63話 産まれ出でて
“死の選択”という言葉に対し、多くの人は大体が思い浮かべるのは“自殺”ではないだろうか。
自殺という行為は、とても身勝手な事なのは確か。
しかし、当事者からすれば、「もう、こうするしか自分には残された道は無い」という意識が有る事も決して否定は出来無い点である。
その自殺だが、二十歳までは「自分だけが不幸」と言う様な“自己陶酔性悲劇症候群”とでも呼ぶべき思考・精神状態に陥り後先考えずに自殺してしまうといった場合が多いと考える事も出来るだろう。
それは「何もかも嫌に為ったから全部終わらせる」といった様な解放を求める衝動が主因とも言える。
しかし、二十歳を越えると要因は変化する。
飲酒等の理性の働き──抑制力が低下して自殺するケースは省くが。
基本的には追い込まれてという事が多い。
そうなる要因の一つには個人の負う社会的な責任が顕著になる為なのだが。
それ自体は当然と言えば当然では有る。
しかし、個人が負う度合いを越えた社会的批判が、悪意を伴って個人に向けられる事が大問題。
古い言い方をすれば“蜥蜴の尻尾切り”である。
そういった状況に一個人が置かれたとしたなら。
到底、背負い切れなくなり自殺へと向かってゆく。
酷い場合、無関係な人を巻き込んだ無理心中の様なテロ行為にも等しい犯罪へと繋がる事も有る。
その一方で、責任を背負う立場だが、二十歳未満の時よりも自暴自棄に為らず、踏み止まれるケースも少なからず存在している事も確かで。
「もし、自分が自殺したら…」と想像し、周囲への影響等を考える事がブレーキとなる。
けれど、それさえ効かずに踏み越えてしまう人達が出てしまうというのも紛れも無い事実である。
そんな自殺は大きな社会問題なのだが。
その一部に有るのが、家庭という閉鎖的な環境内の外部の踏み込み難い状況に伴う問題。
“老々介護”という社会問題を表した言葉や。
“介護疲れ”による殺人・心中等といった見出しを目にする事は少なくないだろう。
家庭での介護というのは個人の限度を越えた負担を否応無しに強いられる為、多くが施設を利用する。
しかし、それは本当に正しい事なのだろうか。
若者が障害や難病を患い、懸命に生きようとする。
それは誰もが感動を懐く姿だと言えるだろう。
けれど、実際に介護している家族の負担は大きく、知らない内に積もり積もってしまってゆくもの。
時には親や兄弟姉妹からでさえ、邪魔者扱いされる場合が有る事は決して否めない事実。
それ以上に深刻なのが、高齢者の介護関連の問題。
“高齢化社会”とされる中、一番問題視される病が認知症である事は多くの人々の知る所。
癌は未だに怖い病では有るが、介護等の負担の点は回復か死亡という終わりが有る。
しかし、認知症は回復する可能性が低い為、負担は死亡するまで家族が強いられる事になる。
そんな患者自身は何も判らなくなっている訳だが。
果たして、まだ若い自分が認知症に為ってしまい、家族に負担を強いる事に為ってしまったら。
「死ぬまで生きていたい」と思うだろうか。
癌等で死期の迫る中で生きる事とは違う。
認知症という病の恐ろしさは人間関係の破壊。
それを理解したならば、こうは思わないだろうか。
「家族の為にも、自分は死にたい」と。
勿論、重度の認知症に為った場合、そんな事は既に考える事さえ出来無く為っているのだろうが。
自分の意識、自我が確かならば。
家族を自分という負担を強いる鎖から解放したい。
その為に自殺したいという思い。
それを懐く事は何も可笑しな話ではない。
だが、その一方で自分が自殺した後、家族に対する誹謗中傷や批難が起きる事を考えると。
そうする事も出来無く為ってしまう。
だからこそ、“安楽死”という選択肢の必要性だ。
自殺とは違う、自らの意思で選べる死。
それは家族だけでなく、社会の負担をも軽くする。
同時に自分自身の死に際を決められる権利の行使。
人権や権利を尊ぶ社会性は間違いではない。
しかし、何故、自らの死を選ぶ権利は無いのか。
何故、自分では苦痛・懊悩を解消が出来無いままで生きる事を強いられなければ為らないのか。
生きる権利を尊重するなら、死ぬ権利も尊重され、理解されるべきではないのだろうか。
──とは言え、それが理解されないのが現実。
自殺するという事は宗教的にも罪深い行いだ。
…まあ、一部には信仰心を利用した洗脳にも等しい方法で自爆テロ等を引き起こす事も有るが。
それらは、かなり特殊な部類だと言えるだろう。
現実的な話をするならば。
自殺しようとしている人が居れば助けようとする。
それが人々の善意であり、生命への尊重だろう。
ただ、自殺する人々を生み出すのも多くの人々。
ある人には何でも無い様な事だったとしても。
ある人には思い詰め苦悩する事なのかもしれない。
そう考えられる想像力が欠如した社会性。
新しい事、楽しい事、面白い事、画期的な事。
そういう方向の想像力は有れど、最悪の事態を想像出来る想像力が欠如している社会。
その為に、道徳観の欠如した事件等も多くなる。
そんな社会の未来が如何なる物であるのか。
それを想像する事が出来るだろうか。
想像出来無いないのだとすれば。
明日にも誰かを死に追い遣る加害者となる。
その可能性を持っているという事なのだと。
心の隅に、頭の何処かに。
置いておいた方が、いいのかもしれない。
そして、個人の死の選択を許容出来る社会性。
その必要性が求められる時代なのかもしれない。
勿論、安易な決定ではなく、しっかりとした法律を定めた上で、施術機関の選定・指定、施術へと至る手続きの原則・厳罰化、保険等の支払いの適用外等様々な問題を想定した上で、追加・変更も検討する事が出来る柔軟な政策が大前提ですが。
政治が民意を反映する物で有るならば。
一度、国民に是非を問う事も必要ではないのか。
それ程に大きな問題へと為っているのだから。
生きる事も、死ぬ事も、誰かに強要されて然るべき事ではなく、自らの意思により選択する事。
もし、死にたいと思う人を止めたいので有れば。
止めたい人が自らの全てを賭してでも、その意思を生きたいと思える様に変える為に尽くす。
それ以外には有り得ない事で。
誰かに任せては為らない事。
それが出来無いなら、死を選びたい人から選択する自由を、その権利を奪っては為らない。
全てが全て、生きる事が正しい事だとは限らない。
その事を理解する事から始めるべきなのだろう。
「…何て言うか……その……凄いな」
「主語が無いから何を指してるのか判らないが?」
「それは勿論、御兄様の男としての魅力です
そうよね、翠?」
「へ?、ああ、うん、そうだな──って、違っ!、いや、違わないけど…いややっぱ違うからなっ?!」
「なら、貴女は御兄様に魅力を感じないと?」
「そんな事言ってないだろっ!
………って、そうじゃないからなっ?!、いやでも、それも間違いじゃ……ぁぁ゛あ゛~~~~~っ!!」
「もぉ~…お姉様ってば素直に「大好きです」って言えばいいのに~」
「本当にね~…見てる方が苛々するの~」
「蒲公英っ、沙和っ、お前等は黙ってろーっ!」
華琳の揶揄いに始まり、翠が顔を真っ赤にしながら馬岱達に八つ当たりする様に怒鳴る。
だがな、馬岱達よ、まだまだ御前達には男心という物が理解出来てはいない様だな。
そのボーイッシュな翠だから良いんだよ。
普段は強気で男勝りなのに二人きりになると途端に借りてきた猫の様に大人しく、内気になる。
そのギャップに世の男達は狼と化す訳です。
…まあ、その萌え理論で言えば、女性も肉食系へと変化する事は否めませんけどね。
あ、誘うんじゃなくて、襲う方の肉食系ですよ?。
其処、大事な所なんで要チェックです。
あと、翠は俺と同い年という事も有り話し易い。
馬鹿を遣る友人としての感覚も有りつつ、一方では異性としても意識し合っている訳ですから。
ええ、華琳の思惑は遠くない内に成るでしょう。
だって、翠ってば可愛過ぎるんですもん!。
一方、馬岱達は四つ下で、程昱と同い年。
ええ、耳年増なのは間違い有りません。
ただ、恋愛対象として見るには幼過ぎますからね。
……え?、「約二年前、今の馬岱達と同い年だった曹操には手を出してただろ?」ですと?。
いやいや、アレは喰われたのであって…いやまあ、それは結果的には喰いましたけど。
華琳の場合は積み重ねた想いが違いますから。
そう簡単には我が牙城は崩させませんよ!。
──というのは置いといて。
翠が何を驚いているのか、という事ですが。
馬一族に西雲・邪々渡・太崙、その他の騎馬民族。
その全て纏めて取り切って見せたからです。
先ず、馬一族を襲撃した西雲・邪々渡・太崙に対し同じ様に奇襲を仕掛け、一気に押さえました。
まあ、自分達が遣った事を馬一族を受け入れた宅が遣っただけですから文句は言わせません。
言われても「自分達が遣られない理由は?」です。
ええ、誰も言い返せる訳が有りませんよ。
そして、全ては弱肉強食の下に。
つまり、弱者である為、自然な結果な訳です。
──とは言え、三部族の長達は愚かでは有ったが、馬鹿ではなかった。
俺に「今更では有るし、虫の良い話かもしれぬが、一騎討ちで御相手を願いたい」と言って来た。
勝てば、全面降伏し、従えぬ者は即自害する。
そう、長としての最後の命令を出した上でだ。
別に相手をするのは俺じゃなくても良かったけど。
まあ、其処は事後処理時の政治的な配慮を考えて、正々堂々と一騎討ちで討ち取って遣りました。
はっきり言って翠なら余裕で勝てる程度の力量。
俺なら瞬殺出来ましたが…まあ、少しは相手に対し手向けの華を持たせて遣る位の演出はします。
勿論、意図が有っての事ですよ。
別に全員が後追い自殺しても一向に構いません。
馬一族に比べれば圧倒的に質が劣りますからね。
余計な火種を下手に残し抱え込む位なら、その場で綺麗さっぱり片付けてしまうのが俺の遣り方です。
え?、慈悲の心?、それは改心すると確信が出来る相手に対してのみ、向けられる情状酌量です。
本の僅かでも、その心に燻る暗い火種が有るならば絶対に見逃しはしませんし、許容もしません。
俺は聖人君子ではなく、単なる身勝手な人間です。
敵意を懐く輩を好き好んで抱え込みはしません。
尤も、彼等も自分達のした行いによる結果に対する責任を負う自覚は有ったみたいです。
此方等が驚く位に従順でしたし、敵意も無し。
それは長の死後、馬一族と同様に古い者達は揃って自害をして一族の未来を縛る鎖を断ち切った為。
生きて変われる可能性は有ったかもしれない。
しかし、それが1%にも満たない可能性なら。
一族の未来を閉ざす可能性が圧倒的に高い訳で。
死を以て、若い命の未来を繋ぎ、拓いた。
死を選ばす、生きて罪を償う為には自らが改心し、大きく変わらなくては為らない。
それこそ、別人に成る程に。
それが出来るので有れば。
彼等は馬一族を襲撃したりはしなかった。
それが出来無いからこそ、自らの死で変えた。
残された者達に「決して、我等の様には為るな」と言葉に成らない遺言を刻み込むかの様に。
そして、それを見ていたからこそ。
翠は本当に悔しそうだった。
「一対一なら自分達は勝てたのに…」と。
「手を組まれていても徹底抗戦していれば…」と。
そういう事を考えて──ではなく。
いや、少しは考えてしまっただろうが。
俺と一騎討ちをした辺章・韓遂・劉範の姿に。
亡き馬騰の姿を重ねながら、己の非力を悔いた。
「もし、アタシが一度でも向き合えていたら…」と有り得たかもしれない別の結末を描いて。
けれども、それは絵空事に過ぎない妄想で。
だからこそ、翠は成長する。
馬騰が、辺章が、韓遂が、劉範が、見せた。
道は違えど、長たる者の姿を心に焼き付けて。
決して同じ過ちを繰り返させない為に。
新たな騎馬民族の未来を目指して。




