番外編 狸とクリスマス!
クリスマスが近いので……
番外編を書きました。
狸と人間が営む湖畔のカフェは、初めての冬を迎えていた。
気温が低下し吐く息も白く、店の前にある湖の周辺には霜まで降りている。
そんな中で、私達夫婦はクリスマスに備えて店の準備をしていた。
「薺さん、ツリーの飾り付けはこんな感じでどうでしょう?」
寒々しい外の風景とは打って変わった暖かい店内で……
白髪に緑色の瞳をした青年が、嬉しそうに樅の木に飾り付けをしている。
彼は、最近出来た私の夫だ。
「ありがとう、櫟君。とっても素敵だわ!」
店内に小さなポインセチアの鉢を並べながら、私は、そんな櫟に笑顔を向けた。
湖の前に佇むこのカフェは、今やすっかりクリスマス仕様だ。
木で作られた店内には、樅の木やポインセチアを始めとした様々な飾り付けがされている。
鉢植えを並べ終えた私が、キッチンで二人分のココアを淹れると、樅の木の飾り付けのために脚立に乗っていた櫟が、いそいそと降りてきた。
「はい。櫟君のココア」
「ありがとうございます、薺さん……」
オレンジ色のマグカップを手に取った櫟は、ふぅふぅと息を吹きかけながら暖かいココアを口にする。
そんな彼の様子を見た私も、自分用の紺色のマグカップをそっと持ち上げた。
「そうだ、櫟君。ケーキ用の生クリームがなくなったから、あとで買ってくるね」
「僕が行ってきますよ。外は寒いですし、薺さんの体が冷えてしまいます」
少し前に正式に夫になった櫟は、狸の「嫁」である私のことを、とても大切に扱ってくれる。
……色々と、人間とずれている部分はあるけれど。
どうも彼の中で「人間」は、もの凄くか弱い生き物だと認識されているらしい。
「櫟君は、いちいち大袈裟ね。寒くても車で行くから大丈夫よ」
「なら、僕もついて行きます!」
「……港の近くのスーパーに行くだけなのに?」
「行きます!」
有無を言わせない櫟の迫力に、私は黙って首を縦に振った。
彼には、少々頑固な部分がある。
カフェの脇に停めてある水色の軽自動車のエンジンを掛けると、助手席に防寒具を着込んだ櫟が乗り込んだ。
……車の運転が出来ない彼の定位置は、毎回助手席なのだ。
普段は近くの商店街に行くのだが、今日は休日で生クリームを扱っている店が休みである。
この街で唯一のスーパーは、カフェから徒歩二十分、車で五分という微妙な位置にあった。
だだっ広い駐車場に車を止めた私は、シートベルトを外して運転席のドアを開ける。
助手席側の櫟も、長い足で地面に降り立ってドアを閉めた。今日の彼は、始終人間の姿だ。
車を降りた瞬間、私は背後から声をかけられた。
「あれ。誰かと思ったら……やっぱり、薺さんだ!!」
そこには……最近、この街で出来た新しい知り合いが笑顔で立っている。
「あら、新庄君。あなたもお買い物?」
私と同じ年齢くらいに見える新庄という青年は、この近くにあるホテルの従業員だ。
彼は、そこの厨房で働いているらしい。
「今日は、職場の先輩に買い出しを頼まれまして。でも、薺さんに会えるなんて、ツイているなぁ」
新庄には悪いが、私にとってはツイているとは言い難い。
斜め前方に見える、緑色の双眸がこちらを監視するかのように鋭く光っているからだ。
「わ、私も買い出しなの。でも、早くお店に戻らなきゃならないから……」
私は、言い訳をするように、早口で新庄との会話を終わらせようとした。
何故ならば……櫟のヤキモチは、とても厄介だからだ!
他の男性と親しく話そうものなら、ネチネチと一日中恨み言を聞かされる羽目になる。
「今日は、ペットの白い狸ちゃんは、お留守番ですか?」
「ええと……」
あなたの後ろで目を光らせています……とは、流石に言えない。
「そ、そうなの。あの子も待っていると思うし、急いで買い物を済ませなきゃ」
「そうなんだ。じゃ、俺がカゴ持ちますよ」
なにが「じゃ」に繋がるのか分からないが、新庄は私に同行することを望んでいるようだ。
しかし、こちらに伸びてきた新庄の手を、車の反対側から走って来た影が勢いよく遮る。
「……薺さんの荷物は、僕が持ちますので」
痺れを切らせた櫟が、横から助け舟を出してくれた。
いや、元はと言えば彼の嫉妬が恐ろしくて困っているのだから……助け舟というよりは、泥舟だろうか? 目が怖いし……
「ん? 君は……薺さんの弟さん? イケメンだな」
「……妻が、いつもお世話になっています」
そう返す櫟の目は、早朝の氷の張った湖よりも冷たかった。
櫟に退けられた新庄は、最後まで「年下が好みかあ」とか、「意外と面食い」とか、「諦めない」などの独り言を言っていたけれど……
不機嫌顔の櫟に強く手を引っ張られた私は、店内へと強制連行されたので、その後の彼がどうなったのかは知らない。
新庄と別れた私達は、食品売り場へ向かい、当初の目的通り生クリームを購入する。
櫟のご機嫌を取るために、肉売り場で彼の好物であるチキンまで大量買いしてしまった……
再び車に戻って来ると、新庄は既にその場からいなくなっている。
……買い出しだと言っていたし、職場に戻ったのだろう。
そう思った私が、運転席に乗り込みシートベルトを締めたところで……
突然、座席の背もたれが後ろにバタンと倒れた。
「うわぁっ、びっくりした! って……櫟君!? 何するの?」
座席ごと後ろに倒れた私に、仏頂面の櫟が上から乗りかかってくるではないか!
「櫟君、ちゃんと座ってよ。車の外から誰かに見られたら、恥ずかしいでしょう?」
けれど、櫟は珍しく私の言うことを聞いてくれない。
座席に肘をついた櫟に両頬を掴まれて、私は彼と向かい合う形になってしまった。
……顔が近い。
「だから、薺さんの外出は嫌だったのに……! また、あんな男に気に入られて! あなたは無駄にモテるんですから、もっと自覚してください」
私を見下ろす櫟の緑色の瞳孔が、縦に細まる。
「そ、そんなことないわよ。それよりも早く降りてくれない? こんな格好……誰かに見られたら恥ずかしいわ」
「大丈夫ですよ。店と同じで、外からはこの車自体が見えないようになっています」
どういうことだろうか……
お店の引っ越しのときのように、また櫟が不思議な狸パワーを使ったのかもしれない。
色々と思い悩んでいると、櫟の暖かな唇がそっと私に触れた。
「……あんな、ナンパ男の相手をしないでください」
「よく湖に来るご近所さんだから、話をしただけで……彼のことを好きだなんて思っていないわ」
普通の人間には黒に見えているらしい彼の白髪が、私の顔に掛かる。
「それでもです。狸は、人間よりもずっと嫉妬深いんです」
「ご……ごめん、櫟君。次は気をつけるから」
結局、私は折れてしまう。
櫟の困った顔を見ると、無条件で彼を支えてあげたい衝動に駆られてしまうのは相変わらずだ。
「薺さんっ……! 愛していますっ!」
「うっ、く、櫟君……重いよ。潰れる……」
結局、そのまま私は櫟にハグされて、キスされて、重い愛の言葉の数々を囁かれて……
二十分後くらいにやっと解放された。
田舎の駐車場なので全然人が通らなかったし、外からは見えなくなっているようだが、恥ずかしいものは恥ずかしかった。
櫟に色々されて、ふわふわした頭で車を運転して帰った私は……
店に戻って、買って来た生クリームを冷蔵庫に入れる。
窓の外を見ると、はらはらと粉雪が舞っていた。
「積もるかな?」
「どうでしょう……薺さん、窓辺にいると冷えますから、こっちに来てください」
「う、うん……」
大きな暖炉の手前に陣取った櫟が手招きするので、そろそろと彼の方へと歩み寄る。
櫟に手を引かれた私は、暖炉前の椅子に座る彼の膝の間に落ち着いた。
「ふふふ……薺さんは可愛いですね。それに、柔らかい」
「櫟君の方が可愛いわよ?」
後ろを向いて彼の頭を撫で回すと、ポンという音を立てて櫟が白狸の姿になる。
私は、そのまま狸を抱き上げた。狸姿の櫟は、嬉しそうに尻尾をピンと立ててソワソワしている。
「薺さん、クリスマス当日は二人きりで過ごしましょう」
「え、でも、お店……」
「人間のクリスマスは、愛する者同士の聖なる日だと聞きました。そんな日に店に来るような不躾な客は追い出します」
「追い出しちゃ駄目でしょう!? それに、櫟君はクリスマスの解釈を間違っているわ」
「合っていますよ。僕、こう見えても人間の世界は長いんです」
ドヤ顔の白狸と暖かい炎を見ていると、なんだか細かいことがどうでも良くなってきた。
それに、この暖かさが気持ちよくて、ちょっと眠い……
モフモフした毛皮にスリスリしつつ、私は意識を手放してしまった。
※
「あーあ。薺さん、寝ちゃいましたか……せっかく、二人きりで思う存分イチャイチャしようと思ったのに」
白狸——櫟は、愛おしい「嫁」の膝から床へと飛び降りると人型になった。
緑色の瞳に、白髪の年若い青年の姿だ。
普段から実年齢以上に大人びた格好をした薺を、櫟はそれ以上に老成した瞳で優しく眺める。
自分よりも遥かに年下なのに、事あるごとに大人ぶる薺を、櫟は微笑ましく思っていた。
「それにしても……薺さんて、よくよく変な男に引っかかりますよね。あいつ、いつも薺さんとの出会いを求めて、用もないのに湖に出入りしているんですよ?」
当然のように自分を「変な男」から除外した櫟は、住居スペースから毛布を運んで来て、優しく薺の体へと掛ける。
「んー……櫟君」
「……薺さん?」
寝言で自分の名が呼ばれたことに感激した櫟は、すぐさま狸姿になって薺の膝の上によじのぼった。
何かを探すように宙をさまよっていた薺の両手が、櫟のフワフワの背中の上に収まる。
すると、薺の顔が安心したように緩んだ。
「……もう、薺さん、可愛すぎます」
白狸姿の櫟は、いそいそと毛布内に入り込むと……
新妻の膝の上で惰眠を貪るべく、ウットリと緑色の瞳を閉じたのだった。




