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番外編 狸とバレンタイン

バレンタイン企画です。

 甘い甘い香りが湖畔のカフェ全体に漂っている。

 もともと、店で櫟が菓子類を作っている時には甘い匂いがするのだが、ここまで甘ったるく濃厚な香りが充満することは珍しいだろう。

 もうすぐバレンタイン。今は、チョコレートの季節なのである。


 私――(なずな)はキッチンの片隅で必死の形相でチョコを湯煎していた。

 (くぬぎ)が出かけている今がチャンスなのだ。

 彼に内緒で手作りのチョコを渡そうと決めたのは先週のこと。

 しかし、私は今になってそれを後悔し始めていた。


「もうっ! ぜんぜんチョコレートが溶けないじゃないの!」


 早くしないと、櫟が帰ってきてしまう。

 お湯の温度を上げて再挑戦してみると、今度はチョコ全体がモロモロと崩壊し始めた。


「げっ、失敗だ」


 また材料を買ってきてやり直さなければ。


「あーもー。お菓子作りとか、苦手なんだよね」


 一人暮らしで料理は作ったことがあるものの、私が作るのは適当なメニューばかりだった。

 しかも、櫟と結婚してからは料理全般を彼に頼り切っている。


「また、買いなおさなきゃ!」


 私は失敗したチョコを回収し、湯煎していたボウルごと新聞紙に包んで冷蔵庫の奥底へ突っ込んだ。

ここなら、櫟にも見つからないはずである。匂いを消すために、カフェの窓も開けた。

 こっそりチョコを作って、櫟を驚かせたい。


「薺さーん、ただいま帰りました~」


 そうこうしているうちに、櫟がカフェに帰ってきた。


「おっ、おかえり、櫟君」


 大丈夫だ。チョコづくりの証拠はすべて消している。


「あれー? ナズナさん……」


 櫟の緑色の目が、じっと私を見つめる。


「なんだか甘い匂いがします。おいしそう……」


 そう言うと、櫟は私をぎゅっと抱きしめてきた。


「可愛い、薺さん」


 甘い匂いがどうして可愛いにつながるのか……

 私の夫は、狸ゆえに時々不思議な発言をする。



 今日の薺は、朝からやけにそわそわしていた。

 櫟は知っている。

 昨日、薺がコッソリと大量のチョコレートを買い込んでいたことを。

 それをコッソリ新聞紙に包んで冷蔵庫の奥の奥へ隠していたことを。


 だから、そんな薺に気を使って、彼女が安心して櫟のためのチョコレートを作れるように、今朝は遠くへ外出をしていたのだ。


「僕って、いい旦那さん!」


 しかし、薺の様子を見るに……今日は失敗したようだ。彼女の顔は浮かない。

 先ほどまでチョコレートを作っていたからだろう、薺の体は甘い匂いがする。


「食べてしまいたい……でも、我慢だ」


 良い夫は、バレンタインまで何食わぬ顔で我慢するものなのだ。

 櫟はそう思っている。


「そうだ、狸姿で慰めてあげよう」


 櫟は白い狸に変化すると、薺の肩によじ登った。


「うふふ、こら櫟君。くすぐったいでしょう?」


 薺が笑いながら、櫟を抱き上げ、胸の前で抱きしめた。


「う、だ、駄目だ……我慢できません」

「櫟君……?」


 一瞬で狸の変化を解いて青年姿になった櫟は、店の長椅子に愛しい妻を押し倒す。


「もうっ、櫟君!? ここ、お店なのよ?」

「チューするだけですよ? 薺さん、一体何を考えたんですか? いけない女性(ひと)だなぁ」

「――っ!! な、なんでもないわよ!?」


 這って長椅子からの逃走をはかる薺を、人間姿の櫟がやんわりと抑え込む。


「逃がしませんよ? そんな美味しそうな匂いをさせて、僕を誘惑しているんですよね?」

「はあっ!? ち、違うわよ、こ、これは」


 しかし、バレンタインまでは秘密にしておきたいのか、薺はチョコ作りのことには触れない。

 櫟は櫟で、色々なことが我慢できなくなっていた。


「分かっていますって。薺さんは、何も心配しなくていいんですよ?」

「絶対に分かっていないわ!!」


 いつもと立場の逆転した櫟は、ニマニマと楽しそうに薺を抱きしめたのだった。

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