エピローグ 小さなプリンセスと、もっと小さな家族
エピローグです。
この物語で一番伝えたったテーマとして、六歳になったフィアの初めての演説と、家族のやさしい後日談をお届けします。
どうぞお楽しみください。
エピローグ 小さなプリンセスと、もっと小さな家族
フィアが生まれてから、六年の月日が流れた。
フィアを身ごもり、出産し、育てる日々を重ねるうちに、アレンの話し方も少しずつ変わっていった。
かつて勇者だった頃の言葉遣いは次第に柔らかくなり、今では女性らしい口調が自然と身についていた。
それは誰かに求められたからではない。
リリアと夫婦になり、フィアの母として歩んできた年月の中で、いつしか自分自身の言葉になっていたのだ。
リリアもまた、同じだった。
勇者の身体で夫となり、フィアの父として過ごすうちに、言葉遣いが少しずつ変わっていった。
一人称の「わたし」はそのままに、かつての柔らかな女言葉は次第に減り、今では落ち着いた男性らしい口調が自然と身についていた。
それもまた、家族を守り、共に歩んできた年月の中で、いつしか自分自身の言葉になっていたのだ。
金色の髪に、小さな黒い角。
人間と魔族、両方の血を受け継いだフィアは、すくすくと元気に育っていた。
その日の朝。
「お母さま、そこ、ちょっと曲がっています」
「え?」
「じっとしていてください」
フィアは背伸びをすると、アレンの服の襟元を小さな手で一生懸命に整えた。
「はい。これで大丈夫です」
「ありがとう、フィア」
銀紫色の髪を揺らし、アレンが笑う。
今日は魔王城前の広場で、人間と魔族の和平を祝う祭典が開かれる日だった。
そして六歳になったフィアにとっては、プリンセスとして初めて、大勢の前で挨拶をする日でもある。
白と薄紫の小さなドレスに身を包んだフィアは、鏡の前で何度も自分の姿を確認していた。
「……変じゃないですか?」
「よく似合ってるぞ」
リリアが答えると、フィアはほっとしたように息を吐いた。
けれど、緊張のせいか、フィアは背筋をぴんと伸ばし、小さな黒い角までいつもより立って見えた。
「緊張してる?」
「してません」
「ツノが立っているわよ」
アレンが指摘すると、フィアは慌てて両手で角を押さえた。
「これは……いつもどおりなんです!」
「そういうことにしておくか」
リリアが笑う。
「もう、お父さままで」
三人の笑い声が、朝の部屋へ柔らかく広がった。
魔王城前の広場は、多くの人々で埋め尽くされていた。
人間の白い旗と、魔族の紫色の旗が同じ風にはためいている。
人間の商人が魔族の客へ菓子を売り、魔族の職人が人間の子供へ小さな木彫りの玩具を渡していた。
六年前には、まだ珍しかった光景だ。
もちろん、すべてのわだかまりが消えたわけではない。
人間を恐れる魔族もいる。
魔族を信用できない人間もいる。
それでも。
剣を向ける前に言葉を交わそうとする人々は、確実に増えていた。
壇上。
フィアは、母アレンと父リリアの間に立っていた。
広場を埋める人間と魔族の視線が、一斉に自分へ向けられている。
「お母さま……」
フィアの小さな手が、アレンの袖をつかんだ。
「みんな、フィアを見ています」
「だって今日は、フィアが主役なんだもの」
「失敗したらどうしましょう」
アレンは少し考えると、娘と目線を合わせるように腰を落とした。
「フィア」
「はい」
「言葉っていうのはね、上手に使うためだけにあるんじゃないの」
アレンは、そっと娘の手を包む。
「相手に、自分の気持ちを伝えるためにあるのよ」
フィアは母の顔を見つめた。
「フィアの気持ちを?」
「ええ。それで十分よ」
反対側から、リリアも娘の手を握った。
「わたしたちも、お祖父さまも、すぐそばにいるぞ」
来賓席を見る。
ヴァルガスが両手の拳を握り、まるで世界の命運を懸けた決戦でも見守るような顔で孫娘を見つめていた。
フィアは小さく息を吸った。
そして。
一人で、壇上の前へ進んだ。
*「今日は、人間と魔族が、いっしょに平和をお祝いする日です」
最初の声は、少しだけ震えていた。
けれど、フィアは続ける。
*「フィアのお母さまは、人間として生まれました。でも今は、魔族の身体で暮らしています」
広場が静かになる。
*「お父さまは魔族として生まれました。でも今は、人間の身体で暮らしています」
フィアは少し首を傾げた。
*「お祖父さまも、よく分からないって言っています」
「フィア!?」
来賓席からヴァルガスの声が飛び、広場に笑いが起きた。
フィアも少しだけ笑った。
緊張がほどける。
*「でも」
フィアは、もう一度前を向いた。
*「お母さまは、お母さまです」
アレンが目を細める。
*「お父さまは、お父さまです」
リリアが静かに微笑む。
*「だからフィアは、人間だからとか、魔族だからとか、身体がどっちだからとか……それより、その人がどんな人なのかを見ることの方が、大切だと思います」
広場は静かだった。
六歳の少女の声だけが響く。
*「意見が違うときは、剣ではなく、言葉でお話しします」
一人の人間の子供が、壇上を見上げている。
その隣では、小さな角を持つ魔族の子供が、人間の子供と手をつないでいた。
*「悲しい人がいたら、そばにいてあげます」
フィアは胸の前で、小さな拳を握った。
*「分からないことがあったら、ちゃんとお話しして、分かろうとします」
そして。
*「フィアは、人間と魔族がいっしょに笑って暮らせる国を守るプリンセスになります」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
大きな拍手が、広場いっぱいに響いた。
人間も。
魔族も。
子供も。
大人も。
フィアの名前を呼んでいる。
その中で、ひときわ大きな声が響いた。
「見たか! あれが我の孫だ!」
ヴァルガスだった。
「六歳にして、すでに世界一のプリンセスである!」
「父上、声が大きすぎます!」
リリアの声など聞こえていない。
フィアは顔を真っ赤にしながら、それでも嬉しそうに笑った。
挨拶を終えたフィアは、両親のもとへ駆け戻った。
「お母さま!」
「お疲れさま」
「フィア、立派なプリンセスに見えましたか?」
「ええ。誰よりも立派だったわ」
アレンはいつものようにフィアを抱き上げようとした。
しかし。
「駄目だ」
リリアがすぐに止めた。
「え?」
「フィアはわたしが抱く」
「フィアくらいなら、大丈夫よ」
「駄目だ」
「本当に平気よ」
「駄目だ」
「……はい」
こういうときのリリアは強情だ。
アレンの意見なんて、聞いてくれない。
「フィアは重くありません!」
頬を膨らませながらも、フィアは父の腕へ収まった。
けれど。
母が抱き上げてくれなかったことが、少しだけ気になった。
その日の夕方。
祭典を終え、三人は魔王城の家族用居間へ戻っていた。
アレンが窓辺の長椅子へ腰を下ろす。
するとリリアはすぐに背中へクッションを置き、温かな飲み物を差し出した。
「熱くないか?」
「大丈夫よ」
「疲れてないか?」
「本当に大丈夫よ」
「本当に大丈夫か?」
「リリア」
「ん?」
「ちょっと心配しすぎよ」
「心配するに決まってるだろ」
即答だった。
その様子を見ていたフィアが、首を傾げる。
「お母さま」
「なあに?」
「どこかいたいのですか?」
「いいえ。病気じゃないわ」
「でも、お父さまがずっとお母さまを見ています」
フィアが不思議そうに父を見上げた。
リリアはちょうど、アレンの手元に置いた茶杯を、取りやすい位置へ直しているところだった。
「それはいつものことよ」
アレンはそんなリリアの姿を見て、くすりと笑った。
「わたしが少し動いただけでも、すぐ気づいてくれるの。昔から心配性なのよ」
「……アレン」
リリアは茶杯から手を離し、アレンを見つめた。
からかわれていると気づいたのだろう。
何か言い返そうと唇を開いたものの、娘の無邪気な視線に気づくと、頬がじわじわと赤くなっていく。
「余計なこと言うなよ」
リリアは照れ隠しにぷいと顔を背けた。
その仕草が可笑しくて、アレンはまた小さく笑った。
フィアはそんな両親を交互に見つめ、ますます不思議そうに首をかしげた。
アレンは、隣へ座るよう娘を招いた。
「フィア。こっちへおいで」
「はい」
アレンは娘の小さな手を取る。
そして。
まだほとんど目立たない自分のお腹へ、その手を重ねた。
「ここに、赤ちゃんがいるの」
フィアは固まった。
「あかちゃん……?」
「ええ」
「お母さまのお腹に?」
「そうよ」
「ほんとうに?」
「ええ、本当よ」
フィアは、そっと耳を近づけた。
もちろん、まだ何も聞こえない。
それでも。
「……います」
「分かるの?」
「分かります」
自信満々だった。
「女の子だぞ」
リリアが言った。
フィアの目が大きく開く。
「女の子……」
少しの沈黙。
そして。
「フィア、おねえちゃんになるんですか!?」
勢いよく立ち上がった。
「そうよ」
「ほんとうに!?」
「本当だ」
「やったぁ!」
そのままアレンへ飛びつこうとして。
「待った!」
リリアが抱き止めた。
「お母さまのお腹には赤ちゃんがいるんだ。優しくしないとな」
「……あ」
フィアは慌てて動きを止めた。
そして今度は、そっとアレンのお腹へ両手を添える。
「こんにちは」
小さな声で話しかける。
「フィアです」
アレンとリリアは黙って見守った。
「あなたのおねえちゃんです」
少し考える。
「おもちゃ、貸してあげます」
さらに考える。
「お菓子も……」
長い沈黙。
「……少しなら、分けてあげます」
「そこは全部じゃないの?」
アレンが笑った。
「フィアのお菓子も大切です」
「なるほど」
「でも、泣いたらフィアが守ってあげます」
フィアは胸を張った。
「だって、おねえちゃんですから」
そのとき。
扉が勢いよく開いた。
「フィア! 祭典での演説、実に見事であった!」
ヴァルガスだった。
「褒美に城ほど大きな菓子の山を――」
「父上」
リリアが止める。
「六歳の子にそんな量を与えないでください」
「ならば半分にしよう」
「量の問題ではありません」
フィアは祖父へ駆け寄った。
「お祖父さま!」
「おお、フィア! 今日の演説は歴代の王族すべてを――」
「フィア、おねえちゃんになります!」
ヴァルガスの動きが止まった。
「……何?」
フィアは嬉しそうにアレンのお腹を指さす。
「ここに、妹がいるんです!」
数秒。
完全な沈黙。
そして。
「リリアァァァァ!」
魔王城が揺れた。
「お前、また勇者を妊娠させたのか!」
「今のわたしは勇者の身体ですが、中身は父上の実の娘です!」
「そしてアレンは元勇者ですが、今では父上の娘でもあります!」
「六年経っても、まるで理解できぬ!」
ヴァルガスが頭を抱える。
するとフィアが腰に手を当てた。
「お祖父さま!」
「な、何だ」
「大きな声を出してはいけません!」
「む……」
「お母さまのお腹には赤ちゃんがいるんですよ」
「……すまぬ」
かつて世界を恐れさせた魔王が、六歳の孫娘に叱られ、小さくなる。
フィアは満足そうに頷いた。
そして、もう一度アレンのお腹へ顔を近づける。
「だいじょうぶよ」
小さな声で、まだ見ぬ妹へ話しかける。
「お祖父さまは、こわい顔だけど、ほんとうはとてもやさしいの」
「そこまで説明せずともよい!」
「しずかにしてください」
「……はい」
リリアが吹き出した。
アレンも笑う。
フィアも笑った。
しばらくして。
フィアは少し不安そうにアレンを見上げた。
「お母さま」
「どうしたの?」
「赤ちゃんが生まれたら……」
言葉を探す。
「フィアのことも、抱っこしてくれますか?」
アレンの表情が柔らかくなる。
「もちろん」
娘をそっと引き寄せ、その額へ口づけた。
「フィアはずっと、私たちの大切な娘よ」
リリアも二人を包むように腕を回す。
「妹が生まれても、それだけは絶対に変わらないぞ」
フィアは安心したように笑った。
「それなら、フィアも妹をたくさん抱っこします」
「最初に抱くのは祖父である我だ」
ヴァルガスが当然のように言った。
フィアはすぐに振り返る。
「だめです。最初はお母さまです。フィアが生まれたときも、最初はお母さま、その次がお父さまだったそうです」
「む……」
「それに、お祖父さまはフィアを抱っこしたあと、なかなかお母さまに返してくれなかったんでしょう?」
「な、なぜ知っている!?」
「お母さまに聞きました」
「アレン!」
笑い声が、夕日の差し込む部屋を満たした。
夜。
祭典の賑わいが少しずつ遠ざかっていくころ。
フィアは両親の寝室で、すっかり眠っていた。
祭典で遊び疲れたのか、アレンとリリアの間で、小さな寝息を立てている。
アレンは娘の金色の髪をそっと撫でた。
「六年前は、もっと小さかったのよね」
「今だって、まだ十分小さいだろ」
「それもそうね」
二人は笑う。
リリアは眠る娘を見つめた。
「今日の演説……誰かに教わったのか?」
「わたしじゃないわ」
「わたしも教えてないぞ」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時にフィアを見る。
「自分で考えたのね」
「わたしたちの話を、ずっと聞いてきたんだな」
かつて。
勇者と魔王は、互いを倒そうとした。
魔王の娘は、それを止めようとした。
そして。
一枚の鏡が、二人の人生を入れ替えた。
けれど。
平和は、誰か一人を倒せば完成するものではなかった。
一度の選択だけで、永遠に続くものでもない。
何度でも言葉を交わし。
何度でも相手を知ろうとして。
少しずつ作っていくものなのだ。
その想いは今。
二人の娘へ受け継がれようとしていた。
「ちゃんと、次に続いてるんだな」
リリアが呟く。
「ええ」
窓の向こうには、人間と魔族が暮らす街の灯りが見えた。
月明かりが。
眠るフィアの金色の髪と、小さな黒い角を優しく照らしている。
かつて。
二人を遠く離れた場所から繋いでいた月は。
今では。
同じ場所で笑う家族を照らしている。
その光の下で。
アレンとリリアは。
そっと手を重ねた。
――今度は。
鏡など、必要なかった。
そのとき。
ベッドの中から、小さな声がした。
「……お母さま、お父さま」
二人が振り返る。
フィアは眠そうな目をこすりながら、それでも嬉しそうに笑った。
「フィア、みんなとずっといっしょがいいです」
アレンとリリアは顔を見合わせた。
そして、同じように笑った。
窓の外からも、笑い声が聞こえてきた。
人間と魔族が、同じ街で笑い合う声だった。
月明かりが、そんな街を静かに照らしていた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この物語は、アレンとリリアが入れ替わりという大きな運命に翻弄されながらも、最後には「与えられた身体」ではなく「自分で選んだ人生」を大切にして歩き出す物語でした。
このエピローグでは、その先にある穏やかな幸せと、フィアへ受け継がれていく想いを書きたかったのです。
フィアの演説は、この物語で一番大切にしたかった「相手がどんな身体かではなく、その人自身を見ること」「剣ではなく言葉で分かり合おうとすること」を込めた場面になっています。
そして、真面目なだけではなく、ヴァルガスと家族の少しコミカルで温かなやり取りも、この物語らしい締めくくりになったのではないかと思います。
完結となります!
完結ですよ
まだ構想中ですが、次の世代の歩みも、完成したら、また見守っていただけたら嬉しいです。エタるのは嫌なので、あくまで構想中と言う形でお願いします、本編はこれで完成しています




