えてきた。
「そっちに…行こ…か…の。」
ズサッ
ズサッ
そして、リュウはついに焚火の明かりに照らされたそれを見た!
おぉ!その人物は、それを人物と呼ぶのであれば、その体は朽ち、とうの昔に風化したかつては服だったのであろう物の痕跡をまとっている。その隙間から、というより破れかぶれで隙間だらけなのだが、その隙間から見える妙に白っぽい肌は気味の悪いドロドロしたものを滴らせている。そして、その顔!爛れた顔。眼窩は大きくくぼみ、どういうわけか赤みがかかった眼球だけは健在でリュウを凝視しているではないか。
その眼球はまっすぐリュウを見つめている!
まさに死霊。これが死霊の森の死霊なのだ。
「そっちに…行こ…か…の。」
ズサッ
「ひーーっ!」
リュウは声をあげた…つもりだったが息が喉を通って出ていくだけでまともな声にもならなかった。
死霊の一歩一歩はとてもゆっくりであった。リュウは体に力が入らず立ち上がることができない。ゆっくりした死霊の歩みを恐怖に震えて見つめているだけだ。死霊は着実にリュウに近づいていた。そして、ついにゆっくりと手を伸ばしてリュウを得ようとする。
しかし、その手がリュウを掴むことは永遠になかった。十分に近づいたその時を見計らってワゲが構えから剣を一閃。死霊を水平に真っ二つに切り裂き、死霊の上半身は後ろに吹き飛んだ。
それなのに…
ズサッ
ズサッ
上半身がなくなっても下半身はよろよろとしながらも歩みを止めない。方向がわからなくなったようにあらぬ方向に踏み出すさまが余計にリュウの恐怖をかき立てた。
吹き飛ばされた上半身は顔をこちらに向け、手を使って這うように再びリュウに近づこうとしていた。
ワゲの一閃でリュウは辺りの様子を見て取る余裕ができた。
そして、リュウは別方向からもズサッ、ズサッという複数の音がしているのを感じ取った。
ワゲは焚火から大きめの枝を一つ引っこ抜くとそれを死霊の下半身に押し当てた。
じゅーっと煙が立ったかと思うと存外にみるみると下半身全体が炎につつまれた。
それをさらにワゲが斬りつけるとようやく動きが止まった。
「火だ。火を構えろ。」とワゲが叫んだ。
別方向から近づいてきた死霊にもワゲは躊躇なく切り込んだ。死霊が吹き飛んだところに
リュウは震える手ですかさず火の付いた木の枝を押し当てた。死霊が松明のように燃える。
しかしそれでは収まらなかった。気が付けばあちらこちらから、ズサッ、ズサッという音が迫ってきている。リュウが周りに視線を巡らせると少し小柄な犬のような死霊もいるのに気が付いた。人型の死霊と同様に体は腐れ落ち、ほとんど肋骨が見えている。人型の死霊より少し動きが速いようだ。
ワゲは近づく死霊をどんどん斬りつけ、リュウは火を付けていく。それでも死霊の数は減らないばかりかどんどん増えている。
リュウはもう生きた心地がせず、まるで夢の中で勝手に動く自分を冷静に見ているように感じた。
何だよ…これ。夢じゃないのか。
無理だ。無理だ。くそっ、なんでこの俺がこんな目に。
だめだ。数が多すぎる。こんな風にどんどん来られたら防ぎきれない!焚火だってすぐなくなっちゃうぞ。
おい、ワゲ、なんかないのか?
「おい、ワゲ!」と呼びかけると、ワゲは「上るぞ」と背後の岩によじ上りだした。リュウたちの身長の倍はありそうな高さだ。死霊は上ってこられないかもしれない。
リュウはわずかな足がかりを利用して素早く岩に上った。
上ってみて初めて気が付いたのだが、岩の後ろは崖になっているらしい。真っ暗で様子はわからないけど風や音の響きでそれが感じ取れた。
いや、真っ暗ではない。遠くの山の端にはほのかに朝の明かりが差し始めているではないか。
「朝だ!もうちょっと頑張れば」
もうちょっと頑張れば?
死霊はサウラーの光で滅びると聞いている。本当だろうか?
死霊たちは岩に群がってくる。すごい数だ。岩に取りすがろうとしているがこの高さをよじ上るということはできないようだ。だが、本当に安心してよいのだろうか。後から来た死霊が前の死霊に取りすがって折り重なるように倒れ、またその後から来た死霊がそれを踏みつけて、折り重なっていく。犬の死霊はその上をちょこちょこと歩いている。
「お…、おいおい、これやばいんじゃないの?もつのか?!」
リュウがそう言うと、ワゲは無言で朝日の方を見つめた。
朝日だ。朝日さえ昇れば。
「まだサウラーは顔を出さない。日の光さえあれば…!」と取りすがる死霊たちを見ながらリュウは叫んだ。
サウラーが顔を出すのと、死霊たちがここまで来るのとどちらが早いだろうか。一瞬一瞬がとてつもなく長く感じる。
「オド!跳ぶぞ!」
決断したのはワゲだった。
「えっ?」
いや、俺、オドじゃないんだけど、リュウなんだけど。
とリュウは場違いなことを考えた。
ワゲはリュウの手を取り、崖の方へと引っ張った。
いや、無理無理無理。
少し明るくなってきていて、そこが垂直な絶壁でないことはわかった。
絶壁…ではない。しかし、かなりの角度がついた斜面で、崖と言っても間違いではないだろう。下の方はよくわからないが木が生えているようだ。河が流れているのも見える。高さは…建物十個分以上はありそうだ。
「無理無理。無理無理。」
リュウがそういうのも構わず、ワゲはさらにリュウの手を引っ張って踏み出した。
えっ、本当に?ここから跳ぶの?
あー、急になにもかもがゆっくりに感じる…。
せめて、せめて、足を踏み込んで…、足から…
ワゲに引っ張られながらリュウは跳躍し、空中に飛び出した瞬間、そんなことを考えていた。
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