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旅から帰ると、何かとごたごたするものです


「おっかえりなさーい! シュウさん! 」


 国際線の到着口まで、座り詰めでギシギシする身体を人知れず伸ばしつつ歩いて行く。

 手荷物を受け取る前に、満面の笑みでガラス扉の向こうに立っている由利香と夏樹が見えたのだが、あえて気づかないふりをして、先に荷物を確認することに専念した。


 そして、扉を通り抜けると。

 夏樹がイヤッホーイと言う感じで、出迎えてくれる。

 由利香もニッコリ笑ってはいるが、少しいつもと違うような気がする。

「お疲れ様。たしか10時間位のフライトよねー、ご苦労様」

「はい」

 発した声はいつもと変わりなかったので、思い過ごしかな? と、トランクを運ぼうと手を伸ばしてくる夏樹にあっさりとそれを渡して、2人の後に続いた。



「で? 何だかステキな薔薇が手に入るようだね? 」

 日曜日に帰国出来るよう行程を組んであったので、今日はこのあとゆっくりと時間を過ごせるのだ。

 店に帰り着くと、冬里が珍しく、「紅茶を入れたんだ」と、ソファでくつろぐように勧められた。

「ありがとう。…〈レディ・ヴィアン〉と言うのがその薔薇の名前でね」

 冬里が運んできたティカップを受け取りながら、シュウが話をはじめる。

「見ればわかると思うけど、受ける印象が」

「ヴィアンなんだね」

「そう」


「ヴィアンって、最初にシュウさんと冬里が現れたときにいたお屋敷の、お嬢様ですよねー? どんな人だったんっすか? 」

「うーん、人って言うより子どもっていった方がいいかな。とっても頭のいい子でね」

「うんうん」


 シュウは2人のやり取りを聞くともなしに聞いていたが、いつまでたっても由利香が部屋から出てこないことが気になった。

「話の腰を折るようで悪いけど、由利香さん、なにかあったの? 」

 2人の話に割って入るのは気が引けたが、空港から帰る車の中で、由利香はすぐに居眠りを始めてしまったので、薔薇のことも話せていない。いつもなら真っ先に聞いてくるはずなのだが。


 その言葉に、はっとしたように、こちらを見る夏樹。

 冬里は微笑みながら、反対に聞いてきた。

「やっぱり由利香、変? 」

「そうだね。心持ち元気が足りないような」

 そう言うと、夏樹はちょっと肩を落とし、冬里は今度は少しイタズラっぽい顔で微笑む。

「椿とね、ケンカしちまったんすよ」

「ケンカ? 」

「って言うか、互いの温度差が違いすぎて生じた行き違い、と言うべきかな」





「ハル! 」

「「樫村さん! 」」

「おう、皆、久しぶりだな」


 1週間ほど前の、同じ空港の同じ到着口。

 由利香、夏樹、椿の3人が、争うように自動扉から出てきた樫村に群がっていく。

「3人とも元気そうだな。たしか前に会った時期は皆、同じだったよな? 」

「「「はい! 」」」

 そう言って笑う3人は、樫村を挟んで楽しそうに駐車場へと向かったのだった。


「ここが新生『はるぶすと』か。なかなかいい感じだな」

「ありがとうございます。けど、もうすぐ営業開始時間なんで、裏へ回ってもらわなきゃなんないんすよ。こっちです」

 夏樹の後に続いて裏口から中へと入る樫村たち。

 夏樹は由利香に後のことを頼むと、そのまま「冬里、ごめん! 」と言いながら、店へと出て行った。

 開けたドアからチラッと見えた冬里が、ニッコリ微笑みながら「大丈夫だよ、このあとは夏樹1人ですべてまわしてもらうから」とか言って、夏樹をパニクらせている。

「相変わらずだな、冬里は」

 と、あきれたように笑って言う樫村と、由利香、椿の3人は裏階段から2階へと上がって行ったのだった。


 シュウが出発したのが昨日。そして入れ違いにやって来た樫村は、ここを拠点にして、あちこち回るつもりだと言う。

「ちょーっと不便すぎない? 」

 と、冬里は言うが、

「いや、これだけ交通網が発達してるんだ。なんてことはないさ」

 樫村はあっさりとそう言ってのけると、翌日から言葉通り、昼間は精力的にあちこち飛び回りはじめた。

 夜は、ディナー営業後の冬里と夏樹、またそれに会社帰りの由利香や椿も加わって、にぎやかに、けれど、とてもリラックスした時間を過していった。


 そうして、あっという間に1週間が過ぎていき。

 滞在最後の日、樫村は2階のリビングで改めて由利香と椿に向き合っていた。

「さてと。こうやって見るとお似合いだな、お前さんたちは。まあ、椿が由利香に気があるのは、前回の会議の時に、とっくに気がついていたんだがな」

「! 」

 え? と言う顔をして椿の方を見る由利香。

 椿はちょっとばつが悪そうな顔をして、彼女から目をそらせてしまう。

「え? なにそれ。椿、そんなこと1度も言わなかったじゃない」

「そうなのか? 」

 こちらは訳がわからないと言うように聞き返す樫村。どうやら今回は樫村が地雷を踏んでしまったようだ。

「あー、悪い。俺は2人が付き合いだしたと聞いて、てっきり椿の方から言ったんだと思ってたんだ」

「いえ、それが」

「付き合いましょうって言い出したのは私から。でもそれはあのとき、2人の相性がすごく良さそうだっていう軽いノリでのことよ。まさか椿が私のこと…。なんで今まできちんと言ってくれなかったの? 」

 と、くってかかる由利香。

「なんでって」

 小さな声で言って俯いていたのだが、顔を上げた椿は真剣な顔で由利香に向き直る。

「じゃあ、由利香はあのとき、いや、今この時点でも、俺が結婚を前提にしたいほど由利香の事を思ってるって言ったら、どうする? 」

「え? 」

「由利香は、シギが会社をやめたあと、恋愛に対してすごく臆病になってしまった感じが垣間見えていたから。だから何も言えなかったんだよ」

「…」

「でも、俺の思いは別として、由利香がずっと軽いノリでいてほしいって言うなら、俺は一生このままでもいいって思ってる」

「あの」

 由利香は椿の腕に手を伸ばしかけたが、一瞬早く椿が立ち上がり、樫村に向かって頭を下げると、「すみません。樫村さんに嫌な思いさせて」と言いながら、「ごめん、今日は帰るよ」と由利香には短く言って、リビングを出て行った。


「あちゃー。俺としたことが、やっちまった。由利香、悪かった、すまない」

 椿の後を追うように立ち上がった由利香は、しばらく呆然としていたのだが、樫村に声をかけられて、夢から覚めたようにそちらを向き「あ、え? いえ、いいんです…」と、また座り込んでしまったのだった。





「…と、言うような事があったわけ」

「そんなことがあったの。でもその後、2人は連絡を取りあっていないのかな」

「ええっと、椿に聞いてみたいんですが…なんか怖くて。なんて聞けばいいんすかー? シュウさーん」

 夏樹の言葉からは、2人がその後連絡を取り合ったかどうかは、結局わからずじまいだった。



 久しぶり、とは言え、たった1週間ほどしかたっていないが、日本で見る月だ。


 シュウは、さっきの話も関係しているのか、何となく眠れなくて、深夜、店の庭へと降りてみる。

 裏口から月を見上げて、薔薇を含めた庭のスケッチでも考えようと表へまわる。

 すると。

 誰もいないと思っていた玄関の上がり階段に由利香が腰掛けて、物思いにふけりながら空を見上げていた。

「由利香さん? 」

 はじかれたようにこちらを見て、由利香が言う。

「え? あ、鞍馬くん! どうしたの、こんな夜中に」

「それはこちらのセリフです。どうされたのですか、こんな夜中に」

 同じ言葉で聞き返すシュウに、おもわず吹き出してしまう由利香。

「もう、相変わらず天然なんだから、鞍馬くんって」

「それは光栄です」

 おどけて、胸に手をあてるシュウを、微笑みつつも少し哀しげな目で見ていた由利香が言った。

「聞いた? 椿とのこと」

「はい」

「知ってた? 」

「何を、でしょう」

「…椿の気持ち」

「はっきり、ではありませんが、天然の私がわかるくらいですから」


 すると、今度は腰掛けていた膝に顔を埋めて由利香が笑い出す。

「あはは。やだ、そうかー、超天然の鞍馬くんにもバレバレの椿の気持ちを知らなかったのは、私だけかー」

 と、顔を上げて。

「私って、超、超、ちょーーーう、鈍感ね」

「ご自分の事に関しては、ですね。そういう方はたくさんおりますよ」

「…」


 すると、不思議なものを見るようにシュウを見つめていた由利香が、また改めて話しだす。

「私ね、椿の口から、結婚なんていう言葉が飛び出すとは、夢にも思っていなかったから。だから、すごく驚いた」

「はい」

「だけど」

「? 」

「その言葉を聞いても、ちっとも嫌じゃない自分がいるのも、すごく驚きだったの」

 そう言って黙り込む由利香を、シュウは静かに待ってくれる。

 

「それよりも、後からじんわりとうれしさがこみ上げてきて仕方がないの。なぜなんだろ? 」

 しばらくの沈黙の後、つぶやくように言う由利香を優しく微笑んで見ながら、シュウが答えた。

「それは、由利香さんが願っているからでしょう」

「願う? 」

「椿くんと生きていく未来を」


 すると、由利香は「ああ、そうか」と、腑に落ちたように言って、月を見上げた。

「ねえ、うれしいときも、涙ってこぼれるのよね」

「そうですよ」

「じゃあ、これは嬉し涙だ。良かったー」

 そう言うと、由利香は頬を伝う涙をぬぐおうともせず、空を見上げ続ける。

 けれどしばらくすると、「ぐ、ぐらまぐん、涙か、はなみずか、わがらなぐなってぎじゃったー」と、情けない声を出す。

 シュウは、またいつものごとくため息をついて店に戻ると、ティッシュをボックスで持ってきた。


「ありがど」

「いいえ、由利香さんの鼻水をなすりつけられては困りますから」

「もう! 」

 シュン! と鼻をかんだ由利香がまた言う。


「なーんか、こんなふうに鞍馬くんと2人きりで話するのって、久しぶりね」

「そうですね」

「最初は2人だったのよねー、なつかしい。けど、良くやってたわよね」

「すべて私の力です」

「こら! 」

 ポカンと、シュウをはたく真似をしながら、2人は声をおさえて笑い合う。


 空では、明るすぎる三日月が、静かに地上を見下ろしていた。




 次の日。

 朝から、悲痛な叫び声が『はるぶすと』にこだまする。


「ギャー! これは、なに! 目覚まし時計が壊れてるわ! 9時、もう9時よおー」

 ドタドタと自室から飛び出してきたのは、昨日ずいぶん遅くまでシュウと玄関先の対談をしていた由利香だった。

「由利香さん、どうしたんすか? 今日も会社休みっすか? 」

「ちがうわよ! 寝過ごしたの、しかももう始業時間だわ! 」

「いちど起きてこられましたよね。その後姿が見えなかったので、てっきり出勤されたとばかり思っていました」

「起きたのよ! そしてまた眠りについてしまったのー、ああ、どうしよう」


 とりあえずそのまま洗面所へ消えた由利香の叫び声が、また聞こえた。

「何この顔ーーー! 」

 鏡に映る自分の顔をみた由利香は、今日の出社をあきらめるしかなかった。

 泣いたと一目でわかるような腫れた目と、おまけに寝不足で目の下には隈まで出来ている。髪はボサボサ、お肌の調子も最悪だ。


 しばらく部屋で「ゴホゴホ…。すみ、ません。ちょっと身体の、ぐ、具合が…」などと、主演女優賞ものの名演技で会社に電話をかけた後。

「これから、寝る! 決して起こさないでね! 」

 と宣言して、部屋に閉じこもってしまったのだった。


「あれだけ叫べれば、もう大丈夫、だね」

 ソファに腰掛けた冬里が、雑誌をめくりながら面白そうに言う。

「そうだね。あとは、椿くんと素直に仲直り出来ればいいのだけど」

「うーん、それもこの展開なら、大丈夫じゃない? 」

「? 」

 いつもの事ながら、冬里の含みのある言い方にはとまどってしまう。さて、何を考えているのか。けれど、そんな思いも仕事が始まってしまうと、どこかへ消え去ってしまうのだった。



 ランチ営業が無事終わり、もうすぐディナーの時間だ。

 由利香は結局、午後3時過ぎまで惰眠をむさぼって、起きたとたんに「おなかすいたー」と、シュウに遅いランチを作ってもらっていた。

 今はリビングのソファで、ぼおーっとして過ごしている。

「じゃあ、僕たちはお仕事だから。由利香はよい子にしてるんですよー」

 冬里がよしよし、と言う感じで彼女の頭をなでて店に降りていく。

「はあーい」

 大あくびと伸びをして、またクッションを抱きつつゴロンと横になる由利香。

「では、行って参ります! お姉様! 」

「うむ、頑張りたまえよ」

 敬礼して出て行く夏樹に、寝たまま敬礼を返す。

 シュウは微笑みながら、無言で部屋を後にした。


「あーあ、仕事たまってるだろうなー」

 しばらくゴロゴロしていると、裏階段から誰かが上がってくる足音がして、リビングの扉が開く。由利香は誰か忘れ物でもしたかな、と、寝たまま声をかけた。

「なーに? 夏樹? それとも冬里なのー? 忘れ物? 」

 すると。

「由利香。部屋で寝てなくて、大丈夫なの? 」

 そこに立っていたのは、なんと椿だった。由利香は驚いてガバッと起き上がる。

「なな、なんで? 椿? 」

「休んでるって聞いて、心配で。けど今日は仕事が忙しくて、昼間は電話も出来なかったんだ…。だから頑張って仕事早く終わらせてきたんだよ。熱はないようだな、もう起き上がれるの? 」

 と、額に手を当てて言う椿を、ぼんやりと眺めていた由利香は、ようやく今の自分の状況に気がついた。

 このヨレヨレの格好! 

 由利香はまた叫び出したいのを、ハタと思いとどまる。そうだわ、もし結婚なんて事になったら、毎日のようにこのヨレヨレをさらけ出すことになるのよね。

 覚悟をきめたら、由利香の立ち直りは早い。

 まず、姿勢を正して、ソファに正座する。そして、「ごめんなさい! 」と、頭を下げた。


 怪訝な顔をしている椿を見据えながら、由利香は言う。

「実はね、私は今日、具合が悪くてお休みしたんじゃなくて、寝坊しちゃったの! 」

「え? 」

「おとといくらいから眠れなくて、昨日も遅くまで鞍馬くんにさんざん悩みを聞いてもらって、それで」

「悩み? 何で俺に相談しないんだよ、ってやっぱ頼りにならないのか、今の俺じゃ」

「だって! 椿とのことを、本人に相談するわけに行かないでしょ!」

「俺とのことって…」


 由利香はそう言うと、自分の顔を指さして言う。

「椿は私がこんなにヨレヨレなの、具合が悪いからだって思ってるでしょうけど、違うのよ。私、寝起きはたいていこんなもん。もし、結婚して一緒に暮らすようになって、毎日ビシッとした私じゃなきゃサギだって言われたら、困るのよね」

「あ…」

「私、今はノーメイク。これも椿は初めてよね、どう? 」

「どうって…。…目が腫れぼったい」

「あ! これは思いがけず泣いちゃったからよ。じゃなくて、ノーメイクでも許容範囲かってこと! 」

 すると椿は、「ノーメイク云々は別にかまわないよ、俺だって寝起きはひどいもんだし…、」などと言いつつ、心は違うところに引っかかっているようだ。


「あの、由利香、今、結婚て」

「あー、そうそう。結婚ってね、自分のいいところばっかり見せられないでしょ。だから、ひどい私もOKかって聞いとかなくちゃ」

「でも、由利香は軽い気持ちでつきあってるって、この前も」

「それは。だから! 」

 と、また真剣な顔になって、ソファの上だが三つ指をつく由利香。

「また1からおつきあいし直して下さい。今度は結婚を前提として」

 そう言って深々とお辞儀する。


 この急展開になかなかついて行けなかった椿だが、しばらくすると、どういうわけが自分もソファに正座して、居住まいをただす。

「こちらこそ。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 と、同じように深々とお辞儀した。

 由利香はそんな椿を見て、吹き出しながら言った。

「やだ、椿。そういうセリフは結婚が決まってから言うの。私たちは、これからおつきあいを始めるのよ」

「いろいろすっ飛ばすのは、駄目かな」

「だめだめ、本当のこわーい私を知ってもらわなくちゃ。それでもいいって言ってもらわなくちゃ」

「こわーいのは、もう知ってるんだけどな」

「なにを! 」

 ピン! と、デコピンのまねごとなどする由利香。

 イテッ、と大げさにおでこをおさえる椿。


 そして2人は大笑いして。

「にしても、由利香、ヒドイ顔~」

「ええっなによ! 椿のためにいっぱい泣いてあげたんだから」

「泣かせるようなこと、してないと思うんだけどな」

「うれし涙だったの! 」


 そこへ本当に忘れ物をした夏樹が2階へ上がってきて。

 ソファに正座して、向かい合いながらはしゃいでいる2人を不思議そうに見ながらも、「仲直り、できたみたいっすね」と、嬉しそうに自分の部屋へと消えたのだった。




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