21 悪夢
ガサッ……
鬱蒼と茂る草を踏みしめる音がどんどん近づいてくる。
それと同時に聞き覚えのある唸り声が聞こえて来た。
「…恐らく、赤目だ」
初めてこの世界に来た日、初めて見た怪だ。
犬のような見た目で、大きな牙、そして猛禽類のような爪を持つ、あの怪だ。
足音がどんどん近づいてくる。
木々の間からゆらゆらと赤い光が見えた。
「俺の後ろにいろ」
「う、うん…」
透は刀を構え、赤い光を見据えた。
赤目はある程度の距離まで来ると、地面を蹴り、犬とは思えない跳躍で透に飛びかかろうとした。
「わっ!」
志乃は怖くなって思わずしゃがみこんでしまった。
ドスッという音と共に、甲高い鳴き声が辺りに響く。
恐る恐る前を見ると、地面に倒れこみ、体から炎を上げ、のたうち回る赤目の怪と、その怪に深く刀を突き刺す透の姿が見えた。
透が刀を突き刺した箇所から、炎が広がり、怪を包んでいっているようだった。
「…透…」
全身が炎に包まれたかと思うと、すぐに赤目の怪は燃えつき、残ったのは黒い灰だけだった。
「終わったな」
「…そ、そうなの…」
「さっさと帰るぞ」
「うん…」
思ったよりもあっさりと終わった。
良かった、と志乃が安堵して立ち上がった瞬間だった。
バサッと羽ばたきの音が聞こえたかと思うと、頭上に影が出来た。
それは大きな影で、志乃の体を包み込む程だった。
「…え」
直上に大きな黒い、鷲のような鳥がいた。
まるで金属で出来ているかのように鈍色に光る大きな嘴と、鋭い爪。
黒い羽の所々も鈍色に光っている。
大きく見開かれた灰色の目は、真っ直ぐに志乃を狙っていた。
「志乃!」
大きな爪が志乃の顔目掛けて振り降ろされる。
この距離では刀で怪を刺しても間に合わない。
透は横から勢い良く志乃を突き飛ばした。
突き飛ばされた志乃は、木に頭をぶつけ、その場に倒れ込んだ。
その衝撃のせいで、目の前の光景が次第にぼんやりとしてくる。
大きな黒い鷲の怪の爪が透の肩を抉る。
透の右肩口の服が破れ、その下から血が出ているのが見えた。
私を庇ったせいで…透が…
志乃は薄れゆく意識の中、透が傷ついた方の腕で怪を刺したのを見た。
透の肩から流れる赤い血と、怪の体を包む赤い炎がぼんやりと目に入ってきた。
そこで志乃の意識は途切れた。
赤い血が滴り落ちる。
肩に傷を負った透が怪に刀を刺せば、そこから炎が生まれる。
その炎は、あの怪を包んでいく。
これは、現実なのか…夢なのか。
こんな化け物たち、見たこと無い。
こんな世界も、知らない。
あの時…あの道を引き返さなければ…こんな場所に来ることは無かったのだろうか。
こんな怖い思いをすることも…無かったのだろうか。
でも、分かっている。
帰っても、自分に待ち受けているのは楽しいことだけの平穏な日々では無い。
閑静な住宅街の中にある暗い夜道を一人で歩く。
見覚えのある道。馴染みのある道だ。
ここを真っ直ぐ行けば、家に辿り着ける。
住み慣れた家に。
家に帰れば…きっと顔を合わせることになるだろう。
酒を飲み、下品な笑いを浮かべながら殴ってきたあの男に。
「小林さん」
「何するの」
「私が…何をしたっていうの…」
「あんたなんか…」
目の前のその男は、気に食わないことがあれば、すぐに手を上げる。
何もしていなくとも、手を上げられ、暴力によって支配しようとしてくる。
許さない。
大嫌い。
憎い。
でも…母が、一人で自分を育ててくれた母がこれからの人生を共に歩むと決めた相手だというなら…我慢するしか無いのだろう。
ずっと耐えなければならないの…
だから、帰りたく無かった。
道を引き返してしまった。
どこか、違う場所に行きたい。
こんな悩みを持たなくて良い場所へ。
どこか、違う所へ…




