調査
廃棄聖堂へ向かう馬車の中で、誰も口を開かなかった。
車輪が石畳を噛む音だけが、重く響く。隣には監察官が座っている。白い手袋を汚したくないのか、膝の上で指を組んだまま、窓の外だけを見ていた。
俺の向かいにはレイナたちがいる。
レイナは剣を抱き、目を閉じていた。リリスは魔導銃の弾倉を確認している。ユアは祈祷書を胸に抱き、ノエルは長銃を膝に置いて、静かに呼吸を整えていた。
甘い言葉はない。
ふざけた視線もない。
ただ、これから誰かが壊れるかもしれないという予感だけが、馬車の中を満たしていた。
廃棄聖堂は、王都南西の枯れた丘にあった。
かつては聖女の誓約式が行われた場所らしい。だが今は、尖塔は折れ、鐘楼は崩れ、壁一面に黒い蔦のような魔力汚染が這っている。
俺は魔導盤を開いた。
赤い反応は少ない。
少なすぎる。
「罠だ」
カイルが低く言う。
「ああ」
俺は頷いた。
敵はここで俺たちを殺すつもりではない。監察官の前で、聖女部隊を消耗させるつもりだ。撤退できない状況を作り、貴族院の通達がどれほど現場を縛るかを、俺たちに見せつける。
「全員、単独行動禁止。レイナは前。リリスは右側面。ノエルは後方狙撃。ユアは俺と監察官の護衛」
監察官が眉をひそめた。
「私に護衛は不要だ」
「必要です。あなたが死ねば、貴族院は都合よく死人を利用する」
男は口を閉じた。
聖堂内部は、祈りが腐ったような匂いがした。
祭壇には、古い魔導銃が一本置かれていた。銃身には聖句。薬室には黒い魔石。床には乾いた血で円陣が描かれている。
ユアが息を呑んだ。
「あれは、聖女の誓約銃です。本来は、戦わない者を守ると誓うためのものです」
「今は?」
リリスが静かに聞く。
「撃てば、誓約を反転させます。守りたいものを、殺したくなる」
空気が凍った。
その瞬間、祭壇の奥から声がした。
『では、撃て』
影が立ち上がる。
修道服をまとった魔族だった。顔は人間の女に見える。だが、胸元には奪われた聖痕が縫いつけられ、背後には折れた翼のように黒い銃身が何本も伸びていた。
『聖女よ。お前たちの司令官を守りたいなら、その愛を証明しろ』
魔導銃が浮き上がる。
銃口が、俺へ向いた。
レイナが前に出る。リリスが撃つ。ノエルが狙う。
だが、そのどれより早く、監察官が叫んだ。
「撤退は許可しない! 交戦を継続しろ!」
俺は奥歯を噛んだ。
やはり、これが狙いだ。
魔族の口元が歪む。
『よい司令官だ。逃げることを許さぬ者は、壊しやすい』
「違う」
俺は通信石を握る。
「俺が司令官だ」
声は震えた。
けれど、止めなかった。
「全員、退け」
監察官が目を剥いた。
「命令違反だぞ!」
「責任は俺が取る」
「君の指揮権は凍結される!」
「それでも退け!」
叫んだ瞬間、胸が焼けるように痛んだ。
だが、四人は動いた。
レイナが俺を抱えて後退し、リリスが床を撃って煙幕を作り、ユアが監察官ごと結界で包み、ノエルが祭壇の誓約銃だけを撃ち抜いた。
黒い銃が砕ける。
魔族が絶叫した。
『なぜだ。なぜ戦わせない。聖女はそのためにある』
「違う」
俺はレイナの腕の中で、息を切らしながら言った。
「聖女は、帰るために戦うんだ」
リリスの弾丸が魔族の翼を砕く。ノエルの狙撃が聖痕を縫う糸を断つ。ユアの祈りが奪われた光を解き放ち、レイナの剣が影の核を貫いた。
魔族は崩れ落ちた。
戦闘は短かった。
けれど、俺の指揮官人生を終わらせるには十分な命令だった。
聖堂の外に出ると、監察官が震える声で言った。
「君は終わりだ。命令違反だ。貴族院に報告する」
「してください」
俺は咳き込みながら答えた。
「ただし、報告書には書いてください。撤退したから全員生き残った、と」
監察官は黙った。
白い手袋は、いつの間にか泥と血で汚れていた。
レイナが俺を支えたまま、静かに言う。
「司令官。指揮権を失えば、私たちは別の者の部隊に移されます」
「分かってる」
リリスが顔を伏せる。
「あたし、嫌だよ。司令官以外の命令で撃ちたくない」
ユアの声は震えていた。
「あなたの声でなければ、わたしは祈れません」
ノエルは微笑まなかった。
「名前を知らないまま、離されるのは残酷です」
胸が痛かった。
俺は弱い。彼女たちを力で引き止めることはできない。命令権を奪われたら、俺はただの病弱な貴族の息子に戻る。
それでも。
「俺は、お前たちを死なせる命令だけは出さない」
四人が俺を見る。
「たとえ司令官じゃなくなっても、それだけは変えない」
沈黙のあと、レイナが膝をついた。
リリスも、ユアも、ノエルも続いた。
廃棄聖堂の灰の上で、四人の聖女が俺に頭を垂れる。
「ならば、私たちは待ちます」
「奪われても、探す」
「離されても、祈ります」
「記録します。あなたが、私たちを人間として扱った最初の司令官だと」
俺は何も言えなかった。
遠くで、王都の鐘が鳴る。
それは勝利の鐘ではない。
これから始まる、もっと暗い戦いの合図だった。
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