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自殺幇助、やっていました  作者: Huyumi
第三章
13/22

3-3 提起:刀の強度

「温泉街とは歩いているだけで楽しいものだね」


 旅館に荷物を置いた後、日が暮れるまで辺りの散策を行うと桐生七奏はそう楽しそうに笑った。

 確かにそうだと僅かに頷き、ゆっくりと歩きながら周囲を見回す。

 平日のためかそう人が密集しているわけではないが、静かな活気を秘めているとでも称するべきか、私達とは違い和服を身に纏ったりして日常からかけ離れた生活を楽しんでいる同様の観光客や、そうした人々を見分けて呼び込むための店員の声が度々耳に入る。

 街並みから徹底して和に統一されており、少なくとも表面上は木製の建物が並び、道の真ん中には穏やかな川、そしてそれを跨ぐために石橋や、今踏みしめている地もコンクリートではなく感触が心地良い石畳が敷き詰められている。


「何かこれといった目的はありますか?」


「特にはないかな。適当に見て回って興味が湧いた物に寄るつもりだった……あぁ、饅頭は有名らしいから必ず食べておきたいな」


「わかりました。夕食が控えているので先に食べるというのであれば今からでも案内しますが」


「ほう、君の仕事はそこまで含むのかい?」


 愉快気に目を細め、こちらの顔色を伺う桐生。

 純粋に浮ついて見える。テンションが上がり、それでいて躁状態により一線を超えないよう理性が常にセーブするよう感情を制しているように見えた。


「あらかじめ決められていない望みには都度対処こそすれど事前準備は行わないのですが、今回は場所が場所なので事前にある程度は調べていました。

饅頭屋の他に、土産物屋や足湯、オルゴール店に軽食屋などはある程度案内できるかと」


「有り体に言って楽しみだったんだ、夢乃も旅行がさ」


「……そう、なりますかね」


 からかう様子ではない桐生の言葉に自然と言葉が出た。

 思い出すと確かにネットで旅館付近を調べている時、ここに行きたい、実際にこれを見てみたい、そういった望みや感情が僅かにでもあった気がする。

 自宅や相棒の家といった拠点を特定されぬよう、なるべく日本中を駆け回って仕事を行っているがやはり依頼主と会う地は一般的な街中が多い。明日には死んでいる日に過ごすと決めた場所に、日常から逸脱した一日を選ぶ人はそう多くはないのだ。

 故にこうして希少な地に訪れ、肩を並べて観光する事が仕事と言われてしまえば、まぁ喜ばしい経験というのが素直な感想。


「なら二人で楽しもうじゃないか。案内してくれ、君が(・・)オススメの饅頭屋とやらを」


「はい」



 それから私達は普通に観光を楽しんだと思われる。まるで友人同士が仲良く旅行に来たように、まるで、明日の昼には片方が死んでいるだろう予定が嘘のように。

 相変わらず己の感情表現が上手くできている自信は無かったし、こちらが一方的に人となりを知っているだけの上っ面だけの関係でしかないが、桐生はそんなことを気にした様子は無く、むしろ今の状況を意識して楽しんでいる様子で。

 楽しかった、延いては生きる源に成り得た時間……そう言えたものではないものの、少なくとも飽きず、悪くない時間だったのは確かだった。


「……?」


 そろそろ日が茜色に染まり始める気配を見せてきた頃合い、唐突に少し前を歩いていたはずの桐生を追い抜いてしまい振り向く。

 制止し、振り向いた彼女の視線は、先程通り過ぎた別の観光客達の背中。

 故意か、意図せずか手にしていたはずのビニール袋がゴミを入れたまま道端に転がっている。完成された街並みに存在する明確な異分子、汚物、そして何より普遍的に見飽きた当然の光景。あぁ、気分が悪いと、上手く感情にならなかったそれは私の胸を不快感で埋め尽くした。


「七奏」


 彼女が呼べと望んだ名で呼びつける。何を思っているか厳密に掴むことは出来ないが、私の、私達の空間に戻ってきて欲しいと願って。

 その願いは半ば果たされて、こちらに向き直ろうとした桐生の横顔を伺い、そして再び彼女は何かに意識を奪われたように、突然異音でも聞きつけたようにビクリと身を僅かに引き締めて明後日の方向へと注視する。


「あ……ひか、り……」


 そう微かに呟き、何も無い空間へと伸ばされた桐生の片手。

 咄嗟に脳裏を埋め尽くしたのはマズいという警報のみ。知識として知っていたし、彼女自身そういった症状を抱えているというのは知っていたが、今の今まで完全に意識から外れていた。


「七奏――桐生七奏」


 名を呼び、手を掴む。

 振りほどかれそうになり、未だ囚われている彼女を取り戻さねばという強い感情が胸に宿る。

 何故? 暴れられて傷つきたくない? 周囲の注目を集めたくない?

 当然それらも要因ではあった。でも一番に願ったのは、本当に想ったのは。


「やめて、七奏。

往かないで、それはあなたの道ではない」


 それは単なるエゴ。

 ある種の答えを体現していると認めた彼女が、自らの理想から離れるのが何よりも嫌で。


「壊れた結果、狂わないで。

正気のまま、狂わないと。

そうでなければあなたが歩むには温すぎる(・・・・)


 確かに、響いた。


「……。

……夢乃。夢乃、在処」


「はい。私は此処です」


「もう、大丈夫。私は確かに戻って来た」


 目の焦点が対話しているこちらに合っているのを確認して、ゆっくりと繋いでいた手を離す。

 これ以上の異変は、何も無かった。


「少し早いが宿に戻ろう」


「あなたがそう望むのであれば」


 頷き、思わず発端と思われるゴミへと再び視線を移してしまった。


「どうかしたかい?」


「いえ、放置するか悩みまして」


「片付けたいのかい?」


 その問いかけはあくまでこちらの意図を探るだけで。


「生憎、私はそうした善性とは程遠い物で」


「そうか、それで良いと思うよ。

いちいち認識したゴミをを片付けていたら、それこそ人生を使い果たしても足り得ない」


 そうして桐生は寂しそうな笑顔で、確かな未練を残しながらも反対側へと帰路に就いた。





「温泉」


 体を洗い、二人して湯に身を浸からせて十分程の静寂の後、桐生はそう呟いた。

 沈黙の価値は私にもわかる。実際街を歩いてみても辺りを漂う硫黄臭に温泉への期待よりも嫌悪感の方が若干勝っていたが、やはり体を温める存在はその効果を表してこそ真価が得られるものだと理解した。それこそ言葉が出てこない程に。


「温泉、いいなぁ……」


「いい、ですね……」


「風呂とは違い身を伸ばせ、景色も普段とは違い香りや温度から中身すら堪能させてくれる」


「個別ですしね」


 それが桐生がこの宿を望んだ理由であり、今私が同じ湯に浸かっている理由でもある。

 当初別個で入る予定だったが、実際に顔を合わせてから彼女に対しての印象が内心明確に変わっており、共に過ごす時間を増やしたというところ。


「傷はやはり気になるかい?」


「いえ……まぁ気になると言えば気になるのですが、見た目に何かを思うかと言うよりも、何故そのような傷を残すに至ったのかが気になります」


 白い眼帯を外し、下ろしていた前髪も上げた彼女の左目は刃物を刺しこんだ切り傷によりそれこそ時代遅れの戦傷に見える。例え義眼を填め眼帯を外したとしても癒しきれなかったその痕はどうしても注目や興味を集めるだろう。

 左腕もまた同様だ。錯乱し、動かなくなってなお何もかもに振り回し続けた腕は当然治療が遅れ、可能な限りと不自然に自己治癒し続けた結果分厚い皮膚が多く見えるし、骨自体も自然体にポーズをつけても一部歪んでいるのがわかる。

 桐生の体はそれで収まらない。当然大きな障害となった二つ以外にも、それ以前から常習として傷つけられてきた肉体は、自責の証として衣服が隠せる範囲全てに刻まれているのではないかというほど、全身に深く、多く存在していた。ここ数日で付けられたのだろう新しい傷もまた。

 刃物による裂傷だけに収まらないのも特徴的と言える。痣や火傷も幾つか散見でき、その有様はまるで拷問を潜り抜けてきたかのようで。それがどうしようもなく私に出会うような彼女の生き様なのだろう。


「顔を合わせた時に言った事が全てだ。夢乃は自傷したことは?」


「ありますが傷を残さない正当な過程(・・・・・)で行いましたし、何より刃物が皮を裂く感覚は理屈や感情の前に生命として拒絶反応が出ました」


「それが自然だろう。私にはそれが無かったのだろう。

拒絶反応か、生命としての自覚か」


 あるいはそれら全てを捻じ曲げ、歪んだ衝動を果たす自己嫌悪だけがあったのか。


「まぁ、悪いとは思っている。

折角綺麗に旅館の人が整えてくれた浴室だ、私という醜さの塊が視界に入るのは申し訳ない。

明後日の方向を向いておくか、今更だが時間をずらすか……」


「大丈夫です」


「……」


「大丈夫、です」


「……あぁ、ありがとう」


 私は、大丈夫なのだ。

 元々事情を知っているし、実際目の当たりにしても抱く感情は負から酷く遠い。

 だから、己の醜い体が景観や気分を損なわせている、そう自覚する彼女さえ自分を許せたのなら、私達は同じ時間を共にすることができる。そう言外に伝え、彼女は確かに受け取り呑み込んだ。


 自傷に関して彼女に近しい人物、家族や友人は日々どう思っていたのだろうか。

 当然隠しきれていたとは思えない。毎日のように己を傷つけ、消耗していく様子に――あぁ、一体誰が何を出来たのだろうか。

 ほとんどの人は彼女の力になりたいと請うただろう。善人で、人当たりも良い。人知れず孤独に荒む桐生に皆は手を伸ばしたかったはずだ。

 自傷手段を取り上げる? これは極めて悪手だ。そも捌け口として自傷が手段に成り得ているわけで、その捌け口すら奪い取ってしまえば彼女はより確実に自らを傷つける手段や、堪え切れず命を絶つ道を選んだだろう。それ以前にあらゆる手段で自らを戒める存在に対して、例え全身を常に拘束しようとも自傷を止めさせられたかと問えば否だろう。

 桐生の悩みの種を取り除く事も難しいように思える。大前提として彼女は誰にも迷惑をかけたくない、その上で誰かのために尽くしたくて止まなかった。当然助力を請う事そのものが何よりも忌避する行為だと想像するのは難しくない。

 真に、彼女の力になる事すら困難だろう。これほど強く、強いが故に病んでしまったのなら、同様に強くそれでいて病まない程度には強者の苦痛を知らなければ共感すら抱けないだろう。事務的に情報を知り得て理解を示している私ですら程遠いにもかかわらず、何の取っ掛かりもなくそこに至れる人物は世界にどれ程だけ居るのだろう。


 真に人を救いたいのであれば、自傷がための刃を取り上げるのではなく、刃を振るう原因を、死にたいと願う存在を、病んでしまった心を癒さないといけない。それら全てを行って、初めて自殺志願者を救ったと言えるのだ。

 そしてそのいずれか一つでも果たす行為の難しさを、私は苦しい程によく知っていると痛感した。


「先程、街で私が放心してしまっただろう」


 熱にうなされる様に、どこかボウっと呟いた桐生の吐息。


「えぇ」


 あるいは立ち昇る湯気のような泡沫な存在。


「時折、赤い光が誘うんだ。ふわふわ、ふわふわと」


 内容を聞いて殊更、その印象は深まる。


「何も無い所から現れて、(いざな)い、まるでここではないどこかへ案内するように。

手を伸ばせば何もかも救ってくれる気がする。そんなことあるはずないと、わかりきっているのに」


 今回のきっかけは道に落ちているゴミを認識した事だろう。

 ポイ捨てという行為と認識し怒りを覚え……怒りを覚え、他者へ怒気を向ける前に未然に防ぐなり黙って片付けるなりしろという自身への殺意に近い激情。

 赤い光、幻覚は殺意か、破滅衝動か、希死念慮に近い現実逃避の表れか。よく聞く話だ。


「夢乃、君は幻覚を見た事はあるかい」


「いえ、一度も。壊れているので」


 そも理性と狂気の境が私には存在しないものだと思っている。


「話に聞いていたより、相当限界に迫っているようですね」


「あぁ、それも君へとコンタクトを取った要因の一つだ。最近は本当に、理性が希薄で危うい。

まぁそれが幻覚だと、正気が蝕まれているのだとわかる間はまだマシなのだけれど」


 肩に乗せていたタオルを一度軽く湯船に付けて、染み込んだ湯で左目を撫でる桐生。

 それを見て私もまたタオルで顔を覆い、思わず嘲笑がこみ上げて来る。あぁ、どうしてこんな状況、内心でも私はまだミラーリングにより共感を誘っているのだろう。


「一つ頼みというか、訊いてもいいかい」


「なんでしょう?」


 今回は主導権を握られっぱなしだなと表情を隠して顔を上げる。


「もう約束の時間まで長くない。

けれどその間に私が誰かに危害を加えそうだったら、隣に居るだろう君は止めてくれるのだろうか」


「……」


 それは、難しい質問だ。自殺志願者の人間性はどこにあるのか、という問いに近い。

 まともな人間や、既に狂い切っている存在相手ならば答えは簡単なのだ。依頼を請け負い、ふとした拍子で暴走してしまったり、狂人の場合道徳的な行動を行ったのなら、その人間にとって常である一面に私は従う。常人ならば凶行を食い止め、狂人ならば善行を封じ込める。それがその人本来の人となり、人間性が望む事なのだから。


 延長した話で約束の時間に自殺を決行するか中断するか尋ねる私のルール。

 自殺志願者は半ば狂っており不安定で、どこが当人の本質なのかは私が見極め、決して決めつけて良いものではない。

 故に一日を共にし、事前に決めておく時間に下した決断に、実際命絶つまでの幾ばくかの時間に躊躇い、抵抗する人間も、まぁ一定割合存在するのだ。この場合私は事前に決めていたルールに則り、例え相手がどれだけ強固に抵抗しようとも、どれだけ泣きじゃくり生きたいと請おうとも、私は自らの意思で彼らの命を絶つと決めている。よく考えた上の答えに、一時の気の迷いや生存本能から生き延びられても、その後後悔して生きる時間の方が長いと信じているから。


「あなたを終わりへと導くのが私の仕事です」


「なら私が誰かを手に掛ける時は」


 私は自殺幇助人。

 決して当人以外が害される事に率先し助力する存在ではない。


「えぇ、必ず止めてみせます。あなたの自殺以外の幇助は私の仕事ではないので」


 真剣に考え答えた私の言葉がどこか滑稽だったのか、フフッと笑みを零して肩の力を抜く桐生。


「仕事ではないから働くんだ」


 ……言われてみればどこかおかしい理屈。


「……市民の義務の範疇かと」


「真っ当な市民の、ならね」


 桐生の皮肉に私は会話を止めて、あとは生まれて初めての温泉を楽しむ事にした。

 生まれて初めての温泉。初めて誰かと湯を共にする時間。初めての……




「翌朝……いや、もう今朝か」


「えぇ。およそ四時間後の早朝四時。

仮眠の起床時間にもよりますが、多少は前後しても構いません。ただ日が昇るまでにはもう約束の時間とさせていただきます」


 備え付けの浴衣を羽織り、少し距離を空けて布団を二つ並べる。

 風呂の後にも食事や雑談を挟んであとは少し睡眠を取った後に宿を発つ予定だ。


「不思議な気分だ。答えはもう最悪なほうに決まっているのに、ここ数年間の中でこれほどまで心が洗礼されていた記憶はない。

己の全てを振り返った、未練は全て振り払った……君の目的にこういった意図は含まれているのかな?」


 視線は交わらず、布団に腰を下ろした桐生は片手を胸に当て続けている。


「含んではいないのですが、不思議とそうおっしゃる方は結構居ますね」


「ならば仕事ではなく君の本質の賜物か」


 どうだろうかと曖昧に笑う。

 結局突き詰めると私にとっては全て副産物にしか過ぎない。


「もう電気は消しても良いよ。

あ……」


 カチッと一度コードを引っ張った時点で言葉が挟まれ、照明は体感半分だけ暗くなる。


「一つ尋ねてみたい事があったんだ」


「なんでしょうか」


「そう難しいものじゃない。

"人はどうして闇に安息を覚えるのか"

こう尋ねて君がなんと答えるのか知りたかった」


「……」


 闇に安息を覚える、か。


「それが自然だからではないでしょうか」


「それが夢乃在処の答えか。おやすみ」


 カチッカチッとコードが音を鳴らして、室内は僅かな月明かりが照らすのみとなった。

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