第二十一話 殺人鬼は人の心が分からぬ
「初めまして、僕はクロムバッハ家の──」
本格的な社交界に初めて参加した僕は、様々な上流階級の人間とひっきりなしに会話していた。
社交界では知的で洗練された会話が要求される。
それらは芸術や歴史、あるいは政治や経済の話題など多岐に渡る。貴族階級の人間ならば知っていて当然の教養なのだ。
僕はまだ子供扱いなので、名代であるシンゲンの側で適当に相槌を打っているだけの場面が多い。しかし時折試すように話題を投げ掛けられるので油断は出来ないがね。
事前に振られそうな話題に関しては予習しておいたので、僕は十歳の子供の範疇を超えない範囲で流暢に返答し続けていく。
「……ふぅ」
「お疲れですかな、若」
各国の大使や上級貴族との挨拶を休む間もなく続ける中、シンゲンが僕を気遣うように聞いてきた。
「……ええ、まあ少し」
クロムバッハ家での社交界もいくらか気疲れしたが、やはり今日の方が何倍も心労が掛かる。僕はある意味ではクロムバッハ家の看板を背負っているような物なのだ。
次期当主という立場もそうだが、僕が迂闊な発言や失態をすれば引いてはクロムバッハ家──後のノアの未来にまで悪影響を残す可能性もある。
「ハッハッハ、気負い過ぎでござるよ。若はまだまだ子供。誰もそこまで厳しい目で見てはござらん」
「……そうでしょうか。その割には会う人が皆が珍獣を見るような視線を僕に向けてくるのですが」
「それは若が初めて公の場に現れたからでござるよ。あのクロムバッハ家の跡取りとなれば衆目を浴びるの必然。今日の若の対応は初めてにしては出来過ぎでござる。とても十歳の子供には見えませぬよ」
年相応に見えないのもそれはそれで問題ではないだろうか。
人畜無害の人間を演じるのは得意だが、子供らしいフリはあまり慣れていないのだ。そもそも僕が上流貴族の子供の真似事をするのが無理な話かもしれないが。
「見合いといって会場を離れた姉様が羨ましいですよ」
ハンネは会場に着いて早々に見合いがあるといって応接間の方に案内されていた。本人は行きたくないと抵抗していたけれど。
「それならば隣の舞踏会に参加しては如何かでござるかな。あそこならば、ここほど忙しく話し掛けられはしますまい」
「舞踏会に?」
今回のユニゼラル家が主催する社交界は、社交の花形の一つである舞踏会も開催されている。
今、僕がいる大広間は歓談を中心とした空間だが、隣にあるもう一つの大広間ではその舞踏会が開かれているのだ。
「僕はダンスなんて踊れませんよ。それに舞踏会は若い男女のお見合いを兼ねていると聞きましたが」
僕の世界でもそうだったが、舞踏会というのは社交界にデビューした令嬢が将来の夫を見付ける出会いの空間でもある。
そんなところにまだ成人してもいない子供が行っても良いのだろうか。
「今回の舞踏会は格式ばらない気軽なモノだと聞いております。大人たちのつまらない会話から逃げ出した若者も大勢いるはずでござる。羽根を休ませるのには丁度いいのでござらんかな」
簡単な踊りや食事を楽しむカジュアルな空間ということか。
外国の要人の連れで大勢の子供たちも参加しているだろうから、若者向けの交遊の場としてそういう風にセッティングされているのだろう。
「シンゲン団長、少しよろしいですか?」
シュタール騎士団の白い軍服を着た長身の女性が、武門式の敬礼をしながらシンゲンに話し掛けていた。
「アカネか、何かあったのか?」
「ええ、実は──」
アカネと呼ばれた団員がシンゲンに耳打ちする。
何だか忙しそうだな。
先に移動するとしようか。
「しょうがない、それじゃあ壁の花にでもなりに行こうか」
僕は後ろに控えていた少年探偵団の三人に話し掛けた。
「……お、お、おう……わ、わかったぜ……」
「……りょ、りょ、了解だよ……」
ガルとエーカがガチガチに緊張した状態のまま返事をする。
「もう、ガーちゃんもエーちゃんも緊張し過ぎだよ。アインスお兄さんと違って、わたしたちは立ってるだけなんだよ」
意外なことに、普段内向的に見えるアリエッタの方が緊張もせず平静を保っていた。
「しょうがないじゃん。アタイでも知ってるような有名な貴族ばっかりが挨拶に来るんだもん。……ちょっとでも粗相したらアインスにぃに迷惑が掛かるかもって思っちゃったら……あわわ……」
「……エーカの意見に同意だぜ。アインス兄ちゃんがすごい人だっていうのは知ってたけどさ、やっぱ実際にこんな場面に直面すると緊張しちまうよ」
「はは、僕は別に凄くないよ。ただこういう立場なだけさ」
たまたま成り行きでこうなってしまっただけに過ぎない。まして僕は本物のアインスではないしな。
「二人とも少し外の空気でも吸って来たらどうだい? ついでに飲み物でも持って来てくれると助かるかな」
僕が提案するとガルとエーカはぎごちなく頷いた。
「……お、おお、わかったぜ」
「……ありがと、アインスにぃ」
二人は錆び付いたブリキ人形のように固い動作で歩きながら広間を離れていった。
「ごめんなさい、アインスお兄さん。せっかくお手伝いさせてもらっているのに、気を遣わせてしまって」
「いやいや、知っている顔がいるだけ心強いよ。……アリエッタちゃんは随分落ち着いているね。こういう社交界には慣れているのかな?」
「はい、父は行商人でしたから。娘として社交の場には何度も参加させて貰ったことがあるんです。もっともこんな大きなパーティは初めてですけど」
そうか、アリエッタの亡くなった父親は行商人なのだったか。たしかエーカから聞いた話だったと思うが、彼女の父はそれなりに有名な商人だったそうだ。
「そういえば君のお父さんは、覇王の止まり木亭のメリドールさんと幼馴染なんだよね」
ゲオルグ、メリドール、そしてアリエッタの父の三人は同年代の幼馴染だったと聞いたことがある。なぜ大貴族であるゲオルグが平民の二人と交流があったのかは不思議だが、カサキヤ村のクロムバッハ別邸は相当昔から建てられていたようだからその関係だろう。ある意味では僕と少年探偵団の関係に近いのかもしれない。
元々クロムバッハ家と関係があった人間の子供たちと、この僕が接点を持つことになるなんてな。奇縁というモノだろうか。
「父はユニゼラルを拠点に色々な国々を旅していたんです。私も父と一緒にいろんな国を巡ったんですよ」
「アリエッタちゃんはお父さんが亡くなってからカサキヤ村には引っ越したんだよね」
「はい、ユニゼラルの一般住居地区に私たちの家があるのですけど、あの家には思い出が沢山あるので帰りにくくて……。それで一年前に父の生家があるカサキヤ村に移動したんです」
悲しみを癒すために、父親が育った村で心機一転といったところか。
そうこう話している内に、舞踏会が開催されている隣の大広間に到着した。
シンゲンの言った通り、舞踏会の会場は幅広い年齢層の若者たちが楽しげに交流していた。差し詰めホームパーティのような雰囲気だ。
「……おい、見ろよ。あのお方は……」
「……ええ、ですわね。噂の……」
「……なんとまぁお若いのに……」
だったはずなのだが、僕たちが広間に入った瞬間に舞踏会は異様な空気に包まれた。
多くの人間が僕たちを見て、コソコソと内緒話をしている。
なんだ?
どういうことだ?
僕が困惑していると、大広間の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。
「──ア、イ、ン、ス様ぁぁぁ! お待ちしていましたわぁぁ!」
「……うわ」
この舞踏会の衆人環視の中、迷う事なく僕へと突き進む金髪の美少女。
言わずもがなアイリーン・アドル・ユニゼラルその人だ。
舞踏会の群衆は僕に向かって突進するアイリーンを見て、自発的に道を開けた。
さながらモーセの奇跡のようだ。
「アインス様、ご機嫌麗しゅうございますわ!」
言うが早いかアイリーンは僕に飛び付くように抱き付いてきた。
「…………」
しかし僕はその飛び付きをすっと横に避けた。
「──あら?」
ハンネの訓練で鍛えられた僕の目には亀のように遅い動きだった。
「うひゃあ!? なんで!?」
「あ、しまった」
僕の後ろにはアリエッタが控えていた。
行き場を失った慣性は、そのままアリエッタに直撃したのだ。
「むむ、避けるなんてアインス様の意地悪ですわ」
アリエッタは、アイリーンの抱き付きに倒されることなく立っていた。踏ん張っていた。けれどアリエッタの肩から下げているバッグにしがみついて、アイリーンが垂れ下がったような状態になってしまう。まったく、バックの中にはアリエッタの父親の大事な形見が入っているというのに。
「────────」
「アリエッタちゃん?」
「……あ、はい? なんでしょうか?」
大事な形見がぞんざいな扱いを受けて、さぞ不機嫌になったのではないか心配したが、アリエッタは一瞬無表情になっただけだった。僕が声を掛けると我に返ったかのように、はっとした。
何だろうか。まさか貴族の少女が突然自分に抱き付いてくるとは思っていなかったから、フリーズ状態になってしまったのか。
「……ごめんなさいですわぁ。ええと、貴方はアインス様のお世話役かしら」
バックに垂れ下がった状態から立ち上がり、アイリーンがアリエッタに聞いた。
「はい、アインスお兄さん……じゃなかったアインス様の御世話を仰せ付かっております、アリエッタ・フェムシュタットと申します」
アリエッタが肩に手を当てて身体を少し下げる貴族式の礼をした。流石は商人の娘だな。それともクロムバッハ家の研修で教わったのかな。
「あらあら、どこぞのじゃじゃ馬な専任従者と違って礼儀正しくて可愛らしいことですわ。まだ幼いのに立派ですわね」
貴族の淑女としてアリエッタの挨拶が気に入ったのか、アイリーンが満足げにうんうんと頷いた。
「ワタシはユニゼラル家の末席に身を置く、アイリーン・アドル・ユニゼラルと申しますの。アインス様の婚約者としてこれからもよろしくお願いしますわ」
何をよろしくなのか。
まさか将来の妻としてじゃないだろうな。
「彼女は僕の『友達』なんだよ、アリエッタちゃん」
それとなく僕は友達の部分を強調する。
「ふふ、アインス様ったら照れ屋さんですわ。もう会場にいる皆様方は存じ上げていますのに」
「……存じ上げている?」
それって、もしかして……
「ハイ! つい嬉しくてご友人たちに言ってしまいましたの! 今日は愛しの我が君が社交界にデビューする日なのだと! いやーんですわ!」
いやーんどころの話しではない。
だから、さっきからずっと檻に入ったパンダを見ているみたいに観察されているのか。
この大都市の支配者階級であるユニゼラル家と、かつて覇王に仕えた高名なクロムバッハ家。衆目を集めるなというのが無理な話だ。
「アイリーンさん、君との婚約はまだ公式に決まった事柄ではないんだ。決まっていないことを軽々しく口にするのはどうなのかな」
僕が苦言を呈するが、アイリーンは気にした風でもなく「おほほ」と笑った。
「そうですわね。今から周囲の人間に冷やかされるのが嫌なのは分かっていますわ。ワタシとの婚約を断っていない以上、アインス様は婚約をお受けになるつもりなのですものね。ええ、理解あるワタシはよーく理解しております。だって結婚できるのは成人になってからですもの」
「……うっ」
痛いところを突かれた。
そもそもアイリーンとの婚約を受けるつもりがないのならば、さっさと断ればいいのだ。
断らないのであれば、その気なのだと言われてもしょうがない。
だが、その判断は難しい。
アイリーンを袖にすることで、ユニゼラル家とクロムバッハ家の関係に亀裂が生じる可能性があるからだ。
別に僕の一人の立場が悪くなろうがどうでもいい。
だが政治的対立によってクロムバッハ家の立場が弱くなってしまえば、将来的にはノアの悪影響になってしまうかもしれない。
アイリーンとの婚約に関してゲオルグは何も言ってこない。
好きにしろということのなのだろうか。
それとも、これは僕が重く考え過ぎているだけなのか?
所詮は子供の恋愛なのか?
「……そ、それは保留ということで」
「はい! ワタシはアインス様が成人するまでいくらでもお待ちしますわ!」
この国の成人はたしか十六歳からだったはずだ。単純に考えてまだ六年もある。
しかし六年も待たせて結婚はやはり無理でした──とは、貴族社会の道理が許さないだろう。近いうちに身の振り方を決めなければなるまい。
あ、でも何だろう。着々と外堀を埋められているような気がする。
天然なのか、それとも計算付くなのか。
ノアがアイリーンを嫌っているのはこういうところなのかもしれない。
「……アイリーンお嬢様」
「あらセバスチャン、どうしたのかしら」
アイリーンの背後に控えていた執事──白髪の老人がうやうやしく近づいていた。
初めて見るが、アイリーンの専任従者だろうか。老齢のせいかもしれないが、中々風格のある人物だった。
「そろそろ挨拶演説の時間でございます。ご準備を」
「むぅ、残念ですわ。アインス様ともう少しお話しをしていたかったのに」
アイリーンが残念そうに言い、あらためて僕に向き直った。
「それではアインス様、ご機嫌ようですわ。今度逢引でも行きましょうね」
貴族の礼式ともにアイリーンが立ち去っていた。
まるで嵐のようだった。
「……はぁ」
知らず知らずに僕は深い息を吐いていた。なんだか今日はため息を付いてばかりだ。
「ふふ、あの人が噂のユニゼラル家の方なんですね。クロムバッハ邸の従者たちの中でも結構話題になっているんですよ」
「……だろうね」
ゴシップ受けする内容だ。クロムバッハ邸でも、さぞかし面白おかしく語られているのだろう。
「でも、すごい美人な方でしたね。うふふ、ノアお姉さんに手強いライバル出現だなぁ」
「ライバル? どうしてそこでノアの名前が出てくるんだい?」
好敵手とはどういう意味だろうか。
たしかに犬猿の仲ではあるのだが、別に政敵というわけでもない。
だが僕が言葉にアリエッタはぎょっとしたような顔付きになる。
「……驚いた。アインスお兄さんって頭が良いのに、心の機微が分からないんですね。これじゃあノアお姉さんも大変だ」
うーん、察しが悪いつもりはないのだがね。しかし人間関係に関する小言は、よく義妹から食らっていたような気がする。他人と表面上の付き合いしかしてこなかったせいだろうか?
「ねぇアリエッタちゃん、それは一体──」
「──オイ! 窓の外を見てみろよ!」
僕の言葉は途中で遮られた。
何事なのかと大声がした方を向くと、会場の若者たちがみんなこぞって窓から外の様子を興味深そうに眺めていた。
「アインスお兄さん、外で何かあったんでしょうか?」
「何だろうね、少し見てみようか」
僕は窓の前で並ぶ若者たちをかき分けて、外の様子を確認した。
そこで目にした光景は──
「わわ、人がたくさんいますね」
アリエッタの言う通り、窓の外には数え切れないほどの沢山の人間たちがいた。男も、女も、子供、老人も。数百人──それどころか千人は超えるかもしれない。
その老楽男女の人々が、ユニゼラル中央博物館をぐるりと囲むように立っていた。
「あ、でもあの人たちって……」
彼ら一様にボロボロの服を着ていた。物乞いよりはわずかにマシ程度の服装だ。肌や髪も汚れていて、マトモな衛生環境で暮らしていないことが一目瞭然。
「ああ、彼らは貧民地区の難民のようだね」
昨日、直接現地で目撃したから分かる。
親の仇のように建物を睨み付けている人間たちは、貧民街に押し込められている市民権の無い戦災難民だ。
「抗議集会といったところかな」
僕の考えを証明するように、難民の群衆たちは粗末な木の板に抗議のような文面を書いて、天高く掲げている。
ユニゼラル家が主催した社交界。
──どうにも、きな臭い流れになって来たようだ。




