1-5 魔女の一時
「おかえり」
もう何度目かもわからないそんな言葉に、夢乃は変わらずたじろいだ。
声の主は家族や恋人等ではない。むしろ言ってしまえば完全な他人とも言える。
全然人となりを知らない少女の部屋に、ノックもせず無断で入って、ついでに言うと家の扉も合鍵で勝手に入って来た。
「……ただいま相棒。
これ、今回の報酬」
我々の関係性はそれだと、それだけなのだと強調するように夢乃は相棒と強調して二つの封筒を渡す。
今日杉原から受け取った物そのものだ。
丸々入ったままの封筒を、資金洗浄のためにと他者へと渡す。どうせ額はシンプルだ。
初めに決めた二割という取り分以上に返って来た時に抜かれていたらすぐに気づくし、今まで何度も仕事を終えて配分が間違われた事も無い。
「ほいほーい……おー今回は結構な額だ。欲しかった服買っちゃおうかな」
「服? どんな?」
「着ぐるみ、ウサギのやつ。
可愛くて、着るには間抜けで、あと暖かそう」
「……」
過ごしやすい服装しか見ぬ自室でしかほぼ会わないせいか、少し贅沢をしなければ手が届かぬ彼女の望む服というのが想像できずに尋ねた事を夢乃は後悔した。
筆舌し難い感情に眉を寄せている夢乃に視線を向ける事無く、そう言った少女は何かの作業途中だったのかパソコンに再び向かい合う。左手はせわしなくキーボードを叩き、右手のマウスもまたそれ以上の速度で動き回っている。恐らくゲームか何かだろう。
二人が居る部屋の様子は一見異様、簡単に言ってしまえばアンバランスだった。
デスク周りは非常にゴテゴテしている。パソコンを中心とした電子機器が集中しているのだが、ディスプレイが幾つもある上にスピーカーやヘッドホン、小さなOS違いのノートパソコンや周辺機器が所狭しと並んでいて、どうにか絡まって動かなくならない程度には整えられているだけで、とてもじゃないが夢乃には満足にパソコンの一つも動かせそうになかった。配線の問題もそうなのだが、軽く見ただけでキーボードやマウスも夢乃が知っているものよりもボタンが多かったり、デスクトップ……だろうと思われる画面も魔改造されているのか、OSが違うのかある程度触れる程度の夢乃には違いがわからない。
件の相棒曰く、
『趣味が高じて変な拗れ方させたハッカーの真似事している人間のテーブル』
らしいが、その言葉を聞いて夢乃は彼女の自己認識能力だけは信頼に足るだろうと確信した。
デスクから目を逸らし、小型金庫や冷蔵庫なんかを通り過ぎてベッドに目を向けると、なんと天蓋が付いている。
ここは同じ部屋なのか? 同じ持ち主が住んでいる部屋なのか? と何時も自問するが、実際時間を選ばず勝手にお邪魔をする夢乃はパソコンを自在に操ったり、ベッドでのんびりと過ごしている相棒の姿を知っている。
そのベッドも少女趣味を良い歳まで引きずっているのだと考えれば別に納得できるのだが、納得しようとした所で枕元の棚にスリープモードの携帯ゲーム機や、栞を挟んだ小説や漫画、あとは脱ぎ散らかされた衣類が全てを台無しにしている。
「あと少し待ってね、まだあんまり手が離せない。
飲み物とか好きにしていいから、まぁいつも通り適当にしていて」
「わかってる」
何かをしながらにしては言葉の多い少女とは裏腹に、夢乃は短く返事をすると部屋の隅に置かれている座椅子へと腰掛ける。
背中には一見価値が無い物が大量に棚へと積まれているので、酷い崩れ方をするようならば慌てて離れなければならない。
この座椅子も夢乃が勝手にこのがらくたの山から引っ張り出してみたものだ。デスクチェアーとベッド以外特に座れそうな物が無かったので何となく漁ってみたら普通に使えそうな物が出てきて、別に床のスペースは空いているのだから普段から出しておくものでは? と思ったのを今でも覚えている。
何とも筆舌し難いこの部屋の主は風貌も不可思議なものだ。
まだ学生のように見えるのだが制服らしきものを見た記憶は一切無く、その特異な容姿から体調の問題か交友の問題で引きこもっているのかと思えば街を歩くための知識や物品も備えている。
瞳や身長、肌から幼さを感じて見れば、時折達観したような価値観で物を言い、頭髪やそうした言動から年上相手と思い接して見れば、まるでそれを嫌がるように恣意的で無茶苦茶な、子供染みた振る舞いを露骨にアピールした。
正直出会いからして胡散臭い。
自殺幇助という仕事を生業にすると決めたのは自分で、実際にやってみたところ嫌がらせは多々あるわ、司法にすぐ目をつけられそうになるわでどうしたものかと悩んでいたら、依頼人を募集していたメールアドレスに仕事仲間はいりませんか? という件名でメールが届いていた。
半信半疑で慎重に顔を合わせる事になった時は、どう見ても未成年の姿に呆れてさっさと帰ろうとしたら、本人の言うハッカーの真似事らしい電子機器の強さを見せつけられて、助力が欲しかったあの時は思わず協力関係を頷いてしまった。
取り分は二割で良いらしい。
裏に変な組織……例えば警察が決定的な証拠を掴むためだとか、あるいはフィクションで見るような悪い組織が夢乃を利用するか、単に助力しているだけ、という疑問は気づけば自宅を出入りする頃合いには無くなっていた。
本当に個人で、それも趣味のような範疇で、例えそれが幇助の幇助という犯罪の枠組みだったとしても、不定期に受ける事ができる依頼の二割を渡すだけで嫌がらせの梅雨払いをしてくるらしいし、ある程度司法を撒いたりスケジューリング等も手伝ってくれている。
ついでに夢乃が住所を置いている家からここはかなり離れているので、この付近で寝泊まりできるようにと部屋も一部屋貸してもらった……流石に光熱費等も考えてこちらは自主的に部屋代を出すようにしているが。
その家も家で怪しい。
『所有権はわたしにある……はず。とりあえず出て行けとは言われないし多分』
一軒家な上に小さいながらも庭がある。
駐車場は常に空っぽのままだが、それはつまり少女の部屋以外が碌に使われていない事も意味する。
部屋を借りる際に家全体を見て回ったが、今使うようなスペースは最低限彼女自身の手で手入れをしているのか多少埃っぽいものの使えなくはない。そして私が借りるようになった部屋は二十代前後の女性が使っていた部屋と思われて幾つか私物が残っていた。
『必要だったら取りに来ているでしょ、つまり今は捨てていいって事だ』
彼女は少し悩んだ後にそう言い切り、常識やら何やらで待ってと戸惑う夢乃を意図的に無視して使わない荷物をゴミとしてまとめ始めた。
結局のところ誰の部屋だったのかは今も夢乃にわからない。彼女の姉だったのか、あるいは母親だったのか。それともかつて別の日々に自分のような血縁関係の無い人間が使っていたような家なのか。
「ん……」
メモ帳を取り出し、今回の顧客の情報を確認しようとバッグに手を入れたが、目的の物に辿り着く最中に思いがけない物に手が当たり意表を突かれる。
それは一冊の書物、というか杉原から貰った彼自身の漫画だ。
普段ならば仕事に関する余分な荷物など帰路途中のコンビニにでも捨てておくのが、今回はどうしてだか忘れてしまっていた。気にすることは無い些細なミスだが、何故意識から零れ落ちていたのかそれが掴めずに手に取って呆然と思案する。
「おまたせ……何それ、漫画?」
「……えぇ、うん。顧客がくれたもの、処分し忘れていた」
「珍しいね。貸して」
珍しい、がミスを犯した自分の事か、普段関わりの薄い漫画というコンテンツを所持している事を指しているのか測りかねているまま、夢乃は差し出された手に半ば反射的に漫画を渡す。
少女はそれをパラパラと捲り、一つふうんと息を漏らす。
「これ、処分するんだよね? 貰っていいかな」
「別にいいけれど、気に入ったの?」
「そうでもないかな。趣味じゃない、多分。
でもまぁ出版されるって事は最低限面白いって事だし、タダなら貰うだけ貰っておこうかなと。在処と関わるような人間が創った物だから何かしらあるかも知れないしね」
「ふぅん……」
作られた夢乃の下の名前を呼ぶ少女の真意が計り知れず曖昧に相槌を打つ。
挙げられた理屈どれもが嘘くさく感じたし、あるいはそのどれもが確かな熱を持った真意だったかも知れないがまぁ気にするほどの事でもなかった。
「それじゃあ、聞かせてもらえるかな。今回の相手の話」
パソコンをスリープ状態にし、夢乃へとしっかりと向き合う少女。
かなり初期から始まった……これもルールの一つなのだろうか。
仕事を終えた夢乃に少女は毎度尋ねるのだ。今回の仕事相手の話を。
源泉を鑑みればこの儀式は最良とも呼べるのだが、その源泉を彼女に伝えた記憶が無い事を考慮すれば行為はこの上なく不自然な物となる。
どこまで把握しているのか、何のために彼女はそうするのか。そうした疑問を自分に都合の良い事柄だと押し潰し、今回の顧客、杉原健一の生き様……死に様を彼の簡単な情報から、接して思った事、一貫して揺るがなかった自死と言う決意が招いた結果や過程まで舌が自然と回る限り夢乃は続けた。
「――そうして彼は、杉原健一は死んだ。
理想に自分が届かぬと知って、生き続ける限りその分想いすらも遠くなる事を恐れて。とても……純粋な人だったと思う」
「でも彼は最期に、死ぬ前に見失っていた本当の事を見つけた。
在処と対話する事で初めて」
「そうかしら……私が感じた限りはただ意識しないようにして、表層に出ないだけで深層意識では気づいていたように思える。
気づいてしまうとおかしくなってしまうから。文字通り狂いそうなほどの感情に襲われて、そのまま勢いで死んでいた可能性が高い。私の助力すら要らずに」
「もしそうだとしてもそんな死に方は、死ぬ動機はきっと負の感情だったと思うよ。
理想の世界が遠い、苦しい、助かりたい。でも在処が関わった事でそれは変わった。苦痛から逃げる事ではなく、理想へ近づくため……現実には死をもって立ち止まり相対的にこれ以上距離が離れないように時間を止めただけ」
この問答に意味を見出せずに夢乃はかぶりを振る。
「死者は何も語らない、何も思えない、考える事ができない。
彼が口にしていた心情が真実だったのか確かめる術は無いし、死した事実も揺るがない」
「そうだね、そう。
必要なのは生きている人間が何を思うか」
そこで少女は目を細める。
邪推するように厭らしく、見守るように慈愛を含み、退屈そうに感情を隠すが如く。
「それで在処。夢乃在処。
今回の案件で、あなたの死ぬ理由は見つかった?」
核心を穿つ、造られた女性の本質を尋ねる。
夢乃在処は自殺志願者だ。
厳密には生きる理由が無く、けれど特筆して死ぬ理由も無く、ただ漂う事を良しとせず無を求めた。
彼女は幸福や快楽に酷く鈍感であった。
家族の安心感も、交友関係の温もりも、部活動の充足感、進路への希望すらもまともに抱けず、そのまま社会に出て会社に勤めたがそれもまた夢乃には酷く小さな実感しか与えなかった。
切り捨てようと思えば、一切の後悔無く切り捨てられたのだ。実際に、そうしてきた。
家族からは見捨てられ、友人は出来てもすぐに離れて、しばらく勤めた会社に辞表を出した時も心動く事は無かった。
そのまま収入の当てが無くなり、自由な時間が出来ても何をしたいわけでも無く。ある日、今まで切り捨ててきた物たちと同様に己の人生、命を捨てようと思った。
けれど、一線は超えられなかった。
彼女は幸福に鈍感であると同時に、不幸にも鈍感であったのだ。
疲労や不快感に強く、本来ならば悲しみ暮れてもおかしくない事態に陥っても動じずに淡々と事象を処理した。初めて仕事を行い目の前で自らが手を貸して死に逝く人間を見ても今日のように特に何か抱くわけでも無かった。
故に彼女は生きる歓びを得ていないと同時に、自死足り得る絶望も得ていない。幾度か戯れに、そう当人達と少しでも共感できたらと自傷行為を行ったり、狂っている体の調子を整えるために薬を常服こそしていようとも、壊れているならばまだしも病んでいるわけではなかった。それが生まれてからの常であるのだから。
「まさか」
夢乃在処は答える。
己が夢、悲願、生きる希望や死に至る絶望を数多の自死を幇助し探し求める女性は答える。
「私があの人のような純粋さの欠片でも持っていると思う?」
「いや、全然?」
「なら……」
聞かないで、という言葉は呑み込んだ。
正しい答えを見つけるまで、正しくない答えを並べ続けるのは途方も無い手段だが確実性はある。
「……もう遅いから、今日は泊っていく。シャワー、借りるね」
「洗濯機は?」
「明日は予定無いから家に帰る、汚れていないし朝までならこのままで大丈夫」
「そっか。おやすみ」
何気なく告げられた夜の挨拶。
言った張本人である少女はすぐにパソコンへと向き直り、夢乃はどう返したものかと悩み少し唇を震わせた後に何も言わずに相棒の私室を去った。
軽く湯に浸り、二本ある片方の歯ブラシで歯を磨き、借りている部屋で布団を敷いた後、相棒の部屋で飲んでいた水で幾つかの薬にサプリメントを飲む。
時間も遅く、それなりに歩き回った一日であるためすぐ寝る事にして、暗闇の中しばらく目を開けたままぼんやりと今日起きた事を薬が回り始め鈍化する頭で思い返す。
時系列に沿い、最後まで物事を辿り残った自分の中にさえ何も残らなかった事を確認し、そっと宙に片手を伸ばす。
「明日も」
他愛の無い独り言。
何時から始めたのか思い出せないが幾度と繰り返し、まともに一度足りとも満たされた事の無い願望。
「明日も水面に波を求める」
それで、終わり。
目を閉じて、伸ばした手を下ろして何もかも。
波のように押し寄せて来る睡魔が、永遠に続けば良いのにとだけ少し思った。




