第三十六話 フーダニット
「……ははっ」
唐突に送られてきた手紙に、僕は力無く笑うしかなかった。
「アインス様? 一体どうしたんですか? ……というか、その文字が読めたんですか?」
やはりイガラシは困惑気味だった。先ほどの手紙を送ってきたのは彼女の上司なのだから当然だ。
「いえ、まったくに。……昔、僕が書いたことがあるいたずら書きに似ていると思って、笑ってしまいました」
「……は、はあ? ……そ、そうなのですか……」
僕はあまりにも白々しく断言した。
「ところでイガラシさん、この紙を送ってきた方は上司だとおっしゃっていましたが……」
「はい、直属の上司のユナ・ナンシー・オーエンですね」
ユナ・ナンシー・オーエン?
《オイ、坊ちゃん……この手紙にしろ、こりゃァ……》
状況を察したヴァーゲストが念話で呟く。
《ああ、そうだな。その上司とやらは間違いなく僕の世界の人間だ》
そもそもユナ・ナンシー・オーエンは、とある有名な推理小説に出てくる人物の一人だ。……いや人物とは名ばかりで、真犯人によって捏造された架空の人間か。
なにせ誰でもない者なのだから。
《……しかしよォ、探偵が殺人事件の犯人の名前を使うかよ。悪趣味にもほどがあるぜ》
ヴァーゲストの言い分はもっともだ。どうせ偽名だろうけど、良い性格をしている。
「まあ、上司といっても一度も会ったことがないんですけどね」
「……え? 会ったことがないんですか? 上司なのに?」
「指示は全部使い魔から来るんですよ。どこそこに行け、誰々の聴取をしてこいとか。……まるで小説の安楽椅子探偵みたいですよねぇ」
小間使いじみたことをさせられているようだが、イガラシはのほほんと言っていた。
「でも私の上司は探偵局でも、七人しか存在しない称号を持っている凄い人なんですけどね。……うーん、けど一度も会ってくれないなんて嫌われてるのかなぁ」
それがさっき言っていた名探偵か。
「……って、こんな雑談をしている暇はありませんよね。遺体検分の写しを持ってきますね。ちょっと待っててください、アインス様」
イガラシが思い出したように言って、廊下の向こう側の消えていった。
遺体安置室前の廊下は僕一人だけになった。
「……やれやれ」
どうにも色々な情報を、マシンガンのように一気に叩き込まれている。
シンゲンの死。
そして明らかに僕と同じ転生者だと思われる探偵局の人間。
だが一つだけ、確信的に分かっていることがある。
《なァ坊ちゃん、この手紙のアタマに書いてあるレッドラムってなんだ? 赤い羊? 地球の挨拶みたいなもんか?》
──親愛なるレッドラムへ
「ああ、それは単純な話しだよ」
《単純? どういうこった?》
「レッドラム、さて英語で逆から綴ると──」
《……アッ!?》
そう、殺人者だ。
つまり、この名探偵とやらは──
「僕が殺人鬼だと知っているんだよ」
*****
名探偵とやらが送ってきた謎のアドバイス──フーダニットとはそもそも何か。
それは推理小説に置ける用語の一つだ。
誰が、それをやったのか?
すなわち推理小説に置ける、もっとも古典的な形式。
数多の容疑者から『誰か犯人なのか』を推理していくことを主題とした作品を指す。
ちなみにホワイダニットは、犯行に至った動機の解明を重視する作品。ハウダニットは犯行方法の解明を中心に展開する作品だ。
「……けれど、これは現実だ。推理小説の世界じゃない」
衛兵隊本部を出た僕は、アカネと別行動を取って、とある場所に来ていた。
シンゲンの見つかった場所。
政務商業地区の路地裏だ。
「……期待はしていなかったけど、何も手かがりはなさそうだな」
遺体発見現場には、血痕も犯人が残した形跡も何一つない。
ただの寂れた裏路地だった。誰一人いない。僕も事前に聞いていなければ、ここに死体があったなどと思いもしなかっただろう。
「ここが日本なら鑑識が現場検証をしているんだろうけど……」
さしも探偵局もそこまではしないらしい。
いやこの異世界で、現代の犯罪捜査技術と比較するのは酷な話しか。
《結局よォ、その名探偵様とやらは何が言いてェんだ? フーダニットが重要ってどういうことだよ》
「……さあてね、僕にも分からないよ」
フーダニット──犯人は誰か。
そんな物が重要なんて、現実の世界では当然の話しだ。動機や殺害方法など、犯人を見付けてから調べればいい。
「……そもそも人は理由もなく死ぬ。それが事故や殺人であっても」
僕は以前の世界で、数多くの悪人を殺してきた。
僕にとっては意義のある殺人だったが、殺される側にとっては、たまたま選ばれた不幸な被害者に過ぎない。
怨恨による殺人ならまだしも、暗殺による殺人でどうやって犯人を特定するというのか。
「……そもそもシンゲンが殺されたのは本当に暗殺が原因だったのか?」
探偵局の遺体検分による簡易的な推察では、胸のほんの小さな傷が死因だとされている。
もしかしたら何かの勘違いだという可能性もあるのではないか。
世の中の推理小説には、実は探偵が犯人だったという作品もごまんとある。意外性のある結末というわけだ。
かなり低い可能性の一つとしてだが、実は殺人に見せかけた自殺だったという線もあるのか?
「……流石に、それは推理小説にかぶれすぎか」
責任あるシュタール騎士団の長ともあろう者が、そんな意味不明なことをするわけがない。百歩譲ってそうだったとしても、おそらくは僕の預かり知れない理由だろうから推理からは除外する。
「……さて義妹ならば、どう推理しただろうかね」
生来の病弱さから病院で暇を持て余すことが多かった義妹は、古今東西の本や映画を貪るように見ていた。僕のミステリー関係の知識の大半は、あの子譲りなのだ。
推理小説マニアでもあった彼女ならば、この状況をどう見ただろうか。
「……そういえば、僕がこの世界に来てから数ヶ月か。あっちの世界ではどうなっているのだろうな」
僕が死んだ後に、あちらの世界はどうなったのか。
マスコミが僕のことを、面白おかしく報道したことは容易に想像できる。出来るだけの隠蔽工作はした。マスコミが義妹の存在を、嗅ぎ付けていないことを祈るばかりだ。
僕の殺人衝動と、義妹は無関係だ。
義妹は僕の知らないところで幸せになってくれればそれでいい。
「……どうにもナイーブになっているのかもしれないな」
僕はため息を付いた。
なぜ今更義妹のことなど思い出すのか。シンゲンが──近しい人間が死んだことで感傷的にでもなっているのだろうか。
僕は何の手かがかりも無い路地裏を探索するのを諦めて、メインストリートである目抜き通りに向かった。
状況を整理しよう。
シンゲンは暗殺されたと仮定する。事故死などの他の可能性は一切除外。切りがないからだ。
──では誰がシンゲンを殺した?
言うまでもなく、シンゲンは歴戦の古強者だった。達人者級の術式を行使する異能者。ハンネよりも一段上の八等階梯。
おそらく単純な戦闘力では、クロムバッハ陣営でもゲオルグに次ぐ実力者だったはずだ。ユニゼラルでもトップクラスの戦闘部隊であろうシュタール騎士団の長なのだから当然だ。
そんな人物をどうやって殺したというのか。
しかも物乞いに扮した毒蛇の奇襲を見破ったように、シンゲンにはかなりの洞察力もあった。それこそ僕の正体にも気付いたように。
遺体のあった路地裏には戦闘の痕跡がなかった。
つまり正面戦闘ではなく、不意打ちか奇襲のようなカタチで殺された可能性が高い。
いくら武器を持っていなかったとは、そんなことが可能なのだろうか。
分からない。
考えれば考えるほど、思考が迷路をさまよっているような感覚になってくる。
「あれ、アインス兄ちゃん?」
「ん?」
そのまま目抜き通りの馬車道路を歩いていると、見知った顔に遭遇した。
「あっー! アインスにぃだ! なんで政務商業地区にいるの!?」
少年探偵団のガルとエーカだった。
「やぁ二人とも、こんなところで奇遇だね」
「え? 奇遇も何も、ここってオレたちの学校のすぐ近くだぜ?」
学校のすぐ近くだって?
そういえば少年探偵団の三人は、普段は平民学校に通っていた。平民学校は、政務商業地区にあったのだったか。
「そーそー、アタイたち学校帰りだよ。これからクライン広場で、ゲートさんの馬車に乗って帰るところなんだ」
クロムバッハ邸からの送り迎えは、馬上従者のゲートがやっているのか。
このまま目抜き通りを真っ直ぐ進めば、すぐそこはクライン広場だ。
ここで、この子たちと会うのも必然──
「……必然……だって……?」
何だ?
何かが僕の思考に引っ掛かる。
言語化できないが、それはとても重要なことのような気がした。
「ねぇねぇ、アインスにぃ、なんで馬車も使わずにこんなところを歩いているの? この前襲われたばっかりだし危ないよ?」
エーカが首を傾げながら、不思議そうに聞いてきた。
たしかにその通りだ。
貴族のお坊ちゃんが、貴族地区の外で護衛も付けずに歩き回っているのだ。側から見れば、さぞ不用心に思えるだろう。
「…………実は、この前の社交界の襲撃事件についての詳しい状況を聞きたいと言われてね。衛兵隊の本部に行ってきたんだ。今はその帰りだよ」
「へぇ、そうなんだ、大変だなぁアインス兄ちゃん」
僕はごく自然に事実を織り交ぜながら嘘を付いた。僕が衛兵隊本部に行ったのは本当だ。
アカネから、シンゲンの死については、しばらく内密にしてくれと言われている。
ユニゼラルでも高名なシュタール騎士団長が死亡してしまったのだ。クロムバッハ家にとっても、その影響は計り知れない。
殺人か、あるいは事故死か。
少なくともシンゲンの死因がはっきりするまで、この事実を公にするのは難しいのだろう。
少年探偵団のみんなは、シンゲンが亡くなったことを知ったら悲しむだろうか。それほど付き合いがあったわけではないが、この前の野掛けにしろ、それなりに懐いていたと思う。
「……そういえば、アリエッタちゃんは?」
ふと僕は、ここにアリエッタがいないことに気付いた。いつもの三人組の一人がいない。二人が学校の帰りなら、なぜアリエッタはこの場にいないのだろうか。
「ああ、アリエッタなら学校に残って試験勉強をしてるぜ」
「試験勉強?」
「まだ一ヶ月ぐらい先なんだけどさ、特別実力考査ってのがあるんだ。その実力考査で優秀な成績を出し続けると、将来的にはノイシュバン城にある新領域創造学の研究室に入れるんだってさ」
「新領域創造学の? どうしてなんだい?」
新領域創造学は、異能を顕現させる大元である魔素を研究する学問だ。
アリエッタがその学問に興味があったとは初耳だ。
僕の言葉になぜかガルが自慢気な表情になる。
「へっへーん、クロムバッハ家──アインス兄ちゃんの役に立ちたいんだってよ」
「え?」
「異能を研究する学問なら、必ずクロムバッハ家の役に立つだろうからって。アリエッタの将来の夢は、研究者なんだぜ。……オレなんて、ようやく読み書きができるようになってきたばかりなのに、もう目標があるなんてすごい──あだだだ!?」
エーカがガルの脇腹をつねった。
「……馬鹿ガル、なんでアンタが自慢っぽく言ってるのよ。偉いのはアリエッタでしょ。ま、アタイも応援してるけどさ」
しかしアリエッタにそんな将来の夢はあったのか。
意外というか、真面目というか。




