3-5 相棒の感想戦
「――っ、――う――起きて、相棒っ」
奇しくも二十四時間ほど前、少女が夢乃在処を揺り起こしたように、今度は突然現れた彼女が消されていた部屋の電気を点けて起きようとしない部屋の主を揺り起こす。
「あーうん……あとちょっと、あと、二年ぐらい待って。いま夢が、いいところ……」
妄言により時間を稼ごうとする少女に呼応するよう、枕元で点滅する携帯電話の通知は恐らく夢乃のものか。
彼女は無言で自らの携帯電話を取り出すと、バイブレーションを作動させて喉元に突き当てた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ー
何するだ、やめたまえ」
「起きて」
不快そうに携帯電話を振り払いながら、夢乃の視線が真摯な物と感じてか目を擦りながら上体を起こす少女。
「取って、甘い物」
適当にデスクのほうへ指を向けられ、目についたジュースのペットボトルは中身が無く、代わりに幾つか残っている様子のグミの袋を投げつける夢乃。
「急用?」
「あまり」
パシりとその袋を受け取りながらも、尋ね返って来た答えに彼女にしては珍しいと、睡眠で乾き苦みさえ伴った口内を癒しながら少女は肩のみで嘆息した。
「何時間寝れたんだ? ……十一、昨日は夜更かししたし、もう少し寝たかったなぁ……在処はどう? 酷い顔だけど最後に寝たのは?」
「今朝方横にはなった」
「一緒に二度寝はどう? 今なら可愛い抱き枕付き。セミダブルの姫ベッドだし、窮屈はしない保証付き」
「寝ている時にもっと別の場所に電動マッサージしてあげようか?」
「間に合ってる」
家の鍵は渡す、ただ部屋の鍵がかかっている時は室内に入らないで欲しい。
そう聞かせられながらも、今の睡眠時のように一度も鍵がかかっていた試しがないのだがそう言う事なのだろうかと、怠そうにのっそりとデスクに移動する相棒を見て少し悩んでしまう夢乃。
「それで?」
「七奏が、依頼人が死んだ」
「それは……おめでとう?」
それぞれが定位置につき、パソコンを立ち上げながら水を飲んだ後に少女は首を傾げた。
依頼人の死は我々の本懐を遂げたという意味だ。あの夢乃在処が何かの間違いで感情移入し傷心している様子とも違うようで、では一体何が理由で自分を起こしたのかと先を促す。
「んで、めでたくないのは?」
「全て予定通り、滞りもなく仕事が終わった。ただその死に際の様子が、あまりにも理解が及ばない」
「話して」
それから夢乃は彼女との一泊二日を語ってみせた。
連絡により伝え聞いていた人物概要から、実際に出会ってみての印象の乖離、普段とは違い感情的になった自分の内心。
温泉街で観光を楽しんだことや、彼女が持つ強さと不安定さ。様々な事を語り合い、戯れに襲われた事から、最後、ドラマの投身する加害者の気持ちを味わってみたいと口頭で伝え、振り向いた直後迷わずに飛び降りた彼女の終わり。
「ふむ」
一つ声を漏らした彼女の背後には再びスリープモードに戻ったパソコンの姿。
夢乃は思い出せる限りの全てを伝え、相棒は確かにそれを受け取って思案の海を泳いでいる。
「実際に合ってもいない、在処から間接的に聞いただけ。そんなわたしの想像でいいなら桐生七奏に対して一説ある」
「それでも構わない、視点が欲しい」
言外に死者や目の前に居る夢乃の心情をはき違え、蔑ろにしてしまう可能性があると少女は告げたがそれでもと夢乃は頷いた。
「桐生七奏は強い怒りを常に抱いていた。
自責のそれだけでなく、本来他者へと向けられるべき怒りでさえ己が非だと決めつけて」
「えぇ」
「本人も言っていた通り激しい自傷行為がまさにその象徴。
普通じゃない。片目を潰して、片腕を使えなくして。自殺志願者という異常者の枠組みでも、通常の範疇を超え過ぎている。
そこから歪んでしまったけれど、とても強くてまた聡明な人だったとわたしは想像している。
片方なら、わかる。自傷行為で一線を超えてしまい後遺症を負った。たまにある話。
ただ二ヵ所となると、話は別。頭が良いなら、いや多少頭が悪くとも、一度取り返しのつかない結果を出してしまったのなら、二度目そうした恐れのある行為を行うのであれば相応の慎重さ、臆病が生まれるはず。
多分彼女は二度失敗したのではなく、二度、後遺症が残ろうと構わない前提で自傷行為を行った。
その覚悟は違う。一線を画している。例えるなら勇猛な兵士。一度重傷を負って死にかけた、後遺症もあったかもしれない。でも再び本人の意思で戦地に赴いた、何度も、そう何度も。
PTSDにかからず、血の味をしめたわけでもなく。完全に何かのために、目的のために人を捨てた一つの事象」
それは、夢乃も抱いていた印象だ。
文章でやり取りをしていた概要は相棒も知っている。そして実際目の当たりにして重みを実感した。
「それほどの存在が何故独りで死ねなかったのか、在処に助力を乞うたのか」
「確かに」
それこそ夢乃が望んで居たような忘れていた着眼点だ。
それほど強い人間であれば、どれほど歪んでいた強さだったとしても、いや歪んでいたからこそ、自らが狂い切り他者を害する前にと願っていた彼女ならば、夢乃という自殺幇助人という存在は不要だったのではないか。
「責任感が尋常ではなかった、ここまではいい?
他者へと怒りや暴力を向けず、全て自分にぶつけてきた。長女というのも典型的な責任を背負い潰れてしまう役割。
だから自傷行為や自殺未遂を行って来たのは全て人に迷惑の少ない場所。
誰も家に居ない自室か、血を散らしたり死んでしまっても社会へ影響の少ない場所を計画的に選んでいたはず。夜の山とか、土地に価値の無い廃屋とか」
直接聞いてはないがそういったところだろうと夢乃も想像はしていた。
少女も夢乃の後をなぞる様な推測を行っている。けれど彼女なら、直接目の当たりにしていない彼女ならば、自身とは違う答えに辿り着けるのではないかと。
「故に、当然孤独。近くに人なんていやしない、喧騒だって聞こえる場所だったか怪しい。
自分を傷つける場合一定のラインが存在する、これ以上傷つけたら痕が残る、あるいは命に関わる。
リストカット、またはアームカットの場合皮下2mm以上、皮下組織を傷つけてしまい中々傷が塞がらず血が止まらない、血管や神経を傷つけて痕だけではなく後遺症が残る可能性も出て来る」
温泉で見た桐生七奏の姿を夢乃は思い出した。
確かに半数ほどの自傷痕はそのラインを明確に超えていたと記憶している。
「首吊りなら、例えるならネクタイや……こんなLANケーブルでもいい。ドアノブに引っ掛けて、僅かに体重をかけるだけ。ゆっくりと首に紐が食い込み始めて、苦痛はあまりないけれど息苦しさや意識が徐々に朦朧とし始める。
この場合のラインは、舌が徐々に口から出て、涎が止まらなくなるところ。もう息苦しさよりも酸欠による快楽が増す。思考は徐々に鈍り理性的な判断ができず、体はまだ辛うじて動くかもしれない。そんなところ。
どっちも同じ、ラインを超えるか超えないか。そこで人は自分を見つめる。社会体とか、人間性とかそんな煩わしい物を全て取り払って、幸福と絶望、快楽と苦痛だけと向き合う。
そこで桐生七奏は毎度止まった。動機は……」
先程まで考えている様子を表すように揺れていたデスクチェアーと同じように少女はかぶりを振る。椅子はもう、揺れてはいない。
「動機は、ここからは本当に想像の想像。でもわたしは幾つかある候補の中からこれだと思う」
"孤独"
少女が呟いた単語を夢乃も復唱する。まるで自らに焼き付けるようしっかりと。
「寂しかった、だからやめてしまった。そんな単純な要素も大きいと思う。多分彼女、人に甘える方法を知らなかっただろうから。近くに誰かが居る幸福、それを十分だなんて自分で決めて、そこに帰ろうって死の縁で思ったのかも知れない。
でも、本当は。真髄は。多分違う、わたしが在処から聞いた桐生七奏像はそれが正解だと、全てだとは言ってくれない。
自分を責める他人が傍に居ないから、死ぬ理由がそこにはなかった」
あぁ、と吐息が漏れた。それならば、納得がいく。
「これなら納得がいく。ドラマの犯人の心境を知りたいと告げた彼女、死にたくても生半可に強いから今まで生きていた彼女だから、死のうと決意した最期に気づいた。振り向いた場所に在処が居た、桐生七奏からみた在処は、彼女に死ねと言っている存在だと本人が決めた。無意識にそう思ったなんて生易しい存在じゃなかった。意識的に、自分の意思で、理知的に。自分の死を協力してくれると買って出た在処に対して、あなたなら見届けてくれると、自分を責め立てる偶像として扱われる事に堪えてくれる存在だと悟って、迷わずに逝ったんだ」
「私、務めを、果たしたんだ……」
僅かに震える体を夢乃は自分で抱きしめる。
「そう思わなかった理由は?」
「誰かに言って欲しかったのかも」
「そう」
らしくない物言いに少女は一度パソコンへと向き直り、キーを一度叩いた時点で誰に聞こえるかも怪しい声量で。
「なら良かったよ」
そうして何かを求めるように夢乃へと手を差し伸ばす。
「あ、あぁ、えっと……」
余韻から抜け出すように一度ゆっくりと瞬きをして、夢乃は迅速にバッグから封筒を取り出す。
それを受け取り相棒は……
「……って、ちがーう! いやあってるけど、違う!」
「ん?」
「お み や げ。
土産は!? お饅頭有名って話だよね!? むしろわたしハッキリ言ったよね!? ここ、饅頭有名だから、お金出すし買って来てって!」
「……」
狂乱する少女に対して夢乃は一度視線を逸らした後、髪を少し撫でてから告げた。
「忘れてた」
はっきりと。
「ふんがー!」
作られた奇声を上げて掴みかかる少女だが、年端もいかない一介の引きこもりに一体何ができようか。桐生には一杯食わされた夢乃も赤子の手をひねるように頭部を押さえつけて興奮が冷めるのを待った。
確かに、余裕がなかった。今思い返して見ても、土産の事など思い出すタイミングなどなくいまを味わっていた。
「じゃ、またね」
「土産は?」
「饅頭じゃなくていいのなら今度は」
「何かが有名な観光地に今後行く可能性は?」
「ほぼ、ないんじゃない? 少なくとも半年以内には一度もなさそう」
確かにそうだったと思い返しながら、相棒は呆れてさっさと出ていけと手の甲を扇ぐ。
「一つ、訊いてもいい?」
「ん?」
今度も真剣な話だろうかと、部屋の扉を開け半身を出している夢乃へと横目だけ向けながらキーボードを叩く少女。
「"闇に安息を覚えるのは何故"」
「桐生七奏のリドル?」
「リドルなんて洒落たつもりはなかっただろうけれど、相棒ならなんて答えるのか少し気になって」
「そうさね……」
二度、三度、キー入力を行わない程度にキーボードを軽く叩いて、
「"次に目を開けた時、きっと朝日が待っている"」
「……」
「満足?」
「"ならば私は、もう二度と目を開ける事はないだろう"」
静かに扉が閉じて、遠ざかる足音の振動に少女は目を細める。
「ようやく、らしいじゃん。君達なら、きっとそう答える」
クルクル、くるくるとデスクチェアーが回る。
「"光に安息を見出せなかった我々は、闇にこそ救いを求めたのだろう。
そして恐らく、闇の中でも希望と絶望に別つに違いない"」
ピタリとデスクチェアーが止まる。
「んー今回もイマイチ。やっぱ唯一つの答えはないんじゃないかなこれ」
昼過ぎ、遮光カーテンに遮られ陽光が入らない室内。彼女は一人、誰に聞かせるためでなく、そう呟いた。




