EPISODE:13 風を感じて
金曜の夕暮れ、ガレージからスティードを出した。
朔夜にバレないよう、エンジンは掛けていない。
細心の注意を払ってシャッターの開け閉めをした。
——ここまで押せばいいか。
100mは押したと思う。
スティードに跨るとチョークを引き、キーを回した。
キュルキュルと勢いよくセルが回り、エンジンに火が灯った。
まだ回転数が落ち着くまで時間がある。
俺はバラつく振動を腰に感じながら、なんとなくバイクにまつわる怪談なんて思い出したりしていた。
こんな話だ。
肝試しでライダーふたりが夜に訪れた交差点。
ここでは信号待ちで空ぶかしをすると、女の幽霊が後ろに乗って来るという。
二人は「そんな馬鹿な話」と言って信じなかったそうだ。
そうして確かめようと二人で赤信号で空ぶかしをした。
......はずだったが、片方はいざとなるとビビってしまってふかせなかった。
それが恥ずかしくて勢いよくふかした友人の方を照れながら見ると、友人の後ろには血まみれの女が張り付くように乗っていた。
そしてその女はニタァと笑って友人とそのまま走り去ってしまった......
そんなベタな怪談を思い出しているうちにアイドリングが落ち着いてきた。
ゆっくりとチョークを戻してメットを被った瞬間——
シートが沈んで、手が腰に回された。
俺は女のニタァという笑顔を思い浮かべて「ぎゃぁぁ」と叫んでスティードから飛び降りてしまった。
地面にへたり込んで見上げると、タンデムシートから朔夜が呆れた顔で見下ろしていた。
「どうしたの?」
「いや、別に」
「出掛けるんでしょ」
「うん、まぁ」
俺の歯切れの悪い返事にも、朔夜は全く降りる気配が無い。
「行くわよ」
「ソロキャンのつもりなんですけど」
「ギアは?見あたらないけど」
(うわぁ、ギアって言うタイプの人だ)
「キャンプグッズって言った方が良かった?」
「心まで読めるの!?」
俺は思わず両手で胸を押さえた。
「押さえるなら顔の方がいいわよ。表情に出てるから」
「朔夜さん、俺のライフはもうゼロです」
「そう。降参したなら行きましょうか」
朔夜はそう言ってスティードのシートをポンポンと叩いた。
「シーズンじゃないから民宿くらい取れるでしょ」
「!?」
「部屋はふたつよ」
俺は顔を押さえたが、その時ようやくメットを被っていることに気が付いた。
(やっぱり心、読めるんだろ)
「読めないわよ」
驚いて振り向いた俺に「年頃の男子の考えくらいわかるわよ」としれっと言った。
分かっているならヤメてくれと心底思った瞬間だった。
今から二時間後くらいの場所を目安に、民宿を予約した。
夕食は用意が間に合わないと言うので朝食だけお願いした。
「晩飯は現地で美味いものでも食べようか」
「それは楽しみね」
予定は変わったが俺の初ツーリングのスタートだった。
それにしても何かを忘れている気がしたが......
まあ良いかとスティードを走らせた。
夕陽を追い駆けてのツーリングは不思議な気分だった。
沈んだはずの夕陽が山を越える度に姿を現す。
やがて俺たちは夕陽を水平線まで追い詰めると、真っ赤に染まる世界を駆けた。
潮風が運ぶ波の音が、エンジン音の向こうに聴こえた。
そこで不意に、何の脈絡も無いが思い出した。
『俺はまた二人乗りをしている』と。
「大丈夫。上手くやるから」
インカムから声が聞こえた。
朔夜は絶対に心が読める。
俺はそう確信した。




