三
今まさに出てゆこうとする二人に、瀬山は最後の賭けに出た。
「このまま見つかったら全部喋るからな!近藤先生や土方先生に洗いざらいバラすぞ!」
そう脅すと、石川はもはや腹を据えて、刀に手を掛けた。
「じゃ、やっぱり殺そう、猩々丸」
「あー待った!だからそう短絡的になるなってば。話し合おう」
「おまえ、そんな状態で見つかったら、どのみち亭主に殺されるぞ?」
「ま、まず落ち着こう。ちょっとそこのタバコをとってくれ」
「ふざけんな。見つかったときすぐ分かるように、顔に『間男』って書いといてやる」
「石川様、ちょけてんと、早よ行かな」
千が石川の手を引いて急かしたその時、表の戸がガラリと開いた。
「入らせてもらいますよー?お留守っすか―?」
千はバタバタと押し入れを閉じ、石川を裏口へ追いやると、何事もなかったかのような足取りで玄関へ取って返した。
「ああ、はいはい!」
千は艶然とした笑みを浮かべて、一番隊の面々を玄関に迎え入れた。
「これはこれは。お暑いなか、新選組の皆さま、どないしはったんどす?」
「ごめんください。この辺りで、うちの若いのが姿をくらましましてね。何か事件にでも巻き込まれたのかもしれないというので、いま、一軒一軒聞いて回ってるんですよ」
沖田総司である。
すらりと背が高く、若い女のように麗しい顔に、初夏の風のように爽やかな声。
しかし、その背後から、やせぎすの若い男が無機質な表情で家の中を覗き込んでいた。
大石鍬次郎、人斬り鍬次郎などと呼ばれているから、きっと何人も斬っているに違いない。
「実は以前から、この家にうちの者が出入りしてるつー話があってよー?…で、あんたダレ?」
「主人はしがない大工で、うちはその古女房どす」
「その割には色っぽいなあ」
大石は感情のない目で笑った。
「おおきに」
「で?うちの隊士がお邪魔してないすかねー」
「そないな方は居らしまへんけど?おとなりと間違われてるんやおへんか」
千はポーカーフェイスを崩さない。
「そうなのかなー」
大石はぬっと首を突き出し、千の肩越しに部屋の奥を覗き込んだ。
「踏み込みます?」
大石は沖田の顔を窺った。
「いや…」
沖田はそう言ったきり、疑り深く顔を千の眼を見つめた。
「近ごろ、幕府転覆を目論む坂本龍馬という浪人が、京をウロついていましてね。我々も目を光らせてはいるんですが、居場所を掴んで踏み込もうとすると、なぜか奴は我々の動きを先読みしてスルリと逃げてしまう。こうも失態が続くと、なにか裏があると勘繰ってしまいましてね。どうやら隊内に間者が潜んでいて、奴には我々の動きが筒抜けらしいのです」
「そうどすか」
あくまでシラを切り通そうとする千に、沖田は肩を落とした。
「つまりね…御内儀、ここに隠れてる隊士って奴ですが、我々はどうもそいつが長州の間者じゃないかと疑ってるんです」
「はあ」
「だから、妙な庇い立てをすれば、御内儀にも疑いの目が向くことになりますよ?」
「そやかて、知らんもんは知らんのやさかい、どないしようもおへんがな。こないなとこで立ち話も何どすさかい、お上がりやす」
千は、サラリと言ってのけた。
心臓に毛が生えているとは彼女のことだ。
奥の部屋を仕切る襖の影に隠れていた石川は、慌てて押し入れに逃げ込もうとしたが、そこには首だけの先客がいる。
「バカ、ここはもう満員だ!」
二人が小声で押し合いへし合いするうち、玄関口では飽きっぽい大石鍬次郎が早々に根をあげた。
「いいよう。めんどくせえ。ねえ沖田さん、知らねえつってんだから、もういいっしょ?」
沖田は、大石と千の顔を見比べ、ため息をついた。
「…わかりました。今日のとこは引き揚げます」
沖田が単にブラフをかけたのか、本当に疑いを持っていたのかは定かでない。
とにかく、隊士たちの足音が遠ざかり、表の戸が閉まると、石川は押し入れから這いずり出て、汗を拭った。
「ふー!危なかった」
だが、そこからが更なる悲劇の始まりだった。
瀬山は急に真面目な顔で、昨今の新選組を取り巻く状況を説明し始めた。
「長州は京から追い出したものの、土佐の坂本が薩摩となにかコソコソやってる…。だから近藤先生はピリピリしてるんだ」
石川は、押し入れの床から生えている首を、刀の小尻で突いた。
「おまえ、鼻にメザシ突っ込んで、なに真面目な話してんの」
「うるさい!おまえが長州の間者だな。恥を知れ!武士の風上にも置けんヤツだ」
石川はこめかみに青い筋を浮かべて、刀の鞘を撫でた。
「猩々丸…こいつは何を言ってるんだ?ひょっとして俺のことを卑怯者呼ばわりしてるのかな?そうなのか?」
「下衆野郎!カス!」
瀬山の首は、さらに罵倒を重ねた。
「あー。今のはもう許せん。そうだ。猩々丸がおまえの眉を片方剃り落としてやる」
石川が刀をスラリと抜いた
「アブっ!よ、よせ!アブねえだろ!それはおまえ、それはメザシの悪ふざけとは訳がちがうぞ」
千は暇そうにキセルに火をつけた。
「多喜さんも石川さまも、まるで子供みたいどすなあ」
石川は刀の腹で瀬山の頬を撫でながら千を振り返った。
「…さっきから気になっていたんだが、なぜこいつは“多喜さん”で、おれは“石川さま”なんだ?他人行儀じゃないか」
千は口から細い煙を吐いた。
「そんなん、深い意味はおへん。その場の雰囲気どす」
「俺のこともサブちゃんと呼んでくれてかまわんが」
「それは、ちょっと気易すぎやおへんか?」
「いいよお♥俺がそう呼んでほしいんだからあ♥」
石川が甘えた声を出すと、瀬山は眉を潜めて顔を背けた。
「…きもちわる」
「あ!いまのカチンときたな。おせん。犬だ犬を連れてこい」
石川が千を裏口へ促すのを見て、瀬山は切実な声で訴えた。
「まて、犬をどうする気だ!おい!まて!聞いてくれ!まだ言ってないことがある」
「もういい。お前と話すことはもうない」
「本当にいいのか?後悔するぞ?」
「…どう思う猩々丸?」
石川は猩々丸の意見に耳を傾け、それから瀬山に向き直った。
「やれやれ…聞いてやるから言ってみろ」
「実は…えー…」
「どうした?言うことはないんだな?」
「あ、ちがうちがう!実は…実は、えーと…俺は、お前の生き別れの兄なんだよ」
「そうか、…犬を」
石川は千に手招きした。
「違う違う!嘘じゃないってば!俺の母は石川家へ女中奉公に出されて、そこで当主のお手付きにあい、奥方から疎まれて家を出された!俺はお前を追って新選組に入ったのだ!」
石川は目を見開き、その瞳がにわかに揺れる。
「まさかそんな…そうだったのか!に、兄さん!」
「弟!」
しかし石川は、すぐこの悪ノリに付き合うのにも飽きた。
「アホか…犬をけしかけろ」
「まて!信じてくれ!小石川の新福寺に集まったとき、お互い、国に尽くそうと御仏に誓った仲じゃないか。あ、そうだ!では、神仏の加護について話してやろう」
石川は、ふーっと大きなため息をついて、首を横に振った。
「…いいか、瀬山?おまえと神の話はしない。おせん、犬を呼んでくれ。大至急。」
「いやーっ!まってまって!まってったら!」
千が冷静に割って入った。
「石川様、悪ふざけもほどほどにしとかな、新選組が戻ってきますえ?」
「それもそうだな。こんな奴ほっといてトンズラするか。で、金は?」
「お金なら、押し入れの床下に隠してあります」




