永須洋子、一の矢を放つ。
午後五時半の終礼で、デイサービス・一雫の一日は終わる。
デイサービス・一雫に就職してからの二週間は、遅くとも六時台には自宅まで帰る事が出来ていた。
管理者の永須洋子が、「研修日誌」を作り出すまでは。
「今日から、帰る前に、これを提出して下さい。」
三週目の月曜日、永須洋子は、「研修日誌」という文字が書かれたファイルを持って来た。
ファイルの中には、「日付、仕事の内容、先輩に教えて貰った事、反省点」という文字が印刷された、A4サイズの紙が綴じられていた。
これが厄介だった。
「日付、仕事の内容、反省点」は容易に埋められるのだが、「先輩に教えて貰った事」を埋めるのは至難の業であった。
一週目なら兎も角、一雫に就職してから三週目に入っている今、先輩に何かを教えて貰うような機会は減ってきており、研修日誌を埋める為に先輩に何かを質問するという、本末転倒な事態になっていた。
そもそも、先輩方は研修日誌の提出など課せられた事は無いらしく、先輩方の推察によれば、私に対する嫌がらせではないかという意見が大勢を占めていた。
更に、苦労して研修日誌を提出しても、永須洋子が気に入らなければ、折角書いた文章の上に容赦なく修正テープを貼られてしまい、再提出を求められる事も少なくなかった。
永須洋子が帰宅する時間までに、奴が満足する研修日誌を完成させる事が出来なければ、自宅に持ち帰って、翌朝の提出を求められることも、決して珍しい事では無かった。
必然的に、私の帰宅時間も七時を越える事が多くなり、母親に心配を掛ける夜が増えた。
研修日誌生活が始まってから三週間後の土曜日、母親の体温が三十七度台だったので、近くの診療所に付き添った。
時期的にインフルエンザの可能性も有ったが、検査の結果は陰性だったらしい。
心労かも知れない。
私が至らない為に、母親の体調を崩してしまったかと思ったのだが、翌日、母親の体温は更に上昇し、三十八度台中盤に達してしまった。
日曜日だったが、休日診療の病院を探し出し、インフルエンザの検査を再び行って貰うと、昨日とは違い、結果は陽性だった。
インフルエンザは発症してから十二時間以上経過しないと、陽性の結果が得られない可能性が有るらしい。
薬局で吸入式の抗インフルエンザ薬を貰って自宅に帰り、早速、吸入したのだが、母親も私も、カプセル式の抗インフルエンザ薬しか貰った事が無かった為、果たして、本当に吸入に成功したのか、良く判らなかった。
抗インフルエンザ薬はウイルスの増殖を抑える薬だが、ウイルスを殺傷する事は出来ない。更に、四十八時間以内に使用しないとウイルスの増殖を抑える力も限定的なものになってしまう。
果たして母は、抗インフルエンザ薬を吸入出来ているのか、そして、四十八時間に間に合ったのだろうか。
高齢者のインフルエンザは、死に繋がる可能性も有る。
私は、焦っていた。
しかし、月曜日が来れば、また、一雫に出勤しなければならない。
母親がインフルエンザを発症した事を一雫に報告すると、マスクを着用し、なるべく入浴介助などの利用者さんとの濃厚な接触を避けるようにとの指示を受けた。
正直、休んで母親の看病に専念したいし、その方が、利用者さんをインフルエンザウイルスから守れるような気がするのだが、一雫が決めた事なら仕方が無い。
母親がインフルエンザで臥せっていようが無かろうが、研修日誌の日課から逃れる事は出来ない。
休憩時間に母親と連絡して無事を確認しているとはいえ、帰宅するまで、不安な気持ちは晴れない。尤も、早い時間に帰宅したとしても、母親の体温は下がらないので、不安な気持ちが無くなる事は無かっただろうが。
「なんで、熱がまだ下がらないんですか?おかしいんじゃないですか?」
水曜日の終礼後、永須洋子に信じられない言葉を投げられた。
「薬を吸入してから三日間で熱が下がらない事もありますし、母は発症してから薬を吸入するまでに時間が掛かってしまいましたから、もしも、発症してから四十八時間以上経ってしまっていたら、熱が下がるまで時間が掛かるかも知れません。」
私は母親の身体を心配しながらも、あくまで一般論として、母親の状態を説明してみたが、思わぬ反論を食らった。
「あなたは、お医者さんなんですか?あなたが、病気や薬の事に知識が有るのは解ったけど、そういう風に、偉そうに部下が口を利くのは、私には考えられない。人として失格ですよ。」
「あなたが、お母さんからどういう教育を受けて来たか知らないけど、あなたみたいに出来の悪い部下は、私は、初めてですよ。」
「あなたの出来が悪いから研修日誌を提出して貰ってるんだけど、あなたみたいに物覚えが悪い人は、病院で検査して貰ったらどうですか?脳に障害が有るのかも知れないし。」
私は気が短い方だと思っていたが、「脳に障害」の件まで黙って聞いていた私は、もしかしたら、気が長いのかも知れない。
しかし、流石に限界だった。
「僕の出来の悪い事は仕方が無い事ですが、母親とは関係が無いじゃないですか!」
「研修日誌を完成させても、尚、再提出を求められるのも納得できません!正直、寝込んでいる母親が心配なので、早く帰らせて頂きたいです!」
一雫で私が感情を露にする事は無かったので、永須洋子は私の剣幕に目を丸くしたが、瞬時に体裁を整えた。
「・・・・・・解りました。じゃあ、もう、研修日誌を提出しなくても良いですから、研修日誌のファイルを返して下さい。これは、処分しますから。」
翌日、事の次第を先輩方に報告した。
ベテランの秋山さんは、「偉い!良く言った!」と、言って下さり、「脳に障害」の件を打ち明けると、「録音しておけば良かったのに・・・。」と、私以上に悔しがって下さった。
看護師の志村さんは、「何で、そんな酷い事を言われなきゃならないの・・・阿久根さん、何も悪い事してないのに・・・。」と、言って下さったが、自分自身が介護職員として未熟な事は自覚しているので、志村さんの優しい言葉は真に受けないようにしておく。
実質的な現場のリーダーの荻野さんからは、「此処に居ると辛いでしょ?異動する?」と、やや突き放したような言葉を掛けられた。一雫には、訪問介護なども在るには在るし、デイの管理者と合わないのなら、それも選択肢の一つであるが、そもそも、荻野さんは、「永須さんみたいな上司になりたい。」と、発言するような永須シンパである為、彼女も、私の事を邪魔者だと思っている可能性は高い。
パートの伏見さんは、「研修日誌の処分は許せない。」と、私の三週間の結晶が処分された事に対して、温厚な彼女にしては珍しく怒りを露にした。「研修日誌が処分されても、先輩方から教わった事は、現場でメモした物を、帰宅してからノートに清書してますから、大丈夫ですよ。」と、私が返すと、伏見さんは納得してくれたが、「パワハラの、証拠隠滅だね。」と、秋山さんは断言した。秋山さんが永須氏と敵対関係にあるのは、言うまでも無い。
永須洋子に証拠隠滅を許してしまったが、週末には母親の体調も回復に向かった事に私は安堵し、研修日誌も無くなった今、一雫での介護士生活にも、ようやく、希望を見出せる様になった。
しかし、永須洋子は、二本目の矢を用意していたのである。




