第50話 出撃 その三
ダイカクさんの出血がひどい。爪が深く食い込んでしまった。
「タダ!」
「お、おう……やったな、倒せたぜ……」
「おい、タダ、どうした?」
敵を挟んで反対側にいたので気が付かなかったけど、タダも負傷していた。
「なんとか、大丈夫だ。腕が折れたかもしれないが……おれよりもダイカクさんを……」
タダが辛そうだ。けど、見たところ、出血はしていない。タダには悪いがダイカクさんを優先する。
「ダイカクさん、しっかりしてください!」
「シノ殿か? ヤツはどうした?」
「倒れました。あなたが倒したんです」
「そうか……やったか……」
――まずい――血が流れすぎている。
おれは手近なものをかき集めて止血した。
「シノ殿、鬼猿の親玉に一太刀浴びせることができた。俺は満足だ」
「ええ、胸を張ってください! 凱旋しましょう!」
「これで少しは先に逝った若者たちに顔向けもできるな……」
「そんなこと言わないでください。まだ終わっていませんよ」
ダイカクさんから力が抜けていく。トミサン村のみんながダイカクさんを待っているはずだ。トミサン村にはこの男の力が必要だ。こんなところで力尽きていいはずはなかった。
「シノ殿……」
「なんですか?」
「トミサン村の残された者たちのことが気がかりだ。みなのこと、よろしく頼む」
「わ、わかりました。だから、しっかりしてください……」
「それから、俺のかわいい姪、アカリのことも頼むな。あの娘は気が強いが、とてもいい娘だ……」
「ダイカクさん!!」
――まだだ、まだ大丈夫、息がある。気を失っただけだ! 早く村に戻らなければ……
「シノ、シノー! あれを見ろ! アカリが!!」
数百メートル先でクルマが横転していた。大鬼猿がアカリの乗るクルマに迫っている。
「アカリー!」
聞こえるわけないけど、おれは大声で叫んだ。
「タダ、すまん、ダイカクさんを頼む」
「必ず戻れよ」
「ああ、そのつもりだ――行ってくる」
おれはアカリの方へ全速力で駆け出した。大鬼猿はクルマを滅茶苦茶に叩きのめしていた。車体を覆った厚板の装甲が脱落していく。キャビンが歪む。
――あの野郎! なんてことするんだ。
でも助手席側を上にしているのが幸いした。運転者席側はそんなに変形していない。
さらに一時の幸運が続いた。大鬼猿はひとしきり破壊を楽しむと、クルマには興味を失ったのか、その場を離れたのだ。
おれがクルマにたどり着いたころには大鬼猿はだいぶクルマから離れていた。ヤツが向かっている先はアラメ村だ。
「アカリ! 大丈夫か」
「ええ、なんとか……シノ、ごめんなさい」
アカリが申し訳なさそうにしている。草むらに隠れていた鬼猿の骸にタイヤを取られ、転覆してしまったらしい。まあ、原因などはどうでもよかった。とにかく無事でよかった。アカリの声を聞くまでは生きた心地がしなかった。体中が凍り付く思いだったのだ。
「そんなこと気にしなくていい。出れそうか?」
「んー? 手を貸してくれる?」
アカリは、助手席の割れた窓から何とか這い出ることができた。
最後の一頭はアラメ村を目指している。早く相棒を起こさなくては……。
おれは地面と車体の間にできた隙間に砕けた装甲から取った柱や板を数本いれた。背中で押して、クルマを起こそうと踏ん張る。あらん限りの力をふり絞る。
が、クルマは動かない。自分で自分に発破をかけた。
「シノ! 情けないぞ、根性みせてみろ――うおおおー」
歯を食いしばる。アカリも助っ人にはいってくれた。少し動いた。
――相棒、頼む、起き上がってくれ。
クルマがゆっくりと起き上がっていく。ついに「ドン」と四輪が接地した。装甲は全部外れてしまったけれど、足回りは問題ないようだった。パンクもしていない。
運転者席のドアは辛うじて開いた。おれは急いで乗り込み、エンジンをかける。ブルルンといつもどおり回転した。
――相棒、おまえもなかなかしぶといな!
「何か策はあるの?」
「なにもない。この鉄の塊を目一杯まで加速させて、アイツにぶち当てるだけ」
こうなったらこちらの大質量でもって押し潰してやる。一対一の真っ向勝負だ! いや、相棒と一緒だから二対一かな。
「アカリはタダのところ向かって」
「でも、シノ……ううん、なんでもない。気をつけて」
「ああ、ありがとう」
――さあ、行こう、相棒。残り一頭を始末するんだ。
大鬼猿までざっと一千メートル。ヤツはだいぶ村に接近してしまった。もうそれ以上近づけさせてはいけない。
おれはアカリに軽く手を振ったあと、アクセルを踏み込んだ。草原を軽快に駆ける。おれは大鬼猿を目指して一直線に進んだ。
最初は順調だった。でも、大鬼猿まであと三百メートルのところで、エンジンの音が
「ドドド……」とかぶる感じになった。燃料切れが近い。
――もう少しだけもってくれ。
あと、百メートル。アクセルを踏んでも回転数が上がらなくなった。だが、まだ勢いは十分にある。
大鬼猿まで、三十、二十……。アイツが背後を振り返った。こちらに気づいた。でも、かまわない。そのまま突っ込む。
大鬼猿が目前に迫った。衝突の瞬間、大鬼猿と目が合った気がした。「ダン」と大きな衝撃がクルマを襲う。けれど、衝突してもなお勢いを殺しきれず、クルマは縦に横にと回転した。
クルマが止まった。頭がフラフラして思考がまとまらない。窓に血が付いていた。額が切れているのが分かった。クルマは運よく横転から回復したけれど、エンジンが止まっている。
――壊れたか?
鍵を回してみると、セルモーターだけがカラカラと回った。燃料が尽きたのだ。
一度目の横転でクルマはかなり酷いことになっていたけれど、いまの衝突でさらに惨いことになった。あちこちひしゃげていて大破だ。
大鬼猿は……
――いまいましい、まだ立っている。
大けがを負ったみたいだけど、動けるみたいだ。フラフラしながらこちらに近づいている。
――あと少しだったのに、対抗手段が尽きた。残念だ……
大鬼猿がまたクルマを殴り始めた。室内がさらにゆがみ始める。もう反発する気も起らなかった。
めまいはひどくなり、身体がガクッと沈むような感覚があった。遠くから何人もの村人たちの声が聞こえた気がしたけど、そこで、おれは意識を手放した……
『篠……篠……おぬし、難儀してるな』
頭のなかでどこかで聞いたことのある声が響く。
『篠、雷の杖を使え!』
小銃はもう使えないはずだ。何をいっているのだ、この声の主は?
『そんなことはない。村雨丸殿はだぶん大丈夫だと言ってるぞ?』
村雨丸殿? 銃剣のことか? 意味が分からない……
『伝えたぞ、あと少しだ、頑張れ、篠』
空気を伝わる音と振動を感じた。大勢が何か声をあげているのだけれど、耳に膜がはったような感じでよく聞こえない。
また大きな音と振動が伝わった。それが刺激となって、おれは覚醒した。目と耳が知覚を取り戻す。
「あっ!」
目の前で大鬼猿とアラメ村の防衛部隊が交戦していた。おれは周囲の状況を理解しようと努めた。脳震盪を起こして、一時気を失っていたんだ。射手達がさかんに矢を射る。矢が足りなくなれば、草原に倒れた鬼猿の遺骸から矢を引き抜いて集めていた。
――そうか、村のみんながおれを助けてくれたのか。
おれが目を覚ますまでアイツを自分たちに引き付けておいてくれたんだ。時間稼ぎをしてくれたんだ。だから、おれは助かった。
大鬼猿がおれが目覚めているのを認めた。大鬼猿は、瀕死の重傷を負わせた張本人に復讐の矛先を向けた。こちらに向かってくる。大鬼猿がまたクルマを殴り始める。これ以上つぶされては出られなくなる。
おれは這うようにしてドアの隙間から外で脱出した。
防衛部隊がおれの健在を認め、歓声が轟いた。大鬼猿への弓射がいっそう激しくなる。
だけど、おれがじりじりと後ずさりすると、その分だけ大鬼猿も前に進んだ。大鬼猿が手の届くところまで迫る。
「シノー、シノー!」
はっきりとおれを呼ぶ声がした。アカリが小銃を抱えて叫びながら駆け寄ってきた。
「シノ これ! これをシノに渡せって! 頭に声が響いて、それで……」
「えっ!? アカリ、危ない、来ないで! そこに置いて、早く離れるんだ!」
アカリは小銃を草原に置くと、少し離れた位置から弓で懸命に援護し始めた。当たってはいるけど、決定打になっていない。歯が立たない。
小銃を見遣る。
――さっきの変な夢はなんだ? 頭がおかしくなっていたのか? 村雨丸殿ってこの銃剣のことだよな?
おれが一瞬気を失っているとき、どこからともなく届いた声が夢なのかあ何なのか分からなくなった。もうどうにでもなれとやけくになった。
おれは弾倉を一旦外し、薬室を開放して機関部を覗いた。
――あ、あった! 一発詰まってる!
おれは不発の弾薬を指で弾き飛ばす。再び弾倉を押し込めると、安全装置を外し、連射位置にした。
クルマに体当たりされ、多数の矢を受けて瀕死の重傷を負いながらも、なお、その大鬼猿は闘志を失っていなかった。爪を大きく振りかぶる。
執拗極まりない。いままでのどの鬼猿よりもしつこかった。
「醜い化け物、これで最後だ。消えてなくなれ!」
ダダダンと弾丸が飛び、大鬼猿の胸部から左肩にかけてミシンで縫い付けるように銃弾の跡が刻まれた。ヤツの左腕がだらんと垂れ下がった。胸からも血が吹き出す。
だが、鬼猿の攻撃の意志は消えない。おれを仕留めようと動く方の右腕を高く振り上げた。
――また、同じように弾丸を叩き込んでやる!
もう一度引金を引く。カチッと軽い音がしたけど、弾丸は飛び出さなかった。
――不発!? いや、残弾なし、撃ち尽くしたんだ。
相手の爪がおれを切り裂こうとする。
おれはとっさに身を屈ませ、一歩踏み出した。
「突き抜け、村雨丸!」
残りの力を振り絞り、銃剣を両手で大きく突き上げる。心臓目掛けて渾身の一撃を見舞った。長身の刃は、相手の胸板を割り、肋骨の中に深々と突き刺さる。心臓に達した確かな手ごたえがあった。
「ウォォォー」
目を見開きながら大鬼猿が絶叫する。おれを睥睨するヤツの目から光が失われつつあるのがはっきり分かった。
――勝った! 仕留めた!
が、その目に一瞬憎悪の炎が灯り、瀕死の大鬼猿が最後の力で繰り出した一撃がおれに振り下された。
ガツンという衝撃が背中に走る。同時に、地面が間近に迫り、顎をしたたかに打った。
視界がぐらんと揺れ、ヤツの体がドスンと覆いかぶさるのを背中に感じた。
おれの名前を呼ぶ声が聞こえたような気がしたけど、感覚がだんだん遠のいていく。
深い闇の底に落ちていくような感じがして――おれの意識はそこで途絶えた。




