2-5 彼女のお茶会
深夜、怪しい家に足音が響く。
それはこの家の者ではないにもかかわらず、正面から鍵を開けて堂々と廊下を歩き、リビングの奥にある一室へとガサガサと小さく音を立てながら邁進する。
まるで覚悟を決め死地へと赴く兵士のように。まるで答えを見つけた探偵のように。まるで真理に辿り着く探求者のように。
「おかえり、在処」
「……ただいま」
まぁそんな不穏な展開などどこにもなく。
「これ、戦利品」
ベッドに寝転がり漫画を読んでいた少女は這いずるように出てきて、戦利品と呼ばれたビニール袋の中身を覗く。
「ん、お酒におつまみ。氷と牛乳……お、このお菓子好きなんだありがとう。って、食べていいの?」
「えぇ」
「やった。
……」
「……」
一拍遅れ、怪訝そうな表情で夢乃を見上げる相棒と呼ばれる少女。
「……戦利品って言ったよね。お土産とか、差し入れじゃなくて」
「言った」
「胡乱過ぎる……凄く、すごーく訊きたくないんだけど訊くよ? 絶対答えろよ?」
露骨に年下から乱暴な口調で問い詰められる夢乃は無言で小さな机を取り出して設置、その後ふてぶてしそうにいつもの定位置である椅子へと腰を下ろした。
それはもうドサリという形容が似合うほど、ある種開き直りの念が誰にでもわかるほどに。
「今回の依頼人はどうなった?」
「生きてる」
「前金はあるよな?」
「無い」
「何故だよ?」
「アルバイトをしていない学生相手、前金のみ。
交通費、食費、ゲームセンターにビリヤード、映画も見たし観覧車も乗った。その後ホテル、延長代も私持ち。他に訊きたい事は?」
「今どんな気持ち?」
無言で机に酒瓶をドンッと鳴らす夢乃。悲しいかな、それが全てを物語っていた。
「ねぇ、一緒に飲まない?」
「わたし、未成年」
「今更。酒の味がわかる人間が何を」
「弱いから一杯だけね」
「ん、ありがと」
どこか怯えていた小動物的な気配を強く夢乃は表情を和らげ、勝手知ったる様子で人の棚を漁ったと思えば私物であるグラスを取り出す。
「同姓愛の気はないんでしょ?」
二人分炭酸水を混ぜて作られそうになったカクテルを少女は手でグラスを覆い塞ぎ、レディーキラーが果たされることを防ぐ。
「相棒はどうなの。男の匂いがしないんだけれど」
「さてね……あ、ミルクあるじゃん。貰うね」
了承を待たずに少女は夢乃が持って来た牛乳とつまみを袋から取り出して、彼女がグラスを取り出した棚とは別の場所からリキュールの瓶を持ち出す。
カルーアを四分の一より少し多めに適当で注ぎ、グラスに残った隙間を牛乳で埋め特に混ぜたり氷を入れる事無く完成。
その時々の気分で出来上がる濃い目、混ぜぬことにより飲むにつれて底に溜まるアルコールがまるでクライマックスのようだと何時か語っていた事を夢乃は覚えていた。
「私のより度数が高いんじゃないの?」
「酔わされるのがダメ。酔うのはイイ」
「変な理屈」
自分が飲みたいものを飲むだけならばそう言えば良いのにと、今に始まったものではない彼女の時折意図して狂言にも聞こえる物言いに夢乃はそれだけを言って笑い無言でグラスを静かに鳴らす。
双方とも飲み方はとても静かで、幾つかつまみにと買って来た菓子に手を伸ばす様子も見せずに時間を掛けて半分ほど飲み干した頃合い。
「人は幸福に依存して生きている」
今日一日を思い出し、夢乃は既に酔いが回ったように焦点合わぬ目でぼそりと呟く。
「幸福と麻薬は無いと生きられない」
「タバコは在って初めてプラスマイナスゼロ」
「酒は不幸を一時忘れさせる」
もう一度、喉を鳴らす。
「どうして、幸福は良い物で、他は悪い物なんて見方されているのかな」
「幸せだけは初めから知っているからじゃないかな。他はあとから覚えるものだもの」
「そっか」
適切な返事に、適当な応答。
アルコールの回った二人の間、あまり深い意味は無いのかも知れない。
「……わたしの取り分は?」
思い出したように、気づかないフリをしていたように。
「これで許して」
そう問いかける少女の言葉に夢乃は顎で指すのは持って来たビニール袋。
確かに協力者としては理不尽な不利益だが、夢乃の事情を鑑みその上で負い目を表すよう持って来られた戦利品を思えば、もはや不満は呑み込む他無い。
「……久しぶりの、赤字」
「……。
あほぅ……」
一瞬間をおいて額に手を当て、その芝居がかったような様子が演技でも無く無意識に出てしまったと、擦れ消えんばかりの声で少女はそれだけを呟いて残ったクライマックスを喉を鳴らしてグラスを空にし、一杯だけだった約束に今度は薄めでカクテルを作り直す。
「……その子、生きれるといいね」
風貌は彼と同年代に近い、いや見ようによってはそれ以下に見える少女は真っ先に言いたかった言葉を告げた。
「少なくとも別れた時にはすぐ死ぬような影は見えなかった」
「なら……」
少女は夢乃に視線をやり、自分のパソコンに目を流し、最後に今から口に入れようと手を伸ばした菓子に目を向けて。
「わたし達には上等な部類だ」
「そうかも知れない」
口を動かしながらも目を瞑り、ここじゃないどこか遠くを眺める相棒に夢乃は適当な相槌を打った。
「まぁデータを見るに八割方生き残るだろうな、とは思っていた」
「同じく」
同意する夢乃に少女は思わず「なら依頼を断れ」と言いそうになり慌てて口を固く結ぶ。
条件を満たしているクライアントの依頼を断る事は自殺幇助人の流儀に反するし、何より自殺幇助人である夢乃が関わらなければきっと彼はより苦しみ、もしかすると一人で自殺を選んでいた可能性も十分あり得た……なんとも皮肉な想像だが。
「でも」
「ん?」
「今日は、本当にこれで良かったのかなって、そう思う」
主観的に見れば、自殺志願者が求めたものを差し出した、幇助人としてあるべき姿を取れたと思う。
けれど、客観的に見れば夢乃自身が絡んだことにより明確に死の影は薄れた。それは果たして、公平であったと言えるのか。
「助けてって叫んでも誰にも聴こえなくて、助けるって手を伸ばしても届かない。そんなのよりは大概マシだ」
少女の言葉に、夢乃は咄嗟に逆だと思った。
私は死のうとしている人間を救おうとしているわけじゃない、むしろ逆に、確実に殺すための後押しをしている。
故に、逆なのだ。少女の言葉は、夢乃在処という存在から真っ向を向いている。
突如襲う違和感、虚脱感、離人症と言い換えても良い。今まで立っていたはずの足場が一斉に崩れた気がした。
自分の事を理解してくれていた相棒が、全く見当違いな見解を持っていた? 否だ。むしろ、的を射過ぎている感覚がこみ上げて来た。
ならば、逆なのは立場であっているのだ。
私が自殺志願者を救おうとしているのではなく、殺そうとしているものではなく。
助けてと、叫んで手を伸ばしている存在が私なのだ。
「自殺って言うのは、最後の手段なんだよ」
閃きに内心酷く揺れている夢乃には気づかず、肌の白い少女は一杯目のグラスを飲み切る前には既に上気していた顔でぼんやりと呟き続ける。
「手札を切って切って切って……全部切って、体も心も切り刻んで、それでも足りなくて在り得ない自死なんてカードをどこからか出してしまう。
目的を叶える手段の一つになっちゃダメなんだ、少なくとも、彼のように若い人間には」
「そうね……確かに、そう思う」
彼には自死足り得る要因があまりにも少な過ぎた。若さもそうだったし、味わっている苦痛も客観的に見れば甘い物。
故に、幇助人という立場から鑑みても彼がその択を取るのは未だ早まった行為であった。
怒り殴りつけて目を覚まさせるわけでもなく、同情し憐憫し、慰め慈しむ存在も居ないのであれば、幇助人である夢乃が無言で気づかせる他無かった。本当の本当に、死にたいのですか、と。
「満足そうな顔」
「そう?」
相棒である少女以外にもその表情からは充足感を読み取れただろう。
「好きでもない相手に抱かれる気分はどう?」
すぐさまその表情は負の感情に包まれるのだが。
「簡単に言うなら吐きたい。
自分の中にあるもの全部ぶちまけて、自分が自分じゃなくなるようにしたい」
でも、と夢乃は続けた。
「肌を重ねて安心するような相手の表情を見るのは……悪くはない」
再びクライマックスに入ったカルーアミルクの下層にチビリと口を付けて、
「長生きするといいね」
少女は再びそう先程の言葉を口にする。
夢乃からの返答は無かった。けれど溶け切っていないグラスの氷が代わりにかカランと音を鳴らした。




