心血結いたる
政治的な判断には様々な理由や要因が絡む物。
その為、十全な、完璧な判断・決定というものは、非常に難しく、実際には不可能だと言える。
余程の御都合主義で大団円主義者の作品等でもない限りは必ず何処かしらに妥協や犠牲が生じる。
そんな政治的な判断や決定を下す立場に有るのは、国政に携わる者だけではない。
局所的な、大局には影響を及ぼさない様な所でも。
時に、そういった状況を強いられる事は有る。
その判断・決定が本当に正しいのか。
それは非常に難しい質問だと言える。
何故なら、その時に、その場に、その者に。
他の誰も成れず、居られず、戻せないのだから。
「初めてましてだな、“錦馬超”」
「…っ…はい、御初に御目に掛かります、徐恕殿」
挨拶代わりに少し揶揄いを込め、彼女が嫌がる事を知っていて態と、その通り名を口にする。
一方、顔を赤くしながらも、叫ばずに堪える馬超。
グッ…と辛抱出来る辺りは、彼女自身が背負う物の重さを多少なりとも理解し、責任を自覚した証。
その成長の為と思えば、無駄では無いだろう。
そんな俺達が居るのは宅の野営地。
その中央天幕にて行われる謁見。
確かに馬一族は有名であり、武勇も知られている。
だが、それでも立場で言えば、只の放浪者団体。
騎馬民族としての彼女達に対する敬意は有るが。
それはそれ、これはこれだ。
だから、彼女も自分の身分を弁えている。
そんな馬超の後ろに控える形で並んでいる二人。
馬岱と于禁だ。
馬岱は原作と同様に馬超の従妹だから一緒に居ても可笑しくはないが…于禁が居る事には驚いた。
勿論、それは内部調査を任せた隠密から上げられた報告を聞いた時には、なんだけどね。
何でも、馬岱と同い年の幼馴染みなんだとか。
特に同い年だから、なんだろうな。
この二人が一緒に居ても普段の様子が脳裏に容易く浮かび上がるし、違和感が無い。
真桜と霞の遣り取りも、そんな感じだったしな。
まあ、二人の事は今は置いといてだ。
どういった状況かと言えば、西雲・邪々渡・太崙が手を組んで馬一族を襲撃し、馬超は一族の女子供を引き連れて宅の領内へと逃げ込んで来た、と。
簡潔に言えば、そんな感じだったりする。
実際には、もう少し複雑なんですけどね。
──で、宅としては、そういう動きを察知したから領境に部隊を配置していた訳です。
正確には、そうなる事態を見越して、馬超達の通る可能性の高い進路上に、です。
候補は三つ有り、他の二ヵ所にも部隊は待機中。
三部族連合が攻めてくる可能性も有りますからね。
──で、ここからですよ、肝心なのは。
馬一族の長である馬騰は年長者──老兵達を率いて三部族連合と対峙し、討ち死に。
馬超達を逃がす為の時間稼ぎであり。
同時に古い時代の処分を行った。
特に後者は、解る者にしか判らない遺言だ。
「我等は変わるには長く生き過ぎた」というな。
本当にな……頑固で不器用な老人の代表例みたいな思考や意地を棄てられないなら、仕方が無い。
ただ、自分達で片付けられる辺りは尊敬する。
それが出来無いと単なる老害でしかないからな。
「さて、此方等も大体の状況は掴んではいるが…
一応、説明をして貰えるか?」
「はい…我等、馬一族は西雲・邪々渡・太崙による襲撃を受け、これに父・馬騰と一部の者が応戦…
私は新しい長として、皆を連れ、脱出…
…先代の最後の意思の下、我等一族は貴男様に臣従致したく思います」
「成る程な…まあ、此方等の把握している状況とも大差無いので、その意図も理解は出来る」
「それでは──」
「──が、しかしだ、馬超よ
俺が馬騰に──馬一族に対し、「臣従する様に」と記した旨の書状を使者に持たせた事は既知の筈
そして、それを馬騰が断ったという事もだ」
「──っ!?、そ、それはっ……」
「ああ、勘違いしないでくれ
別に馬一族を見捨てるというつもりは無い
我が民として受け入れる事に関しては否は無い」
「──っ!、有難う御座います」
そう言うと馬超は安心したのだろう。
礼を言い、頭を下げる。
そんな彼女の背後、馬岱が小さく身体を揺らす。
隠密からの評価でも「頭が回る」と有ったしな。
今の俺の発言の意図に気付いた様だ。
ただ、彼女の立場上、口を挟む事は困難。
客観的に、一般的に考えても。
此処で馬超に助言したりすれば、新しい一族の長の評価を落とす事に繋がるからだ。
それは彼女の立場としては避けるべき事。
しかし、気付いたから無視も出来無い。
その葛藤を、しっかりと噛み締めて貰いたい。
成長する為の糧としてな。
「ただな、その扱いに関しては話は別だ」
「……………ぇ?」
「勿論、虐げる様な真似はしない
しかし、此方等から話を持ち掛け──ではない
その件は断られた時点で既に終わった事だ
そして、今の状況から言えば、臣従を冀うのは一体何方等なのか、という事が重要に為ってくる」
「────っ!!」
流石に此処まで言えば馬超も察しが付くだろう。
そう、この交渉──いや、商談は対等ではない。
以前、俺が馬騰に使者を出した時点で応じたなら、無条件・厚待遇という形での臣従が可能だった。
しかし、その可能性を馬騰は自ら手離した。
まあ、その時と、今では状況は違うのだが。
そんな事は言い訳にも為らない。
「馬一族の騎馬民族としての信念は理解出来る
だが、今回の一件の抑の発端は何処に有る?」
「それは……っ………我々自身の騎馬民族に対する価値観ではないかと思います
我々、馬一族の在り方は我々の物です
ただ、それを他の部族が強く意識し過ぎている事…
そして、定住化に際しての騎馬民族という肩書きの有無に執着しているが故の身勝手な葛藤…
その辺りの事が原因ではないでしょうか」
そう言い、俺を真っ直ぐに見詰める馬超。
その意思に、言葉に嘘偽り、揺らぎは無い。
これは少々意外な答えだったな。
何方等かと言えば馬超は騎馬民族としての在り方に強く拘る方かと思っていたんだけどな。
意外と客観的に見えている、という訳か。
…いや、単純に世代間の意識の隔たりの差だな。
馬騰達、一定以上の年齢の世代は、馬一族の存在が騎馬民族に対する抑止力という自負が有る。
同時に自分達が背負う責任に対する覚悟もだ。
それが強過ぎるから、融通が利かない。
逆に、その辺の意識が薄い──まだ染まっていない馬超達の様に若い世代や、両者の間の世代は定住化自体に対しても見方が違ってくる。
その差が、こうして出ているというだけの事。
寧ろ、原作の馬超の脳筋さが誇張されているだけ。
キャラとしての個性だから仕方が無いだ。
だから、現実の馬超は決して脳筋ではない。
…まあ、苦手は苦手な様だけどな。
「そうだな、表向きには、その通りだ」
「………と、仰有いますと?」
「辺章・韓遂・劉範が手を組んで動いた理由はな、単純に自分達が伸し上がりたいからだ
その為には、馬一族の存在は邪魔だからな
珍しくもない、有り触れた利害の一致だ」
そう言いながら、馬超の反応を窺う。
反応はしている──が、驚きはしない。
恐らくは、同じ騎馬民族として認めたくはない。
だから、「騎馬民族の肩書きに縋る」と考えたい。
──とまあ、そんな所だろうな。
そういう意味では、まだまだ世間知らずと言える。
ただ、その一方では見えてはいない訳ではない。
まだ信じたく気持ちや騎馬民族全体への根拠の無い性善性の意識が有るから、無意識に拒絶している。
だから、本人の意識一つで一気に変わる訳だ。
馬一族の長として、背負う覚悟が有るのなら。
それに見合う意識を持って貰わないといけない。
普通の臣家とは、馬一族の在り方は異なる。
その辺りを考慮し、許容する為には特にな。
「御前達から見れば奴等の所業は赦せない事だろう
だが、それは見方を変えれば何も可笑しくはない
自分自身の野心・欲望を満たす為ではないにしろ、大なり小なり人を統べ束ねる立場に有る者ならば、少なからず、そういった判断・決定の経験は有り、その必要性に迫られる可能性が有るだろうからな」
「……それは貴男でも、でしょうか?」
「それはそうだ、俺は万能ではない、只の人だ
ただ、その能力が数で言えば上から数えた方が早い位置に居るというだけでな
それは馬超、御前にも言える事だ
馬騰の──長の一人娘だから皆が従うのか?
そうではないだろ?
勿論、血筋──血統というのも一つの力だ
だが、御前が長に選ばれたのは実力が有るからだ
今現在、馬一族を纏め、背負うだけの強さ…
それが他者とは比較に為らないからこそ
馬騰は苦境の中で、御前を長に選び、託した
俺も似た様な境遇だ
妻達の背負う存在を一緒に背負う
その結果として、現在と成っているだけだ」
「…それは…………そうかもしれません…」
「まあ、皆が皆、似た境遇という訳ではない
ただ、そういう立場に居る以上、同じ様な状況には置かれ易い、というのは事実だ
勿論、それでも判断・決定は人各々、違って当然
奴等は馬一族の排除という選択をした訳だが…
馬超、御前が第四の勢力の長だったとして…
実力ではなく、血筋だけで長になった凡庸な身で、その話を振られたなら──御前は、どうする?」
「………………………………多分、手を組みます」
「ああ、俺も同じ条件でなら、そうするだろうな
勿論、実際に自分が当事者なら違うが…
それは俺も、御前も、少なからず強者だからだ
それ以外の選択肢を選べるだけの力を持つからだ
逆に言えば、弱者は選べる選択肢が限られる
その中で最善を選ぶので有れば、というだけの事
だから、この一件も有り触れた事に過ぎない
その正否や善悪を問う必要は無い
理由が有るとすれば──正当化や自己満足だ」
「────っ!!」
復讐に走り易い気性の馬超に釘を刺す。
今は既に私情・感情で動いていい身ではない。
勿論、一族郎党全滅する覚悟でなら構わない。
だが、一人でも生き残れば、それは怨恨の連鎖。
そうしない為には、絶ち切る覚悟が要る。
馬騰は自分には出来無いから、馬超に託した。
まだ、怨恨に呑まれてはいないからこそ。
絶ち切り、新たな道へ方向転換出来ると信じて。
そして、その馬騰の決断は間違いではなかった。
今、俺の目の前で、一人の少女の才器が花開く。
憤怒は懐けど、憎悪には囚われず。
一族を背負う者として、確かな覚悟を持つ。
本当の意味で、意志を受け継ぐ、馬一族の長へ。
「色々と話が逸れてしまったが…本題に戻そう
馬一族の受け入れに関しては問題無い
しかし、今までの様な遊牧生活は控えて欲しい
勿論、それに拘るなら此等方も考慮はするが…
それは長一人、一部だけの意見ではなく、馬一族の総意でなければ、認める訳にはいかない
ただ、その在り方は様々だと俺は思っている」
「はい、私も我々の在り方は再考すべき時なのだと改めて感じています
ですから、現時点では貴男の御意向に従います」
「そう言ってくれると俺としても助かる
──で、肝心なのは、馬一族の扱い、立場だ
俺としては騎馬部隊と馬産家、それ以外の一般人にという感じで分けたいと思っている
勿論、自主性を尊重してだ
その中で騎馬部隊に関してだが──馬超、御前には軍将としての職を任せたいと思う」
「…っ……私に、ですか?」
「ああ、但し、俺と試合って勝てれば、だ
宅は実力主義でな、それだけの実力が無いのなら、一兵卒でも文句は言わせない
──どうする?」
「………判りました、私の全力を以て、確と貴男の眼に御覧に入れましょう」
「では、場所を移すとするな」
そう言って、謁見は終了。
天幕を出て、宅の兵や馬一族の者にも見える様に。
自らの力を示す。
馬超side──
本当に短い間に色んな事が有り過ぎた。
西雲・邪々渡・太侖による襲撃に始まり、父さんに長に任じられ、皆を率いて脱出。
父さん達の死、憤怒・憎悪・悲哀に暴れ狂いそうな感情を無理矢理に抑えながら東を目指し。
噂の“大太守”、徐恕に謁見。
馬一族の保護を御願いした。
その話し合いの中で、アタシは自分の甘さを痛感。
だけど、同時に長として一族を背負う覚悟が本当の意味で出来た。
それもこれも、徐恕──忍様の御陰だ。
それから、アタシが長として一族の価値を示す為に試合う事に為ったんだけど。
はっきり言って、アタシは完璧に舐めてた。
向こうの兵達が、「…え?、徐恕様が?」みたいな顔や反応をしていたから、余計に勘違いした。
その意味が全くの逆だって気付かずに。
寧ろ、兵達に正当性を示す配慮だと思ってた。
ただ、実際に始まれば直ぐに勘違いに気付く。
徐子瓏という男は単なる王道を歩む王者じゃない。
覇道を歩む覇者でもあるんだって。
その両道を以て歩める覇王なんだって。
…結果から言えば、完敗だった。
しかし、向こうの兵達からは拍手が。
それは御世辞ではなく、本当に心からの敬意で。
唖然としながらも──気付いた。
人を統べ、人を導き、人を背負う。
その本質的な意味を、その拍手が教えてくれた。
思わず顔を向けた先に居た忍様は笑顔を浮かべて、右手でアタシの頭を少し乱暴に撫でて。
「託され意志を、孰れ託す為に、強く成れ」と。
そう一言だけ、アタシに伝えた。
それだけで十分だった。
心を獲られてしまうには。
その後、曹操──華琳から「貴女、恋人や婚約者は居るのかしら?」と訊かれた。
思わず、忍様の事が思い浮かんだ為、振り払う様に大声を出して否定した。
顔が真っ赤っかだった事は熱さで自覚している。
ただ、その直後に「なら、御兄様に御寵愛を頂き、次代を産みなさい」と言われて。
茫然と為っていると、義兄妹の…夫婦の?、まあ、兎に角、痴話喧嘩が始まっていた。
喧嘩と言うよりは、戯れ合いみたいだったけど。
………うん、自分でも期待してしまった。
全然好きにして貰って構わないから、忍様の子供を産みたいと思ってしまう。
それを認めた瞬間、懐く想いを自覚した。
…恥ずかしさのあまり、逃げ出したくなったけど。
胸の奥が、身体の底が、優しくも激しく熱を帯び、アタシを忍様で染めていくのが判る。
その感覚が、初めてなのに心地好いから困る。
どうしていいのか判らないから。
「──納得出来無いか、翠?」
「──っ!?、ィ、いや、そんな事無いって…
確かに襲撃の件は簡単には赦せないけどさ…
奴等の潔さ──責任の取り方は似てるからな
今なら、アタシにも理解出来るよ」
そう言いながら、事の顛末を見詰める。
忘れはしない様に。
──side out