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無実なる隠れ家

 白を基調としている、

 あらい石造りの屋内はほの暗かった。


 アーチ形の天井に内壁。

 せせこましくも長くつづく廊下には、

 塵ひとつ落ちてはいない。


 左右に、

 等間隔で設置されているマホガニー製の扉。

 壁かけの黒鉄の松明(トーチ)は、

 目先と突きあたりの二組の燭台にだけ、

 ゆらめく炎がともっていた。


 したがって、その途中は闇につつまれている。

 最奥に位置している真っ白な螺旋階段は、

 くっきりと縁どられて、

 異様なまでの異質さをはらんでいた。


 資格を有する者以外は立ちいりを許されぬ、

 この場所の名は、無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)


 数百年にわたり、

 外界から隔絶されて閉ざされつづけていた扉が、

 ゆっくりと開かれていく。


 奇跡に遭遇し、

 侵入を果たしたものは吹きすさぶ雨風。

 そして、時を移さずに足を踏みいれた、

 奇っ怪な出でたちの忌み子たちであった。


 風圧にさらされて、ゆらめく松明(トーチ)の炎。

 両者はともにずぶぬれの有り様だ。

 一方はその身に、巨大な葉を巻きつけている。

 がなんの因果か、もう一方は全裸だった。


 彼らの後方。

 扉がひとりでに閉まりゆく。

 豪雨がひきおこしていた喧騒は、鳴りをひそめていた。


 隔絶されて、遮断されたのだ。

 不穏な気配を感知せずにはいられぬ、

 うす気味のわるい音が鳴るなか、えもいわれぬ静寂がおとずれていた。


 怯えか、いぶかりからか。

 それとも両方の気持ちからなのか。

 ルゥは口を真一文字に引き締めている。

 あちらこちらへと視線を移していた。


 氷がごとき無表情。

 アンリは生気の感じられぬ面もちのまま。

 ルゥを見やると、ゆるやかに首をかしげた。


 ……うん?

 えーっと、ここはどこだ?

 またしても閉口せずにはいられぬ、

 理解しがたい現象に巻きこまれているようだな。


 このような状況ではまず、

 思いかえすことが先決なんだよ。

 最後の記憶は……そうだ。

 うつらうつらとしていたら、

 とてつもなき暴風雨に横っ面を殴られて、

 奇想天外にも出現した扉をこれ幸いと、

 雨宿りに利用しようとした。

 そう、じゃなかっただろうか?


 うーん、ダメだな。

 あの時は寝ぼけていて、

 おまけに意識さえもが混濁としていたんだよ。

 正しいのか、違っているのか。

 俺には、自身の記憶をたしかめるすべなどなかった。


 それにしてもユーモラスに過ぎるだろ。

 あのわけのわからない、キミョウキテレツな森は。


 まったくたまげたものだよ。

 いったい、どのような神気を持ちあわせているんだろうか。


 いやおうもなく、

 季節をうつろわせるだけではいざしらずだよ?

 つぎはたたみかけるかのように、

 居場所の変更までしてみせるんだからね。


 ほんとうに笑いがこらえきれない。

 まるで解けはしない難問のようだ。

 またもやいっさいとして、

 望んでもいないのにもかかわらず、

 俺は見知らぬ屋内へと転移させられていたんだから。


 やってくれるじゃないか、森。

 あのカッコいい隻眼のゴリラもそうだけど、

 まことに雄大なる大自然とはおそろしいものだよ。

 森もあなどるなかれと、

 これからは肝に命じておこうじゃないか。


 だが、待ってくれ。

 もしかしたら俺の頭の中身が、

 錯乱に錯乱でも重ねている。

 という憶測はどうだろうか?


 覚めぬ夢や、

 存在せぬ幻を見させられているんじゃないのだろうか?


 まあ、どちらにせよだ。

 今は些事なんだろうね。

 なぜならば俺のちっぽけな知識では、

 正解を確定づけることなどできようもないんだから。


 大切な最愛の弟。

 ルゥとはぐれずにすんでいる。

 という重要な一点だけでも、満足しておくべきなんだろう。


 梅の香ばしい匂いが、かすかにただよっていた。

 どこか、身を支配されるかのような郷愁の念に、

 アンリは違和感をおぼえながらも、

 しめった前髪を両手でねじる。

 ボタボタとしたたり落ちていく水分。

 前髪を後方へとなでつけると、

 ふとルゥに憂慮の視線をおくった。


 それはそれは冷酷な有り様である。

 真っ黒なみじかめの髪も、

 葉を巻きつけた細身の体躯も、

 濡れネズミと化していた。


 余談ではあるが、

 無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)はつねに適温に保たれている。


 だが、彼女は凍えてでもいるのか。

 びみょうに震えている様子をうけて、

 アンリは神妙な面持ちで危惧をしはじめた。


 いかん。いかんぞ。

 このままでは病気に、

 風邪をこじらせる可能性が高まってしまうじゃないか。


 ムダな神気あふれる森林とおなじく、だ。

 このような奇妙な廊下では、

 病気になることなど言語道断なんだよ。

 そっこく、命取りとなるやもしれないんだからね。


 まいったな。

 濡れた衣服どころか、

 濡れた葉っぱでは、体温を奪われつづけてしまうのはあきらか。


 薪は、薪はないか?

 早急に暖をとらねばならないんだけど、くそう。

 見渡すかぎり石しかないとは、

 これは新手のトラップかなにかか……。


 ないものはしかたない。

 それならばまずは、

 葉っぱをはがすことこそが先決だろう。

 濡れたものが張りついているよりかは、

 幾分かましなんだからね。


 しかし困ったことに、だよ。

 男同士だというのにもかかわらず、

 ルゥは恥ずかしがり屋さんのようなんだよなぁ。


 亜人の影もなく、

 そばにいるのは兄たる俺だけ。

 それなのに、なにを恥ずかしがっているのやら……。


 もしや、

 ゴブリンの思春期的なナニカなのかも知れないが、今回はゆずらない。


 なかば強制的にでも、

 やり遂げねばならないんだからね。

 なんにせよ、早急にだ。

 葉をはぎとり身体を暖めさせて、

 悪しき病魔からの距離をとらなければ……。


「ルゥ」


 展望でも思索していたのだろうか。

 ルゥは、

 最奥の螺旋階段を目してかたまっていた。

 だが一拍ののち、

 声の方へとあわてて振りかえる。


 なんという、焦げ茶色の瞳のくりくりさ。

 愛くるしさの指標がもはや、限界点を突破している。

 とアンリは内心でもだえていた。


 しかし為さねばならない。

 心を鬼にしなければならないのだ。

 たとえ嫌われてしまったとしても、

 ルゥの健康のためになるのであれば、やぶさかではなかった。


 なにごとかと、気圧されたのか。

 ルゥはゴクリと喉を鳴らす。


 このままではいけない。脱ぐんだ。

 とアンリが強固な意志。

 親心めいた情動を胸に、のたまろうとした時だった。


 前方、螺旋階段の方向からである。

 その声をさえぎるように、

 奇妙な叫声がこだましたのだ。

 甘々でいて、

 へこたれない少女のような声音は、ほの暗い廊下に反響していた。


「このままではいけない。脱」


「ヒャー!!」


 意味不明にすぎる言語。

 ヒャーとはいったい。

 総じてたがいに、

 唖然としてしまうのはムリからぬことである。

 頭のなかは共鳴するかのように、

 ヒャーで一杯でヒャーが乱立していた。


「お、おおおー!

 ななな、なんと言うことでしょうかー!! 

 無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)に、はじめてのお客さんがー! これはヒャーですよー!!」


 ヒャーの主を形容するのならば深紅。

 ならびに、手のひら大のオーブ状のものが妥当だろうか。


 本体からは二翼の、

 こぶりな蝙蝠(こうもり)の翼が生えている。

 パタパタと羽ばたきつつも、

 こちらへとすばやく飛んできていた。


 球状の中身はドロドロの血液かのよう。

 重力にしたがい、

 四方八方へとうごめくように流れていた。

 喜色満面なのだろうか。

 青空のような色彩で点滅している。


 お二人のあいだを、

 ヒャーという謎の言語を連呼しつつも、

 八の字を描くように飛びまわっていた。


 ルゥは絶句しているようだ。

 アンリは一足早く我にかえると、たずねてみた。


「そうだね。とてもヒャーだね。

 それは理解したんだけど、きみはここの持ち主なのかな?

 そうであるのならば少しばかり、雨宿りをさせ」


「おっと、申し訳ございません!

 数百年ぶりに招かれたお客さんでしたので、はげしく興奮してしまいました。

 これはとんだヒャーでしたね!

 ではもうしおくれましたが、種族は鮮血の翼粘体スカーレット・スライム

 無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)を創造なされたリオ様により管理を任せられています、スカーレットともうします。

 スカーとでも、お気軽にお呼びください。

 ええ、ええ。雨宿りのご要望のようですが、差しつかえございません!

 未来永劫と、隠れ家にお泊まりになられても支障ございません。

 リオ様ももうここにはおられませんので、ご心配はいりません」


「そうか。宿のようなものなのかな?

 家主の方はご不在か。

 申し訳ないけど、しばらく泊まらせていただこうか。なあ、ルゥ」


「ええ、ええ。いっさい、差し支えなどございません。

 ですがひとつだけ、引っかかる部分がございます」


「引っかかる部分……?」


 たちどころに、

 オーブはあでやかな闇色に切り変わった。

 放たれた声音は、

 地の底からひびいてくるかのよう。あきらかな愉悦をはらんでいた。


「しばらく……、ではなく未来永劫として。

 フフフ……逃がしません。離しませんよ。

 お二人ともが。腐敗し、白骨化し、風化なさるその瞬刻まで」


 鮮血の翼粘体スカーレット・スライムが、

 液体がはずむようにうごめく。

 闇色からバイオレットへと変化して、

 明滅した瞬間だった。

 半透明かつ、

 おどろおどろしい若葉色のオーラが、

 両者の全身をおおいこんだのである。


 明確なまでの攻撃。

 まがうことなき敵と判断したのか。

 アンリへと身を寄せると、

 ルゥはキッとにらんだ。


 しかし言わずもがなである。

 アンリはゆれない。震えおののかないのだ。

 あきらかな敵意の魔法など、気にもとどめない。

 敵対者へとたんたんと述べた。


「それで、スカーレットさん。

 この魔法? 波動? は、どのような意味あいがあるんだい?」


 まさしく王者の振る舞いだ。

 と、ルゥが思ったのかはさだかではない。

 しかしキラキラした瞳により、

 アンリを見据えていた。


 パタパタと、

 スライムは翼をはためかせたあと、青色を発する。

 どんよりとした深緑へと色を変えると、

 明確に落胆しきった声色でつぶやいた。


「……スカーが。苦節数百年、試行錯誤をしつづけてきた、スカージョークが……。

 ゴブリンさんは受けいれてくれたのに……。

 ダークエルフさんはそれで? って。なにもなかったかのように、意味あいは? って。

 そのうえスカーとお呼びくださいと言っているのに、スカーレットさんって……」


 一言、可哀想である。

 ルゥはいたたまれないような面持ちであるが、

 アンリは意にかいさない。

 みじんもブレずに世界観を破壊していった。


「それでスカーレットさん。なにやら悩んでいるところ悪いんだけどね、この深緑のも……」


「スカーでかまいません!

 それに、普通はだいじょうぶかなって、気にかけるところではないんですか!

 ……あ、あの、スカーは亜人語を話しているんですが、疎通はとれていますか?」


「ああ、わかるよ。それ……」


「……もういいです。それで、と言わないでください!

 わっかりました! さてさて、気を取り直してお答えしましょうか!

 その魔法にはなんの害もありません。スカーの得意技である、浄化の光(ウォッシュ・ライト)

 一定期間、身体を清潔にし保つ効果があります。

 それにしても、ダークエルフさんはまだ少年ですのに大胆不敵ですねー。

 お仲間のゴブリンさんは怯えてくれたようで、嬉しいかぎりです!」


 スカーは蒼く点滅していた。

 髪や、身体が乾いていることによる感謝からか。

 ルゥは会釈した。


「ギ」


「いえ、いえ。なんていったって、お客さんですからー」


 なんという良いスライム。

 俺には、ほかのスライムの知りあいなどはいない。

 だが古今東西、

 これほどまでにまがうことなき良いスライムが、存在していたとは……!

 苦悩に苦悩を重ねていたけど、

 これでルゥの安否は心配ないだろう。


 だけど、ひとつ懸念がある。

 えっ? これは、なんなの? 嫌われてでもいるの?

 なぜならばどうしてか。

 いまだに俺の全身は、びっしょりと濡れているんだから。


 悲しき仲間外れのように思えるが、今は些事。

 止めどない謝意がアンリの内にあふれる。

 自身などはかえりみないのだ。真剣な面持ちで彼は口をひらく。


「ありがとうございます。助かりました。

 あなたがいなければ、どうなっていたことか。

 ほんとうにありがとう。スカーレットさん」


「そ、そこまで、言われると照れますねぇー。

 いえいえ、当然のって! スカーです!

 さっきからスカーだと言っているでしょうが! もしや、わざとやっていませんか!?

 と、というか! どうしてあなたは、まだ濡れているんですか!?

 ど、どうなっているんですか、あなたは!」


 ほんとうに良かった。

 仲間外れじゃなかったようなんだ。

 当然じゃないか。

 スカーレットさんは、

 そのような器量のちいさい女性(スライム)ではないんだから。

 礼節をつくすためにさん付けで呼んでいたんだけど、

 その彼女がここまで言ってくれているんだ。

 仲良くなれたら万々歳であるし、

 以後はよりフランクに愛称で呼ばせていただこうか。


 響きわたる喧騒へと、あらたなる声がくわわる。

 今更ではあるが、

 あらぬものを目撃したスカーが絶叫したのであった。


「ヒェー! ヒェー!」


 ヒェーである。

 二度も放たれた理解不能な亜人語(ヒェー)は、縦横無尽。

 あたりへと騒がしくも響きわたっていた。


 ヒからはじまる言葉が好みなのかなぁ。

 とアンリは他人事である。


 脈打つように。

 スカーは桜色に点滅しつつも、

 全力疾走ならぬ全力飛来。

 呆気にとられているルゥの背中へと隠れると言う。

 意気揚々とは一転して、その声音は震えていた。


「ど、どうしてはだか、なんですかー!!」


「はぁ?」


「……ギィ」


 いまさらにすぎる疑問である。

 その通りだ。

 とでも言いたげに、

 ルゥはギィギィとうなずいていた。


 やがてアンリは、

 その意図に気づくと相槌をうつ。

 さも理解できないという風体で言った。


「はだか? ハダカ? ……ああ、(コレ)のことかい?

 どうして、といわれてもなぁ。

 なんというか、解放感が病みつきというかね。

 それにやはり(おとこ)たるもの、つつみ隠してはならないというか、ね。

 まあ実際、必要性も皆無であるし」


 幸運にも、亜人種の影は見ていない。

 前提として俺とルゥは男同士。

 たしかに女性であるのはいなめないけど、

 スカーはスライムなんだよ。


 それは俺だって、

 近くに女性がいるのならば股間くらいは隠すよ。

 だけど、

 現状としては必要に迫られてはいないんだ。

 それに俺には、曲げてはならぬ矜持(きょうじ)があるんだから。


 アンリには幼少のころから、

 そのような理念がふかく根付いていたのだ。


 フザけきった全裸の説明をうけて、

 ルゥはジト眼である。


 怒りもともなったのだろうか。

 もはや、ショッキングピンクへと変貌をとげるスカー。

 激しく点滅しながらも怒声を上げたのだが。


「まったく、理解ができません!

 なにを言っているんですか、このダークエルフは!

 つつみ隠す必要性はおお有りでしょう! 包み隠す道理しかありませんよ!

 スカーは淑女なんですからね!」


「ハッハッハッ」


 ほがらかな笑い声がこだました。


 だが決してアンリは、

 スカーを茶化しているつもりではないのだ。


 アンリのゆるがぬ理念にもとづけば、

 全裸とは普遍的な事柄。

 それなのにもかかわらず、

 怒濤の勢いのまくし立てに、

 思考が追いつかずに笑ってしまったのであった。


 ルゥの背後から飛びだし、

 とち狂ったかのように縦横無尽に飛びまわるスカー。

 ほどなくして、

 アンリの眼前にピタリと静止すると激昂した。


「ど、どこに笑う要素があるんですかっ!

 と、とんでもない性悪ダークエルフですっ!」


「……ふう、すまない。

 さきに謝っておくけど、冷やかすような浅慮はないんだよ。

 それにスカーが素敵な淑女である。

 ということはわかりきっているし、多大な感謝もしているんだ。

 ほんとうにありがとう」


「そ、そうなんですか……。

 スカーはあなたを誤解」


「だけど、少しも、なんだ。

 ほんの少しも、スカーの言っている意味がわからなくてね」


「や、やっぱり、このダークエルフはスカーをバカにしています!

 すこしは見直した、スカーの感情をかえしなさい!

 すこしもって! ほんのすこしもって!

 いえ、はじめから理解する気もないんでしょうね! なんという、性格破綻者なんでしょうか!

 あと、あなたはスカーと呼ばないでください!」


「ええー。俺はただ歩み寄りたいと」


「歩み寄りたいのならば!

 即座に! その股のブツをなにかで隠せ!

 隠さないんならばほんとうに溶かしてしまいますよ!」


 しかれども、

 アンリは真剣な面持ちでのたまう。

 益荒男を体現しているかのような声音は、

 はかなくて雄々しくもあった。


「ほんとうに、すまない。

 ハハッ、女性にはわからないかな。

 このまま消えてしまおうとも、ものが溶かされてしまう未来が待ちかまえていようとも、だ。

 (おとこ)には、断固として譲れぬ矜持(きょうじ)、というものがあるんだよ」


「キィー! キィー!

 このダークエルフは、スカーにケンカを売っています!

 その良いこといったな俺、みたいな顔はなんなんですか!

 なんですかその状況にそぐわない、消え入りそうな腹が立つ笑みは!

 これではまるでスカーの方がへんてこりん、みたいではないですか!

 理解不能な言葉をならべて煙に巻こうとしても、騙されませんよ。

 あなたは、スカーを馬鹿にしているんです!」


 どうして、わかってくれないんだ。

 と、アンリはうら悲しげに立ちつくしている。


 ようやく正気づいたのか。

 ルゥはというと、

 ギィギィと言いながらも首肯している。

 目の前でプンプンと、

 擬音がつきそうなほどの激昂をしている粘体(スライム)

 スカーに優しく片手をそえる。

 ルゥはちからなく首を左右に振った。


「……ギィ」


「えっ? ゴブリンさんもいくども注意していたんですか?

 それでもかたくなな態度をつらぬき、首を縦にはふってくれなかったんですか?

 なんと、そのようなことが。たいへん、でしたね。

 ……このような凶悪な変態を相手にまわして、てッ! ハッ!

 ゴブリンさんも、なんといういんびなカッコウをしているんですか……!

 無垢なスカーは騙されました!

 どうもうな変態たちの阿吽の呼吸、こうかつな策略だったとは。

 やはりゴブリンさんも変態の仲間。もしくは、変態にそめられていたんですね……!

 ……リオ様、申し訳ありません。

 スカーのはじめてのお客さんは、とほうもなき変態たちだったようです」


「ギィー!」


「ハッハッハッ」


「えっ、どうして笑っていられるの!?

 ゴブリンさんのように怒るのがふつうでは!?

 わからない。錯乱してしまいそう。頭のなかがグルグルしてます……。

 はっ! はなはだしき変態たちに、スカーは食べられてしまうー!」


「ハッハッハッ……」


「ギギ!」


 まさに混沌(カオス)である。


 スカーは錯乱しているようだ。

 ムリもなかろう。

 このような破天荒なヤカラとは、邂逅したことなどないのだろう。

 つちかってきた経験則に、

 照らしあわせればあわせるほどに、

 混迷と化すのは自明の理であった。


 知ってか知らずか。

 スライムに、

 錯乱の状態異常を発生させた士君子(アンリ)は、

 やりきった紳士かのように盛大に笑っていた。


 だが、じつは逆である。

 このはなはだしき益荒男の心は、

 ガラスの心臓(ハート)だったのだ。

 じつのところは、

 変態という壮絶な二文字に、

 おおきなショックを受けていた。

 悲壮めいた笑みをこぼすしかなかったのである。


 ルゥは心外だったのだろう。

 獰猛な変態と言われたのが癪だったのか。

 スカーを右手でむんずと、

 鷲づかみにすると憤慨を吐露した。


「ギィギー!」


「い、痛いですー! や、やめてくださいー」


「ギギギ!」


「えっ、話しをきけと?

 フムフム。なるほど。

 この巨大化モンステラの葉はいたし方なく、巻きつけているだけなのだ、と?」


「ギギ」


 ルゥはちから強くうなずく。

 またもや今更ではあるが、

 アンリは素直に驚嘆していた。


 えっ、ルゥの言語がわかるの? ほんとうに?

 だとするのならばスカー、すごすぎるだろ。

 俺もルゥと話したい。

 指南でもしてくれないかなぁ。

 だけど、

 なにやら嫌われてしまっているようなんだよ。

 原因に心当たりはないけど、獰猛な変態はないよなぁ……。


 心奥に、

 甚大な亀裂がはしっている大妖魔。

 アンリを無視して、会話はつづいていく。


「ほうほう。そうだったんですか」


「ギーギ」


「着の身着のままで、洗濯をしてしまったために、やむを得ず葉っぱを巻きつけていたのだ、と。

 その洗濯物はここにおもむく前に、荒々しきスコールにより、なくなってしまったんですね」


「えっ、そうなの? じゃあ、俺のボロ布も?

 まいったな。少しばかり、気に入っていたんだけどなぁ」


 そう独りごちるが、

 変態(アンリ)は蚊帳の外である。

 心のなかは寒風が吹いていた。


 置いてはおけない些事はある。

 だけどまあ、これでひと安心なんだろうね。


 なぜならば、俺の最愛の弟。

 頭脳明晰なルゥが説明してくれているんだぞ。


 性格破綻者や、

 獰猛かつとほうもなき変態。

 などという風評被害。

 事実無根な汚名なんて、返上してくれるに違いないんだ。

 そうだ。俺は無実を勝ちとるんだ。


「そうだったんですか。

 これはとんだご無礼を。申しわけございませんでした」


「ギ」


「……ほんとうにあなたは。

 ウツワのおおきなゴブリンさんですね。いえ、いえ、ありがとうございます。

 それではスカーにはわかりかねますが、なぜか無表情のまま。

 ガッツポーズをしている底が見えない変態にも、なにかやむにやまれぬ事情があるとでもいうんですか?」


「ギ!

 ギーギーギギー」


 両者の突きささるような視線。

 それが一定感覚でチラチラと、

 アンリへと向けられていた。


 ルゥはなかば必死な様相だ。

 おおげさな身ぶり手ぶりをまじえながらも、

 説明しているようだった。


 なんという、愛くるしさだろうか。

 まさしく、兄冥利につきるよ。

 まさか、まさかだよ。

 最愛の兄の名誉を挽回するためだけに、

 これほどまでの猛然としたボディーランゲージをもちいてくれるとは……。

 とアンリは感激により、

 視界がにじみそうになっていた。

 議論の行方はいかに。

 数分ほど経過したのちに軍配は上がった。


「そう、だったんですか。

 なんとお二人は、そのようなかれつな環境におちいっていたんですね……」


 アンリは満足気にうなずく。

 女性たちの射るような目が向けられているさなか、

 さすがは俺のルゥだ。

 と言おうとしたのだが。


「さすがは俺のル」


「ルゥさんは、こう言っています。

 僕にもはなはだ疑問なのだが、気狂っているかのように裸のままなのだ、と」


「ギ」


 明晰なまでの自業自得である。

 奇っ怪なる子女たちの、

 侮蔑の目線はするどかった。


「ええー。ええー……」


 最愛の弟のあるまじき裏切り行為。

 リフレインする嘆きがもれると、

 アンリのガラスの心臓(ハート)は爆砕していた。


 ルゥは僕という一人称だったのか。

 それにしても、すごく頭の良さそうな話し方だなぁ。

 などと、

 彼は現実逃避をしはじめていくが、

 ひびく胸の痛みにより現実へとひき戻された。


 どうして。

 どうして俺が、このような憂き目にあわなければならないんだ。

 まさか、ほかでもない俺こそが、

 取りかえしのつかない失考をしていたとでもいうのか。


 だけどそれでは前提がおかしい。

 おかしいんだよ。

 なぜならばそうであると想定するのならば、

 敬愛するおじいちゃんの大切な教えも、

 過ちだったということとなるんだから。


 つねづね、

 おじいちゃんは口をすっぱくしてこう言っていたんだ……。


「エルフの男児たるもの、過酷な逆境にあいまみえようとも、たえず裸一貫で正対しなければならぬ」


 そうであるのならば今こそ、じゃないか。

 逆境のまっただなかに落とされて、

 裸一貫で正対しているじゃないか。


 そう、だ。

 頭がとても弱い俺一人の理念であるのならば、

 思い違いをしているのかもしれない。


 だが、しかしだ。

 あの蓋世(がいせい)の才の名をほしいままにするおじいちゃんが、

 まちがっているわけがないじゃないか……!


 ピカピカと、

 スカーは紅く点滅している。

 じわりじわりと詰め寄ってきていた。


「年貢の納めどきですよ!

 あなたの悪行の数々は、ここにあばかれたんです!

 さあ、決断しなさい!

 お縄につくのか! その低劣なブツをかくすのか!

 それとも! あとかたもなく溶かされてしまうのか!」


 もはや、一貫の終わりである。

 しかしアンリはあきらめない。

 つちかってきた経験則という辞書には、

 妥協の二文字はないのだ。


 あくまでも野性的に手向かう。

 断罪者(スカー)を真っ向から見据えて、

 罪人(アンリ)はニヤリと口許をゆがめた。

 それはそれは混沌(カオス)でいて、強烈な一撃がはなたれていく。


「すまない。

 どちらも選ぶことはできないようだね。

 なぜならばおじいちゃんの矜持(きょうじ)が!

 息づく理論体系(イデオロギー)が! この俺を後押ししてくれているんだから!」


「ヒャー! ヒャー!

 へんてこりんな変態野郎どもです、コイツの一族はー!」


 蓋世の才の名をほしいままにする祖父は、

 知らぬ間に変態の烙印を押されていた。

 ついぞ、スカーはあきらめたのか。

 めんどうくさそうに若葉色に光る。


「よくはないんですが……もう、いいです。

 無実なる隠れ家(ブラン・カシェット)が変態にけがされてしまう前に、どこへなりとでも行ってほしいんですが。

 いちおう、あなたもお客さんですからね。

 ふぅ。とりあえずこちらへ来てください」


 入口から見て、

 左手の扉へと浮遊していく。

 扉の中央。銀色のレリーフには、

 雄々しき体躯に、ゆったりとした外套を羽織る、

 翼の生えた獅子がきざみこまれていた。


「いま、あなたたちに解放されている部屋はふたつ。

 入口付近の松明(トーチ)に、炎がともっている二部屋だけなんです。

 ほんとうは寝室からご案内するはずだったんですが、やむをえません!

 まずは衣装室に向かいましょう! そして、なんらかの衣服を見繕ってくださいね!」


「ギ」


 そうだそうだ。そうすべきだ。

 とばかりにルゥは頷いている。


「ええー。これでいいのになぁ」


「ギギー!」


 一族のプライド。

 矜持(きょうじ)を曲げたくはなかった。


 しかし、

 最愛の弟たるルゥが怒っているようなのだ。


 アンリは、

 もどかしき決断に迫られていた。

 一拍ののち、肩を落とす。ようやく観念したのである。


 スカーに嫌われることでさえもわりと悲しいというのに、

 その対象が弟になるなど考えたくもなかったのだ。


 ルゥは強制的に、

 むんずとアンリの片腕をつかんだ。

 千鳥足になっているアンリを無視して、

 扉へと歩を進めていく。

 スカーが魔法でも行使したのか。

 ひとりでに、扉がうちへと開かれていった。


「それではここが衣装室となりますっ!

 さあさあ遠慮などせず、ごゆっくりおくつろぎください!

 ルゥさんに、露出狂で性格破綻の変態野郎」


 とんでもない言われようであった。

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