阿久根頑介の履歴書
春の陽気な日差しの中、私は陰気な眼差しで、ゲルインキが乾くのを待ち続けていた。
子供の頃から油性ボールペンが嫌いだ。あれを使って文字を丁寧に書けた例が無い。最近では企業努力によって進化を遂げているものの、所詮は油性ボールペン。ゲルインキボールペンの魅力には遠く及ばない。
しかし、ゲルインキボールペンで履歴書を書いても良いものなのだろうか。履歴書には記入上の注意として、「黒又は青の筆記具」と印刷されているが、問題は色では無い。青で書かれた履歴書を提出する奴など不採用になってしまえば良いのだ。
インターネットの世界では、寧ろゲルインキボールペンは推奨されていた。書きやすいペンは求職者にとって都合が良く、読みやすい文字は採用担当者にとって印象が良いらしい。我が意を得たり。
ゲルインキボールペンを以てしても、自分の名前を上手に書くことは難しい。「阿久根頑介」という名前を書き慣れている事は事実だが、書き慣れているからこそ妙な癖が付いてしまっている事もまた事実。しかし、上手に書く必要は無い。読む人の身になって、丁寧に書けば良いのだ。
次に、振り仮名を書いていく。「ふりがな」と平仮名で印刷されているので、「あくねがんすけ」と平仮名で書いていけば良いのだろうが、まだ「阿久根頑介」は乾いていない。インキが乾くまで待たなくてはならないのだ。ゲルインキボールペン唯一の弱点と言えよう。
昭和五十九年十二月二十二日生まれ。満三十歳。男。
生年月日、年齢、性別の次に現住所を書いた。そして、現住所にも振り仮名を書かなくてはならない。つまり、インキが乾くまで待たなくてはならない。面倒臭い。いっそ、先に振り仮名を書いてしまえと思うのだが、先に書いた振り仮名を意識しながら住所を書くのは難易度が高い。「丁寧に書く」という本末が転倒してはならない。
最終学歴は高卒。職歴、免許、資格無し。
夢の中で生きてきた。働きもせず、小説家を目指して小説だけを書いていた。両親に負担をかけながらも、夢が叶う日を待ち続けていた。父親が亡くなった時も人生を省みることをしなかった。人間の屑だ。
三十歳を迎えた朝、年老いた母親の顔を見た。彼女の笑顔は疲弊していた。初めて人生を顧みた。「小説家の道を諦める」という結論に至るまでに季節が変わる程の時を要した。
人手不足の介護業界なら私でも正社員として、就職できるかもしれない。介護職員の道を模索し始めた時、近所に老人ホームがオープンする事を知った。運命だと思った。
最大の難関は志望動機だった。私は、介護職員になりたいのでは無い。正社員になりたいだけなのだ。最終的に履歴書の志望動機には、認知症となってしまった祖母を亡くなるまで介護した青年の感動的な物語が描かれていた。この履歴書が私の最後の作品である。
翌朝、面接日当日の空からは雨が降っていた。
三十歳無職の門出に降る雨は、自ら降らせてきた雨、身から出た錆。




