第十八話 「兆し」
翌朝、センは部屋の前の廊下で目を覚ました。とてもではないが、シトリと同じ部屋で眠ることはできなかったからだ。
こんなに気分が悪い目覚めは珍しいなとセンは頭を振る。体のあちこちが痛く、頭の中は石を詰め込まれたみたいに重い。なにより、いつも以上に空腹感が強かった。
「これが最後の朝になるかもしれないってのに……」
センは立ち上がり、部屋の戸を開けようとする。
しかし途中で手を止め、その場で立ち止まった。
部屋の中に入ったところで、何もできないと自覚しているからだ。
「こんなところで何してるの」
声をかけられ、振り返る。
センの目に映ったのは、今まで見たこともないような表情をしたシロだった。
「ひどい顔ね。まるでオバケみたいよ」
「そいつはよかった。お前らと比べたら、化け物のほうがまだマシだ」
「昨夜のことについて弁明するつもりはないわ。ただ、ユラがやったことは皇都の計画にはないことよ。あの子はただ純粋に、シトリちゃんのことを思って行動しただけ。だから私は、ユラの意思を尊重したの」
「皇都の計画に変更はないのか」
「ええ。もっともシトリちゃんまで出場を辞退するなんてことになったら、事情はまた変わってくるんでしょうけど」
「連中は何が何でもシトリを絶望の底に叩き落したいらしいな」
「そうね。すべては創世の神器を確保するために」
「お前もそうすることが正しいと思ってるのか」
「思うわけ、ないでしょ」
この時、ようやくセンは気づいた。
シロが諸々の感情を、必死に抑えていることに。
「人の夢や希望を踏みにじって、生きる意味を奪って、でもそれが世の中のためになるからって、そんなこと言われても、それが正しいなんて、思えるわけないじゃない。でも、今の私には、どうすることもできないのよ。どうすることも……」
「悪かった。お前を責めるつもりはなかったんだ。俺だって同じだ。連中の計画を知っていながら、何もできないままここまで来てしまった。責められるべきは俺なんだ」
そこから先の言葉を、センは見つけることができなかった。
「それで、シトリちゃんは今、どんな様子なの?」
「昨日部屋にもどってすぐに眠った。まだ眠ってるはずだ」
「そっとしておいてあげたいんだけど、今日ばかりはそういうわけにもいかないのよね」
「あいつのことは俺がなんとかする。お前は代表団のほうにもどったほうがいい。団長なんだろ。お前を頼っているやつは、他にもたくさんいるはずだ」
シロは小さくうなずき、ありがとうと微かな笑みを浮かべた。
「ところで、ユラはどうしてるんだ?」
「リク君が預かってるわ。悪いようにはしないって言ってたけど」
「あいつはバカじゃない。ユラに何かあったらシトリが何をするか、わかってるはずだ」
「そうね……あなたと話ができてよかった。少し、気が楽になったから」
「俺もだ」
それじゃ、とシロは代表団のほうへもどっていった。
センは部屋の戸を開け、中に入る。
シトリは布団の中で眠っていた。実に安らかな寝顔だった。昨夜の騒動などなかったかのようだ。コロンはシトリの傍らで体を丸め、彼女の寝顔をじっと見つめていた。
今日は大変な一日になるだろうに。どうしてこいつはこんな顔をしていられるんだ。
センは呆れつつも、少し安心した。
「起きろ。朝だぞ」
「……うーん。あ、セン様。おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「お前、本当に大丈夫なのか?」
「はい。ユラのことは残念でしたが、だからこそユラの分までがんばらないと」
「そうか。とにかく、まずは朝飯にしよう。部屋の外で待ってるから、支度してこい」
センは足早に部屋の外へ出る。
戸を閉め、壁に背中を預ける。
明るい茶色だった。
シトリが目を開けた時、そのほんの一瞬、彼女の瞳は緋色ではなく茶色だった。
これが何の前兆なのか、センには判断できない。
ただ、何かの前兆であることは確かなように思えた。
センの意識ははシトリの瞳に集中していた。
だから彼は、もっと重要な兆しに気づけなかった。




