10 ヘンゼルの断罪
「貴方は2日前ミュラー夫人の遺体を発見したとき、あの地下室のリストを見つけたのでしょう。
そしてマイヤー、ブラウン、ダグラスの3人に、22年越しの復讐を果たすことを決心したのですわ。」
「22年越しの復讐だって?」
ビリーは鼻で笑った。
「お医者様が菓子売りのばぁさんと結託してどんな悪事を働いたっていうんだよ。
子どもを虫歯にしたとか?」
「いいえ、違いますわ。」
ビリーは冷かしたが、彼を見据えるカメリアの冷たい瞳は真剣だ。
「マイヤー、ブラウン、そしてダグラスは、ミュラー夫人から遺体を買い取っていたのですわ。」
驚いた私は思わず口を挟んだ。
「ミュラー夫人は医師たちに遺体を売っていたんですか?」
カメリアは私の方へ振り返り「ええ、そうですわ、ヒルダ。」と頷く。
「ミュラー夫人の屋敷の地下にあった保管庫は、土壁で出来ているため焼き菓子の保存には向きません。
大きな樽も、通常お菓子の包装には使われません。
樽の中に入っていた遺体は、隠したのではなく、商品として出荷まで保管していたのです。」
地下の保管庫で見つけた、樽の中の遺体。
あの遺体こそが、あの場所で保管されるべき商品だったのだ。
「キッチンにあった毒薬は、標的を殺害し遺体を用意するために使われたのでしょうか。」
私の意見にカメリアは「樽の中の遺体に外傷はありませんから、恐らくそうでしょう。」と賛同した。
ミュラー夫人は、貧しい人々に手を差し伸べる優しい女性ではなかった。
屋敷に招いた人々を毒殺し、商品として売り飛ばす恐ろしい魔女だったのだ。
けれども、私にはまだわからないことがあった。
「カメリア様、マイヤーとブラウン、ダグラスは何のために遺体を買っていたのでしょうか。」
「それは解剖を行うためですわ。」
私は3人の同輩であるベルガー医師の話を思い出した。
マイヤー、ブラウン、ダグラスは若い頃から頻繁に解剖を行っており、その経験数は同輩の中でも抜きん出ていた。
ベルガー医師は彼らが遺体を墓から盗んできたのではないかと疑ってさえいた。
医学の発展のため、解剖による研究は近年医者や学者から注目されるようになった。
しかし、解剖のための遺体を手に入れることは難しい。
そこで3人の医師はどうしたか。
彼らは殺人により用意された新鮮な遺体を買い取ったのだ。
カメリアはビリーに視線を戻し、語りかける。
「2日前、ミュラー夫人の遺体を発見した貴方は、床下の階段に気づき地下室へ立ち入った。
そこで3人の医師の名前が書かれた納品リストを見たのでしょう。
そして貴方は、断罪すべき相手の名前を、22年の歳月を超えてようやく知り得たのですわ。」
カメリアの可憐な声が真実を告げる。
「あのお菓子の家から生きて出てこれたのは、貴方たちだけなのですから。」
「わかったから…もうやめてくれ…。
これ以上、俺にあの屋敷を思い出させないでくれ…。」
ビリーは真っ青な顔で震えていた。
彼の身体が子どもの頃のまま成長しなかったのは、充分な栄養が得られなかっただけでなく、あのお菓子の家で心に深い傷を負ってしまったからではないだろうか。
ビリーは荒く息を吐いた。
「あの息苦しい地下牢とか、樽に入った死体の顔を夢に見ない日はなかった。
でも俺は馬鹿だから、あの屋敷がどこなのかとか、あいつらの名前とか、なにもかもわからなくて…。
かまどを開けたときに、やっと思い出せたんだ。」
私は、ビリーもまたヨハンナのように強いトラウマのために断片的にしか思い出せなかったのではないかと思った。
お菓子の家での悪夢は、今もまだ彼を苦しめているのだ。
何とか息を整えたビリーは、「なぁお嬢さん。」とカメリアに呼びかける。
「降参だよ、俺の負けだ。
あんたのいうとおり、俺が3人の医者を殺した。
22年前、あの魔女をかまどに押し込んだのも俺だ。」
「それは…。」
「兄さん!」
カメリアの言葉を遮って、それまで私たちの背に隠されていた1人の女性がビリーの前に歩み出た。
「兄さん、もういいの。
思い出して仕舞ったら、もう後戻り出来ないわ。」
ビリーは大きく目を見開いた。
彼は震える声で、「ヨハンナ…。」と妹の名を呼んだ。
お菓子の家を買い取った資本家、シュナイダー氏の妻ヨハンナの生き別れの兄は、ビリーだったのだ。
記憶を取り戻したヨハンナは、放心する兄に微笑む。
「兄さん、わたしはもう思い出してしまった。
だから、わたしも裁かれるべきなのよ。」
「ヨハンナ、駄目だ…。」
兄の静止に構わず、ヨハンナは告白する。
「22年前、あの魔女を殺したのは、わたしよ。
わたしがあの人の背中を押して、熱されたかまどの中に押し込んだの。」
ヨハンナが心の奥に閉じ込めていた記憶。
それは、彼女の犯した罪の記憶だった。
ヨハンナはカメリアの方へ顔を向けた。
「カメリア様は、気づいておられたのでしょう。」
「かまどに落ちていたカフスボタンは、小ぶりでパール付きの、女性用のものでしたから。」
ヨハンナは再び兄の方へ向き直る。
「兄さん、今までごめんなさい。
わたし、大切なことを忘れていた。」
ビリーは苦しそうに顔を歪めた。
「お前が俺のことを思い出せなくても、構わなかった。
何もかも忘れて、幸せになってくれれば、それだけで。」
俯く兄にヨハンナは駆け寄る。
「そんな悲しいことを言わないで。
だって、わたしは思い出せてよかったわ。
もう一度兄さんに会えたから。」




