逆ハーレムとは何ぞ
「アプリコット家のご令嬢は、王家レベルの教養をお持ちのようですよ。どこか適当な家と養子縁組させて貰えませんかねえ。私も外遊には妻を同伴したいものです」
これまで多忙を理由に縁談を断っておいて、抜け抜けと言うのである。
「おお、遂に宰相がその気になったか」
父は、この縁談に乗り気だった。
「お待ちください国王陛下」
思わず口を挟んだ。父と宰相が私を見る。
「彼女は元々私の妃候補です。優先権は私にあります」
「グレイス嬢に決まったのではないのですか?」
宰相が心底驚いた表情を作って圧をかける。グレイスは彼の姪に当たる。私がマルティナを選び、彼がグレイスを娶ることも法律上は可能だが、政治的には、姪を妻とするより王妃にした方が好都合だ。
「そういえば、近々アイアン王国より、侯爵令嬢が来訪するそうだな。彼女も候補として検討してはどうだろう」
父が話を逸らした。私と宰相の本気を察したようだった。
メリイ=ビスマスとは、その後も連絡を取り合っていた。彼女は私の役に立つことが、嬉しくて仕方がないようだ。それには、あの訳のわからない『花咲く乙女』ゲームについて話すことも、含まれていた。
「追加ヒロイン?」
またも不可解な概念を示された。
追加シナリオという、続編のようなものがあって、新たなヒロインと攻略対象が、アイアン王国から登場するのだそうだ。
「では、その二人で勝手にして貰えば良いのだな」
「そうもいかないのです」
メリイは乙女ゲームの解説をする時、少し得意げである。
彼女によれば、追加ヒロインは、マルティナが選ばなかった攻略対象者であれば、誰でも攻略可能なのだ。
マルティナは、逆ハーレムを狙うことになっているが、私のことだけは避けている、気がする。
「では、その‥‥ベリル=ブロンズ侯爵令嬢が、私を選ぶ可能性もある、と?」
「あります。ところがですよ」
嬉しそうに語り始めるメリイ。大分、新しい女主人に毒されている。
ところが、新たな攻略対象はベリルに執着しており、ライバルは殺されることもあるそうだ。特技が変装であることといい、物騒な人物である。
こうして事前に情報を得ていたお蔭で、キャシーと名乗る侍女が男であることを見破り、一目置かせることができた。
彼は元々、私のためにアイアン王国から密命を受けてきたのである。
本名はコガン=キャシテライト。成功と引き換えに、故国で爵位を得るつもりだ。それもこれも、ベリルを得んがためである。
私は早い段階で、マルティナが本命だ、と彼に明言した。本音であるが、信じて貰えなければ、たとえ周囲の目を眩ますために、ベリルと親しいふりをしたとしても、彼に殺される可能性があった。
『花咲く乙女』ゲームは、物語の結末が幾通りにも分かれているのだ。
バッドエンドのパターンでは、やけになったコガンにベリルが攫われて、監禁されるらしい。
悲劇だ。
こんな男に目をつけられたベリルを気の毒に思ったが、彼女も満更ではないようであった。彼女に私を攻略する気がないのも、幸いだった。
ベリルは密命を知らず、コガンは私にも詳しくは語らなかった。
大体の見当はついていた。
ジェンマである。
私の婚約を先延ばしにした発案者は、継母だった。
彼女は最終的に、娘のロルナを女王につけるつもりだったのだ。
強盗に私を襲わせようとした辺りから、ジェンマの動向には注意を払っていた。マルティナを巻き込んだ罪は重い。
私がマルティナを思う気持ちを知られたら、彼女がジェンマの標的になるかもしれない。
マルティナが全く私を攻略にかからないのは不満だが、私も我慢して彼女と距離を保ち、ベリルの滞在中は彼女を矢除けに使うことにした。
コガンはそれも面白くなくて、私に殺気を送ってくる。私は繰り返しマルティナが好きだ、と彼に言わねばならなかった。
当人ではなく、何故無関係な男に、何度も告白しなければならないのだ。理不尽だ。
これは、『花咲く乙女』ゲームの影響とは違う。だが結果的に、乙女ゲームの筋書き通りに事は進んでいた。
ジェンマが私を陥れるため直接手を出したのを利用して、まんまと返り討ちにしてやった。ほとんどのお膳立ては、コガン=キャシテライトである。
裏で色々動いたであろう事は、察している。私やベリルに口を噤んだのは、万が一、表沙汰となった場合に備えたのだ。
彼はアイアン王国に帰り、ニッケル伯爵としてベリル嬢と婚約した。
ヘレニウム公爵家の権威は失墜した。いよいよアイリス侯爵家の天下である。いや、プロテア伯爵家か。
私は、父と密かに面会した。
そして、アプリコット卿の妻に前世の記憶があることを打ち明け、彼らを逃さないためにも、私がマルティナと結婚する必要があることを力説した。
「男爵夫人がアイデアの源だという話は、知っておる」
父は、あっさり応じた。連発するヒット商品に脈絡がなく、そのアイデアを得るためにアプリコット卿が、怪しげな術を使っているのではないか、と調べたらしい。
「確かに、アプリコット家がアイアン王国に協力すれば、厄介だ。だが、結婚で縛るならば、プロテア卿でも良かろう。幸い、本人も乗り気でおる。アプリコット家は、先代に男爵位を得たばかり。元は平民の商人だ。とても王家とは釣り合いが取れぬ」
父の意見は常識的である。私も承知していた。だから、初めはグレイスと婚約するつもりだった。
だが、確定だった筈の話は流れ、本来名前も挙がらないマルティナが候補に入ったのだ。
話の様子から、父は乙女ゲームの世界について、把握していないことが窺えた。
この世界でのヒロインはマルティナで、彼女を手に入れた者が勝者となる。そんな理屈も考えたのだが、この手は使えない。王妃に裏切られたばかりの父には、とりわけ受け入れ難いだろう。
私は奥の手を繰り出した。
「そもそも、何故アイリス侯爵令嬢との婚約発表が延期となったのかを、お考えください。このままでは、プロテア家の宰相に、その姪が王妃となり、プロテア家の血筋が次の王位に就きます。その上、アプリコット家の溢れる富が流れ込む先もまた、プロテア家です。これではフリチラリア王国とは呼べません。ジェンマ元妃の提案が私欲からなされたとしても、承認されたには、相応の理由があったからではありませんか?」
横槍がなければ、そのまま婚約する気でいた私も父のことは言えないのだが、そこはそれ、脇へ置く。
「しかし、いくら何でも平民を‥‥」
父もしつこかった。
宰相もまた、『花咲く乙女』ゲームの攻略対象者だ。物語としては、ヒロインが宰相と私のどちらと結婚しようと、問題ない仕組みになっているのだろう。腹が立つ。
王朝の消滅の危機にも鈍い父が、乙女ゲームの手先に見えてきた。
「アプリコット男爵は平民だったとしても、今は貴族で、男爵夫人は歴とした貴族の家柄です。従って、マルティナ嬢は生まれながらの貴族です。爵位が足りないというなら、これまでの金銭的物質的援助でも、先日私を守った功績でも口実にして、伯爵位辺りを授ければ良い。それでも不足なら、公爵家へ養女に出せば文句はないでしょう。昨年ご子息を亡くしたアザレア公家は、如何ですか? 生まれた子のうち、王太子以外の子を養子とする約を交わせば、先方も承知します。もし、後継者のないまま絶えたとしても、爵位と領地を円滑に王家へ戻せます。あちらも辿れば、あちこちと縁戚関係を結んでおります。今のまま廃絶すれば、揉めます。宰相に認められた手法なら、私が用いても問題ありませんよね?」
「アザレア公か‥‥」
私の熱弁に、父の感情が動いた。公爵には、幼い私を預かってもらった恩義がある。
「ウィリアム。お前の提案、一つ考えてみよう」
勝った、と思った。
そうして私は、マルティナを手に入れた。
他の男に奪われないようにした、というべきか。
婚約を国王から告げられた時、彼女は絶望したみたいな顔つきをした。さすがにあれは落ち込む。
その後も宰相は仕事にかこつけてマルティナに秋波を送るし、サルビア伯は夫人と連れ立って茶を飲みに来る。
アキレア家の三男は、女騎士の教練役に名乗りを上げた。参考にしたい、とこれまたマルティナの稽古を見たがるのだ。婚約者がいるのに。
この間、マルティナが宰相愛用のペンを使っているところを、見つけてしまった。
当人から貰ったという。ちなみに、貰った時期は、婚約前のことである。
「大層書きやすいのです。もう、これ以外のペンは使えません」
知っている。
同じ品質の羽を入手しようとしたら、プロテア家が養殖業者から囲い込んでいて、手が出なかった。
今、人を使って卵を盗ませ、雛から育てているところだ。羽を取れるまでには、しばらく時間がかかる。
つまりは、これが逆ハーレムということなのだろうか。
ヒロインは、攻略キャラの全員から好かれたまま。ヒロインと結ばれた攻略キャラは、一生他の攻略キャラに嫉妬し続ける運命なのか。
マルティナが、私に恋をしていないことも、知っている。
幸いにも、他の攻略キャラと恋をするつもりもないようだ。日々、真面目に王太子妃としての役割をこなしている。
正直なところ、期待以上の働きだった。妃候補となる前から施された教育の賜物でもあるが、彼女自身の能力が高い。
私にも、身分に対する偏見があった。今後、改めていかねばなるまい。
貴族からの反対も、心配したほどには起きなかった。グレイスがサルビア伯と相愛だったらしく、結果、アイリス侯爵から支持を得たことが大きく影響したと思う。
後は、夫婦の問題だ。
「今日も、マルティナは綺麗だ」
「愛しているよ」
私は毎日、妻に愛を囁く。贈り物も欠かさない。初めはドレスや宝飾品を贈ってみたのだが、羽ペンのように、実用的な物の方を喜ぶことがわかり、毎回頭を悩ませている。
図書室の恋愛小説コレクションは好評だ。ベリルに、新作が出たら、優先的に届けてもらえるよう頼んでいる。
近頃になって漸く、妻から好意を感じられるようになってきた。まだ先は長い。
いつか、アザレア城での出会いについて、尋ねてみようと思う。
もし彼女が忘れていても、その頃には、二人の楽しい思い出が沢山積み上がっているだろう。
メリイによれば、『花咲く乙女のトリプルガーデン』の物語は、既に終わっているらしい。
この気持ちは乙女ゲームの役割とは別の、私の意思ということになる。
彼女がヒロインの役割を終えてから、私を好きになってくれたなら、こんなに嬉しいことはない。
完
作品を読んでいただき、ありがとうございました。
誤字のご指摘も、ありがたく承りました。